――じゃないとさ、なにもかも、終わるんだよ

 学食の前に辿り着くと、なにやら人だかりが形成されていた。生徒の反応は様々だったが、皆一様に好奇心を隠しきれていない。なにがあったのだろうか。中庭に面した学食の壁はガラス張りになっており、遠くからでも様子を窺える。俺は背伸びをするようにして、学食の中を覗き込んだ。


 居座っていたのは大量の鳩。パートのおばちゃんが箒を片手に孤軍奮闘しているが、鳩は部屋の中を飛び交うだけで出ていく気配がない。なぜ、こんなところに鳩が屯しているのかと考えたが、疑問はすぐに氷解した。部屋の隅で、ぷるぷると震えるポンコツ二人の姿を認めたからだ。


「あいつら、なにやってんだ」


 舌打ちをしながら、学食に飛び込む。隅に立て掛けているモップを振り回し、窓や扉から鳩を追い出すべく奮闘する。他の生徒も手伝ってくれたおかげで、数分と経たずに鳩は退散していった。床には大量の糞と羽根が散らかっているので、今日の営業は難しいだろう。


「ち、ちち、千晃さぁん」


 びぃびぃと泣きわめきながら、デリ子が腰にしがみついてくる。周囲から「隠し子?」などの声が飛び交う。非常に面倒くさい事態だ。俺はひとまずデリ子を米俵のように担ぎ、脱兎のごとく駆け出した。人気のない校舎裏に逃げ込んだところで尋問を開始する。


「……何をした?」

「ええと、その、鳩をですね」

「操ったのか?」

「はい。福の神に見つからないよう、動物の視界を借りて偵察しようかと思いまして」


 視線をぐるんぐるんと泳がしながら、デリ子の弁は続く。


「でも、予想以上に鳩が集まっちゃいまして――やっぱり、私の能力が強すぎたからですかね、てへへ」


 俺は無言のまま、デリ子の頬に手をかける。


「それで、学食に鳩が集まった理由は?」

「お腹が空いたので、何か持ってきてもらおうかと」

「……食料調達を、鳩に命令したのか」

「ほんの少し拝借するつもりでしたが、暴走しました」


 窃盗未遂だ、同情の余地はない。


「いひゃいいひゃい、ほんと、すみませんでした! 問題を起こすなと言われていたにも関わらず、お騒がせしてしまいすみませんでした!」


 俺はデリ子の頬を捻じりながら、神の能力について考える。御利益を授けるだけでなく、引き寄せられた相手を糸で繋いだり、大量の鳩を操るのは、神ならば標準的な能力なのだろうか。


「なあ、他の神も鳩くらいなら余裕で操るのか」

「さぁ。できるんじゃないでふか」


 デリ子は肩をすくめる。よくわかりませんと顔に書いていた。神が扱える能力を把握すれば手札が増えるのだが、このポンコツには期待できそうにない。俺が溜息を吐いた瞬間、中庭の方向から大きな悲鳴が上がった。反射的に顔を向けるが、何が起きているのかは確認できない。ただ、柳高校がざわめきに包まれているのは間違いなかった。俺が固まっている間にも、あちこちから鋭い声が聞こえてくる。


「何が起きたのか、確かめにいくぞ」


 悲鳴の発生源は中庭のようだ。生徒達は驚愕と絶望が入り混じった表情で、校舎を見上げている。倣うように首を動かすと、屋上から身を投げようとしている男子生徒の姿があった。すでにフェンスを乗り越えており、いつ飛び降りてもおかしくない状況だ。


「自殺?」

「誰か助けてあげなよ」

「このままだとヤバイって」


 生徒から発せられる言葉は、悪気の無い悪意と化し、異様な空気を伝播させていく。信じられないことに、スマートフォンで撮影をしている生徒の姿も確認できる。傍観している暇は、一秒たりとも存在しなかった。


「デリ子、なんとかならないか」

「……やれるだけ、やってみます!」


 デリ子の青い瞳が鋭さを増す。いつになく真剣な表情で、屋上の男子生徒を睨んでいる。


「ちあきち、見つけた」


 学食の方角から、みほろが血相を変えて走ってくる。いつの間にやらヘルちゃんと合流していたようで、手をしっかりと繋いでいた。


「これも、福の神のせい?」

「……そうだと思う」


 デリ子の鳩が暴走したのも、目の前の自殺騒動も、福の神が元凶である可能性が高い。俺は集中するデリ子に声を掛け、桃色の糸を出せないかと頼んでみた。デリ子は「お安い御用です」と、こちらを見向きもせずに指を動かす。数秒も経たないうちに、俺の身体から桃色の糸が真っ直ぐに飛ばされて、校舎の二階部分と繋がった。俺はデリ子達に後を託し、脇目もふらずに走り出す。茶山さんを見つけたところで、何ができるかはわからないが、何もしないよりはマシだろう。


 階段を一段飛ばしで駆け上がり、二階へ到達する。音楽室の中に茶山さんはいるらしい。すでに騒動は知れ渡っているようで、教室のざわめきが塊となって廊下に押し寄せている。生徒の間を縫うように移動し、桃色の糸を辿る。息を切らしながら扉を開く。室内は、外の世界から切り離されたように静かだった。


