第6話 お出かけ
週末を迎えた。
今日は志乃と買い物に出かける日。
となれば春明とて服装選びに気を遣う。
朝から着ていく服はどれがいいかと妹に意見を聞いたら、出かけ際になって言うことじゃないと呆れられる。
それでも親身になって選んでくれて、縦縞ストライプのシャツにジーンズという格好でやっとのことでOKをもらった。
ついでに持ち物検査までされる始末で、家を出たのが時間ギリギリになってしまい、志乃の家まで走る羽目になる。
それでもどうにか約束の時間前に彼女の家に着くことができた。
呼び鈴を鳴らすつもりだったが、不意にドアが開いていたことに驚く。
「お、おはよう……」
志乃がドアの前に座っていて、彼女は一歩ずつ外へ近づいてくる。
白のブラウスにライトブルーのカーディガン、ベージュのパンツ。春らしい色のコーデでよく似合っていて、ファッションに敏感なことが服装からも伝わってきた。彼女は遠目よりも間近で見るとさらに可愛く見えた。
「お、おい、だ、大丈夫かよ?」
「私ひとりじゃすぐには無理だと思う……私ひとりじゃね、でも……」
彼女はそう言って、震える右手を春明に差し出す。春明が躊躇いがちに手を伸ばすと、志乃は力強く握りしめた。
そのやわらかい感触に春明の心臓は跳ね上がる。
「あ、焦らず、ゆっくりでいいぞ。具合が悪くなったら今日じゃなくてもいいんだから」
「もう、そんなには、待たせないよ……」
彼女は深呼吸する。何度か躊躇いがちに右足を踏み出そうとするも、固まってすぐには出てこない。
(がんばれ!)
心の中で何度も励ますようにつぶやいていると、志乃が顔を上げて春明と目が合う。
ふうと息を吐いて、彼女は目を閉じ、足を踏み出して玄関の外へと出てきた。
「っ! や、やったぞ」
「……やったぁ…………なんか、すごい久しぶりで……」
春明は少し安堵しつつも、志乃の勇気ある行動に感心していた。
「つ、疲れてないか?」
「そこまでじゃないかな……すごいドキドキはしてるけど……たぶんこれは……」
「な、なんだよ……?」
「男の子と手とかつないだことないから、だと思う……」
なんだか真っ赤な顔でそんなことを指摘され、慌てたように手を放す。
「残念。しばらくつないで連れて行ってもらおうと思ったのにな」
「か、からかうなよ……ま、まずはどこ行く?」
「えっとね……本屋さんに行って、その次は服を見て、あっ文房具もみたい、それから甘い物食べに行こうよ」
太陽みたいな輝く笑みで志乃は答えると、春明の背中をぐいぐいと押してきた。
書店までの道中、彼女は人とすれ違ったりすると時折足を止めたり、視線をさまよわせたりしている。
特に同年代とすれ違うときの反応が顕著だった。
何か月も家に籠っていたこともあるが、そうなったいきさつを思えば、他人に対しそれくらいの警戒心も強く働くだろう。なるべく不安にさせたくはなかった。
だから人混みをさけ、歩くペースも遅くしながら気分転換になればと会話を途切れさせないようにしながら進んだ。
そんな彼女だったが、出来たばかりの駅前にある大型書店に立ち寄れば、初めてなこととお店に入ることができたことがうれしいのだろう。
目を輝かして1階から順に見て回る。
互いにおすすめの漫画やラノベを勧めたり、文房具コーナーでは春明はシャーペンの芯を、志乃はノートや筆記用具などたくさん買っていた。
雑誌コーナーでは春明が漫画雑誌を手に取る中、ファッション雑誌を熱心に見入っている。
それでも人は気になるようで、時折春明のシャツをつかんだりして警戒心は強いまま。
途中で具合が悪くなったりしたら切り上げて帰ろうと思っていたものの、不安よりも今のところは楽しみが勝っているようで饒舌にお菓子の偉大さについて春明に語ったりしていた。
「ああ、もうこんな時間か……」
