公園で待つ

黒メガネのウサギ

第1話

 見上げるとそこにはまんまるになった月がゆっくりと星の海をおよいでいた。きらきらと輝く星々の中にいる月は、まさに船のようだった。月の船は早くは進まない。ただただ、ゆっくりと進んでいく。

 視線を下ろすと、そこには街の明かりが広がっていた。パノラマに広がる街の風景の中央部分がぽっかりと暗くなっている。その暗闇をはさんでそれぞれ異なる光が放たれていた。暗い場所よりも遠いところは、光が高いところから放たれている。それらは均一で等間隔に光り、ところどころ間が抜けていた。高層マンションやビル、ホテルがありその窓からもれ出た光なのかもしれない。暗闇を挟んで反対側も光っているが、その光は同じ場所にとどまらず、動いているのがわかる。黄色い光だけでなく、青や赤い光も明滅している。こちら側には、戸建てや階層の少ないアパートがあり、そのすき間を縫うようにして車が行き交い、信号が交通のコントロールをしている。

「本当にこの場所が好きなんだね」

 そこには女性が座っていた。背もたれのあるベンチに体を預けている彼女は、ふっくらと丸みを帯びていて、特に腰辺りには新たな命が育まれていることが見て取れた。ゆったりとした服は季節のわりに厚めの生地を使ったものだった。

 こちらをみた彼女の髪が肩から流れる。

「ここにはずっと前から時々来ている場所だから」

「そうだったわね。いないなって思った時にはたいていここに来れば会えた気がするかも」

 頬が緩むのを止めることができない。彼女の姿を見ただけで、心が温まり、自然と穏やかな気持ちになっていく。

 彼女はその優しく、暗さのせいか少しだけ寂しそうな表情でこちらを見ていた。それをみたからなのか、少しだけ心の中がかき乱されたような気がした。

 街を見下ろすことができる小高い丘の頂上に置かれたベンチ。ベンチの周りには四本の木の柱が建てられ、柱の上には雨よけの屋根がつけられている。壁がないため、建物というよりも雨宿りできるベンチといった感じだ。大雨でも降ろうものなら、屋根の意味などまったくないといってもいい構造をしている。

「キミが最初にここに迎えに来てくれた時は、確かボクが仕事で失敗した時だったかな」

「あの時は突然いなくなったから、どうしちゃったのかと思ったわよ。どこを探してもいなかったし。前にここの話を聞いていたから見つけられたけど」

「あの時は本当に悪いことをしたと思ってる。ただ、一人になりたくてさ。ここだったら、誰も知らないはずだから」

 夜空へと視線をうつす。月の船は星の海の中に現れた雲の波をゆっくりと超えているところだった。風はなく、寒さは感じないが、雲の波は早く流れているようで、そちらのほうでは風が吹いているのかもしれない。

「また、そうやって、一人の世界にはいってる」

「……えっと、うーん。ごめん。そんなつもりはなかったんだけれど……」

「そう?」

「ほら、月を見てよ。月のそばに雲がある。その雲の流れが早いなとおもってさ。きっと、あの辺りは風が強くふいているのに、ここは高台だけどふいてないんだなとおもってさ」

 彼女がどこを見ていたかはわからないけれど、きっと今も同じように月と雲をみていることだろう。

「まるで、ボクたちのために凪いでいるようだ」

 一瞬、着ていたジッパージャケットを脱ぎかけたが止めた。そんなことをしても意味などは……。

「あれ? あんなところに木なんてあったかしら?」

「あそこには桜の樹があるんだよな。結構大きな樹で、あそこの樹の下で告白したら幸せになれるとか聞いたことがある」

 いいながらボクは街を上下に分ける黒い部分で一カ所だけライトアップされている樹を見た。

「そんな伝説があったんだ。知らなかった」

「迷信だとは思うけれど、そう言われている」

 本当は別の名前があって、この街のシンボルのようにもなっている。伝説のほうも何となく語り継がれているものだったりする。本当に叶うのかどうかはわからないけれど。

「私にはしてくれなかったんじゃない? 幸せになり損ねちゃうよ」

「そうだったかな。しなかったかもしれないな。でもキミのことを想っていたのは本当だよ」

 すねたような言い方をする彼女の頬はぷっくりとふくれていた。思わずつついてしまいたくなるような柔らかさが伝わる。さわったことはないが、フグがふくらんだらこんな感じなのかもしれない、などと彼女にとっては失礼なことを考えてしまう。

 彼女も頬をふくらませてはいるものの、自分のお腹を愛でるように撫でていた。その想いがボクに向いているのか、お腹の子に向いているのか、それはわからなかったけれど。

 視線を眼下に下ろす。行き交う車のライトと信号の点滅が、まるでジオラマのように見えて仕方がなかった。見えている大きさは確かにジオラマのようなものだが、近くまで行けばその感覚はなくなっていくはず。ただ、ボクはそのジオラマをぼんやりと眺めているのが、なぜか心地よかった。

「……ボクは昔、大人の女性にあこがれていたんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る