41 草の国・フォレスティア

 あの祭りの日から、もう一週間。

 今はまだ、次の目的地に向かう旅路の途中だ。

 

 光魔法に関する本を読んでいた私は、ふと顔を上げて窓の外に映る空を見た。変わり映えのしない澄んだ青を眺めて思い出すのは、やはりララと過ごした日々だった。

 まず、楽しかった思い出に浸って思わず笑みをこぼし、その次には、元気にしているかなとしんみりとした感情に浸るというお決まりの流れ。そしていつものように、最後には、チラリと自分の右手首に視線を落とす。

 

 私の右手首には、赤と黄色の紐で結われたブレスレットがつけられていた。

 

 これは、祭りの別れ際にララがくれたものだ。飾りのついたこの紐は、土の国では神聖なアイテムなのだという。

 『再会するその日まで、互いの無事と幸運を祈って……』と、お揃いで付けたものだった。

 

 そっと、左手でブレスレットに触れ、包み込むように握りしめる。ララと過ごした日々の思い出は、胸の中にたくさんあるけれど、形として残っているのはこれだけだ。

 

 土の国からは、もうずいぶんと離れてしまったけれども、手の中のブレスレットを通じて、ララとの繋がりを確かに感じる。

 ララはこのブレスレットに、私の幸運と無事を願ってくれていたが、私も彼女の幸運を……そして、いつかまた会える日を祈りながら、そっと目を閉じた。


 その時だった。

 「ジリリリリ!!」という、けたたましい音が部屋に響き渡る。

 

 集合の合図だ。

 次の目的地に間もなく到着するのだろうと考えつつ、両手を開放して、鳴り続ける装置のスイッチを切る。


「私も、感傷的な気分はほどほどにして、そろそろ前を見ないとな……」


 と小さく呟き、準備をして操縦室へと向かった。


 「次が、もう最後の依頼ね。ここまで、冒険者協会で依頼を受けてから、およそ半年……。私たちは、予想をはるかに上回るペースでペナルティをこなしているわ。みんな、協力ありがとう。もう間もなく私たちは、世界の中心に位置する草の国・フォレスティアの『聖域』に到着するわ」


 みんなが集まったのを確認して、アニーがそう言った。

 

 ……聖域。

 

 その名を聞いて、私の胸が少し高鳴る。

『始祖の乙女と七つの国』の絵本に出てきた、始祖の乙女が、初めてこの世界に降り立った土地とされている場所だ。あのおとぎ話の舞台が実在するだけでも驚きなのに、今まさに、自分がその場所に向かっているのだと実感して心が躍る。


 だが、浮かれる私とは異なり、ふと周りを見渡すと、他のみんなは何故だか微妙な顔をしていた。


「まあ、『聖域』についての説明は、私たち雷の国出身者には不要でしょうけど……」


 アニーがちらりとみんなを見渡して言った。

 確かに、みんなあまり興奮した様子がなかった。それどころか、どこか冷めた雰囲気さえある。

 

 私には、どうしてみんなには説明不要なのか、そして、どうしてみんな微妙な表情をしているのか分からなかった。少し前にいるロイドに視線を送ってみるけれど、彼は理由を知っているかのように澄ました顔をして前を向いたままだ。

 

(よく分かっていないのは、私だけなのかな……?)

 

 と、キョロキョロと周囲の様子を伺う。すると、隣にいたエディと目が合った。


「まあ、ロイドとニコラは分からないよな……。『聖域』ってのは、広大な草の国の中心にある、湖周辺の土地のことだ。その名の通り、として知られている。だが、その『聖域』で異変が起きた。そういうことだろう? アニー」


 エディが説明をしながらアニーに視線を向けると、彼女は頷く。


「その通りよ。依頼書によると、その聖域の湖のそばに、ある日突然、魔物と思しき死骸が見つかったみたい。魔物自体の調査と、その魔物がどうして聖域に足を踏み入れることができたのか、さらには、どうしてそこで死んだのかについて、原因調査もしてほしいそうよ」