「うそっ、どうしよ。時間全然足りない。これじゃあみたいところ全然周り切れないよ……」
1軒目の書店を出るころには、すでにお昼近い時刻になっている。
「……べ、別にまた来ればいいだろ?」
「……」
一歩踏み出したんだ。多少は気分に左右されることはあっても、これからは躊躇うことなく外出はできるだろう。
そう思ったのに、志乃の表情はなぜか曇りぶすっとした顔で口を紡ぐ。
「ど、どうした……?」
「また、一緒に来てくれる?」
「えっ、俺じゃなくても……」
「……」
「……そ、そりゃあ板垣がそうしてっていうなら、な」
「ほんとだね、約束だよ」
いつ以来か思い出せないくらいかぶりの指切りをすれば、顔が赤くなり胸のドキドキがやたらとうるさくなる。
「ほ、ほ、ほら次は甘味処行くんだろ?」
「う、うん……あっ、ちょっと待って」
なんだかその空気に耐えられなくなって先に歩き出せば、志乃はコンビニの前で足を止めた。
「喉でも乾いたか?」
「そうじゃないけど、少しだけ……」
そう言って店内に足を踏み入れればお菓子コーナーへと直行する。
「ああ、やっぱり売り切れてなかった……お母さんにいつも頼むのに、買えなかったり、間違えたり、わかんなかったりで、ほとんど目当てのものを手に入れることができないんだ」
「……ああ、まあ俺も親に買い物頼んでも間違われること多いな。販売元違ったり、コラボパッケージじゃないの買ってきたり、飲み物ならサイズを間違えたり、そんなのばっかりだ」
「戸田君の家もか、困っちゃうよね……買いに行ってくれるのはすごくありがたいし、申し訳ないんだけど……い、いつも、お母さんもお父さんも心配してくれて……」
春明への手紙を外に出られない志乃に代わり毎回母親がポストに入れてくれていたというのは聞いていた。
学校に行けないことで世間体もあるし、親に申し訳ない気持ちを抱いていることも手紙で読んで知っている。
「そ、それも大丈夫だよ。これからもっと元気に振舞ってくだろ。それでも少し迷惑をかけるかもしれないけど、親だから許してくれるさ」
「うんっ!」
自然と頭をなでて、励ますような言葉を吐く。
はっと我に返り、自分がしていることを改めてみると恥ずかしくて死にそうだった。
売り切れちゃうかもといって彼女はコンビニでお菓子を大量買い。
「……」
「どうしたの? 顔赤いよ……」
「きょ、今日は思ったよりも暑くて、それで……」
「ふーん。まっ、私もだけど……あっ、こっちだよ」
春明の現状を揶揄われながら、志乃の中では今日のメインイベントと思しき甘味処へとやってくる。
入り口のドアには、お品書きが張られ、中でもおすすめは抹茶が主役のパフェとわらび餅、白玉あんみつと手書きでの貼り紙がしてある。
目を輝かせ手彼女は店内へと入り、春明も続いた。
モダンな外観と店内は机も椅子も年代を感じさせ、インテリアもこだわっているようでおしゃれな空間で雰囲気もいい。
窓側の席に案内され、メニューに視線を向ければどれもおいしそうで目移りする。
「す、好きなもの頼めよ。ここは俺が持つから」
「そんな、いつもお世話になってる私が出すよ」
「そ、その、頑張ったご褒美だと思って、だな」
「っ! ……じゃ、じゃあ、今日はお言葉に甘えちゃうね」
春明は白玉あんみつ、志乃はおすすめのパフェを注文。
対面しているという恥ずかしい状況に春明は恥ずかしさをこらえるのに必死だったが、彼女のほうは、
「高校の授業ってどんな感じ?」
「うちの制服可愛いよね?」
「部活ってなにに入ってるの?」
そんな質問を次々と尋ねてくる。
店内にほかにお客さんはいたものの、今は特に気にしている様子はなく自然体のようにも思えて安心したこともあり、早く来ないかなあと待ち遠しさで目が輝いている彼女を残し、春明はトイレに立った。
