シティポップと和菓子は合わないじゃないですか


 すっかり日が暮れた曼殊院道を歩きながら、さきほどの会話を反芻する。デリ子は本当に、茶山さんをも凌ぐ化け物なのだろうか。だとすれば、なぜ自分の能力に気付かないのだろうか。


「マスター、待ってくれないか」 


 歌声に紛れるように、ホスト神の声が耳に届く。物思いに耽っていたので、存在を忘れていた。


「もう少しで通報されるところだったよ」


 星を砕いたような笑顔。なんでも、バックヤードと店内を挟む壁に耳をぴたりと密着させ集中していたらしい。さすまたで尻を砕かれても文句は言えない奇行である。


「それにしても、話がややこしくなった感じかな?」

「……だな」


 相槌しか打てなかった。デリ子に関する情報を得ただけで、茶山さんの問題は何も進展していない。むしろ、懸念材料が多くなってしまったぶん、マイナスとも言えるだろう。踏切の音が鳴り響き、赤いライトが明滅する。そのたびに、デリ子と茶山さんの輪郭が頭の中で切り替わる。


「でも、僕達がやることは変わらない。そうだろ?」


 パチンと、指を鳴らされる。カロリーの高さに辟易しがらも、さきほどの会話をホスト神がどう感じたのかが気になった。神ならではの見解があるかもしれない。 


「なあ、さっきの会話だけど――」


 俺はそこまで言いかけて、ホスト神の名前を知らないことに気付く。


「今更なんだが、名前を教えてくれないか」

「ああ、僕の名前はハート・ハート・ハートだよ」

「……本当に、本当なのか」

「もちろん。SNSでいいねをたくさん貰えるように名付けられたのサ」


 いよいよ本格的に鬱陶しくなってきた。深呼吸で気を取り直し、さきほどの会話に

ついて問うてみる。ハートは難しい表情を作りながら、おもむろに口を開いた。


「まだ、マスターに伝えられる真実は少ない」


 この期に及んで、なにを隠しているのか。悠長に勿体ぶっている場合ではない。


「なにか知ってるなら、ちゃんと教えてくれ」

「ノンノン。マイリトルエンジェルに、やおよろズの実態を悟られるわけにはいかないんだよ。それが彼女のためであるし、京都のためでもある。ひいてはマスターの未来にも繋がる。今日のことは秘密にしてほしい」

「……問題解決のために隠す必要があるのか。それとも、そっちの勝手な都合なのか」

「半々、といったところかな。まだ不確定事項が多くてね。僕らも、判断しかねているんだよ」


 手応えのない問答だった。何を聞いても、求める答えは得られないだろう。苛立ちを覚えてしまうが、声を荒げたところで結果は変わらない。俺は会話を切り上げる。空を見上げると、落下しそうなほど深い夜が広がっていた。



「千晃さん、おかえりなさい」


 家へ帰ると、デリ子がぽてぽてと駆け寄ってきた。俺は「戦果はなかった」と短い嘘をつく。ハートの言葉に従うのは癪だが、何を隠しているのかすら掴めていない。不用意な発言は避けるべきだろう。そうですかぁと、残念そうに肩を落とすデリ子を観察する。丸っこい顔と、奇天烈な色をした髪。とてもじゃないが、強大な能力を秘める神には見えない。


「あれ、あのクソ野郎は一緒じゃないんですか」

「……調べものがあるから、河原町にいくんだとよ」

「ッシャ!」


 デリ子には朗報だったようで、大きなガッツポーズを披露して去っていく。スニーカーを脱いでいると、デリ子と入れ替わるように陽向が寄ってくる。


「皆でケーキ食べたって? ずるいなぁ」

「陽向も今度連れてってやるから」

「やーだ。明日がいい。どうせ予定ないでしょ?」


 明日は土曜日で、学校は休みだ。陽向と言うとおり予定はない。俺は「じゃあ作戦会議も兼ねてな」と返事して、くしゃくしゃと陽向の頭を撫でた。リビングに向かうと、母さんがテレビを見ながら「あらやだ」と呟いている。何事かと覗き込んでみると、岡崎おかざき周辺でコンビニ強盗が相次いでいるらしい。朝の占いでお馴染みのアナウンサーが、慌ただしく原稿を読み上げていた。


「あ、おかえり千晃。鍋にカレーが残ってるから、温めて食べて」


 俺の気配を察知した母さんが、首だけをこちらに動かす。母さんはもう食べたのと問えば、デリ子ちゃんが早く食べたそうな顔をしていたからと苦笑いで返される。つくづく、デリ子が中心になっている。台所でガスコンロを操作し、カレーが良い感じに温まったところで、インターホンが鳴り響いた。母さんが「ミーさんが帰ってきたのかな」と、いそいそ玄関へ向かう。


「ただいまぁ。お、カレーのええ匂いがするなあ」


 ご機嫌な声とともに、ミーさんが廊下から顔を覗かせる。二日酔いで朝は死んでいたのに、すっかり元気そうだ。それにしても、どこへ出掛けていたのだろうか。ソファで寝転んでいたデリ子も知らなかったようで、「なにか用事があったんですか」と声を発した。


