第86話 紫煙の行方 ー 3

 それは、幸介を庇う言葉だった。


 桃生家で、自分は敏明さんに対してはーちゃんの居場所を自ら口にしてしまった。それが彼女を醜い肉塊へと変貌させ、無残にも命を絶つ結果を招いてしまったのではないかと、後悔していたのだ。


 そしてだからこそ、清水さんの言葉は不安に駆られる幸介の胸をうった。意図の見えている発言だと理解できていてもなお、そう言ってもらえることが、僅かでも心の救いになるのであった。


 涙は流さなかった。けれども、鼻は啜った。


 感謝の気持ちは言葉にせず、しかし頭を深く下げた。


 やがて二本目のタバコが終わり、清水さんはゆっくりと立ち上がった。


「報告は以上。これで、僕たちと君の関係も終わりだ。最後になにか訊いておくことは?」


「……なら、二つだけ」


「どうぞ」


 幸介は座ったままでいた。視線だけを上げ、清水さんの細い瞳をまっすぐに見据えた。


「僕がもし、魔術師として正しい方法で魔力供給できた場合、はーちゃんを存命させることは可能でしたか?」


「……変なことを訊くね」


 清水さんは不満そうに首を傾げた。当然だ。精神状態を危惧してわざわざ庇った相手から、さらにその精神を削るようなことを訊かれたのだから。


「今更それを知って、君にどんな得があると?」


「損得じゃないです。ただ……知っておきたいんです」


 しかし幸介も、そこは引き下がらなかった。引き下がりたくないだけの、理由があったのだ。


 だから睨むわけでも、懇願するわけでもなく、ただ真摯に相手の瞳を見た。見続けた。そして結果的に、清水さんの方が折れた。


 文句言わないでくれよ。そう前置きをしてから、彼は語った。


「魔力の相性の話をしたね。おそらくだけど、君と桃生遥香の相性は極端に悪かったと思う。君自身、それはどこかで実感したはずだ。だから相性の話なんてものを振ってきた。それを大前提に回答するよ。もしも然るべき方法を取れたなら、一生を添い遂げることも可能だったと思う」


 瞳を閉じて、幸介はその言葉を聞いた。


 風の音が、街の音が、遠くに感じられた。


 それから長い息を吐いて、瞳を開けた。


 空があった。雲が流れていた。水色と白の間を、二羽の鳥が連れ添うように飛んでいった。


 気持ちを噛みしめるように、頷いた。


「そうですか」


 清水さんはまだ不思議そうな顔をしていた。その反応がなんだかおかしくて、幸介はクスクス笑いながら立ち上がった。並んでみた。清水さんの視線は、相変わらずほんの少し高いところにあった。


 なに? と訊かれたので、なんでもないです、と答えた。


「回答に満足なら、もう一つの件を」


 急かすように、清水さんは言った。視線を追うと、駐車場に行っていたはずの戸倉さんが階段を上ってくるところだった。


 ああ、見るからに不機嫌そうな顔をしている。戻ってからの仕事が溜まっているのだろうか。いや、確か六係は暇人部隊と言っていたはず。しかし仕事ではないとしたら、彼女が怒っている理由はなんだろう。そう考えて、幸介はふと思い当たる節に行き着いた。


 タバコだ。清水さんは、戸倉さんにタバコがバレるのを恐れていた。しかしどこかから、彼女には清水さんのタバコを吸っている姿が見えたのだ。だからこそ、清水さんは一刻も早くその痕跡をなんとかしたいのだ。


 さて、どうしたものか。


 このまま戸倉さんに任せるのも絵面としては面白いが、これからの自分の発言を思えば、心象の悪いことは避けておきたいところである。


 正解はどうだろう。そんなことを考えているうちに、戸倉さんが迫ってきた。


 清水さんの焦りが増した。


 早く! と急かされて、言葉はほとんど口をついて出た。


「あのっ、僕を―――」


【次回:エピローグ~オカルト研究会の ー 1】

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