#15


 

「お願いアニー、貴女にか頼めないのよぉ」

 私は今、凄まじく青い顔で夫人の部屋にいる。なんでかと問われれば、夫人の侍女が一人風邪で倒れてしまったらしいのだ。

 つまり、夫人の侍女として明日のパーティーに出ろと、言われている。

 ぜっっっっっったいに出たくなくて、マデリンさんにお休みまで貰ったのに、こんな事ってない。ほんとに、あり得て欲しくない。

 しかし、貴族だった経験を持つメイドも私だけなので、出てほしいと言うのだ。

 先ほどから、貴族だったのはまだ社交界デビュー前のことで、私はパーティーでのマナーも知らないと断っているのだが、信じられないほど下手に出られている。これは困った。

 侍女は身の回りをお世話する係の貴族。つまり面子に関わると言う事でもあり、偉い立場ほど多すぎす少なすぎない人数が求められる。それだけ人を雇えるって証明でもあるからね。

 明日は大事な息子の晴れ舞台…と言う名の家同士の大事な契約の日。面子を保ちたい気持ちはわかるが、私ではその立場は務まらない。

 そして何より絶対出たくない。ボーナスが出ても出席したくない。晴れ舞台で他の女と笑顔掲げる彼を見るくらいなら、いっそ舌噛んで死んだほうがマシだ。

(それでフィンと学んだワルツを踊れって?少しは私の気持ちを考えてほしいものだわ)

 こんな事ならせめて給仕にまわっておけば良かった。そしたら少なくとも無理な役を押し付けられそうになるのは防げたのに。

「ねぇ、良いでしょう? 一日、一日だけだから」

「奥様、私に頭を下げないでください…」

「壁の花でもいいの、一緒にいてくれれば」

 そこはそういうわけにもいかないと思うけど…厄介なことになったな。

 夫人がここまで頼んでるのに、と私が気に食わない侍女たちの視線を感じる。この無言の圧に私は耐えられなかった。

「…わかりました、行きます。行きますから」

 心が病んだら責任取ってもらおう。

「本当!?言質取ったわよ!」

 そこで“ありがとう”じゃなくて“言質とった”って言っちゃうあたりがフィンのお母様だなって感じするよ、うん。

「じゃあ、早速始めましょうか」

 にっこりと笑って夫人は言う。

 私は嫌な予感がした。

「マーサ、カレン、やっておしまい!」

 そう声をかけられた二人に、私は腕を掴まれる。

「えっ」

 そのまま何処かに連れていかれているがこれは何が起こるんだ!?

「うふふふふ…」

 何故か夫人が楽しそうに付いて着ている。

「これは一体どういうことなんですか!?」

「いいからいいから」

 いや何も良くない、何も良くないよ!?

 夫人の言葉に不信感しかない。しかしそのまま連れていかれたのは、夫人用のバスルーム。そこにはすでにお湯が張ってあって、私はあれよあれよと二人がかりで脱がされていく。フィンが悪ふざけで脱がしてるのとは訳が違うので、手を出すわけにも行かず、そのままバスタブに放り込まれた。

「さて、きれいきれいにしていきましょうね〜」

 そう言って夫人自ら私を洗い始める。

「ちょ、奥様!?自分でやれますから!」

「だめよ〜!私の侍女なんだから、隅から隅まで綺麗にしなくちゃね」

 何度目かわからないなすがまま…もうどうしたらいいかわからない。確かに私もこの人苦手かもしれない。

 また鼻歌が聞こえる。夫人の癖なんだろうか。

「…その鼻歌、なんの歌なんですか?」

「あぁ、これ? 私の実家に伝わる子守唄よ。兄さんが覚えていたら、貴女も聴いてたかもしれないわね」

(あぁ、そう言うことか)

 それなら確かに、きっと父様だ。

 なんとなく、覚えてる気がする。

 頭も体も流されて、お湯の中で揺蕩う。

 温かいお湯に浸かるのは久しぶりも久しぶりだ。こんなに気持ちのいいものだったっけ、なんてつい考えてしまう。

「気持ちいいでしょ?香油を入れてるのよ」

 確かにいい香りがする、これが香油の香りだろうか。

「…はい」

 夫人は私の髪に何やら塗って、櫛で漉いている。今は何をしてるんだろう。

「これはね、髪を根本的に綺麗にしてくれる美容液なの」

 夫人は丁寧に丁寧に、私の髪を漉く。まるで壊れ物でも扱うように。

「はい、流しましょうね」

 髪がお湯で流されていく。気持ちいい感覚が、頭皮を流れる。

 バスタブで小さく動くたび、水音がする。

 か弱い水音は、まるで今の私のようだ。こぼれ落ちては、大きな流れに溶けていってしまう。

 タオルで頭を巻かれて、そのまま少し浸かっているようにとのことで、夫人は去っていった。

 いつまで浸かっていればいいかわからないけど、今はバスタブで大人しくしてるよりしょうがない。

 どうして夫人は私にこんなに手をかけるんだろう。確かに、自分の侍女がみすぼらしかったら面子が保てないけど、手ずから行う必要性も無い。

 …私が綺麗になったら、彼はもう一度私を見てくれるだろうか。

 傷ついた手が治ったら、痛んだ髪が綺麗になったら、珠のような肌になれたら、細い体に少し肉が付いたら、私がもう少し素直になれたら…彼は、フィンは私にもう一度振り向くだろうか。

