第21話 9月の大熱波
9月26日にジルベールは軍事調練を行ったようだ。
「軍における王太子の階級は元帥だと聞いた」
広場から帰ってきて、彼はわたしに告げた。
「元帥とはなんですか」
「将軍よりえらい」
「まあ」
わたしはジルベールが軍を率いているところを想像した。大軍を統率する白馬の王子。格好いい。
「明日の9時からまた軍事調練を行う。中央軍団を手足のごとく動かせるようになってみせる。私は実力のある王になりたい」
ところが、9月27日は早朝から猛烈に暑かった。気温38度。
太陽神ソルが大熱波を発したのだ。
この暑さの中で調練を行えば、死者が出るにちがいない。
わたしはジルベールの部屋へ行った。
「季節の魔法を行使しなければなりません」と伝えた。
彼はしばらく沈思していた。
「人前でやれるか」
「見世物ではありませんが、やれないことはありません。ペール山ではやりました」
「そうだな。私も見たし、鉱山労働者たちも見た。皆、驚いていた」
「今回は誰の前でやるのですか?」
「中央軍団の兵士たちに見せたい」
わたしは少しひるんだ。
「それって、何人ですか?」
「6万人だ」
大いにひるんだ。
「ええ~っ、多すぎます! 緊張して呪文が唱えられません」
「頼む、やってくれ。きみが夏冬の聖女であることを知らしめる良い機会だ。午前9時に中央軍団が広場に整列する。そこで魔法を行使してほしい。全軍、クロエを尊ぶようになるだろう。父と母や国民にも伝わり、きみは私の婚約者にふさわしい人だと思われるようになる」
「絶対に失敗できないじゃないですか」
「言い過ぎたかもしれない。人は気にせず、魔法に集中してくれ」
「無理です」
「緊張を乗り越えろ」
わたしはジルベールをじっと見た。
「うまくやれたら、兵士の方々にお願いしてもいいですか?」
「なにを?」
「わたし、カイシュタイン山に登ろうと思っているんです。その協力者を募ります。一緒に頂上をめざしてくれる方、荷物を運んでくれる方、テントを設営したり、料理をつくったりする方など、いろいろな協力者が必要です。登山隊を組織したいのです」
王太子は唖然としていた。
「8000メートル峰だぞ……。自殺行為だ」
「エリエル様をカイシュタイン山の大氷河から解放するためです。わたしが子孫だと証言してもらいます」
「そのためか……」
「あなたと正式に婚約するのに必要なステップです。カミラ王妃陛下に認めてもらえなければ、それは叶わないのでしょう?」
ジルベールは口をきゅっと結び、腕を組んだ。
彼の背後に窓があり、そこからゾーイ大聖堂の屋根の青いタイルが見えている。濃い青、薄い青、紫に近い青、さまざまな青が混在している。
「大氷河からどうやって解放するんだ? そのための魔法でもあるのか?」
「黒水晶に閉じ込めている熱を解放して、氷を溶かします」
「ペール山へ向かうとき、白水晶から冷気を放出させていたな。あれの黒水晶バージョンか」
「はい。無詠唱でできる簡単な魔法です」
わたしはにっこりと微笑んだ。本当に簡単なのだ。精霊の助けもいらない。
「大量の黒水晶が必要です。ゾーイにある黒水晶をすべてカイシュタイン山に運ばなければなりません。ライリーに残してあるものも使います。たくさんの屈強な運搬人が必要です。訓練された兵士なら適任だと思います」
「エリエル様がカイシュタイン山にいるかどうかは不明だ」
「なにごともやってみなければわかりません」
「それはそうだが……」
彼はためらっている。カイシュタイン山に登るのはそんなに危険なのだろうか。
「ジルベール、わたしと結婚したくないのですか?」
「したい」
これにはためらわず答えてくれた。わたしは安心した。勇気を得たと言ってもいい。
「では、わたしは登ります。止めても無駄です」
9時にわたしはジルベールとともに広場へ行った。
6万人の兵士が整然と並んでいた。気温は40度超。皆、顔面に汗を流している。軍服も汗で濡れている。
広場に面している城壁の前に、透明な水晶が積み上げられていた。
