第377話 ワシントン騒乱

「キャサリン・・・キャサリン・・・どうしてこんなことに・・・・あああぁぁぁ・・・」


 ロサンゼルスのアパートの一室で、朝刊を手にした40代の女性が泣き崩れていた。そしてその肩を夫が優しく抱き寄せる。夫も目を真っ赤にして涙を流していた。


 娘のキャサリンは看護婦の資格を取ったあと、すぐ陸軍のUSANC(アメリカ陸軍看護隊)に志願した。キャサリンの母親も若い頃USANCに所属していて、第一次世界大戦のヨーロッパで活動していたのだ。そして、陸軍兵だった夫と知り合い結婚した。


 キャサリンは尊敬する母親のように、そして大好きな父親のような兵士の健康を管理するべく陸軍看護隊に志願したのだ。


 娘と最後に会ったのは2ヶ月ほど前だ。フィリピンに赴任する事になったので、一度実家に帰省してきた。その時は欧州大戦が終わったばかりで、おそらく戦地に赴くような事は無いだろうと思っていた。唯一の不安は中国大陸に派遣されている戦略爆撃機部隊への従軍だったのだが、話によれば兵士にけが人が出る事もほとんどないので、その心配は無いだろうと言う事だった。


 しかし、事態はあまりにも突然に急転してしまう。日本軍の卑怯な攻撃によってアメリカ軍基地が損害を受けた。そして、その防衛のために日本を攻撃したところ、今度は日本から新型爆弾による攻撃を受けてしまった。その無慈悲な攻撃によって、100万人以上の市民が死傷したと聞いている。


 幸い親戚や友人が巻き込まれる事は無かったのだが、それでもアメリカ国民として同胞の死に強い悲しみと怒りを感じていた。そして、娘への不安も日に日に増大していったのだ。


 戦争が始まったため、娘との連絡も取りにくくなっていた。何通も手紙を出したが、まだ一通も返事が返ってきていなかった。そしてついに日本軍によるフィリピン攻撃があり、現地陸軍は降伏して大量の捕虜が発生したとの報道があった。


 軍に問い合わせたが、いつまで経ってもキャサリンの消息は不明と言う事だったのだ。しかし、数万人が捕虜になっているという話を聞いたので、きっとキャサリンも無事なのだろうと、祈りにも似た思いで毎日を過ごしていた。


 それが、そばかすのかわいい笑顔で「行ってきます」と、慣れない陸軍式の敬礼をしてフィリピンに渡った娘の顔を、今朝の新聞の一面で見る事になろうとは、夢にも思っていなかった。


 キャサリンの頬には、涙がつたった跡があった。目は完全には閉じられておらず虚ろな半目をしていて、すでに魂が抜けてしまっている事が如実にわかった。


 これが、何かの悪い夢であって欲しい。このまま気を失ってしまえば、目を覚ましたときに愛おしい娘が「お母さん、大丈夫?」とベッドの横に座っていてくれるのではないか?そんな事を思いながらその場に倒れてしまった。


 この日全米の新聞は、イギリスから提供されたフィリピン戦での死者と捕虜の名簿を全て載せた。そして、全米が悲しみと怒りに包まれた。


 ――――


 ワシントン ホワイトハウス周辺


 ホワイトハウスの周辺では、抗戦派と厭戦派の市民のデモ隊がぶつかって騒乱状態となっていた。


 一連の核攻撃やフィリピンでの悲惨な状況が報道されたことにより、軍に子供を送っている母親達や、徴兵される可能性のある若者達やその親が中心となって反戦デモが開催されていた。


 そこに、徹底抗戦を主張する人々が集まり小競り合いが発生する。そして、小競り合いをしていた市民の誰かが、発砲したのだ。


 その騒乱は瞬く間にエスカレートしてしまい、市民同士の銃撃戦に警察や軍まで加わって混乱を極めていた。さらに市街地にまで飛び火し、日本に協力的なイギリスやフランス大使館、そして日本と単独講和を模索していると噂されるカナダ大使館が民衆に襲われた。


 この当時は大使館に武装した兵士が常駐している事が一般的であり、イギリス大使館やフランス大使館なども、自国の兵士に武装をさせて警備に当たらせていた。もちろん、大使館の塀の外はアメリカが警備の責任を負っている。


 そして、塀を乗り越えてきた暴徒に対して、大使館の武装警護隊が発砲を開始した。さらに、大使館に集まった群衆に対してアメリカ軍も発砲を始めてしまう。


 この一連の騒乱で、デモに参加していた市民1500人と、アメリカ軍・警察、大使館員に若干の死傷者を出してしまった。


 この事態を受けてルーズベルト大統領は、ワシントンD.C.に戒厳令を発令した。


 ※この時点では、日本をはじめとするEATO諸国の大使館と領事館はすでに閉鎖されていて皆無事だったが、空き家となっている大使館などは襲われた。


 ――――


「戒厳令の発令によって、なんとか騒乱は鎮静化いたしました。しかし、国民の不満はすでに限界値に達しております」


 アイクス内務長官がルーズベルト大統領に報告をする。国内でここまでの騒乱が起きるのは、禁酒法での混乱以来のことだった。


 アメリカ国内は、急進的な抗戦派と出来るだけ早期に戦争終結を模索する厭戦派に二分されつつあった。新聞やラジオの報道は、戦意を鼓舞し徹底抗戦を唱える論調の方が多かったのだが、これ以上の犠牲を出すべきでは無いという意見も増えつつある。


 しかし厭戦派の人々も、東京宣言で受け入れられない事柄もあったのだ。それは、領土の放棄に関する条項だ。


 アメリカ市民には、このアメリカの大地は自分たちが開拓して獲得したという気概があった。フロンティア精神によって国土を広げてきた人々にとって、その血と汗と涙の結晶である国土を手放さなければならない事は、とうてい受け入れられるものではなかったのだ。


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次回更新は9月26日(木)です

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