 明日は綺麗なドレスを着るんだろう、憧れてやまなかった綺麗なドレスを。でもこんな形になるなんて思ってなかった。

 フィンにちゃんと見て欲しかったな。それでエスコートされたかった。そのまま音楽の中で、貴方と学んだワルツを踊るの。

 お湯の中で、私は膝を抱える。少し温くなってきたな、と思いながら、私はそっと目を閉じた。

「そろそろ上がっていいわよ〜」

 夫人の声。

 私はそれに返事をして、バスタブから出る。

 体を拭いて、バスローブを着て、案内されたのは再び夫人の部屋。

 髪を乾かして、最初にここにきた時と同じ“魔法のお薬”とやらで髪を整える。

「さて、次は軟膏を塗りましょうか」

 そう言って夫人は引き出しから小さな缶を取り出す。中には白い薬のようなものが入っていた。

「働き者のいい手だけど、今日と明日はお休みしましょう?」

 私の手先に軟膏を塗り込む。傷がついた部分は仕方ないけど、荒れた程度の場所は、少しずつ滑らかになっていく。髪と言い肌と言い、まるで自分じゃないみたいだ。

「どうして、奥様が自らここまで…」

 私の呟きに、夫人は静かに笑った。

「…言ったでしょう? 私のお気に入りの子たちは、ここでおしゃれを覚えるのよ」

 何人の使用人が、ここで“おしゃれ”を覚えて行ったんだろう。私もその一人であることに、少し、嬉しさのようなものを感じる。

「貴方も働き者で気に入ってるわ。お手洗いをとても綺麗にしてくれるって聞いてるの」

 それは私が臭いに耐えられなかったからだけど…。それでも、自分の仕事が褒められるのは悪い気分じゃない。

「ありがとう、ございます」

「さて、これで今日できることは終わり。明日はうちのダンスホールでパーティーだから…そうね、八時にここにきてくれる? あ、勿論私服でね?」

「わかりました」

「女の戦闘服は時間がかかるものよ。覚悟してね?」

 あと間違ってもご飯食べないでね、と夫人は言った。正直それは辛い。

 八時にこの部屋…と言うことは、おそらくアフタヌーンパーティーだろう。そうだとしても、支度に四時間以上かかるのは流石にドレスと言ったところか。しかし私のドレスあるんだろうか。サイズが合う人がいれば、その人のを借りられるけど…。

 この日はこれで解散になった。

 仕事はしないようにとのお達しなので、その日は寝ることにした。

 

 

 こんなに目のクマが薄いのは初めてかもしれない、とそう思うくらいにはよく寝た。自分のことながら、よく寝れたものである。

 洗面台で軽く洗顔を済ませて鏡を見ると、確かに薄くなったクマにちょっとだけ感動した。

「…」

 しかし行きたくない。

 あと十五分もしたら夫人の部屋に行かなければいけないのに、体が拒否してしょうがない。それでも、着替えて行かなければならない。

 何も食べてないのも相まって、胃に穴が空きそうだ。キリキリと嫌な音がする。

 大きくため息をついて、私は寝間着を脱ぎ始めた。

 夫人の部屋に着くと、何故かすでに着替えを終えた夫人がソファで待っていた。

「おはようアニー」

「おはようございます、奥様」

 この人は何故既に着替えを終えてるんだろう。こう言うのって主人が最後じゃないのか。

「アニーは不慣れだから、私が手伝うわ。ドレス持ってきて〜」

 夫人の声かけに、侍女の方がドレスを持ってくる。良かった、サイズの合うドレスがあったみたいだ。

「私のお店の試作品でね、是非着てみてほしいの」

 そう言って差し出されたのは、落ち着いたブルーのドレス。細やかな刺繍とフリルが裾に施されていて、星屑か雪化粧か、小さくて綺麗な光が散りばめられた、本当に美しいドレス。

