第27話 包囲
ベースキャンプからカイシュタイン山を見上げた。
美しく荘厳な白き山。
生存に適さない不毛な氷雪の山塊。
推定標高7500メートルまで登ったことが、夢のように思える。
エリエル様の加護がなければ、氷湖まで行くのは不可能だった。
そこで意識を失い、下山は誰かに運んでもらった。
「わたしを下ろしてくれたのは誰なの?」
「あっしでやんす」
シローだった。
「ありがとう」
心から感謝を込めて、わたしは言った。
黒水晶は使い切ってしまった。
炊事兵たちは薪で料理をしていた。
小麦粉や干し肉、干し野菜などの食材も残り少ない。
「ゾーイへ帰りましょう」とわたしは言った。
目的は果たした。
エリエル様を氷の中から解放した。
「山頂へ行けなかったのが心残りでやす。まだカイシュタインは未踏峰でありやす」
シローは残念そうだった。
また一緒に登ろう、とは言えなかった。
わたしにはもう命がけで登山する理由がない。
「死者は出たの?」
「誰も死んでねえです」
「良かった……」
本当に良かった。
12月1日、ベースキャンプから出立した。
気をつけて岩場を下りる。登りより下る方が怖かった。
登りは上を見て進むが、下りは当然下を向いて手足を動かす。落差を常に意識してしまい、滑落の恐怖を感じた。
意識を失ったまま、氷雪の斜面をシローに下ろしてもらったのは幸運だった。自力で下りていたら、難所で立ちすくんでしまったかもしれない。
デヴィットは急斜面を下りると、立ち止まり、わたしを見上げて待っている。
わたしが滑落したら、きっと受け止めてくれるだろう。
ふたりとも高山病から回復して、すっかり元気だ。
12月3日、カイシュタイン山麓の石の平原に到着。標高2500メートル。
浮石が厄介なところだが、氷の斜面と比べると、楽ちんと言うほかない。
実際にそう言ったら、「油断大敵でやす」とシローに注意された。
その直後、浮石がぐらりと揺れて、ヒヤッとした。本当に油断大敵だ。慢心してはいけない。
見晴らしの良い稜線を歩いていく。
標高2000メートルになると、植生が現れた。
生き物の世界に戻ってきた。
常緑樹は茂っているが、落葉樹はすでに葉を散らしていた。
12月10日、森の中の登山道を経て、ペール山に到着した。
管理事務所で鉱山長のネフに会った。
「あなたの情報が役立ちました。伝説のとおり、エリエル様は氷湖にいました。それを知らなければ、発見できなかったと思います。ありがとう」
「良かったですなあ。伝説は本当だったんですなあ。エリエル様はいまどこにおられるのですかなあ」
「飛んでいってしまわれました。ヴァレンティンの空にいるのか、月か天国かわからないけれど、わたしたちを見守ってくれていると思います」
「クロエ様は素晴らしいことを成し遂げられましたなあ。まさに聖女ですなあ。あなたの役に立ててうれしいですなあ。自慢話ができましたなあ。クロエ様にエリエル様の居場所を教えたのはわしだとなあ」
「誇ってください、ネフ・ゲオーグの功績を」
うわははは、とネフは笑った。
彼と話していて、やり遂げたんだ、という実感がようやく湧いてきた。
ネフに預けていた馬を返してもらい、騎乗してライリーに向かった。
シローが先頭を進み、デヴィットはわたしの横で馬を駆けさせている。
ペール山から1泊2日の行程。12月12日にライリーに着いた。
イーノがまた城門で出迎えてくれた。
「ご無事でなによりです」
「目的は果たしました。ご協力に感謝します」
登山隊員たちを兵営に宿泊させてもらい、わたしとシロー、デヴィットは司令塔に行った。
5階の執務室でイーノと話をした。
「サイラス・オースティンが即位しました。サイラス王は大陸をひとつの国にし、恒久平和をもたらすと宣言したそうです」
「馬鹿なことをおっしゃいますね……。戦争になってしまいます」
「隣国の王は本気でヴァレンティンと戦争をするつもりです。すでに軍事行動を始めているようです。詳しいことはわかりませんが……」
「ジルベールは知っているのでしょうか」
「僕よりは情勢をよく把握していると思います。クロエ様は急ぎゾーイへお帰りください。ライリーは真っ先に戦場になります」
「明日出発します」
ところが、わたしたちはライリーから出られなかった。
サイラス王の軍が電撃的に行軍し、12月13日の朝には、ライリー城は包囲されていたのだ。
わたしは司令塔の屋上から、城壁の外を見た。
オースティン王国の大軍が、びっしりとライリー城を取り囲んでいた。
騎兵と歩兵の大軍の中に、獅子の刺繍が施された王の旗がひるがえっている。
サイラス・オースティンがあそこにいる。
わたしの天敵。
イーノは血眼になって、籠城の指示に駆けずり回った。
ライリーには3人の千人隊長が率いる3000人の兵力がある。
城主は兵を城壁の上に立たせた。
「こうなった以上、クロエ様にも協力してもらいます。登山隊も守備についてください」と彼はわたしに告げた。
「もちろんです。登山隊員は中央軍団から選抜された屈強な兵です」
「隊長は誰ですか?」
「シロー・トードーですが、戦闘はわたしが指揮します」
「クロエ様が? あなたは戦士だったのですか?」
「ちがいます。ですが、わたしは黒水晶の熱を操ることができます」
「それは知っていますが……」
「わたしの魔法で、黒水晶は爆弾にもなります。ライリーには黒水晶がまだ3000キログラム残っていますよね」
サイラス。
復讐してやる。
わたしを足蹴にし、婚約を破棄し、あまつさえ国外へ追放した男。
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