アンタが契約してるのは、化け物だよ

屋上から飛び降りた男子生徒は、大怪我を負ったものの、命に別状はなかった。走り高跳びで使用するマットを、落下地点に設置できたのが幸いしたらしい。教職員のファインプレーだと称賛されているが、デリ子が何かしらの能力で幸運を引き寄せたのだろう。


 午後の授業は中止となり、生徒達にはすみやかな下校を命じられた。とはいえ、そのまま帰宅する気分ではない。俺達は柳高校近くの喫茶店に陣取り、今後について話し合う事にした。店内は薄暗く、会話の邪魔にならない音量で小洒落たジャズが流れている。他の客は見当たらず、作戦会議にはもってこいの場所だった。茶山さんも参加してほしかったのだが、「バイトがあるから」と、にべもなく断られた。協力する気がないのかと思いきや、バイト先の書店に一人で来てほしいと頼まれたので、やはり本人も現状を打破したいようだ。


「福の神も、あの惨劇は望んでなかったんですね」


 デリ子がミルクティーを一口飲み、会話を切り出す。運ばれてきたアイス珈琲の氷が鳴る。


「らしいな。この後、詳しく話を聞いてくる」

「なにを話すんですか。やることは決まってますよ。強制送還一択です」

「なあ。強制送還された神がどうなるか、知ってるのか?」

「実はよくわからないんですよ。天界の奥地にある治療施設で、完治するまでのんびりと過ごすとは聞いているんですけどね」

「そうか……」


 やはり、茶山さんと認識が食い違っている。


「強制送還以外の手段はあるの?」


 珈琲ゼリーをむにゅむにゅと頬張りながら、みほろがデリ子に問い掛ける。隣に座るヘルちゃんは、ミックスジュースを両手で持ちながらニコニコしていた。


「現状だと、思い付きませんね」


 デリ子の認識が正しいのなら、俺も同意している。はっきり言って、家族や友人が不幸に晒されるのと比べれば、茶山さんの犠牲は安い。病気を患い自由が奪われるのは、神も人間も同じだ。可哀想だとは思うが、他人に迷惑をかけて良い理由にはならない。こちらが巻き込まれる筋合いは、何一つ無いのだ。しかし、あの痛々しい表情を見てしまうと、そうも簡単に切り捨てられない。強制送還の後に待ち受けるのが、終身刑だと言い放つほど劣悪な環境だとしたら。一人の少女を犠牲にして得る平穏が、果たして正しいのだろうか。


「ちあきちは、どうするのが正解だと思う?」


 はっと顔を上げると、みほろの視線が射抜くように注がれていた。照明を取り込んだ虹彩が、きらきらと反射している。


 ――半端な同情心は思考を鈍らせる。


 ふと、ミーさんの言葉が頭の中に蘇った。まさしくその通りだと苦笑してしまう。俺はしばし葛藤したのち、茶山さんが告げた真相を伝える決意をした。この判断が正しいのかわからないが、強制送還に反対するには理由が必要だ。俺がたどたどしく説明を終えると、各々が息を長く吐いた。


「封印に関しては、昔ちょろっと耳にしましたね。ただの噂だと思っていましたが……」


 デリ子は腕組みをしたまま天井を見上げている。誰も発言できない。軽快なジャズだけが、店内を支配していた。


 ぶるる。


 無言の間を切り裂くように、携帯の着信音が鳴った。しかし、音が変だ。なんというか、ぽこぽこしている。俺のスマートフォンではないし、みほろでもなさそうだ。キョロキョロと見回していると、デリ子がどこからか丸い機械を取り出した。