「そ、そんなこんな良いものを着るわけには…!」

 私なんてもっと質素なドレスで良いのだ。こんな主役みたいなドレス、私が着るには勿体無い。

「あらそう? 貴方のサイズに仕立て直してしまったから、他はないし、着てもらってお店の宣伝にしようとも思ってたんだけど…」

「何故私のサイズを…?」

「それは…まぁほら、私も一応プロだから!」

 夫人は何か誤魔化すような口振りで言った。なんかおかしいなと思ったけど、言及してる時間もない。

「…わかりました、そのような事情なら着させて頂きます」

「良かったわぁ!じゃあ早速着替えましょうか!」

 そう言って支度が始まる。

 まずは着ていた服を脱いでドレスに着直すところから、下着の上にコルセットをして出来うる限り締めていく。なるほど、これは夫人がご飯を食べないようにと言うわけだ。食べたら出てしまう。

 ドレスが終わったら次は髪を整えてメイクを施していく。昨日徹底的に手入れをしてもらったお陰で、髪が本当に別人の様に艶めいている。メイクは化粧水から、目元のクマを重点的に隠していく。紅を唇に差して、別人みたいな私が出来上がる。

 最後にドレスを彩るアクセサリーを決める、ネックレスに指輪、イヤリング、髪飾り…。

「あの」

「どうしたの?」

 夫人は着々と作業をしながら私の言葉に耳を傾ける。

「ネックレス、なんですが…この鍵のやつ、着けたままでも良いでしょうか?」

「もちろん良いわよ」

 夫人はあっさりと許可した。パーティーなど公の場合、ドレスのコーディネートが優先されることが多いと聞く。それでも、私のわがままを通して良いんだろうか。

「貴方の大切なものなんでしょう? …大事になさい」

 夫人はそう言ってまたアクセサリーを悩み始めた。

「…ありがとうございます」

 私はその言葉に、ほんの少しだけ泣きそうになった。

 最後に靴を履き替えて支度は完了。時間もちょうど良い頃合いだった。

「さて、行きましょうか」

 いざ戦場へ、と言わんばかりの空気である。実際、社交界は情報の戦場とも言われている。気合が入るのも無理はない。

 私は侍女の方から簡単なマナーを教わって、夫人の後についてダンスホールへ入った。

「わぁ…」

 その景色に思わず声が出る。

 まず目に入るのは、煌びやかなシャンデリア。天井の窓から太陽光も差して、暗がりではよく見えなかった天井の絵画たちがよく見える。

 一番奥の大きな窓からはこの距離でも微かに庭が見えて、豪華に着飾った婦人や紳士たちが、音楽と空間と料理を楽しんでいる。

 窓が、大きな窓があんなに綺麗に磨かれて、どれだけ大変だっただろう。床もシャンデリアが映り込むほど美しい。憧れの社交界はまさに絵に描いたような景色だった。

「楽しそうね、アニー」

 夫人はそう言って私を見る。

「あ、も、申し訳ありません…」

 私は慌てて頭を下げるけど、それにも夫人は柔らかく笑った。

「私は来賓の方にご挨拶をしてくるから、みんなは好きに回っていて」

 そう言った夫人は人混みに消えていき、侍女の方々は方々へ去って行く。私はといえば、立食パーティーなのを良いことに壁で料理を嗜んでいた。我ながらあれだけ締められてよく入る。

 ちまちまと料理をつついていると、誰かが大きな声で言った。

「ブラウン・レンネット陛下の、おなーりぃー!」

 その一言に、あらゆる音が鎮まり、全ての人が頭を下げる。私もそれに倣って頭を下げた。

 三人ほどの足音だろうか、室内に静かに響き渡っている。誰一人として頭を上げるものはいない。

「全員、楽に。ここは祝いの場、主役を迎え楽しもう」

 その言葉に、みんなが頭を上げて拍手を送り、音楽も再開されて、空気が一気に和やかな雰囲気に包まれる。

 国王は、見た目は五十代程度に見える。精悍な顔つきが印象的だった。

 そういえば、王弟は既にここに居るんだろうか。後はフィンのお父さんも。二人とも私は顔も知らないか覚えていない。会うことも無いから当たり前だけど。

 王弟…父様と母様の仇。この場で見つけ出して殺してやりたいけど、顔もわからないのではどうしようもない。

(今日は壁の花になって乗り切ろう)

「本日の主役の入場です!」

 その言葉に、再び拍手が起こり、流れる音楽が変わる。私は、人混みの後ろの壁から、入口の方を見ていた。

 一組の男女が、緊張した面持ちで入場してくる。二人はエスコートするように腕を組んでいて、歩調を合わせていた。

 ゆっくりとホール中央のダンスエリアまで歩いていく。そのままエリアの中央で、二人は止まった。みんなが、二人を見ている。

 私は、俯いて目を逸らした。見てるのは、辛かった。

「本日はお忙しい中、私たちの婚約発表の場にお越しくださいまして、誠にありがとうございます」

(遠くでフィンの声がする…)

 声を聞いたのは、どれくらいぶりだろう。

「私たちがこの日を迎えられたのも、一重に皆様のおかげ。私達は大変感謝しております」

 アテンツァの声だ。そういえば結局この間の“私が心配するようなことはない”と言っていたのは、なんだったんだろう。

 

「改めまして私たちはこの婚約を、破棄することを宣言します」

 

「!?」

 まさかの発言に思わずそちらを向いた。破棄?どう言うこと?