「……誰」


 温度の低い声。太陽光に埃が反射して、粉雪のように舞っている。音楽室の奥から女子生徒がゆっくりと姿を現す。記憶は残っていないが、彼女が茶山さんなのだろう。理知的な瞳は、拒絶の色を帯びている気がした。


「隣のクラスの久美浜だっけ。このタイミングでここに来たのはなぜ?」


 押し黙っていると、茶山さんから質問が投げかけられる。どうやら、俺の顔は割れているらしい。さきほどの声よりもさらに冷たくて、氷像と対峙しているようだった。口の中の唾液をかき集め、ごくりと飲み込む。


「ちょっと用事があって――」


 俺はそこまで言いかけてから、言葉を止める。自分の失策に気付いてしまったからだ。校内の視線が屋上に注がれている異常事態のさなか、音楽室に駆け込んでくるのは、明らかにおかしな行動だ。茶山さんも全てを悟ったようで、鼻で笑い飛ばした。


「……あぁ、糸が見える。アンタが空っぽか。先に言っとくけど、私にはどうにもできないよ」


 薄い唇が小さく動く。


「この糸が、見えるのか」

「ナメないで。私はもう神じゃないけど、自分に対して使われた能力くらいは把握できる。アンタがどこまで知ってるのかわからないけれど、もう何もかも遅いの。私は不幸をばら撒く厄災として、この世界で生きていくつもりだから」


 茶山さんは自嘲気味に嗤う。身勝手な物言いに、少しだけカチンときた。神々の問題を、人間界に持ち込んでほしくない。俺は一歩前に出て、茶山さんと正面から向かい合う。


「なぜ、俺達人間が巻き込まれなきゃならない」

「神の御利益に日々あやかっているくせに、不幸は享受したくないなんて、ちょっと虫がよすぎない?」


 感情的な反論だった。人間と神、それぞれの立場が違いすぎて、平行線を辿るだけだろう。この言い争いは不毛だ。話を変えよう。


「……茶山さんが福の神で、神去病を患っているのは知っている。俺達に協力してくれるなら、なんとかなるかもしれない」

「なんとかなるって、具体的にどうなるの。吉田神社から天界に強制送還でもするつもり? それで私がどうなるのか、知った上での発言だと捉えていいの?」


 作戦を言い当てられ、返答に窮してしまう。俺は何も知らない。そう気づいた瞬間、恥ずかしさと苛立ちを覚えてしまう。


「ごめん、その辺りは全くわからない」


 正直に絞り出した言葉は、冷笑で返される。本当に何もわかっていないんだと、窘められた気分に陥る。俺がもう一度謝ると、「まあいいけど」と、短く切り捨てられた。


「教えてあげる。強制送還された神に待ち受けるのは、封印。自由なんて一切ない。監視と拘束の下、ただ生きるだけの生物と成り果てる。神去病の治療法が確立されるまでの措置とは言われているけど――あんなのは、ただの終身刑だから」


 早口で告げられた事実に、少なからず衝撃を覚える。たしかにミーさんも、天界の奥地に隔離されるとは口にしていた。しかし、それほどまでに劣悪な環境で生涯を閉ざされてしまうとは、想像すらできなかった。


「天界で手をこまねいていたら、あっという間に囚われる。だから、迅速に準備を整えて人間界に逃げてきた。今まで私は、人間のために福の神として働いてきた。だったら、少しくらい迷惑をかけてもいいじゃない」


 茶山さんの細い足は、小刻みに震えている。俺はようやく、彼女が無理をしているのだと気が付いた。


「私の御利益は、人間の思考や行動パターンも捻じ曲げてしまうくらい強力なの。今、屋上にいる人間も、そこまで自殺願望があったわけじゃないはず。私のせいで、些細なきっかけが膨れ上がっただけ」


 淡々と語られる言葉の端々に、自責の念が垣間見える。どれだけ苦悩し、絶望したのだろう。自身の境遇も、不幸をばら撒くのも、茶山さんは何一つ納得していないのかもしれない。


「後悔、してるのか?」

「当たり前じゃん……サイレンを鳴らす救急車や、道端の花束を見て、自分のせいだと思い込んでしまう。そんなのを、心から望んでいるわけがない」


 外からは、歓声とも、どよめきとも取れない声が聞こえてくる。崩壊を待ち望むような熱気が渦巻いている。一拍を置いて、切り裂くような絶叫が鼓膜を揺らした。


「ねえ。私は、どうしたらいいの? 自分を犠牲にして、ここから消えてしまえばいいの?」


 瞳を大きく潤ませながら、茶山さんが口の端を上げてみせる。カーテンの隙間から差し込む日差しが、頬をなぞる涙をはっきりと照らし出す。あまりにも痛々しい表情に、俺は身動き一つ取れなかった。


「久美浜、私を助けてみせてよ」


 茶山さんは祈るかの如く、ゆっくりと目を閉じる。

 もうなにも見たくないと、拒絶するようでもあった。


「――じゃないとさ、なにもかも、終わるんだよ」


 悲鳴を追い掛けるようにして、何かが落下する音が鳴り響いた。

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