第36話 婚約
1月31日の午後、中央軍団はゾーイへの凱旋を果たした。
主役はジルベール王子であり、次いでガスパール将軍だ。
敵の王を生け捕りにしたアイザック第1万人隊長の人気は急騰していて、サイラス王子は見世物。
その4人が目立つように行進している。
アイザックを先頭にした騎兵隊が闊歩し、その後ろに見世物を積んだ荷馬車がガラガラと車輪を回している。
少し間を置いて、白馬の王子とガスパール将軍がいて、中央軍団の歩兵たちを引き連れている。
ジルベールが通ると、沿道に詰めかけた国民が、わあああと歓声をあげた。
わたしやイーノは騎馬隊の中にいるその他大勢のひとり。
一般的な知名度はない。
「きれいな女騎士がいる」
誰かがそんなことをぽつりとつぶやくことはある。
ゾーイ城に帰還。
中央軍団は兵営に帰った。
後でシローから聞いたのだが、そのまま大宴会が始まったそうだ。
ヴァレンティン・オースティン戦争大勝利の祝宴。
わたしはデヴィットとともに王太子の間に戻った。
10月1日にカイシュタイン山へ向かい、帰路、思いがけずライリーで戦争に巻き込まれた。4か月ぶりにやっと帰還できた。
広間の椅子に座って、ほっと息をついた。
ジルベールは王の間へ行き、王と王妃に勝利の報告をしてから帰ってきた。
「お疲れさまでした」とわたしは言った。
「クロエもお疲れさま。きみが敵をライリー城に釘付けにしてくれたおかげで勝てた。ありがとう」とジルベールは答えた。
「いいえ、勝利はジルベールの実力ですよ。軍事調練の成果を見せていただきました」
「黒水晶爆弾がなければ、ライリー城は陥落していただろう。そうなれば草原での会戦はなく、泥沼の市街戦になっていたかもしれない」
そんな展開を避けられたのだとすれば、わたしにも功績はあったのだ。
「サイラス王はどうなりますか?」
「とりあえず牢屋に入れておくことになった。正式な処分が決まるまで、しばらく時間がかかるだろう」
あの惰弱な王は、牢獄暮らしに耐えられるだろうか。
「そんなことより、目下の問題は私たちの正式な婚約だ」
わたしはピッと背筋を伸ばした。
「はい、そのとおりです!」
「エリエル様はいつ降臨される?」
「時期の約束はしていないのです。王宮で会おうと言ってくださったのですが」
「父上と母上に、クロエがカイシュタイン山でエリエル様と会ったと報告した。大変に興味を示され、連れてくるようにと言われた」
「王の間に?」
「もちろん」
「エリエル様は見守ってくださっていると思います。行きます」
「私は婚約を認めてくださるよう、母上にお願いする。そのつもりでいてほしい」
「はい」
王の間の広間は、暖炉で暖められていた。
ヘンリー王とカミラ王妃はソファに座っていた。
王はワイングラスを傾け、王妃は紅茶を飲んでいる。
「父上、母上、クロエを連れてきました」
「そこに座りなさい」と王が言った。
ジルベールとわたしは両陛下の対面に座った。
「お久しぶりです。お元気そうでなによりです」とわたしは言った。
「クロエ、ライリーでは活躍してくれたそうだね。礼を言う」
「ありがたいお言葉です。感謝いたします」
わたしは深々と頭を下げた。
「父上、母上、クロエは勝利に貢献しただけでなく、今日の大寒波を魔法で退けたのです。得がたい女性です。私は彼女と結婚したいと思っております」
ジルベールが、王と王妃の前で、わたしと結婚したいとはっきり言ってくれた。
2度目のことだが、とてもうれしい。
わたしは表情がにやけないように努力しなければならなかった。
「あなたがエリエル様の末裔だという証拠は手に入ったのかしら」と王妃がいつものように小さな声で言った。
「クロエは季節の魔法で、大寒波を消し去ったのです。エリエル様の子孫である証です」とジルベールが言った。
「魔法使いであることは、証拠とはなりません。いかなる大魔法であっても……」
王は沈黙している。
大切なことは王妃が決める。
そういう決まりがあるかのようだ。
「わたしはカイシュタイン山の氷湖で、エリエル様とお会いしました。あの方はわたしとそっくりでした」
カミラ陛下は冷たいまなざしをわたしに向けた。
「月光神の彫像はいくつもありますが、あなたに似ているものはひとつとしてありません」
「それは想像でつくられたものですから。わたしは本物のエリエル様とお会いしたのです」
「そこでどのようなお話をしましたか……?」
「わたしがあなたの子孫であるとカミラ陛下に伝えてくださるようお願いしました」
「わたくしは月光神への祈りを欠かしたことはありません。ときどきお告げをいただき、国政に活かしています。あなたの名が告げられたことはないわ、クロエ・ブライアンさん……」
王妃はうっそりと笑った。
「エリエル様からは、ジルベールの婚約者には、クラーク公爵家のご令嬢が良いと勧められたわ……」
そのときふいに、エリエル様がわたしの中に入ってきた。
「そなた、我への信仰が篤いことは認めても良いが、嘘を言ってはいかんぞ」
「嘘ですって……?」
わたしの頭上に三日月が輝いている。
我/わたしはいま、エリエルであると同時にクロエでもある。
「ディーン教皇の姉であるわたくしが、月光神のお言葉を曲げて伝えることはあり得ません」
「クラークという者など名も知らんぞ。そなたは思い込みが強すぎるのではないか? おおかた夢でも見たのだろう」
「わたくしを愚弄するの……?」
王妃の額の血管が、怒りで浮き出ている。