「――はい、デリ子です。ああ、やっぱりそうなんですね、わかりました。はい、ではまた後で」


 溜息を一つ吐きながら、通話を終える。俺が「なんだそれは」と尋ねると、「神トークですよ」と返される。説明になっていないが、携帯電話のような機器なのだろう。


「誰から?」

「女好きのクソみてぇな神ですよ。もうすぐこの喫茶店に到着するみたいです。あと、心配事がもう一つ増えちゃいました。全国の天満宮から、御利益が盗難されたらしいです」


 予想外の報告に、俺とみほろは「なにそれ」と間抜けな返事を重ねてしまう。天満宮とはたしか、天神様を祀っている神社だったか。


「各神社で管理している御利益が減ったらしいんですよ。一つ一つは少ないのですが、なにしろ全国的な規模なので」

「そうなると、どうなるの?」

「牛丼屋で例えれば、営業に差し支えのない程度で各店舗から牛肉が盗まれたみたいなものですね。ただ、誰が何のために行ったのかがわかりません」


 デリ子はチーズケーキの残りを口に放り込みながら、気怠げに説明を続ける。福の神の影響である可能性も否定できないが、どちらかといえば騒ぎに乗じた第三者が引き起こした事件の可能性が高いようだ。


「まあ、こちらはやおよろズが対応すべき案件ではないので、あまり気にしなくても良いです」


 デリ子はこの話は終わりですと言わんばかりに、ミルクティーをごくごくと飲み干した。じゃあ忘れますと言える事態ではないのだが、いま考えるべきは福の神の対処方法だ。頭を切り替える。


「ねえ。福の神ってさ、今は人間に近いんだよね。健康運の御利益で、どうにかならないのかな」

「難しいですね。恋愛には相手が必要ですが、健康は自分だけで完結します。つまり、相手に作用しない御利益なので、契約している千晃さんのものなんです。福の神とミーさんが契約すれば理論上は可能性ですが、千晃さんとの契約を反故にしてしまうと天罰が下ります」

「おい、そんなの聞いてないぞ。具体的に、何が起きるんだ」

「さぁ、ミーさんに雷でも落ちるんじゃないですか?」


 なるほど。京都のためなら、雷の一つや二つくらい受け入れてほしいものだ。


「そもそも、ミーさんの御利益はそこまで強力じゃないですよ」


 しかし、デリ子は匙を投げるように吐き捨てる。使える作戦ではないのだろう。再度重苦しい空気が流れるが、吹き飛ばすように入口のベルが鳴った。視線を向けると、金髪のホストのような男が立っている。例のクソみてぇな神に違いない。柔和な表情はほどよく整っており、どこか親しみやすさを覚える容姿だった。


「ヘイ、待った?」

「待ってませんよ。べつに来なくても良かったです」

「つれないなぁ、僕のマイリトルエンジェルは」


 ホスト神の軽口に、デリ子の眼光が鋭くなる。当の本人はさして気にしていない様子で、マスターにアイス珈琲を注文してから、カウンター席に腰掛けた。そのままくるりと椅子を回転させ、こちらの席を見下ろすような格好でパチンとウィンクを披露する。また面倒臭い奴が増えたと、直感で理解してしまう。


「君が僕のマスターの千晃くんだね、よろしく。そっちの彼女はマスターのプリンセスかな? うん、まるでシリウスのような輝きだ。素敵な人を見つけたね、マスター」


 バチンとウィンクふたたび。どうやら、このホスト神が宣うマスターとは俺のことらしい。喫茶店のマスターがちらちらと反応してしまうので、ややこしい。


「……何しに来たんですか」

「僕も契約しているんだから、マスターの元に駆けつけるのは当然さ。素敵な日常をお約束するよ」


 脚を大げさに組み替えて、やたらと発光する笑顔をこちらに向ける。見てくれは良いが鬱陶しさが圧勝する。良くも悪くも、この男の登場で空気は一変してしまった。


「さて、本題だ。僕はとっておきの作戦を考えたんだ」

「早く言ってください」


 デリ子の対応は刺々しい。なんとなく理由はわかるが、相性が合わない様子だ。とはいえホスト神は笑って受け流すだけなので、一方的にデリ子が嫌っているだけなのかもしれない。


「聞いて驚かないでほしい。福の神を助け、京都の町をハッピーにする方法は一つしかない。困難な道のりであるのは間違いないし、僕達が力を一つにして立ち向かわなければ達成は不可能だ」


