第52話 秘密基地 ー 1
市街の外れに、広大な大学の跡地がある。幸介が小田原に住んでいた六年前には、まだ普通に学生の姿があった大学だ。横浜へのキャンパス移転で、施設が閉鎖になったらしい。
しかし敷地そのものは、未だ大学の管理下にあった。工学系の研究所を移転させるとか、そういう話が持ち上がっているのだということを、部屋のポストに投函されていた市の機関紙で知った。
案の定、正門にはしっかりと監視カメラが設置されていた。
故に、幸介は隣接するきのこ園の裏手へと回った。六年前よりも少しだけ色の濃くなった藪が、そこにあった。
迷わずに藪へと分け入る。思い出していたのは昔のことだった。
どうしても大学の敷地内で星を見たいと言ったはーちゃんに、当時同じ病院に入院していたここの学生が、秘密の抜け道を教えてくれたのだ。幸介もしょっちゅうそれに付き合わされた。嫌だと言っても、彼女の方から家に来た。
夜の大学は明かりがほぼ消されているため、天体観測には最適だったのだ。もっとも、彼女が探していたものは、本当は星などではなく別種の代物だったのだけど。
当然、病院には怒られた。夜に抜け出してなにをしていたのかと問われた。けれどもはーちゃんは答えなかった。頑なに抜け道と、大学のことを口にしなかった。敏明さんとみちるさん、それにうちの父親も、見て見ぬフリをしてくれた。ありがたかった。
そうしているうちに、いつしかこの場所は自分とはーちゃんの間で、このような愛称で呼ばれるようになった。
秘密基地、と。
藪を抜けた先には、穴の開いたフェンスがあった。穴は、大人一人が頑張ってなんとか通り抜けられる程度の大きさだ。六年前はすんなりと通れた穴が、今回はやけに狭く感じられた。
ギリギリのところで制服を切らないよう注視しながら、穴を抜ける。背の高い植え込みの裏を這うように進み、正門の裏手にあたる円形広場へ出る。
足は止めなかった。行き先にも迷いはなかった。秘密基地での活動の際、学生たちとの集合場所はいつも決まっていたから。
食堂のある三号館に隣接した、すり鉢状の屋外ステージ。そこに彼女はいた。
「はーちゃん!」
名前を呼ぶと、月明かりに照らし出された青白い世界の中に黒い髪が舞い上がった。声は闇の中へ溶けていき、やがて静寂が訪れた。音の消えた世界の中で、しかしスポットライトに照らされた彼女は笑っていた。見慣れた制服姿が、幸介の名を呼んだ。
「こーちゃん!」
足場に注意しながら客席を駆け降りると、はーちゃんは安堵したように大きく息を吐いた。
「ちゃんと通じたんだ」
「そりゃあね。散々もらった連絡だから」
言いつつ、スマホのメッセージアプリの画面を見せる。そこに表示されていたのは、他でもないはーちゃんからのメッセージだった。
――― UFOが来るよ! ―――
かつて二人の間で使っていた、秘密基地に集合! という隠語である。
もっとも、携帯電話もスマホも所持していなかった当時の自分たちにおいて、その連絡手段はメールでもメッセージアプリでもなく、病院から彼女が直接家にかけてきた電話だったのだけど。
「ごめんね、急に呼び出して」
「それは構わないけどさ」
視線をはーちゃんに向け、言葉を継ぐ。彼女は制服姿だった。
「今日、学校サボったでしょ?」
少し咎めるような口調になった。
あはは、と気まずそうにはーちゃんは笑った。
「サボっちゃった」
「不良かよ」
無論、授業をサボっていた自分に言えた話ではない。むしろ同級生の女子を巻き込んでいる分、自分の方が質が悪い。しかしそれでも幸介は言葉を継いだ。どうして? と問いかけた。はーちゃんが、困ったように目を細めた。
「うーん、意味は……ないかな」
「え?」
「本当に。なんとなく、サボった方がいい! みたいな? 天啓? が降りてきて」
「それだけ?」
「それだけ」
「クラスで変人扱いされたとか」
「今更だよ」
「変な噂が立ってたりとか」
「それも今更」
言葉を紡ぎながら、はーちゃんは客席に腰を下ろした。客席といっても、すり鉢状の斜面が段々になっていて、簡単なブロックで舗装されている程度のものだ。手入れがあまりされていないのか、敷き詰められたブロックの隙間から雑草が伸び放題になっている。
ポンポン、とはーちゃんがブロックを叩いた。
隣に座れという合図だった。
【次回:秘密基地 - 2】
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