退席は数分程度だったが、席に戻ろうとしてみれば自分がいたテーブルのほうがやけに騒がしい。
「板垣さんおしゃれなお店にいるじゃん」
「ちょうど甘い物食べたかったんだよね」
「友達だし、あたしらもお呼ばれしていいよね?」
ただならぬ雰囲気はすぐにわかった。
彼女は怯えているように体を震わせ、あれほど明るく楽しそうに話していたのに、それが今は見る影もなくただただうつむいているだけ。
その姿に、奥歯をかみしめて席へと急いだ。
「こ、ここは俺が払うことになってる。だからダメだ」
「あ、あっ……」
「板垣、大丈夫だから……そこは俺の席だ。勝手に座ってほしくないな」
「な、なんだよあんた……?」
「あんたらこそなんだよ。どーみても友達には見えない」
「「「っ!」」」
この時ばかりは持ち前のコミュ障が消えうせる。
志乃に向ける態度を見て、その言葉も聞いて、にらみつけてくる視線を受けたら、腸が煮えくり返るほどの怒りが露になって爪が食い込むくらいにこぶしを握り締めた。
そうしないと相手が異性でも暴力を振るってしまいそうで、感情を必死に抑えるのに必死だ。
「お客様、お食事をされないのでしたら、ほかのお客様のご迷惑にもなりますのでどうぞご退場ください」
緊迫した雰囲気を察したのか、若い店員が割って入り彼女たちに出るように促す。
その場の空気に負けたように、彼女たちは恥ずかしそうに早足で店を出ていく。
「友達なんかじゃない!」
その後ろ姿に、志乃は大声で本音を、今までの苦しみを言い放つ。
「一人にしちゃってほんとにごめん……」
「うんうん。大丈夫……あっ、パフェきた!」
目の前の出来事を受けての志乃の心理状態は計り知れない。
それでも、涙をぬぐいながら先ほどまで見せていた笑顔が再び顔を出したことにちょっとだけ安堵する。
その後は水族館に行ってゆっくりと見て回ったら、外はすっかりと薄暗くなっていた。
志乃はそれ以前とあまり変わらないように見えたが、それは春明に気を遣わせないようにしているためかもしれない。放課後よりも休日に出かけたほうが志乃の罪悪感も、誰かに会うリスクも低いんじゃないかなとの思いだったがそうはうまくいかず春明は責任を感じていた。
「送ってくよ」
「うん……なんか難しい顔してる……楽しくなかった?」
「そ、そんなことは……俺は楽しかった。けど……」
思えば暗くなるまでクラスメイトと出かけたなんて小学生以来。
遊ぼうと誘われることはあっても、そこまで楽しめたことはない。だから誘ってくれる人に申し訳がなかった。
「よかった。私もすっごく楽しかったよ! ちょっとアクシデントはあったけど、それもひっくるめて全部楽しかった」
「っ!」
志乃に出会ってから変わってきている自分に気づく。
住宅街へと入り少し歩いたところで、ふいに志乃は足を止め春明をじっと見つめる。
「わ、私ね……今やりたいこと、本当はもう1つあるんだ」
「そ、そっか……」
「私、私ね、学校へ行きたいっ! 戸田君がいる学校に行きたいよ!」
「っ! お、俺も板垣と学校でも会いたい。そしたら、たぶん今よりも学校が楽しくなると思うから。い、一緒に行くか」
「うんっ!」
最初から志乃が学校に行きたいことはわかっていた。
春明が最初に彼女の家を訪れた時、彼女は制服を着て玄関から出ようとしていたし、今日の昼間は学校の準備のために筆記用具などを買っていて、学校のことも志乃の口から何度か聞かれたりもした。
でも、それをいざ口にするにはやっぱりすごく勇気がいるんだ。
志乃を見れば少し涙目だが、その表情は今日一番の笑顔で見とれてしまいそうになる。
空を見上げれば、今の彼女のように曇りもない満点の星空がきらきらと輝いていた。
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