 アニーが手元の依頼書を見ながらそう言う。

 彼女の話を聞いていたみんなは、依頼内容を聞いて、それぞれ何かを考え込むような表情をしていた。


「聖域で魔物か……初めて聞くな。原因調査もあるし、これは少し時間がかかりそうだ」


「そうねえ。そもそも、どうして聖域に魔物が出現しないのか、その原因も分かっていないからねえ……。サンドラボルトに住む連中からしたら、フィールド調査もできるし、喉から手が出るほど欲しい機会でしょうに。それを、国を出た私たちが当たるなんて、何が起こるか分からないものねえ」


「聖域に足を踏み入れるのは、サンドラボルトの悲願だからね。まあ、僕たちも学者の端くれだし、何も思わないわけでもないけど……このことは、あまり口外しない方がいいだろうね。さもなければ、聞きつけた奴らからの電話が鳴り止まなくなるだろうし、下手したら恨まれる」


 次々と飛び出すみんなの言葉に、今回は今まで以上に大変な依頼なのだろうなと感じていた。

 ただ、一つだけ、どうしても分からないことがあった。

 

「……どうして、そんなに雷の国の人たちは聖域に行きたがっているんだろう?」

 

 素朴な疑問だった。

 

 聖域がとても魅力的な土地であるということは、私でも分かる。

 だが、聖域に行くことが雷の国の人々にとってであったり、そこにこれから向かう私たちがだったり、どうして彼らがそこまで聖域にこだわっているのか、分からなかった。


 私は小さく呟いたつもりだったが、みんなが一斉にこちらを振り返り、場がしんと静まり返った。

 しまった、と思ったがもう遅い。前にいたアニーと目が合った。


「……聖域はね、始祖の乙女が降り立った場所であると同時に、この世界を作る『世界樹』があるとされている場所なのよ。雷の国の学者たちは、世界の根源に迫る、その神秘に包まれた場所を研究したくて仕方がないの。だから、聖域から遠く離れた場所にあった領土を捨てて、国ごと空に飛び出したの。


 ⚓︎ ⚓︎ ⚓︎

 

 「わー、すごい! 本当に空に島が浮いてる!」


 聖域に到着してノアラークを降りると、私は思わず声を上げた。

 周囲を覆いつくす森、その奥に見える美しく澄んだ湖、そして、そのはるか上空に見える島。青空を背景に、輝く太陽の隣に浮かぶ島が眩しくて、私は思わず額に手をかざす。


 あれが雷の国・サンドラボルト。アニーやヘインズたち……みんなの故郷だ。

 あの島で、今も多くの人々が暮らしているなんて、目の前に広がるこの光景を見ても、まだ信じられない気持ちだった。


 そういえば、水の国で王都に向かっていた時、御者が『雷の国は俺の憧れだ』と言っていたけれど、その気持ちが今ならわかる。これほどまでに、壮大でロマンに満ちた光景を目の当たりにしたら、誰だって憧れるに違いない。

 そう、私はその圧巻の景色を堪能しながら思った。


 そこからふと、視線を真下に落とす。

 湖のほとり。そこには、依頼書にあった通り、何かの『死骸』があった。

 馬車よりも、一回りほど大きなそれは、少なくとも半年以上の時間が経っているにもかかわらず、遠目でも分かるくらいにはその形を保っている。


「さて、ここで一応、今回の依頼者と落ち合うことになっているんだけど……」


 アニーが周囲を見渡しながら言う。

 その時、森の奥から何かがこちらに近づいてくる音が聞こえた。


 みんなでその方向に目をやると、木々の隙間に豪華な馬車が走ってくるのが見える。

 そして徐々に、馬車と、その周りを取り囲むようにして走る、護衛と思しき一団の姿があらわになってきた。


 「……は? ちょっ、もしかして……」

 

 森を抜けて、その全容を現した一団の姿を捉えて、言葉を失ったようにアニーが呟いた。

 他のみんなも同じように何かに気付いたようで、目を見開いて固まる。

 

 馬車はまっすぐにこちらへとやってくると、呆けるみんなの前で止まった。

 一際豪華な馬車を引いていた御者が、流れるように席から下りて扉を開く。

 

 中から手を引かれて出てきたのは、輝く金髪をたなびかせた、見惚れるほどに美しい女性だった。

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