第4話 追放したリーダーが、病気で長くない 結①

 兄貴達はひとしきり飲んだ後、帰っていった。

 俺はその間、ずっとそばに座って会話を聞いていた。


 怒りだとか。

 憎しみだとか。

 そんな感情は消え去っていた。


 本当は、全部かなぐり捨ててあいつらと話したかった。

 兄貴を抱きしめたかった。

 S級になったことを、褒めてほしかった。

 エルヴィンに、サラに、ナターシャに。

 恨んでなんていないと、伝えたかった。


 だが、まだ駄目だ。

 俺には一刻も早く、やらなければならないことができた。


「北の国の、S級ダンジョン……!」


 会計を済ませ、酒場を出る。

 矢のように走り、ギルドの図書館へと向かった。

 真夜中で当然閉館しているが、Sランク冒険者証を盾にして押し入る。

 そこで明け方まで情報を集め、始発の馬車で出発した。


 馬車を乗り継ぎ、北を目指す。

 これまでに稼いだ金を惜しみなく使い。

 防寒具は途中の街で整えて。

 とにかくできるだけ早く、その場所へと急いだ。


 2か月ほどの馬車旅で、目的の国へと到着した。

 着いたその足で、その国の一番大きな図書館へ行き、再度霊薬についての情報を収集する。


 どうやら、おとぎ話じゃないらしい。

 霊薬の正体は、ダンジョンボスである霊龍の角。

 それをすり潰して水に溶かせば、霊薬になるという。

 最後にその霊薬が確認されたのは、100年前。

 その時は王宮に献上されたのだという。


 しかし、霊薬の発見頻度が少なすぎる。

 S級ダンジョンとはいえ、誰にも攻略できないわけではない。

 SランクのパーティーがS級のダンジョンを攻略することは、よくある話だ。

 現に、そのダンジョンも年に何度か攻略されている。

 ではなぜ、霊薬の発見がこれほど稀なのか。


 調べた結果。

 それは、霊龍がボスとして現れる確率がとても低いからだと分かった。

 ギルドのデータによると、通常のダンジョンボスは飛竜。

 強力だが、霊龍には及ぶべくもない。

 ボス部屋までたどり着き、霊龍が現れ、それを倒すことができた時だけ、霊薬が手に入るのだという。


「……やってやろうじゃねぇか」


 こちとら、伊達に「因果律の支配者」なんて呼ばれてるわけじゃない。

 むしろ、俺におあつらえ向きとさえ言えるシチュエーションだ。

 一日で全ての準備を終え、早速、ダンジョンへと挑む。


 全30階層。

 見知らぬ魔物が多いうえに、S級ダンジョンだけあって厄介な魔物が多い。

 一刻を争う状況だが、焦って命を落としては意味がない。

 今回は命を軽んじられた今までとは違う。

 俺は絶対に生きて、霊薬を持ち帰らなければならない。


 しかし本来であれば、後衛職一人でS級ダンジョンの攻略など、自殺行為もいいところだ。

 俺にそれが可能な理由は、ただ一つ。

 占星術師というジョブの特殊性。


 S級スキル【星の導き】。

 占星術師のユニークスキルだ。

 星の記憶アカシックレコードに存在するという平行世界から、自分に最も都合のいい可能性を選び取ることができる。

 これによって、魔物との戦闘の多くを回避できるし、不意打ちを食らうこともない。


 そしてもう一つ。

 S級スキル【星の恩寵】。

 星の記憶アカシックレコードを、ほんの僅かに、逆行することができる。

 すなわち、ごく短時間だが、時を戻せる。

 このスキルにも、幾度となく助けられた。

 魔物に致命傷を受けた後、即座に使用して危機を回避する。

 格上のダンジョンアタックで、何度もそんな使い方をした。


 これらのスキルのおかげで、俺は単独でS級ダンジョンを攻略できたのだ。

 しかし、どちらも脳への負荷が強いため、乱発はできない。


 そしてどうしても避けられない戦闘については、その他のスキル【天秤】【凶星】などのバフ、デバフを駆使して戦う。

 俺自身のレベルは高い。

