第254話 仏印解放(1)

【書籍化決定のお知らせ】

書籍化が決定しました!第一巻は秋頃までには出版予定です!

これも皆さんの応援のおかげです。ありがとうございます。


これからも応援よろしくよろしくお願いします。


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 時は少し遡る。

 ※書籍化の際は、時系列を整理します。


1940年3月10日


 東京市ヴィシー・フランス代表事務所


「アンリ代表。ご存じの通り我が国はヴィシー・フランスを認めてはおりません。それに、自由フランスからは、仏印進駐の要請を受けています。我々もこのような事で貴国兵士や市民の血を流したくは無いのです。日本軍と英軍の進駐を認めるよう、仏印現地政府を説得していただけないでしょうか?」


 豪奢な応接室のテーブルを挟んで、日本の松岡外務大臣とヴィシー・フランス代表事務所所長のシャルル・アルセーヌ=アンリが対峙していた。


 フランスがドイツに降伏したため、現状のフランスはイギリスに亡命している自由フランス政府と、ドイツの傀儡であるヴィシー・フランス政府の二重行政になっていた。そして、日本はヴィシー・フランスを承認しておらず、それまで駐日フランス大使だったアルセーヌ=アンリ大使は、日本からはヴィシー・フランス代表事務所代表という肩書きで呼ばれている。ただし、日本政府は一応外交官相当の身分を保障していた。


「松岡大臣。何度も申し上げているとおりそれは不可能です。内実はどうであれ、仏印政府は我々正統なフランス政府の管轄下にあります。フランス政府は反逆者ド・ゴールを認めてはおりません」


 松岡は何度かアンリと折衝を重ねたが、答えはいつも同じだった。もちろん、松岡も良い返事が返ってくるとは思っていない。これは、武力による仏印進駐を正当化するための、国際社会へのアピールだ。


「そうですか。誠に残念です。自由フランス政府のド・ゴール大統領からは、インドシナを不法に占拠している反逆者を、武力によって排除して欲しいとの正式要請を頂いております。それに、反逆者は軍人では無いので、ハーグ協定の適用をしなくて良いとも。我が国としては、そのような状況にはしたくなかったのですが」


 ここに、日本政府とヴィシー・フランスとの交渉は決裂し、仏印への武力進駐を日本政府は閣議決定する事になった。


 1940年3月28日


 仏印首都ハノイ沖のトンキン湾


 海岸から30kmの海上に、日本の超大型空母“大鳳”が到着した。そして、8万人規模の陸軍部隊を乗せた揚陸艦と護衛の巡洋艦が随伴している。


「仏印政府は最後通牒に対して指定の時間までに返答をしてこなかった。予定通り、ハノイの制圧を開始する」


 艦隊司令の南雲忠一中将は、攻撃命令を出すがその表情はどこか悲しげであった。トンキン湾に到着した後、数日間にわたって演習を行い日本軍の実力を示して見せた。何度も外交チャンネルを使って降伏を呼びかけた。しかし、仏印政府は頑なにそれを拒否したのだ。


 南雲中将の率いる艦隊はアメリカへの牽制のため、台湾地域の防衛を担当していたのだが、今回の仏印進駐の命令を受けてトンキン湾に進軍してきている。


 今回の拝命に当たっては、天皇陛下から直々にテレビ電話通信があった。


「南雲中将。仏印進駐に関しては出来るだけ戦闘を最小限に抑え、死傷者を少なくして欲しい。特に、現地民間人への被害はできうる限り避けるように」


 南雲をはじめ、艦長や参謀一同直立不動で天皇の訓示を拝聴した。今回の作戦に、天皇陛下は並々ならぬ期待をかけられているのだと認識する。


 しかし、仏印政府との外交交渉は失敗し実力行使に出なければならなくなったことを、南雲は天皇に対して申し訳なく思っていた。


 ――――


 台湾の基地を飛び立った陸軍の輸送機50機がハノイを目指して飛行している。輸送機の中には大日本帝国陸軍第一空挺団1,800人が分乗して、その絶大な能力を解放する時を待っていた。


 陸軍第一空挺団は、陸軍の中でも精鋭中の精鋭だ。体格が良く体力があり、頭脳明晰で強靱な精神力を持つ者だけが選考の対象になる。そして、日々過酷な訓練を行い、付いてこられない者は容赦なく原隊への復帰を命令される。そんな訓練を乗り切った者だけに与えられる栄誉が、第一空挺団の隊員証である。


「第一(空挺団)の連中は、飲まず食わず不眠不休で3週間戦えるらしい」


「最後の訓練は素手でツキノワグマを殺すことだそうだ。ツキノワグマに勝った者だけが第一に入れるらしい」


 陸軍の他の兵士からは、そんな風に語られるのが第一空挺団だ。まさにそれは一騎当千といって良かった。


「あと15分で降下開始だ!各自最終確認!」


 第一空挺団の降下部隊を率いる斉藤肇(さいとうはじめ)少佐が号令を出す。あと15分で作戦開始だ。この第一空挺団は、主に東シベリアの収容所やソ連軍拠点の制圧を、ロシア軍と分担して行っていた。この半年間でかなりの実戦を経験しているが、総員1,800名が同時に作戦をするのは初めてだった。噂では、モスクワ制圧の際には、この第一空挺団がクレムリン急襲の一番槍を任されるとも言われている。モスクワに比べると、このハノイ駐留軍の規模は皆無に等しいが、それでも大規模拠点制圧の訓練にはなるだろう。


 1940年3月29日午前1時


 第一空挺団が降下を始める。


 ――――


 同時刻


「同志グエン!準備は全て整っております!」


 ※ホー・チ・ミンは当時グエンを名乗っていた。


「よし。では作戦開始だ!」

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