第5話 準備


 翌日、春明は教室で授業を受けていたが今日もまるで内容が頭に入ってこない。

 もう何度目かわからない昨日のことを思い出す。

 心配だし、助けてあげたい、買い物に連れていくという自分で言ったその言葉の意味を考えると、恥ずかしくて死にそうだった。



 とりあえず冷静になろうと額を叩き、クラスメイト達に視線を向ける。


 真面目に授業を聞いている人、居眠りをしている人、ノートに落書きをしている人など様々。

 これまで春明はそんなクラスメイト達に関心はなかった。だが今は違う。


 春明が思っていたよりもさらに板垣志乃は強い子みたいだ。

 そんな彼女がいつでも安心して学校に来られるように、できるだけの準備はしておきたい。

 そのためにクラスメイト達がどういう子たちかを認識しておきたかった。


 だから今日は登校した時から1人1人念入りに観察し、1年3組のクラスメイトリストを作っている。


 例えば一番前の席でまじめに授業を受けている女子生徒はクラス委員もやっていて優等生。休み時間になれば授業の内容を先生に質問に行ったり、教室にいれば周りが集まってきて話にいつも花を咲かせている。

 春明の前に座っている男子生徒は野球部に入っていて朝も放課後も部活が忙しそうで、たいてい授業中は居眠りして、休み時間は早弁か変わらず居眠り。

 1番後ろの席に座っている女子生徒は、いつもスマホを見ていて休み時間になればファッション雑誌を読んだりしていてあんまりほかのクラスメイトと喋ったりはしていないが、何度か帰り際廊下ですれ違ったときに挨拶してくれたのを覚えているので悪い人ではなさそう。


 そんな主観が多分に入った評価をクラスメイト全員分せっせと書いていた。


「……」


 これまでの2週間のことも踏まえてなので、午前中の授業を終えるころには独自の評価が入ったリストは完成する。

 だがこれだけの評価では不足していることを春明は理解していた。


 外からの印象と実際が違うことはたくさんある。だから自分1人の評価だけでなく何人かの物があれば実際により近づけられるだろう。1人は担任という立場からみての佐藤でいいが、できればもう1人欲しい。

 だけどそれには直接聞く必要があり、それは直接に対話を試みるしかない。


 そのことを考えるだけで大きなため息が出来そうになる。


 昼休みになり、ほかのクラスメイト達がグループを形成している中で春明は1人こぶしを握り締め立ち上がると職員室へと急いだ。


「先生、板垣さんの家なんで行ったらダメなんですか?」

「ほ、ほら、いきなりじゃご迷惑になるでしょ」

「だから先生から私が行くこと事前に伝えといてくれればいいじゃないですか?」

「……それでもダメ」

「ど、どうしてですか……?」

「長瀬さん、あなた学校に来られなくなったことある?」

「っ! そ、それは……」


 佐藤に用事があったが、先客がいて職員室前の廊下で話をしているところだった。

 長瀬美鈴。ゆるふわのセミロングが印象的なクラスの委員長だった。


「話はおしまい。どうすればいいかの正解は私もわからないし、安心させられるようなことは言えないけど、それでも大丈夫、だと思うよ」

「……なにか私にも出来ることがあったら言ってください」


 しょんぼりしたように美鈴は暗球を力なく下げて教室へと戻っていく。


「先生……」

「あっ、立ち聞きしたな……どうしたの、珍しいね」

「聞かれたくないなら誰も来ないところで話してください。ちょっとクラスメイトのこと……」

「クラスメイトがどうしたの?」


 佐藤と話しつつも遠ざかっていく美鈴の後姿を見れば、その背中はやけに寂しそうで、それは本当に彼女が志乃のことを心配しているんだとわかる。


「またあとで」

「えっ、ちょっと……」


 気が付いた時には美鈴を追って走っていた。


「と、戸田君……」

「……」

「なに、何か用事……?」


 勢いよく追いついたものの、どう切り出していいかわからない。対面すると言葉が飲み込まれたように出てこない。

 ドキドキして、顔が赤くなっていることも自覚し、この場から逃げ出したい気分だった。

 それでも頭に志乃のこれまでの頑張りが浮かんできて、その姿が春明の背中を押す。

彼女には全然及ばないほどだけど勇気を振り絞る。


「そ、その、な、長瀬にクラスメイトのことを教えてほしいんだ」

「っ!」

「……あ、あの」

「ごめん。あんまり戸田君と話したことなかったから、ちょっとびっくりしちゃって。いいよ。誰のこと聞きたいの」

「ぜ、全員」

「そっか。なら時間かかるね。お昼食べながら話しよっか?」

「えっ、あっ、よ、よろしく……」


 話しかけただけで緊張するし、拒絶されたらというネガティブも浮かんできたが、美鈴は春明をほかのクラスメイトと同じようにやり取りしてくれた。

 緊張しすぎたのか気を抜いたら倒れそうで、足元がふらつく。


 お弁当をもって、3階にある殺風景な空き教室へと移動し話が始まった。


「基本的にうちのクラスは故意に誰かを傷つける人はいないと思うよ」

「やっぱり……」

「一人ずつ私の印象を交えて話してくね」

「お、おう……」


 美鈴の話に春明は熱心にメモを取っていく。

 彼女から語られるクラスメイトの印象、多少言葉の違いはあるものの、春明が抱いていたものと変わりがなかった。


「――そんなところかな」

「あ、ありがとう」

「どういたしまして……戸田君、お喋りするのが苦手って割には普通に話せるよね」

「べ、別に……人とかかわるのはほんとに苦手だよ」

「私手伝うから、リストの信憑性もうちょっと高めてみる?」

「そ、それって……」


 美鈴のサポートを受けながら、この日から少しずつ、春明は自分からクラスメイトに話しかけられるようになっていた。

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