 高ランクの前衛職に比べれば心もとないが、最高級の装備で身を固めれば、なんとかS級ダンジョンでも魔物を倒すことができる。

 デバフの効かない、相性の悪い魔物は徹底的に避ける。


 理想を言えば、最寄りの街のギルドで前衛職を勧誘したかった。

 しかし高ランクの冒険者は出ばらっていて、動けるのはB級以下だけ。

 それでも手を借りたいと思ったが。

 S級ダンジョンに挑み、霊龍を狩りたいと言うと全ての者に断られた。

 待っていればA級が空いたかもしれないが、そんな時間があるはずもない。


 ダンジョン攻略というのは、時間がかかる。

 訪れるたびに姿を変えるので、地図も作れない。

 リュックに大量の食糧その他を詰めて、地道に歩いて進むしかないのだ。

 一階層を攻略するのに1日以上費やすこともザラだ。

 刻一刻と、兄貴に残された時間が削れていく。

 気が急くが、こらえる。

 ここで俺が死んだら、何の意味もない。


 決して焦らず、着実に歩を進め。

 そしてついに。

 攻略を開始して37日後、俺はボス部屋の前に辿り着いた。


 あの日からここまでにかかった時間は、移動を含めて3か月ほど。

 酒場で兄貴はあと半年くらいと言っていた。

 帰りを含めても、薬師の見立てが確かならなんとか間に合うはずだ。


 余命など、そう正確ではないだろうが、しかし今はあの言葉を信じるしかない。

 できうる最高速度で、ここまでやってきたんだ。


 目の前の扉を開ければ、ボスが待っている。

 情報では、霊龍はめったに出てこないのだという。

 しかし、その点については問題ない。

 問題があるとすれば……。


 迷いを振り切るように、俺はゆっくりと、扉を開けた。



 ―――――



 扉の奥は、かなり広い空間だった。

 俺が今まで見た建物で一番大きいのは冒険者ギルドだが、それが10個は優に入りそうだ。

 周囲の壁はゴツゴツとした岩肌。

 そして、地面に落ちているいくつかの巨大な岩石。

 それらは淡く光っていて、神秘的な雰囲気がある。


 そして中央にある一際大きな岩の上。

 この場の支配者が、堂々たる威容を以て、鎮座していた。


 見上げるほど大きな体躯。

 整然と並ぶ、頑強な鱗。

 岩肌を容易に切り裂くであろう、鋭い爪。

 そして――神々しさすらまとった、虹色に輝く、美しい角。


 伝承された姿と同じ。

 間違いなく、霊龍だ。


「ガアァァァァァァッ!!」


 咆哮が響いた。

 肚の底まで、振動が伝わる。

 圧倒的な存在感。


 飛竜でなく霊龍が出ることはわかっていた。

 扉を開ける前に【星の導き】で、そのような平行世界を選んだからだ。

 だが、この戦闘の結末まで分かるわけではない。

 俺に分かるのは、あくまでほんの少し先の未来だけだ。


「【天秤】【流星】【地の祝福】」


 俺は自分に持ちうる全てのバフをかける。


 霊龍はこちらを見下ろし、口を開けた。

 鋭い牙の並んだ口腔。

 そこに光が灯る。


 圧倒的な危機感。

 それを見た瞬間、俺の全身が粟立った。


「【星の導き】!」


 ドクンと。

 血流が逆になったかのような衝撃。

 世界がねじ曲がり、

 あり得る幾多の可能性が、脳髄に直接叩き込まれる。

 眼球の奥がひりつく。

 脳が過活動で熱を持つ。

 俺は折り重なった可能性から、最も有効な世界を選択し。


 即座に、駆け出す。


 霊龍の口から、ブレスが放たれた。

 目が眩むほどの光の束。

 それは真っ直ぐに伸びて、壁の岩肌を溶かす。

 その光芒は消えることなく、壁と床を溶かしながら俺へと迫る。


 光に追いつかれるギリギリの所で、岩陰に飛び込んだ。

 光芒はなおも、岩を焼く。

 溶けた岩が溶岩となって、足元を流れていく。

 だが光がこの岩を貫通することはなかった。


 ……危なかった。

 [この岩にまっすぐ走る]