「野暮用や。それより、みんなにお土産買ってきたで」


 お土産という言葉に反応したデリ子は、すぐに身体を起こした。和室で洗濯物を畳んでいたであろう陽向も、猫のように目を見開いて飛んでくる。現金である。皆の期待を一身に背負ったミーさんは、にまにまと微笑みながらテーブルの上に小包を置く。デリ子は飢えた獣のように、袋を破り散らかす。中から出てきたのはピンク色のお守りだった。


「食べ物じゃないんですか」

「ちゃうちゃう、由緒正しい北野天満宮のお守りや。散歩のついでにお参りしてきたったで」


 目に見えて落胆しているデリ子は、つまらなそうにお守りを指で摘む。陽向は「デザインが可愛いですね」と喜んでいる。だが、神が神頼みとはいかがなものか。プライドとか、その他諸々の威厳が少なからずあるだろうに。


「デリ子ちゃんはこれで、陽向ちゃんはこれや」


 ミーさんは、俺の視線を気にすることなくお守りを選別し、それぞれの手に握らせる。陽向とデリ子は対象的なお礼を述べてから、元の場所へと戻った。


「千晃くんには、これやな」


 毛が生えたクリームパンのような手がずいと伸びる。そこには、『厄除開運』と刺繍されたお守りがぶら下がっていた。まあ、気休め程度にはなるかもしれない。俺は礼を述べてから、制服のポケットに突っ込んだ。ミーさんは満足そうに目を細め、「ひとっ風呂浴びますわぁ」と宣言して浴室へと去っていった。言わずもがな、一番風呂である。



 市バスを降りて出町柳の駅前に立つと、柔らかい風がそよと吹いた。絶好の行楽日和といえよう。道なりに進み、出町枡形商店街の前に到着する。目的地である出町ふたばの前には、行列が成されていた。出町ふたばは和菓子の老舗であり、県外から人が押し寄せるほど大人気の店だ。母さんに頼まれていなければ、能動的に並びはしない。陽向を連れ、喫茶店に行く話をしたのがまずかった。それならばと、豆餅の調達を命じられたのだ。


「豆餅って美味しいんですか」

「美味しいぞ。神なら和菓子も食え」

「シティポップと和菓子は合わないじゃないですか」


 なぜ音楽と食事が同列なんだろうか。異次元の切り返しに困惑していると、見知らぬおじさんから声を掛けられる。誰だろうと訝しむが、おじさんの視線は下に向けられている。デリ子に用事があるらしい。


「神のお嬢ちゃん、例のアレが完成したよ」

「えっ、見たいです!」


 デリ子は飛び跳ねながら列から離脱し、おじさんと一緒に商店街の奥へと進んでいく。白昼堂々の女児誘拐かと焦ったが、陽向が「モニュメント、完成したんだ」と呑気に呟いたので合点がいった。サバ騒動で、デリ子と知り合った商工会のおじさんなのだろう。


「それにしても、本当に作るとはな」

「アニメの聖地で有名だし、思考が柔軟なのかもね」


 陽向の意見に、そういうものかと納得するふりをする。デリ子が化け物並みの能力を秘めていると知ってしまうと、そんな理由では同意できない。豆餅を購入してから、デリ子達を追いかけるように進む。辺りを見回しながら歩くと、青果店の前にデリ子の姿を認めた。そわそわした気配を隠さずに待つ様子は、コンビニの車止めに繋がれた犬みたいだ。


「いやぁ、お待たせお待たせ」


 俺と陽向が店の前にたどり着くと、タイミング良くおじさんが店の裏からのしのし現れる。小脇に抱えていたのは、張り子細工のような人形だった。桃色の髪をしているので、デリ子のモニュメントなのだろう。


「こ、これは……」


 思わず言葉に詰まる。似ていないどころか、不気味ささえ感じてしまう。動かすた

びに首がカクカクと揺れるのも、謎の恐怖に拍車を掛けている。靴の裏には『デリ子大明神』の文字が彫られているが、どちらかといえば大怨霊だ。


「どうだい、これは商工会の力作だよ」


 力作だと言われても、利き手と逆の手で描いた妖怪にしか見えない。そもそも、モニュメントにカテゴライズされるのかさえ微妙な出来だが、こうも自信満々で出されると評価せざるを得ない。俺は陽向と顔を見合わせて意思の疎通を図った。


「とても似てますね。見れば見るほどデリ子っぽい」

「うん、これはデリちゃんだ。首の動きとか」


 デリ子は「嘘だろお前ら」と言わんばかりに目を見開き、口をパクパクさせている。申し訳ないが、ここは名も知らぬおじさんの名誉のため、受け入れてもらうしかない。俺と陽向が鋭い眼光で睨みつけると、デリ子は空気を読んだのか「ニテマスネェ、へへへ」と声を絞り出した。血走った目で感情を偽るその表情は、張り子細工の人形と奇しくもそっくりであった。

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