第35話 冬の魔法
1月31日午前10時、わたしたちはゾーイ近郊のニナ湖畔にいた。
中央軍団全軍が小休止を取っていた。
真冬にしてはわりと暖かい日で、気温は10度くらいあった。
晴れて日射しもあり、気持ちの良い日だった。
ジルベールは砂浜に座り、熱い紅茶を飲みながら、凪いだ湖を見ていた。
わたしは彼の隣で、たっぷりと砂糖を入れた紅茶の甘味を楽しんでいた。
ここで亡くなったというクルト王子のことを思い出した。
「お兄様の死の謎は解けたのですか?」
ふっと口をついて出てしまってから、訊いて良かったのかどうか悩んだ。
兄が殺されたかどうかなんて、センシティブな話題すぎる。
「事件性はなかった。兄は溺れて死んでしまった。それだけだ」
ジルベールがあっさりと答えたので、わたしの悩みは解消された。
改めて、ご冥福をお祈りした。
異変は、紅茶を飲み終わったときに起こった。
全天にわかにかき曇り、北風が吹きすさび、雹が降ってきた。
気温が急速に下がって0度になり、さらにぐんぐんと寒くなった。
雹は大粒の雪に変わり、たちまち地表に積もり始めた。
カイシュタイン山の寒さを思い出した。肌が痛いほどの寒さ。
急激に大寒波がやってきたのだ。
ニナ湖が見る見るうちに凍っていった。
通常の冬服程度では、生存が危ぶまれるレベルだ。
「クロエ、これは?」
「まちがいなく太陽神の攻撃です」
熱の放射を極度に弱めて、あらゆるものを凍結させようとしている。
「季節の魔法を使ってくれ」
「はい。水晶はありますか?」
「もちろんだ」
ジルベールは周囲にいた兵士たちに向かって叫んだ。
「水晶をクロエの前に置け!」
大勢の兵士が背嚢から水晶を取り出し、わたしの前に積み上げた。
大量の透明な結晶。これがあれば、わたしはソルと戦える。
立ち上がって、呪文を唱えた。
「極寒の冬よ、凍える寒波よ、鎮まり給え。エリエルの末裔クロエの願いを聞き、水晶の中に籠もり給え。生命ある者たちに憐みを!」
両手を天にかざし、つづいて手を合わせて祈る。
この世界の秩序は、数多の神と天使と精霊によって維持されている。太陽神は強大な力を持つけれど、彼ひとりで支えているわけではない。ソルは人間を嫌っているが、逆に人々の営みを愛おしく想っている神、天使、精霊もいる。わたしはエリエル様から受け継いだ魔力を使って、その存在たちに言霊と祈りを届ける。
「人と獣と魚と虫と樹と草と花を救い給え。夏冬の聖女の願いを叶え給え。世界に少しばかりの暖気を!」
太陽神と逆らうつもりはなくても、そっと助けてくれるものたちはいる。
「ねえ、あの子の願い、叶えてあげてもいいんじゃない?」
「そうだね、ちょっと暖かくしてあげようか」
「地上の生き物が滅びるのはいやだな」
雪の神がひっそりと隠れ、氷の精霊が水に変身する。
風の天使が疾走をやめ、雲の精霊たちが散らばっていく。
光の神が輝き、花の精霊が躍り出す。
わたしは祈りつづけた。
生存を拒むほどの大寒波、大地を凍らせる冷気が白い霧となって、水晶に吸い込まれていく。
透明な結晶が白く染まる。
黒水晶と逆の性質を持つ白水晶が生まれていく。
ソルに逆らう行為だけれど、わたしは季節の魔法を正しいと信じている。
この世界を滅ぼすことはないでしょう?
狂った冬をあるべき冬へ……。
やがて雪が止み、風はそよそよと穏やかになり、空の雲はちらほらと浮かぶだけになり、地上に熱と光が降り注ぐ。
気温が上がっていく。
春の花がまちがえて咲いてしまうかもしれないが、わたしはさらに祈りつづける。
目の前の水晶がすべて白く染まるまで……。
「よくやったね」と言うエリエル様の声が聞こえたような気がした。
「ありがとう、クロエ」とジルベールが言った。
「これはわたしの使命です。当然のことをしたまでです」
「それでも私たちは助かったのだ。礼を言わせてくれ。クロエのおかげで世界は救われた。本当にありがとう」
なんだか面映ゆい。
「寒さを追い払ったのは、おまえの力なのか、クロエ?」
檻の中で鼻水を凍らせていたサイラス王が言った。
「そうです」
「魔女ではなかった……?」
黒水晶魔法をまがまがしいと勘ちがいする人はいる。爆弾にもなる危険物だし。サイラス王もそのひとりで、早とちりして、わたしを国外に追放したのだ。
「わたしは聖女なんですよ」
「うぐ……」
彼は泣き出した。
「なにもかも、ボクがまちがっていた。ごめん、クロエ。許してくれ……」
「あなたがしたことは許せそうにありませんが……」
わたしは自殺を考えたほど苦しんだのだ。
「本当に改心したのですか?」
「したよお。許してえ……」
「仕方ありませんね。許します」
ジルベールはいったん氷結し、溶けたニナ湖の水面を眺めていた。
「すさまじい力だな。白水晶も兵器として使えるのか?」
使える。大穴を開けて冷気を浴びせれば、人間は凍死する。
でもそれは秘密だ。
「できませんよ。夏の冷房として使えるだけです」
「そうか」
王子は兵士たちに白水晶の回収を命じ、背嚢に入れさせた。
中央軍団はゾーイに向かって進み始めた。
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