だって私は、神様ですよ
店を出た俺達は、三条界隈をぶらぶらと徘徊することにした。問題を解決する案は思い付かないが、落ち込んでいても仕方がない。せっかくの休日だ、気持ちを入れ替えて楽しもう。透き通った青空を眺めながら深呼吸を一つする。
「寄っていい?」
先頭を歩いていたみほろが、ちょいちょいと左側を指差す。古着屋だろうか。狭い階段の隣に、カジュアルな衣服を着せられたマネキンが立っている。
「いいけど、みほろの服装と趣味が違わないか?」
「ヘルちゃんのやつ買おうかなって。あんまり服ないから」
なるほど。デリ子にも服は必要かもしれない。話を聞く限り、やおよろズは来年の節分祭まで居座るのだ。自力で服を調達していそうなミーさんやハートはともかく、デリ子はいつも同じ装束を身に纏っている。みほろに意を伝えると、茶山さんが強い口調で俺を非難した。
「アンタ、毎日同じものを着せてるの?」
「とくに何も言わないから、気にしてもなかった」
「……これだから、人間の男って生き物は」
「ちあきち、そういうところだよ」
じとりと睨まれ、立つ瀬が無くなってしまう。この件に関しては反論できる武器もない。そう諦めつつ、遅れて入店する。入口のドアをくぐった途端、埃っぽい匂いが鼻にまとわりつく。オレンジ色の照明を用いてる影響か、店内は少し薄暗かった。みほろと茶山さんの姿を探すと、レディースの服を手に取りながら楽しげに談笑している。男子禁制の雰囲気を感じ取ったので、先にデリ子の服を探す。適当なTシャツでいいか。ただ、音楽の趣味が懐古主義なので、もしかすると服装もレトロな雰囲気のものが好きかもしれない。
あれこれと考えながら選んでいると、いつの間にかみほろと茶山さんが隣に立っていた。
「ちあきち、それはヤバいよ」
「ねえ久美浜、このシャツを買うつもり? 天使の羽が蛍光色で描かれているけど正気?」
二人は震える指で、Tシャツを指した。どう考えても、センスを疑われている。
「小学生くらいの年齢ってこういう服好きだろ。変にトレンドを抑えた服を着せたら、マセガキみたいになると思いまして……」
俺は恐る恐る持論を述べる。小学生の頃、お洒落と評される女子はこの手の服を好んでいた。しかし、二人の反応は芳しくない。それどころか、雨で濡れた野良犬を憐れむような雰囲気さえ窺える。
「ちあきち、時代は変わるんだよ」
「大体さ、神に天使の羽をつけるセンスが絶望的」
「うん。鮭にいくらのTシャツを着せるのと同じ」
「ごめん笠置、それはわかんない」
まさに非難轟々。木っ端微塵に自信を打ち砕かれた俺は白旗を上げる。結局、デリ子の服は二人に任せる流れになり、俺はうろうろとメンズフロアを徘徊する亡霊と化した。
◇
「あー、今日はよく遊んだなぁ」
「ね。写真もいっぱい撮ったし、投稿しなきゃ」
「インスタだっけ? 笠置もそういうのやるの?」
「うん。私インフルエンサーだから」
「また適当なこと言ってら」
みほろと茶山さんは、仲睦まじげに三条大橋脇のスロープを下る。橙色に染まる空を、二羽のカラスが横切っていく。カレー屋に古着屋、カラオケにカフェと、盛り沢山な一日だった。どっと疲れたし、財布が軽くなったが、満足感も大きい。鴨川沿いには等間隔でカップルが座っており、それぞれの世界を築き上げている。俺達はカップルの隙間を見つけ、どしりと腰を下ろした。夕日を反射した川面が、鏡のように煌めいている。
「女子高生って、こんなに思いっきりはしゃげるんだね」
「うん。風花も転職したらいいじゃん」
「なれたらいいんだけどねぇ」
二人は微笑み合う。現実に触れるのは野暮だと思った。茶山さんが望んだ今日は、様々な問題を後回しにした刹那的な青春だ。
「ちあきち、どうしたの」
夕焼けを含んだみほろの瞳が、ずいと近くなる。俺は「なんでもない」と飛び退いた。相変わらず距離がバグっている。
「あれ、アンタらまだ付き合ってはいないんだ」
茶山さんが口の端を吊り上げ、悪戯な笑みを浮かべた。
「いや、付き合うとかそういう……」
「あはは、根性がないなあ。今日にでも襲えばいいのに」
「――おい、そういうのは結婚してから最初の夜にだな」
「価値観が大正時代の乙女じゃん」
本人を挟んでなんてことを。しかし、当のみほろは「なるほど」と頷くばかりだ。思考が読めない。
「アンタら、なんかいいね。青春って感じで」
茶山さんが、優しげに笑みを湛える。
「無敵だからね、高校生」
「いいなぁ。私も無敵になりたかったな。ずっと無敵だと思ってたのにね」
茶山さんの虹彩が大きく潤んだように見えたが、すぐにいつもの理知的な瞳が蘇る。