 あまりにも、濃い。この濃度を摂取するのは、一週間に一度くらいで良いかもしれない。


「その方法はね――吉田神社から、強制送還するんだよ」


 デリ子は立ち上がり、ホスト神に唾を吐きかける。


「何をする、マイリトルエンジェル」

「んなことぁ、さっき散々話し合いましたよ」

「じゃあこうしよう。健康運を司るミーさんの御利益を、福の神に」

「――ペッ!」

「だから何をするんだい、マイリトルエンジェル!」


 ぎゃあぎゃあと、不毛な争いが繰り広げられる。緊張感を帳消しにするホスト神に苦笑いしつつ、リフレッシュできたことに少しだけ感謝をした。



 一足先に喫茶店から離脱して、一乗寺にある茶山さんのバイト先を目指して歩く。隣には、なぜかホスト神の姿。肩にかかる長さの金髪を風で揺らしながら、なにがおかしいのか知らんがニコニコと微笑んでいる。


「マスター、会話の裏付けは僕に任せておくれ」


 甘ったるい、アメリカのドーナツのような香りが鼻にまとわりつく。俺は手で振り払いながら、乾いた笑いを飛ばした。このホスト神は、俺と茶山さんの会話をこっそりと記録する心づもりらしい。俺が単独で向かうと、明日以降に話した内容を忘れてしまう可能性がある。ミーさんは顔が割れている。同じ高校に通うみほろも、一方的に知られているかもしれない。茶山さんのバイト先は書店ではあるが、売れ筋の本は置いておらず、スタッフの感性で商品を選んでいる印象を受けた。そんな店に、デリ子やヘルちゃんのような子供が立ち寄るのは不自然だ。消去法でホスト神が残るのは頷ける。


 だが、こいつで大丈夫なのだろうか。だいたい、メモに記録すれば事足りる問題なのだ。リスクを犯してまで人手を増やすメリットは見いだせない。一人で来てほしいと頼まれた以上、約束は守りたかった。


「やっぱりさ、俺一人で大丈夫だと思う」

「じゃあ、二人なら完璧だね」


 きらめくウィンクが飛んでくる。単純な足し算で成功率を上げているあたり、馬鹿としか言えない。やおよろズにまともな神はいないらしい。あれだけ第一印象の悪かったミーさんが、一番まともに見えるのだから不思議だ。その後もやんわりと拒否の意を伝えたのだが、ブレやしないし響きもしない。まさに暖簾に腕押し。四苦八苦していると、いつの間にやら茶山さんのバイト先に到着してしまう。俺は観念し、「五分後くらいに頼む。とにかく自然に振る舞ってくれ」と言い残して入店した。


 クラシカルな雰囲気の店内は静かで、各々が書籍との対話を楽しんでいる。俺がきょろきょろと首を動かしていると、真横から声を掛けられた。


「早かったね。とりあえず、こっちに来て」


 茶山さんは俺の制服の袖を掴み、ずんずんと進んでいく。案内されたのはバックヤードのような殺風景な場所で、長机とパイプ椅子が配置されていた。


「気にしないで座って」

「……接客とか大丈夫なのか」

「うん。サボっても、すぐに忘れられるし」


 茶山さんは悪戯っぽく微笑みながら、「冷えてないけど」と小さな缶コーヒーを手渡してくれた。予想以上の歓迎ムードに、少し拍子抜けしてしまう。


「さて。ここに呼び出したのは他でもない。アンタの背後にいる、神について聞きたかったの」


 さっそくホスト神の存在がバレたのかと肝を冷やしたが、話を聞くとそういうわけではないらしい。茶山さんは、本日の自殺騒動の顛末に不自然さを抱いたという。


「マットを用意して、最悪の事態を回避した。それは本当に良かったと思う。でも、ちょっとおかしくない? 高跳び用のマットなんて、普段は使わないから奥にしまってるはず。大きさもあるから、持ち運びも大変。そんな代物を、すぐに用意できるかな?」


 畳み掛けるように、言葉が飛び出してくる。疑問のニュアンスを含んでいるが、俺に質問しているわけではないらしい。


「それに、もっとおかしいのは鳩。本来、彼はもっと早く飛び降りていた。そういう波長を感じたから。でも――どこからか鳩の大群が飛んできたせいで、彼は少し戸惑ってしまった。あの鳩は、久美浜が契約してる神の仕業だよね?」