三日月に気づいていないのか。
いまのわたしの口は、我の意思で動いている。
「クロエ、三日月が……」
ジルベールは気づいている。
「カミラ、ご降臨されているようだぞ……」
ヘンリー陛下にも見えている。
「えっ?」
王妃はやっと気づいたようだ。
エリエル様がわたしの身体から出て、王の間の宙に浮いた。
その頭上には三日月がある。
容姿はわたしにそっくり。
わたしの上には、すでに神秘の三日月はない。
「クロエは正真正銘の我が子孫である」
エリエル様が証言した。
カミラ陛下がよろよろとソファから立ち上がり、月光神/堕天使の前でひざまずいた。
「王子がクロエと婚約するのは、この国にとって幸いであるぞ」
「検討させていただきます……」
王妃の身体が震えている。それは畏怖のためか怒りのためか判然としない。
彼女は拝跪しているが、額の青筋も消えていない。誇りを傷つけられた腹立ちはおさまってはいないようだ。
「検討? 他に候補でもおるのか?」
「ジュリア・クラークという者がおりまして、地位、年齢などから、適当かと考えておりました」
王妃の声がいつもより大きい。
はっきりとした発声ができたのか、とわたしは驚いた。
「その名はさっき聞いた。クラーク公爵とやらは、我よりもえらいのか?」
「エリエル様より偉大な方などいるはずがありません」
「では我の推薦するクロエとそこの……」
「ジルベールと申します」
「うん、ジルベールを婚約させたらどうだ?」
「なにぶんにも王太子でありまして、わたくしの一存では決められません」
「そうか」
エリエル様がヘンリー王を見た。
「私は反対しません……」
王は月光神への畏怖を隠せず、かしこまっていた。
「婚約して良いのか?」
「はい」
王妃が王をきっと睨んだ。ヘンリー陛下はすくんだが、前言撤回はしなかった。
「クロエ嬢のご両親の意向も確かめなければなりません」と王妃はなおも抵抗した。
「クロエの母親は亡くなっておる。父親の了解があれば良いか?」
「はい」
「では確認しよう」
「敵国の公爵です。簡単には確認できません」
「簡単だぞ?」
エリエル様は満月のような鏡面をつくり出した。
鏡の向こうにマティス・ブライアンがいた。
ヴァレンティンの王の間とブライアン公爵の居室がつながっている。
「お父様!」とわたしは叫んだ。
「クロエ! 無事だったか!」
「お父様、エリエル様の力で、異なる空間をつなげてもらっているのです。手短に言います。ジルベール・ヴァレンティン王子とわたしの婚約を認めてください!」
「認める! ジルベール殿下、うちの娘をよろしくお願いします」
「はい!」
すうっと満月鏡は消えた。
「条件は整ったようだ」
エリエル様は口角をあげて、ニッと笑った。三日月がきらきらと輝いている。
カミラ王妃は唇を噛みしめている。
「クロエとジルベールの婚約、我が見届けよう」
「重要な国事の決定は、あなたの役目よ!」と王妃が叫んだ。
びっくりした。大声を出せるんだ……。
「ふたりの婚約を正式に認める」と王が言った。
カミラ陛下は黙っていた。
強く噛んだ唇から血を流し、ぶるぶると震えている。
絶対に畏怖じゃない。憤りが原因で身体が痙攣している。
「ふつつか者ですが、どうか末永くよろしくお願いいたします」とわたしは言った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ごめん、急すぎて、いま婚約指輪がない」とジルベールが答えた。
「これにて婚約は成立した。めでたいめでたい」
堕天使様がくるりくるりと宙で舞った。
「エリエル様、どうもありがとうございます」
わたしは幸せの絶頂にいた。
わたしはジルベールを愛している。
彼の性格はサイラスとは真逆だ。
大好き。
ジルベールは頬を紅潮させ、感極まったかのように泣いている。
わたしの頬にも熱い涙が流れた。
恋愛結婚できる。夢のようだ。
「く、クロエさん、わたくしの流儀をよく学ぶのよ……」
「自分の思いどおりにふるまうことですね?」
「なっ……!」
王妃はずっと月光神の前にひざまずいていたが、立ち上がり、元気よくわたしの前に歩いてきた。
「わ、わたくしの言葉がなによりも優先するのです。王の言葉よりも!」
あはははは、とジルベールが笑った。
「母上、その流儀だと、私はクロエの尻に敷かれてしまいます」
「きいっ、みんなしてわたくしをいじめるのねっ。勝手にしなさいっ」
カミラ王妃は王の間から出ていってしまった。
「あのような姑を持つとは。そなたは苦労するかもしれんのう……」とエリエル様が言った。
「こう見えて、わたしは強いのですよ。あのサイラス王子との拷問のごとき日々を生き抜いたのですから」
「よしよし。強く生き、夫婦で愛しあい、次代の夏冬の聖女を生み、育め」
「はい!」とわたしは答えたが、ジルベールは照れて黙っていた。
「ソルとのけんかは厄介だ。クロエよ、諸々頼んだぞ。我はしばらく、遊んでいたい」
「あっ、エリエル様なら、大寒波なんて簡単に退けられますよね?」
「簡単ではないが、できるのう」
「今日の朝……」
「面倒くさくての。そなたがやるだろうと思って、見守っておった」
「季節の魔法、すごく疲れるのですが!」
「人間の世界だ。人間が守れるうちは、がんばれ」
エリエル様は王の間の窓を開け、ひゅるひゅると飛んでいってしまった。
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