 それ以外の全ての行動の結末は、ブレスに焼かれて即死。


「凶星!」


 【凶星】はAランクのデバフ。

 敵が取る行動が、最適でないものになりやすくなる。

 乱暴に言えば、敵の命中率、回避率の低下。

 最も使用頻度の高いデバフだ。

 何度もこのスキルに助けられてきた。

 しかし――。


「ガアァァァ!」


 霊龍が吠え、額の角が輝きを増した。

 その輝きに弾かれるように、【凶星】の効果が消える。

 すぐに他のデバフを試すが、全て弾かれた。

 あの輝く角には、デバフを打ち消す力があるらしい。


「クソッ!」


 予想していなかったわけではない。

 途中の魔物ですら、デバフが効かないやつはいる。

 ダンジョンボスともなれば、その可能性は上がるに決まってる。


 以前踏破したS級ダンジョンは、ボスとの相性がよかった。

 エンペラーオーガ。

 デバフに耐性がない脳筋系のボスだった。

 即死級の攻撃を無数に放ってくるものの、デバフで命中率を下げつつ、要所で【星の導き】【星の恩寵】を使って2日間殴り続けたら、最終的には勝てた。


 しかし霊龍には通じない。

 デバフが効かないと、俺の攻撃ではまずダメージが通らないだろう。

 相手の命中率も下げられない。

 さらには純粋な戦闘能力すら、エンペラーオーガより格上。


 同じS級ダンジョンのボスなのに、ここまで差があるのか。


 ……まぁ、それもそうか。

 ここの本来のボスは飛竜。

 霊龍は、めったに出ないレアボスだ。

 普通のボスより、弱いわけがない。


 岩陰に隠れ続ける俺を鬱陶しく思ったのか。

 霊龍が移動を始めた。

 ズシンズシンと足音を響かせて。

 俺の居場所へと向かってくる。

 それは死神の足音とも言えた。


 扉を開ける前に感じた懸念が、現実になってしまった。

 相手は俺を一撃で殺せて。

 俺は相手にダメージを通せない。

 そんな状況で、どうやって勝つというのか。


 デバフが効かなければ、この相手に俺ができることはないのだ。

 そんなことは、わかり切っていた。

 だが賭けるしかなかったんだ。


 霊龍が迫ってくる。

 そしてその巨体にあるまじき速度で、前脚が振るわれた。

 隠れ蓑にしていた岩が粉々に砕ける。

 俺は衝撃で吹き飛ばされ、無様に地面を転がり。

 起き上がれば霊龍が、油断なく俺の姿を見据えていた。


 くそっ! くそっ! くそっ!

 悔しい。

 この状況を跳ね除ける力が、俺にはない。


 だがこの状況は、運命としか言いようがない。

 酒場で兄貴の話を聞いて、外に飛び出した時から。

 いや、もしかするとそれよりもずっと前から。

 俺にはこの結末しか用意されていなかった。


 もっと早くアイツらと向き合っていれば、別の道を探れただろうか。

 もっと早く俺が強さを求めていれば、現状を打破できる力が得られただろうか。


 だがそんなことは不可能だ。

 どれだけ星に導いてもらおうと。

 運命の分岐点はきっと、覆せない所にあるのだろう。


 霊龍の口から、光が漏れる。

 咄嗟に、【星の導き】を発動する。

 ズンと脳に負荷がかかり、星の記憶アカシックレコードが姿を現す。

 しかし平行世界のどこを探しても、回避できる未来がない。


 景色が真っ白になる。

 光の奔流が、身体を焼き尽くしていく。

 ああ、俺は。

 死――。


 ――んで、たまるかっ!!!