 俺が首肯すると、空気が変わった気がした。


石清水八幡宮いわしみずはちまんぐうの神?」

「へ、なにが」

「鳩を操ってた神は、どこの神かって聞いてるの」

「いや、わからん。恋愛運の神様だとしか」


 茶山さんは「マジかぁ」と呟きながら、天井を見上げた。質問の意図が読めない俺は、ただ茶山さんを見つめるしかできない。


「……石清水八幡宮は、基本的には厄除開運や必勝祈願の御利益を管理している神社なの。そこに仕える神は眷属として鳩を操れる」


 淡々とした口調だが、焦りのような感情が混じっている気がした。話の着地点はわからないが、何かが覆される予感が漂っている。


「で、アンタと契約している神は恋愛運を司ってるときた。石清水八幡宮の神じゃないのは明白。それなのに、鳩を操れる」 


 茶山さんは舌先で唇を舐め、崩した姿勢を戻す。


「あとさ、私。朝はご飯派なの」


 脈絡のないカミングアウトに、俺は返答に困ってしまう。なんのことかと逡巡していると、「入学式の日、覚えてる?」と質問をされる。入学式の日に何かあっただろうか。ゆっくりと、記憶の海に身を委ねる。あの日はまだ幸運が続いていた。みほろと再会したり、友人と同じクラスに割り振られたり、食パンを咥えた女子と衝突したり。


「……もしかして、あれは」

「やっと気付いた? 私、食パンを咥えたままアンタとぶつかってんの。普段はパンなんて食べないのに、その日に限ってしっかり焼いて、バターも塗ってさ」


 茶山さんの言葉が、一つの可能性と結び付く。


「まさか」

「そ。私の行動パターンや思考、捻じ曲げられてんの」


 ミーさんと初めて書店に訪れた日、強力な御利益の特徴について語っていた。人間の行動パターンや、思考を捻じ曲げてしまう神はそうそういないと教えてくれた。


 じゃあ、デリ子の御利益は。


 みほろと初めて出会った夜の異常さに、なぜ気づかなかったのだろう。言うまでもなく陽向の行動は不可解だった。大元宮を目指す理由もなければ、当時の記憶さえなかったのだ。デリ子の御利益が、都合よく人間界に介入しているとしか言えない。


「ねえ。今までどんなことがあったのか、覚えてる範囲で教えてほしい」


 俺は頷いてから、順を追って説明する。節分祭の出会いから、二ヶ月も継続した幸運について。そして、突如訪れた不幸について。どれだけ時間が経ったのかはわからないが、話し終えたころには口の中の水分が残っていなかった。


「……なるほどね。私が思っていた以上だ。笠置を安井金比羅宮に向かわせるために、スマートフォンをぶっ壊してるなんてね。御利益が物に干渉するなんて、普通ありえないから」

「でもあいつは、自分をポンコツだと思っているぞ」

「――なら、自分の凄さに気付いていないだけ。他の神の御利益を思い返してみて。金運が上がったからといって、持ち主不明の札束を拾ったりした? 健康運が悪化しても、大病を患ったりしてないでしょ?」


 茶山さんの指摘通り、目立った幸運は訪れていない。金運上昇の効果は、お小遣いが増えた程度だ。健康運が下降しても、何度か転んだ程度で目立った怪我は負っていない。


「御利益ってさ、そこまで強力じゃない。確かに因果は変わる。でもそれは、百円玉を拾ったり、落としたり……そこはかとなく効果を感じる程度」


 自分の呼吸が乱れていく。


「それなのに、アンタの恋愛運だけは、笠置みたいな美人と仲良くなれるように仕組まれている。いや、そもそも恋愛運を司ってるのかも怪しい」


 どこからか鳴る時計の音が、妙に大きく聞こえる。


「眷属じゃない動物を操って、人間の行動パターンや思考を捻じ曲げる。物を壊して御利益で結ばれた相手を引き寄せるし、恋愛と関係の無い運気まで操れる」


 冷や汗が一気に吹き出る。


「まあ、御利益が強いのは悪いことではないよ。アンタにとっても好都合だろうし。でもさ――気をつけたほうが良い。積み重なった幸運が、どこで綻ぶかわからないから」 


 冷たい瞳が、俺を案じるかのように揺れた。 


「アンタが契約してるのは、化け物だよ」

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