第223話 マルタの嵐(6)
イタリア海軍本部
「やはり、トリポリとベンガジか・・」
カヴァニャーリ提督と参謀の何人かが、地中海の地図を広げて会議を行っている。
「トリポリとベンガジの駐屯軍には、戦闘機300機、攻撃機250機と駆逐艦海防艦が28隻あります。今は、それぞれに分散していますが、どちらかに集約して運用した方がよいでしょう。分散したままでは各個撃破されてしまいます」
「しかし、現状どちらに向かうかはわからん。予測が外れれば、その都市は完全無防備になってしまうぞ」
「はい、提督。哨戒活動のレベルを上げるしかありません。漁船に艤装した哨戒艇と哨戒機を出します。これに引っかかってくれば良いのですが、もし、引っかからない場合、あらかじめ、トリポリかベンガジのどちらかに防衛ラインを敷くべきです」
シチリア島からトリポリまでは500km、ベンガジまでは800kmある。爆撃機や攻撃機はシチリア島からも飛ばせるが、戦闘機は航続距離が足りない。護衛戦闘機の無い状態で攻撃機だけを飛ばすわけにはいかない。空母のないイタリア海軍は、現状リビアの現地軍のみで対応するしかなかった。
「しかし、リビアを先に攻撃してくれるのはありがたいな。これで、本国艦隊の準備時間が確保できる」
「最悪、トリポリとベンガジを諦めると言うことですか?」
「そういうわけではない。一時的にその両拠点が陥落しても、英日艦隊に損害を与えてジブラルタルの向こうまで押し返せば再占領ができるだろう。どんなことをしても、英日艦隊に損害を与えねばならん」
「それについてですが、スパイからの情報によると、日本艦隊は500km離れた距離で、戦艦10隻、巡洋艦なら50隻以上を撃沈できるとのことです。これが事実だとすれば、我が軍は手も足も出ません」
カヴァニャーリ提督は思案する。ドイツ軍はグナイゼナウとシャルンホルストが撃沈されているはずだ。独日の交戦海域から400km離れていたとの報告もある。どのような攻撃を受けたのかはわからないが、スパイの情報が正しければこの2戦艦以外の巡洋艦も損害を被っているはずだ。しかし、様々な情報を分析しても、ドイツ軍の損害は数百機の航空機と戦艦2隻との結論だった。それならば、おそらくは潜水艦による攻撃だろう。500kmの距離で、戦艦10隻と50隻の巡洋艦を撃沈などさすがに夢物語に過ぎる。おそらく、そのスパイは欺瞞情報を掴まされたのではないだろうか?しかし、そうすると、トリポリとベンガジを攻略すると見せかけて、本土のターラントを攻撃するのかもしれない。
「情報の信憑性が疑われるな。スパイを使って“どのようにして500kmの距離で撃沈”できるのか、その方法を探らせろ」
――――
マルタ島
「今日は“大根とニンジン”をもらおうか」
村と村を結ぶ街道から一本外れた道で、二人の男女が立ち話をしていた。丁度、林の中を通る道で、周りからは見えにくい場所になっていた。
ミシェルは先日接触してきた諜報員に大根とニンジンを渡し、その代金を受け取る。代金は約束通り、十分な額だった。
「次の任務だ。どういう武器で500km離れた戦艦を撃沈するのか探れ、だそうだ」
ミシェルは分厚くなった財布をじっと見ながら俯く。下唇を噛みながら、なにかを言おうと葛藤しているようだった。
そして、ミシェルは意を決して諜報員に言葉を投げた。
「ま、まだしないとだめなのかい?も、もう辞めたいんだ。こんなこと」
ミシェルは志手(しで)の言った“銃殺刑”という言葉が重くのしかかっていた。ミシェルに諜報員が接触してきたのは、今から3ヶ月前のことだ。その時は17歳で、自分でも、まだ未成年という自覚があった。だから、お金に目がくらんで、あまり考えなしにスパイの仕事を受けたのだ。それにその諜報員は、イギリス人はマルタを植民地にして搾取していると言った。ミシェルのように親を失った子供たちは、イギリス本土なら保健当局が保護をするが、このマルタ島では何もしてくれない。ただ、のたれ死ぬのを待つだけだと。自分たちを守らないイギリスになんの忠誠心を持つ必要があるのかと。
しかし、今は18歳になっていて、法律上は成人だ。そして、志手からスパイは銃殺刑だと言われた。なんとなく、スパイには厳しい罰があるんだろうと思ってはいたが、直接“銃殺刑”という言葉を聞いて恐ろしくなったのだ。もし、今自分が逮捕されて銃殺刑になったら、弟と妹は生きていけない。そう思うと、今すぐにでも逃げ出したい気持ちに襲われた。
「おいおい、本気で言ってるのか?少し大金が入ったからもう手を切りたいってか?その言葉は聞かなかったことにするぜ。俺は本業はスパイじゃ無くて“殺し”の方なんだが、そんな俺でも、お前さんみたいな嬢ちゃんを殺したくはないからな」
ミシェルは“ハッ”として男の顔を見る。その目と表情は氷のように冷たく、ミシェルのことをただの路傍の石か汚物を見るような、そんな、感情のない視線を向けられていた。
「ひっ・・・いや、こ、殺さないで・・・・・」
ミシェルは自覚した。スパイになってしまった以上、捕まっても死ぬ、逃げても死ぬ。もう、この戦争が終わるまで続けなければならない。いや、もしかしたら、戦争が終わっても口封じに殺されるかも知れない。自分は、一時のお金のために取り返しの付かないことをしてしまったのだと。
「ああ、殺さないよ。お前さんがちゃんと任務をしてくれてる間はな。じゃあ、良い知らせを待ってる・・・うぉっ!!!」
「キャッ!!」
二人は突然悲鳴を上げて、その場に倒れた。意識はあるのだが、体はピクピクと痙攣し、瞬きも出来ず目を見開いたままになっている。呼吸も苦しい。
そして、林の陰から数人の男達が現れて、無言のまま二人の手と足をナイロン製のタイラップで縛り上げ、口には猿ぐつわを噛ませた。男達は二人を、用意してあった大きな麻袋に入れて連れ去ってしまった。
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