第46話 ダニエルの計画に乗る悪魔と利用されるトレス侯爵

「例の提案ですけどね」と、美形の護衛官姿をした悪魔ケスティはいった。

「乗ることにしました」


 ぐっ、と指を突き上げる了承サインに、ロジャーの秘書官ダニエルは、感激でわっと悪魔に飛びつく。


「本当ですね、二言はないですね」

「悪魔に二言などありませんです」


 むっふと胸を張る。ダニエルはますます感激して「ありがとうございますありがとうございます」としがみつき、悪魔は悪魔で、「感謝するのです、ケスティは素晴らしい存在なのです、崇めなさい、奉りなさい」と抱擁して背をさするのだ。


 その怪しげな光景を見る者は誰もいなかったのは幸いだったのか。

 時刻は昼時。大方の者はランチを楽しんでいる頃だ。


 ロジャーは王女コーデリアと一緒に洒落たレストランに行っていた。キャロルとのデートでも使った場所だが、停戦中のリンゴで賑わいを見せている店はそこくらいしかないし、ロジャーは元妻と行った場所に平気で新たな婚約者を連れて行ける男でもある。


 とはいえ王女がそのことを知ったら激怒しそうなのだが、誰も余計な情報は吐かないので、二人のランチはとても和やかだった——主に、コーデリア王女がベラベラきゃっきゃ話して、ロジャーが「へー」「ほー」「ふーん」とマッシュポテトのカリカリベーコンよりも興味なく返事していただけだが。


 そうしてキャロルはというと、サラと自室でシーフードパスタを食べていた。といっても、こちらはフォークをくるくる回してばかりで一向に口に入っていかないし、サラはそんなキャロルが心配でいつまでも具のイカを噛んでばかりいたけれど。


 というわけで、ダニエルがたずねてくる前、悪魔は、「趣味なんです」と王女の部屋で料理をしていた。悪魔の力で即席のコンロとフライパンを出し、ジュージューと肉を焼いている。そこに加えるのは、さっき外で摘んできた名も知らぬ草だった。悪魔料理はツウにしかその味わいが分からない奥深いものなので、凡人は皆食べたがらないのが悲しい点でもある。


 と、そこへダニエルが来たわけで、悪魔は昨夜聞いた提案に乗るとオッケーサインを出したのだった。


「ありがとうございますありがとうございます、悪魔様、大魔王様、魔界の神様!」

「ケスティ的にはあんま嬉しくない賛辞ですけど、誉め言葉と受け取っておきますです。で、どうです、一緒にランチでも?」


 気前よく悪魔は、焼きあがった肉をダニエルに勧めたが、ダニエルは平凡の舌の持ち主だったので、丁重に辞退した。焼きあがったはずの肉は、どうしてだかピクピクと痙攣し、ねっとりとした緑の液体を吐き出している。さすがの悪魔料理、芸術がなせる業だ。


「でも悪魔様」

「はい、なんでしょ」


 見た目は美形の護衛官姿だ。それが悪魔料理にかぶりついている様子は直視出来ず、ダニエルは薄目で下を向いている。


「その、快く応じてくださってとてもありがたいんですが、昨夜はあまり、その、悪魔様は乗り気じゃなかったですよね?」


  昨夜だ。ダニエルはトレス侯爵に追い出された後、王女の部屋に出向き、悪魔と交渉した。


 ダニエルの計画はロジャーが心変わりする前に立てたものを継続するものだ。あの時は、王女のお相手に皇太子を当てることで、キャロルとの離婚を回避しようとしたのだが、今は違う。


「コーデリア王女に閣下は相応しくありません」


 ロジャーではなく、皇太子を結婚相手に勧めたい。こちらのほうが王女と年齢も近く、またロジャーとは比べ物にならないほど人格者でもあるから。


 断じて自分はサラと別れる羽目になったのに、ロジャーだけちゃっかり再婚するのを妬んでいるわけではない、そうではない、あくまで幼気な十八の王女のためを思っての提案なのだ、そうなのだ!