わたしは水晶の山の前に立った。
ひとつ深呼吸をして、心を落ち着けた。平常心、平常心。
呪文を唱えた。
「季節はずれの灼熱よ、命を焼く熱波よ、鎮まり給え。エリエルの末裔クロエの願いを聴き、水晶の中で休み給え。生きとし生けるものに憐みを!」
両手を天に向けた。次いで手を合わせて祈る。酷暑からの救いを世界に数多いる神と天使と精霊に願う。
「人と獣と魚と虫と樹と草と花を憐み給え、夏冬の聖女の願いを叶え給え、熱波を払い給え、世界に涼気を与え給え!」
わたしは言霊を重ねる。
太陽神が大量に放射した熱が黒い霧となって、透明な石の結晶に吸い込まれていく。
水晶が黒く染まり、別の宝石、黒水晶が生まれる。
狂った残暑を本来の初秋へ……。
風が強く吹き始め、空に濃い雲が浮かび、地上にみぞれ混じりの雨が降った。
目の前の水晶がすべて黒く染まるまで、私は祈りつづけた。
1時間ほどで世界は一変し、狂い咲きのような夏は消え失せ、涼風が吹き、昨日よりさらに秋が深まった。
兵士たちの汗はすっかり引いていた。
「諸君、これが夏冬の聖女クロエ・ブライアンの力である」とジルベールが叫んだ。
「クロエはエリエル様の末裔である。大熱波は隣国が祀る太陽神ソルの邪心から生じる。それに対抗できるのはクロエの季節の魔法だけだ。ヴァレンティン王国は彼女を守らなければならない。クロエ・ブライアンに忠誠を!」
「クロエ、クロエ、クロエ」と何人かの兵士が連呼した。それはたちまち全軍に広がった。
「クロエ、クロエ、クロエ、クロエ、クロエ、クロエ」
その声は大きかった。6万人が叫んでいるのだ。
「クロエ、クロエ、クロエ、クロエ、クロエ、クロエ、クロエ、クロエ、クロエ」
声は止まなかった。
わたしは両手を高く上げ、ゆっくりと下げた。
兵士たちが静まった。
「お願いがあります」とわたしは言った。
兵士たちはわたしに注目していた。
「わたしはカイシュタイン山の頂上をめざします。エリエル様にお会いするためです。ひとりでは登れません。協力してくれる方々が必要です。わたしに力を貸してくれる方は、手を挙げてください」
ざざっという音が広場に響いた。
挙手の波。
林立する腕。
ほとんどの兵士が手を挙げていた。
「アイザック・ユーゴ」とジルベールが言った。
「はい」
最前列にいた将校らしき人が答えた。デヴィットよりもさらに大きい。
「午後1時に王太子の間に来て、クロエと打ち合わせをしてくれ。何人の兵士をカイシュタイン山に同行させるか、どのような人物が必要か、相談するんだ。そして人選せよ」
その日の午後、わたしはアイザック第1万人隊長とじっくり話をした。
登山に詳しい人がほしい。重い荷物をかつげる人がほしい。料理ができる人がほしい。大量の黒水晶、食糧、水、鍋釜、防寒着、テント、寝袋などを運ばなければならない。10月1日には出発したい。帰還はいつになるかわからない。少なくとも2か月くらいはゾーイに帰れないと思ってほしい……。
アイザックは午後3時にいったん兵営に戻り、小柄だが筋骨隆々とした人を連れてきた。髪は黒く、目は細く、鼻は低かった。平たい顔だな、と思った。年齢は30歳くらいに見えた。
「シロー・トードーと申しやす。クロエ様のお役に立ちたいと思っておりやす。南アッティカ山脈のミルガスタイン山に登ったことがありやす。7000メートル峰でやすが」
シローの口調にはなまりがあった。もちろんわたしにはどこの地方のなまりかわからない。ヴァレンティンの標準語と異なっていることは確かだ。
登山に詳しい人の協力がどうしても欲しい。
「ぜひご協力をお願いします」
「シローとお呼びくだせえ。それと敬語はよしてくだせえ。クロエ様は親方で、あっしは手下でさあ」
「シロー、ともにカイシュタイン山に登って」
「頂上に行ったら、たぶん死にやすぜ」
シローはにやっと笑った。
「高山ってところは、ひどく寒い。それに空気が薄いんでさあ」
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