29 土の乙女たち
「土の乙女たちは、私たちのテントのあるエリアから、少し離れたところにいる。彼女たちの協力を得るために、確かに今一度、彼女たちの元を訪れる必要があるんだが……。本当に一緒に来るのかい?」
まだ夜も明けきらぬ早朝。シャリフ皇太子とガルド、そこにアニーとヘインズ、テッド、そして私の六人は、土の乙女たちがいるというテントに向かって、砂漠の冷たい風の中を歩いていた。
昨日、浮遊するノアラークの中で行われた作戦会議では、シャリフ皇太子とかつての学友たちは、今現在それぞれが有する各分野の専門性を遺憾なく発揮して、今回の蝗害に対する作戦を決定していた。
その内容は、まさに総力戦と呼ぶにふさわしいものだった。
土の乙女たちが土魔法で地形をすり鉢状に変え、その中に、鳥たちによる誘導で飛蝗たちを追い込み、私の
驚くべきことに、シャーリーは殺虫剤や生物農薬の存在について知らなかった。
どうやら、今回の蝗害に関して調査を依頼したという雷の国の研究者は、何とか伝手を巡って依頼すことができたようだが、生物学……それも飛蝗が類する昆虫類ではなく哺乳類が専門であり、蝗害対策について研究している、農学や化学のことはあまり知らなかったようだ。
「もっと早く、殺虫剤や生物農薬を知っていれば……」とシャリフ皇太子は非常に悔しがっていたが、それらの薬は基本的に、雷の国の研究者に依頼して作成してもらう他ない。土の国に届くのには数年かかっていただろうから、現状は変わらなかっただろうと皆に慰められていた。
なお、今回使用する殺虫剤は、ヘインズと化学が専門のクリスで、この依頼を受けたときから準備していたものだ。生物農薬の方も一応準備はしていたが、やはり影響が計り知れないからと、今回は殺虫剤のみの使用となった。
☫ ☫ ☫
明け方の砂漠は、昼間とはうって変わって寒かった。
サリーが用意してくれていた防寒着が、私の体を温かく包む。
作戦会議の後、地形変化の要となる土の乙女たちの協力を得られるよう、シャリフ皇太子たちは明朝に話をしに行くということで、それを聞いたアニーが「今回の作戦に参加している者として一言、土の乙女たちに挨拶がしたい」と同行することになったのだ。
「土の国では、乙女は一人ではなく複数人いて、その分、一人一人の力は他国の乙女たちと比べて劣ると言われている。そして土の乙女たちは、土の国では『不可触民』とされていて、民たちは彼女たちと接触するのを極端に嫌う。だから、彼女たちに話があるときは、手紙をイーヨやキールに届けてもらうか、周囲に気付かれないよう、今日みたいに暗いうちにガルドと二人で彼女たちの元を訪れていた。あれが、彼女たちがいるテントだよ」
シャリフ皇太子の話す口から出る吐息が、空気を白く霞ませる。
シャリフ皇太子の指が差したその先に、彼のテントよりも少し小さく、そして、だいぶ質素なテントがあった。まだ夜明け前だというのに、テントの中には灯りがともっている。
テントに近づくと、ガルドが入り口で声をかけた。
しばらくしてテントの中から返事があり、現れたのは黒髪を二つに三つ編みにし、防寒着の上に黒い布をまとった女性だった。
「またあんたたちか。できるだけこちらに接触してこないで欲しいと、この前言ったはずだが……。こんな明け方に、一体何の用だ」
女性は渋々といった様子でテントから出てきた後、入り口そばで声をかけてきたガルドと、正面に立つシャリフ皇太子を一瞥しながら言い放った。
その態度は、仮にも土の国の皇太子であるシャリフ皇太子に対して、あまりにも無遠慮だったが、シャリフ皇太子もガルドも特に気にしている様子はなかった。
「ヴラスタ嬢、こんな時間に訪問してしまって申し訳ないね。聞き及んでいるだろうが、今回の蝗害に協力しくれる者たちが、昨日到着してね。作戦を立てたのであなたたちの協力を仰ぎに来たのと、その者たちが、あなたたちに一言挨拶をしたいそうでね」
「はあ……わざわざそんなことのために来たのか。前にも言った通り、私たちはあんたたちに協力をすることで食料をもらえる契約になっているから、いちいち同意を得に来なくてもいい。私たちのできる範囲で、指示された通りに動いてやる。あと、私たちに挨拶したいっていう変わり者は、どこのどいつだ?」
ヴラスタはそう言いいながら、シャリフ皇太子たちの後ろに控えていた私たちの方を見やった。
いかにもやれやれといった表情で一人一人を一瞥していくが、最後に立っていた私に視線が止まった。ヴラスタの顔が、驚愕で固まる。その様子に不審に思った全員が、私の方を振り向いた。
「……知り合い?」
アニーがそう私に尋ねたが、私は首を横に振るしかなかった。