 目の前には霊龍がいた。

 油断なくこちらを見据えている。


 【星の恩寵】。

 死の瀬戸際で発動し、ここに戻ってきた。

 脳髄が焼けるように熱い。

 頭蓋から尾骨まで一直線に、火鉢を突っ込まれたかのよう。

 眼球が眼窩に収まっているのか心配になるほどだ。


「はっ、はっ、はっ」


 スキルを二度連続で使ったことで、もはや立っていることすらままならない。

 そのくせに、状況は何一つ変わらない。

 霊龍の口に、再び光が灯る。


 ――嫌だ。

 死にたくない。

 死んでたまるか。


 自暴自棄に、一人でダンジョンに潜っていた時とは違う。

 あの時は、死など恐れていなかった。

 むしろ、そうなることを望んですらいた。

 だが今は違うんだ。

 生きなきゃ意味がないんだ。


 だから、足掻く。

 足掻くことしか、できることがないなら。

 足掻くしかないんだ。


「【星の導き】!」


 既に限界の頭の中に、容赦なく平行世界の情報が叩き込まれる。

 自分という存在が情報に溶けて消え去ったかのよう。

 もはや身体の感覚はない。

 意識だけが、情報の奔流を泳いでいた。

 少しでも歯車がズレたら、一瞬にして廃人になってしまうだろう。


 それでも、探し続ける。

 生き残る可能性を。


 那由多の平行世界。

 その中に、さっきは存在しなかった可能性が生まれていた。


 新たなスキル。

 それを得られる可能性が、灯火のように淡く輝いていた。

 俺は朦朧とする意識の中、それを掴む。



 【星の終焉】

 〈術者の強い願いをきっかけに習得する。占星術師のスキル全てを犠牲にして、敵を滅ぼす〉



 その瞬間、全ての世界は閉じ。

 再び、目の前には霊龍。

 もう1秒もしないうちに、ブレスが放たれるだろう。


 意識の中で、酷薄に告げる文句。

 


 刹那の逡巡もなく。

 俺は唱えた。


「【星の終焉】」


 同時に、ブレスの放射。

 視界が真っ白に染まる。

 しかしその光は――。


 突如出現した暗黒に飲まれて、消え去った。


 目の前に、球形の真っ黒な空間があった。

 まるで不自然に景色を切り取ったかのような漆黒。

 それは俺を攻撃から守るように、目の前で静止している。


 直感で分かる。

 これは森羅万象を、飲み込むもの。

 岩も、霊龍のブレスも、光さえも。

 この中に入れば、出てこれない。


 そしてどうすればいいのかも、自然に分かった。

 霊龍はまだ、何が起こったのか理解できずにいるようだ。

 ブレスが消えたことに驚き、球体を警戒しながら、少しあとずさりするような姿勢。


 俺は球体を、霊龍へと射出する。


 球体は霊龍の胴体に着弾し、一瞬にして膨れ上がった。

 その内部に、まさしく星の終焉に匹敵するような、圧倒的な熱量が発散されるのが分かる。


 一瞬の出来事だった。

 一瞬にして、霊龍は首だけを残して蒸発した。


「――はぁっ、はぁっ、はぁっ!」


 脳が焼き切れそうだった。

 視界も霞んでほとんど見えない。

 たまらず、その場に倒れる。


 震える手で、なんとかポーチを探る。

 手探りで中のガラス瓶を取り、蓋を開けて飲んだ。

 最高級のポーション。

 しばらくすると頭痛が治まり、視界も晴れてきた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 痛みが癒えても、身体が疲労困憊なのは変わりない。

 精神こころはさらに、満身創痍だ。


 しかし、ここで休む訳にはいかない。

 やらねばならないことがある。

 

 俺は霊龍の首から虹色の角を切り離し、ダンジョンを出た。

 ダンジョンは、ボスを倒せばその奥の扉から外へ出られるようになっている。

 不思議な話だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 外は夜だった。

 寒いから空気が澄んでいるのか、星明かりが眩しいほどに輝いている。

 これなら道に迷うことはない。

 星の美しさに心奪われる暇もなく、ひたすら急いで街へと向かう。


 最寄りの街に到着したのは昼過ぎだった。

 最も腕がいいと評判の薬師を訪ね、大金を使い、最優先で霊薬を作ってもらう。

 薬師は霊龍の角に驚いていたが、とにかく急いでくれと伝えたら事情を察したのか、すぐに調合してくれた。

 霊薬で有名なダンジョンが近くにあるだけあって、古くからレシピは保存されていた。


 薬を受け取り、一番速い馬車に乗る。

 途中、馬車の乗り継ぎが上手くいかず、自分で馬を買ってそれに乗った。

 乗り潰した後に放逐し、また馬車に乗る。

 結果、帰りは行きよりも少し早く、戻って来れた。


(頼む、頼む、頼む。間に合ってくれ)


 雪の降り積もる中。

 心の底から祈りながら、兄の家に向かった。









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