 でも昨夜の時点では、「王女は公爵を気に入ってるんですよー、皇太子はお呼びじゃないですぅ」と耳をホジホジしながらいわれ、「もう寝るんです、夜更かしは美容に良くない」とドアを閉められてしまっていた。


 それが再度アタックしてみると、あっさりオッケーだ。

 ロジャーではないが、コロッとの変わりようには、少々疑念を抱いてしまうダニエル。


 と、悪魔はぺろりと悪魔料理を完食すると、指をパチリと鳴らして出現させた泡立った紫色のドリンクを一気飲みしてから、こう言い出す。


「だってあの公爵、やべー奴ですよ、やべー奴」


 異名が死神公爵だ。まともな男だとは思ってなかった。でも実物はもっとクズだった。


「結婚後は、ケスティがアイツに化けて王女と代わりにラブラブ生活をやってくれ、っていうんですよ。結婚前にお先真っ暗です、王女を何だと思ってるんですか。いい加減におしよっ、ですよ」


 プンプンしている。ごもっともだ。ダニエルは大いにうなずく。


「そういう人なんです、あのクズ公爵は」

「キャロル様もさぞお辛い生活をしてたんでしょうね」

「してました、それはもう非道な扱いでした」


「王女はキャロル様のように耐え忍べるタイプじゃないですよ。だからすぐさまやり返すでしょう。でもねー、端から騙そうとするなんて。それにケスティをこき使う気満々なんです。あんまりです、ケスティの主人にでもなったつもりですか。ただの人間ごときが何様のつもり?」


「自分のことしか考えてないんです、あのクズ」

「ほんとそう、マジでそう」

「それではこの計画に大賛成?」

「もっちろん、大大、大賛成なりー、です」

「ではあのー、トレス侯爵を弟子に、という件も承諾?」


「交渉条件に必要なんでしょ。もちろん、ケスティが直々に皇太子を拉致ってきてもいいですけどね。でも現在敵国ですしー、収まるものも収まらなくなりそうなので、ここで待機してます」


 というわけで。


 ダニエルは悪魔と一緒に瞬間移動した。目的はトレス侯爵だ。短距離なので大丈夫かと思ったダニエルだが、見事に酔い吐いてしまい、テラスで昼食のリゾットを食べていたトレス侯爵はそれを見て、もらい吐きしてしまった。


「何の嫌がらせだ、お前ら……って! まああああああっ、悪魔様ではございませんか」


 ハンカチーフで口を拭っていたトレス侯爵は、美形の悪魔護衛官に気づき、歓喜の悲鳴を上げる。ダニエルはなんとか酔いを振り切り、エッヘンと咳をして注目を引き付けた。


「教授、新たな交渉条件を持ってきました。今すぐ皇太子をお連れしてきてください」


 抱きつきたいが無礼だ、と葛藤して前へ後ろへと軽やかなステップを踏んでいたトレス侯爵は、ぴたと動きを止めて、ダニエルをにらむ。


「まさか悪魔様をダシにぼくをこき使おうって腹か?」

「素晴らしい提案があるのです。ね、悪魔様」

「まあね、うん。まあね。それより消臭しましょうかね。まったく、ゲーゲーするなら場所を選びなさいよ、あんたたち」


 悪魔が指を鳴らすと、ゲーの臭いも物体も消え、あたりはレモングラスの爽やかな香りが広がる。


「素晴らしいです、悪魔様」

「お見事です、悪魔様」

「いいのよいいのよ、これくらい」


 ふふんっ、と喜びを隠しきれない様子の悪魔。ここ最近——約二十年——は、何をしても賛辞をもらえることなく、子守りばかりしてきたのだ、信奉者を二人得てご満悦である。


「えっとあなたね」


 悪魔が指差すと、トレス侯爵は針金でも上から刺さったみたいにピシと姿勢を正した。


「はっ、何でございましょう」

「トレスといったかな」

「ジェイコブ・トレスです。ジェイコブ、またジェイとお呼びください」


「ではわたしのことはお師匠様と呼ぶように。あのね、あなたがこのダニエルくんの手伝いをするっていうんならね、わたしの弟子にしてあげようと思って来たの。ゆくゆくは偉大なる魔術師でわたしの主人であるアスバーク様にも会えるよ。どう、やってみる?」


 ダニエルの目には、トレス侯爵はあまり喜んでいないように見えた。


 やはりいくらナマ悪魔を見てテンションが爆上がりしていても、魔術師ではなく、悪魔の弟子になる提案は話が違うのだろうか。それもそうだろう。ちっとも威厳などなく能無しに見えるトレス侯爵だが、最年少でアカデミーの教授になった天才魔法使いなのだ。それが悪魔の弟子になるなんて……。


「い、生きてて良かった」


 がくがくと激しく痙攣したトレス侯爵は、そう微かにつぶやくと、ガクリと失神。倒れてしまった。


「あらら、大喜びですね。良い弟子になりそうです」


 場はテラスだ。硬いタイル敷である。ダニエルが駆け寄ってみると、そこには目をハートにしてピクピク震えているトレス侯爵がいた。

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