第10話「それぞれの想い」

「何やってるんだよ」


 華はその聞き覚えのある声にドキッとして、振り返った。


「あ、翔ちゃん」

「もう、暗くなるぞ。家、帰った方がいいんじゃない?」


 うんと返事をしつつも、華はブランコから立ち上がらない。何かあったのは明白だと翔太は感じた。


 暫く沈黙が流れたが、華は帰ろうとしなかった。理由は分からなかったが、華がこう鬱々としている時は、何かで発散した方がいいと分かっていたので、翔太はおもむろに華に言葉を投げかけた。 


「あのさ、ちょっと、付き合わない?」


***


 翔太が華を連れてきたのは、近所のバッティングセンターだった。華は来るのが初めてだったので、翔太に習って着いて行った。ナイター用のライトがギラギラ光っており、それを見ているだけで、華はワクワクしてきた。


 バッティングゲージに入った翔太が、慣れた感じで構えて、飛んでくるボールを捕らえると、軽くバットをスイングしてボールを飛ばしていた。


 翔太が、野球なんかするところを見た事なかった華は目を丸くした。


「よく来るの?」

「たまに。打ってみ」


 と、翔太は軽く、何でもない事の様に促してきた。


「いや、無理だよ。やった事ないし」


 華がそう遠慮すると、翔太は次に飛んできたボールもカキンと軽く打ち返した。そして華に向かってフッと笑顔で呟いた。


「スカッとするよ?」


 確かにスカッとしそうだ、と華は心がウズウズした。見よう見まねで、翔太の様にバットを振ってみるが、見事に空ぶって、そのまま体のバランスを崩し、尻餅を着いてしまった。


 隣の翔太が、遠慮なくハハハと笑って来た。


(うぐぐ、悔しいっ)


 翔太は昔から、何でもそつなくこなすのだ。初めての事でも、それなりに器用にこなしてしまう。昔の悔しかった気持ちも蘇り、華の心に火がついた。


「もう一回、もう一回やってみせてっ」


「えっ」と翔太は思ったが、昔の華が戻ってきたと感じた。華はかなりの負けず嫌いだった。もう一度スイングして見せると、もう一度、もう一度と華はせがんで来る。


 この感じ、本当に昔のままだと翔太は懐かしくなり、心がじんわり温かくなるのを感じた。華は始め出来ない事でも、こうやって他人の動作を視て、その感覚を掴もうとする。とにかくその洞察力が凄い。


 昔、翔太の兄にスリーポイントシュートを見せてもらった時、華は夢中になって、練習していた事があった。その時も、何度も兄にシュートを見せてとせがんでいた。


 翔太はすぐに飽きてしまい、入ったり入らなかったりを繰り返していたが、華は気が付くと、ほぼ百発百中でゴールに入れられる様になっていた。とにかく、興味を持ったものへの集中力が半端ない。そして周りが一切見えなくなる――


 華はバットを振り上げて、肩の高さでグリップを構えると、ボールが飛んでくる方を静かに睨んだ。ボールが放たれた次の瞬間、体重を後ろ足に移動し、グリップを引く――綺麗なスイングでボールを打ち上げた。


 そのままホームランの的に当る。


 マジかよ、と翔太は絶句した。「見た?  翔ちゃんっ、当たった、当たった!」と大騒ぎする華はもう、さっきの気怠るさは忘れてしまった様で、昔から翔太のよく知るいつもの華だった。


(単純っ!)


 翔太は可笑しくなって、笑いを堪えられなかった。


***


 バッティングセンターを出た頃、もうすっかり外は暗くなっており、母親からの買い物を思い出した華は、コンビニに寄るからと、翔太と別れようとしたが「もう暗いから」と翔太は着いてきた。


 華は何だか嬉しく感じると同時に、ホッとし、頬を綻ばせた。


 コンビニからの帰り道、少し斜め前を歩く翔太の後ろ姿を眺めて、華は夕方までの鬱々とした気持ちがなくなっている事に気が付いた。


 そして、改めて「翔太といると本当に楽しい」と、何かで胸が満たされていくのを感じた。


(もう一度、もう一度だけ……)


「翔ちゃん」

「ん?」


「あのさ、また昔みたいに一緒に遊ぼうよ。ゲームじゃなくてもいいから」


 真っ直ぐに華は、翔太を見つめた。その曇りなき眼差しに、翔太は昔の頃を思い出す。


 華は全く変わってない。純粋で真っ直ぐな彼女のままなのだ。そしてこれからも、決して変わる事はないだろう。それが「華」と言う人間なのだ。それが今更痛いほどに分かって、翔太は下唇をギュッと噛んだ。


 自分もそんな風に思えたら、でももう俺は――


 せめて昔のままの自分を演じ切れたら、一緒にいても、華を悲しませる事はないだろう。でもその自信がない。気がつかれたら、もっと華を傷つけるだろう。


「……無理、ごめん」


 続けて、翔太は自分に言い聞かせる様に呟いた。


「俺はもう、お前の知ってる昔の俺じゃないから」



つづく

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