少しして、やっとヴラスタの視線が私から移動したかと思ったら、再度、アニーを見たヴラスタが、またギョッとしたような表情を浮かべた。ヘインズが「心当たりがあるのか?」と尋ねたが、アニーも困惑した様子だった。
「……あなたたちが、この蝗害に協力する者たちなのか?」
ヴラスタの視線が、アニーと私を行き来する。
その表情には、先ほどまでの無作法な態度が消え、代わりに何か困惑と戸惑いを含んだものが浮かんでいた。
「ええ、私たちは雷の国出身の冒険者よ。私はアニー。後ろにいるのがヘインズとテッド、そしてニコラよ。どうぞ、よろしく」
アニーが朗らかに挨拶すると、ヴラスタの目が再び私に向けられた。そして、彼女は「ニコラ……」と、私の名前を神妙な面持ちで呟く。その瞬間、奇妙な既視感のようなものが私の中でよぎった。けれど、やはり彼女に会った記憶はない。
周囲の皆が同じようにヴラスタ嬢の挙動を訝しんでいる中、彼女はしばらく逡巡するように沈黙したのち、再びこちらを向いてきた。
「……あなたたちは、この皇太子を信頼しているのか?」
突然の問いかけに、一瞬場が静まる。
「確かに、この皇太子はこの国では珍しく、私たちに礼節を持って接してくれる。だが、わざわざあなたたちが協力するほどの価値がある者なのか?」
彼女の声には何か、問いかけ以上の意味が含まれているようだった。シャリフ皇太子の信用を確かめるような、そして何か言いたいことがあるような、そんな雰囲気を含んでる。
その意図が何なのかは分からなかったが、アニーが一歩前に出て真剣な声で答えた。
「ええ、私たちは、シャリフ皇太子のことを心から信頼しているわ。元々学友であったというのもあるけれど、彼は昔からとても誠実で、誰であっても決して人を蔑ろにしない。皇太子となった今でも、それは変わらない。土の国の民とこの国の未来を、誰よりも真剣に想っていると確信しているわ」
ヴラスタはその言葉に反応して一瞬目を伏せたあと、何か意を決したように顔を上げた。テントの入り口付近から移動して、少し離れた眼下に望む、飛蝗たちの黒い影を眺めている。
「……あの飛蝗共を操っているのは、おそらく、私たちと同じ、土の国の乙女だ。それも、『女王』とも呼べるほど、私たちと比べても圧倒的な魔力を有している」
彼女の言葉に一同が息を呑む。
「正直、女王の関与については、この地に着き、初めてこの目で飛蝗共を確認したときから気付いていた。理由は分からないが、乙女同士にはお互いの存在を感じ取れるとことろがある」
ヴラスタはようやくそう言うと、こちらを向いた。その視線はシャリフ皇太子と、その後に私を捕え、一瞬、アニーの方にもチラリと視線を送ったような気がした。
その後、再びヴラスタは飛蝗の方角を向き、明け方の薄明かりに、徐々に姿を現す黒き悪魔を見ながら言葉を続けた。
「最初は、我らの女王が、この国での乙女の現状を憂いて、いよいよ行動を起こしたのだと思った。私たちも色々思うところがあったから、契約のためにお前たちに最低限の協力はしつつも、できるだけ女王の意向に沿うように行動していた。……だが、飛蝗共が徐々に魔物化していくのを見て気付いた。女王がこの国に抱いているのは、憂いではなく『恨み』なのだと」
私から見えるのはヴラスタの後ろ姿だったが、それでも、ヴラスタは少し肩を震わせて、悲しみを押し殺しているのだと感じていた。
「……お前たちには聞こえないだろう? 魔物化した飛蝗共の鳴き声に乗る、女王の怨嗟の声が。女王の恨みは、あの悪魔共によって、この国を喰らい尽くすまで消えない。果たして、このまま女王の意思を支え続けることが、女王のためになるのか、分からなくなっていたんだ……」
静寂が場を支配する。土の乙女たちの中でも、特に『女王』と呼ばれるものの存在にも驚いたが、その『女王』が土の国を恨み、滅ぼそうとしている事実に、私たちは驚愕して声が出なかった。
ふと気が付くと、テントの中から、複数の目がこちらを窺っているのが見えた。彼女たちも、ヴラスタと同じような、暗く悲痛な思いを抱いているのだろうか。
ヴラスタは私たちを振り返り、再び言葉を紡いだ。
「お前たちの作戦に協力する。だから……どうか、我らが女王を救ってくれないか」
場の静寂を破ってヴラスタがそう言ったとき、水平線から陽が昇り始め、朝日が私たちを照らした。
眩しさに思わず目を細めた私の視界の先では、太陽の光を受けた黒き悪魔たちが、その全容を晒し、ゆっくりと活動を再開しはじめていた。
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