「……私さ、死んでもいい」
突然の告白。俺は咄嗟に身を乗り出してしまう。
「おい、何を言ってるんだ」
「死にたくないけど、死んでもいいって思ったの」
茶山さんはおもむろに立ち上がり、デニムに付いた芝を手で払いのけた。風に乗り、目の前を通過していく。
「だってさ。一瞬なら苦しくないでしょ。今死ぬなら悔いはない。楽しい思い出が残ってるから」
冗談かと思いきや、眼差しは真剣だ。俺は早まるなと伝えたかったのに、喉元で言葉を引っ込めてしまう。迅速な解決のためには、茶山さんの犠牲は必要不可欠に違いない。心の奥底で、そう結論付けてしまっているのだ。
「久美浜も笠置もさ、守りたい人がいるでしょ。なんとかして、契約中の神を説得したほうが良いよ」
茶山さんが、こちらを見下ろしながら呟く。逆光で表情はよく見えない。守りたい人は、もちろん沢山いる。隣にいるみほろや、大好きな陽向。家族や親友。誰一人として、厄災に巻き込みたくない。
「他に方法があるかも」
みほろが縋るように言葉を絞り出すが、茶山さんはゆっくりと首を横に振る。
「無いと思う。いま提示できるのは、封印するか、退治するかの二択。それに……私が言うべき台詞ではないけれど、悠長に悩んでる暇なんてないよ。早くしないと、京都が大変なことになる」
突き放すような声色。俺たちのために、あえて演技をしているような印象を受けた。
「今日はありがと。楽しかった。また何かあったら連絡して。強制送還以外は、なんでも協力するから」
俺はなにも言えなかった。茶山さんの覚悟を、死と向き合う決意を、ひしひしと感じ取ったからだ。気休めの言葉など、まるで無意味だろう。夕日と共に小さくなる背中は、瞬きをすると消えてしまいそうだった。
その日の夜、京都市内で原因不明の火災が幾つも発生した。茶山さんの御利益の影響とは言い切れないが、一刻の猶予も許されないのは間違いない。俺はデリ子に、真実を告げるべきなのだろうか。
布団に入っても中々寝付けず、いつのまにやら午前一時。ホットミルクでも飲もうと思い立ち、一階へ降りる。スマートフォンの光を頼りにリビングへ向かうと、暗闇から桃色の髪がぬらりと現れる。光に反応して振り返ったデリ子が、目を見開いて絶叫した。
「ンボボボボオォッ!」
「いきなり大声をだすな、夜中だぞ」
「ち、ち、千晃さんでしたか」
俺が電気を点けると、マグカップ片手に震えるデリ子の姿が浮かび上がる。どうやら目的は同じらしい。
「なんで電気を点けないんだ」
「スイッチまで手が届かないんです」
「ああ……なるほど」
「どうせ、私はちんちくりんですよ」
ぶすっとした表情。まだ何も言ってないのだが、俺の視線が物語っていたのだろう。デリ子はくるりと反転し、鼻を鳴らしながら冷蔵庫を開く。牛乳を手に取ったので、俺のコップにも注いでもらう。
「眠れないんですか」
「デリ子も眠れないのか」
「そうですね。ここ数日は特に」
「……茶山さんについて悩んでるのか?」
「はい。解決方法が、見つかりませんので」
よく見ると、デリ子の大きな目の下は、薄い隈で縁取られていた。こころなしか、顔色もよろしくない。
「真剣に悩んでるんだな」
「当たり前じゃないですか」
「出世がかかってるしな」
からかうように呟くと、デリ子は「まあ、それもありますけど」と、ばつが悪そうに視線を外した。
俺は笑いながら、デリ子のマグカップを電子レンジで温めてやる。
「最初は、自分のために動いていました。今だから言えますが、京都の危機は二の次でしたよ。人間なんて、どれもこれもがクソみてぇな存在だと思ってましたし」
デリ子の声が、背中に飛んでくる。まるで懺悔するかのような口調だが今更である。言動の端々から、その気配が滲み出ていた。
「最初から知ってるよ、そんなの」
「ただ――千晃さんや陽向さん。みほろさんやママさん。商店街の皆様と交流するにつれて、考えが変わりました。クソじゃない人間もいるって、知っちゃったんです」
デリ子が妙にしおらしくなる。俺が知る限りでは、契約内容を意図的に隠したり、人間を格下の存在とみなす利己主義な神だったはずだ。
電子レンジが、ちんと鳴る。
その音に弾かれるように、自殺騒動で八面六臂の活躍を見せたデリ子の姿が蘇る。あのときのデリ子は、目の色を変えて男子生徒を助けようとしていた。能力の出し惜しみをする素振りもなかった。その結果として、最悪の事態を回避できたのだ。
ああそうか、今のデリ子は違うんだ。間違いなく、神として成長している。
「……でも、気付いたところで現状が変わるわけじゃありません。私みたいなポンコツじゃ、どうにもならないんです」
しかし、デリ子の自己評価は相変わらず低い。もし、実はポンコツじゃないと伝えたら、身を挺して茶山さんを退治するのだろうか。
「どうしたんですか、レンジは止まりましたよ?」
デリ子の声で意識を戻す。俺は笑顔で誤魔化しながら、温まった牛乳をテーブルの上に置いた。
「もし、デリ子がポンコツじゃなかったら、何か有効的な手段はあるのか?」
迂闊な質問だと理解しているが、聞かずにはいられなかった。
「はい。あります」
躊躇うような間を置いて、返事が届く。
「それは、誰かが犠牲になる方法か」
「陽向さんやみほろさんは、守れますよ」
「……お前は、無事でいられるのか」
静寂がリビングを支配する。ややあって、デリ子が声を発した。
「私には天罰が下ります。それが、どのようなものかはわかりません。ただ、五体満足でいられる保証が無いのは間違いないですけど」
困ったような表情を向けられた瞬間、俺は気づいてしまう。自分の中で、陽向やみほろと同じように、デリ子もかけがえのない存在になっている。生意気だし、遠慮を知らないし、すぐに調子に乗るが、こいつが家に居ると雰囲気が明るくなる。陽向や母さんの笑顔だって、あきらかに増えた。
「そもそも私には力が無いので、こんなのは机上の空論ですけどね。ダメもとでやる価値は、あるかもしれませんが」
デリ子はマグカップを両手で持ちながら、へらへらとした笑みでそう付け加える。
「私の話はいいんですよ。たしかに危機的な状況ではありますが、千晃さんは流れに身を任せるしかできないんですよ。悩むだけムダです」
デリ子の大きな瞳が、優しく揺れる。俺は抑えきれず、質問を重ねてしまう。
「もしデリ子に力があれば、迷わずに実行するのか」
「えぇ。すぐにでも退治してるでしょうね」
微塵も迷いのない、凛とした口調。デリ子は「おかしなことを聞きますね」と、すぐにへらへらしてみせるが、同調して笑えなかった。
「下手したら、デリ子は消えてしまうんだぞ」
「仕方ないです。受け入れますよ」
「なんで……なんで、そこまでできるんだ」
つい感情的になってしまう。神とはいえ、自己犠牲で動く年齢ではない。デリ子はまだ年端もいかない子どもだろう。
「やだなぁ。そんなの、当然じゃあないですか」
デリ子はホットミルクを飲み干し、小さく息を吐く。
「だって私は、神様ですよ」
自らを犠牲にして人間を救うのが、神の責務だと言わんばかりの言葉。思考や信念が、人間とは根本的に異なるのだろう。俺はなんだか泣きそうになってしまい、言葉に詰まる。
「千晃さん。千晃さん?」
気が付くと、デリ子が俺の眼前でぶんぶんと手を振っていた。咄嗟に反応できず、妙な間を生み出してしまう。デリ子の表情が、疑心に満ちたように曇っていく。
「さっきから変ですよ。何か聞いたんですか」
「いや、なにも」
「――隠しても、良いことはありませんよ?」
そのとおりだ。隠したところで事態は好転しない。人間側の都合で考えれば、真実を打ち明けたほうが解決が早まる。だが、そうすればデリ子は間違いなく消えてしまう。デリ子が消えてしまえば、景色にぽっかりと穴が空いたように、虚無感に苛まれるだろう。それでも、伝えるべきだろうか。俺が悩んでいると、玄関の鍵がかちゃりと開いた。こんな時間に誰だろうと、椅子から立ち上がって玄関を覗き込む。赤ら顔のミーさんが佇んでいた。
「お土産ぇ、あるでぇ」
また飲み歩いていたのだろうか。俺は心底呆れつつ、ミーさんからお土産とやらを受け取る。毎晩どこをほっつき歩いているのか知らないが、こちらの苦労も少しは考えてほしい。
「じゃあ、また明日なぁ」
ミーさんは酒臭い言葉を残し、父さんの寝室へと消えていく。お土産をテーブルの上で確認すると、
「千晃さん。あれは、ミーさんですよね?」
振り向くと、真剣な目つきのデリ子。冗談を口にしている様子はない。だが、意味がわからなかった。
「……何を言ってるんだ」
「いえ、ミーさんなのはわかるんです。でも、根本的に何かが違うような、そんな感覚を抱きました」
デリ子が重々しい表情で語る。しかし、どう見てもいつもと同じ酔っぱらいのロクでなしである。よほど疲れているのだろう。俺は「早く寝な」と言い残し、自室に引き上げる。ミーさんの登場で、話が有耶無耶になったのはありがたい。ベッドに倒れ込み、布団を被ると、心地よい睡魔が襲ってくる。現実と夢の狭間を揺蕩っていると、デリ子の言葉だけが脳内に反響した。
根本的に何かが違うような。
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