 周りもざわついている。それはそうだ、みんな“婚約発表”のために来てるんがだから。

「この度、私アテンツァ・レンネットの父におきまして、醜悪な不正が見つかった事をご報告致します」

 そう言ってアテンツァは頭を下げる。そうすると、肥えた一人の男性が、二人の元に向かった。あれが王弟だろうか。個人的に言えば、肥えて皺のよったその顔は、醜悪と言う印象を受けた。本音を言えば、今すぐ出て行って殺してやりたい。

「な、何を言ってるんだアテンツァ!婚約破棄だけでなくそんな戯言を!」

「抑えろ!」

 そう言ってアテンツァに手を上げようとした王弟は、豪華な鎧の騎士の命で二人の騎士に止められていた。

 私は思わず事の次第が気になって、人混みを掻き分けていく。彼に見つからないように、前の方の隙間から、そっと覗き込む。

「詳しく聞かせよ」

 国王が一言、そう言った。

「はい、陛下。此度父は、十年に渡り国庫から横領を行なっていたことが発覚しました」

 アテンツァが言う

「証拠は」

「こちらに」

 フィンが箱を差し出す。

 あの箱は、父様が埋めていた箱。

「こちらの仕掛け箱に、横領によって得られた利益の証拠が入っております」

「その箱はどうやって開けるのだ?」

「ダイヤルロックと鍵の二重構造になっております。ダイヤルロックの番号はわかっているのですが…鍵が紛失しております」

「それでは箱は開かないではないか。どうして中に証拠が入っていると言える?」

「それは…」

「ほら、証拠など見せられないではないか!これは私への侮辱だ!名誉毀損で訴えてやる!」

 叫ぶ王弟。確かに、鍵は私が持っている。

(どうするんだろう…)

 その時、閉じられていたダンスホールの扉が開いた。大きな音を立てて開く扉に、みんなが一様にそちらを向く。

 急ぐように中へ入ってきたのは、長い髪をオールバックにした背の高い男性。パーティー用の衣装にローブを羽織ったまま杖と共に入ってきた。

 革靴の音が室内に響いて、やがて止まる。その人物は、国王の前で静かに、迅速に、膝をついて頭を垂れた。

「王よ、お待たせして申し訳ありません。ハボック・スペンサー公爵、ここに参上しました」

「おぉ、ハボックよ。久しいな」

「は、殿下もご機嫌麗しゅう。しかして今は急務の時。発言を許して頂きたく思います」

「よい、話せ」

「ありがたき幸せ」

 そう言って頭を上げる公爵。

(あれがフィンのお父さん…)

 痩せぎす、とまでは言わなくても細身の長身に、長い白髪混じりの金糸の髪をオールバックにして、目元は細く吊り上がり、眉間に皺が寄っている。服装は、シックなパーティー用の衣装に黒いローブ。

「王命に従い、この四年、隣接する元ウルダ領にて発生したベイリー邸の強盗殺人事件について調べておりました」

「!」

 フィンのお父さんが私の家の事件を…?いやそれは、前にフィンが言っていた。それに彼も協力していると。

「調査の結果、ダントン及びサリア・ベイリー夫妻行方不明は王弟、アーサー・レンネット様が関与していることが判明。その証拠の一部がこちらにあると聞き、馳せ参じました」

「ふむ…」

「ベイリー夫妻はどうやら、アーサー様の横領の帳簿を見つけたようです。それをどこかに隠した故に…」

「行方不明になったと」

「いえ、殺害されたことが明らかになりました」

「しかし夫妻が殺されているという証拠はどこにある」

 王の問いに、公爵は答えた。

「生き残った侍女がおりまして、見つけ出して連れて参りました」

 公爵が合図をすると、簡素なドレスに身を包んだ女性がホールに入ってきた。国王に頭を下げるその姿に、私は驚愕する。

(…サリー!)

 その姿は紛う事なく私の世話係のサリーだった。生き残ってたんだ。

「このご婦人が、そうだと言うのか」

「はい陛下。彼女の発言をお許しください」

「よい、話せ」

 そう言われて頭を上げる彼女は、ゆっくりと口を開いた。

「ありがとうございます、陛下…私は、あの日、確かに見ました。宝物庫を荒らした野盗が、明らかに旦那様と奥様を探しているのを」

 サリーの声は、震えていた。

「その場にいた者は皆殺され、大声で『主人はどこだ』と…私は隠れて震えることしかできなかった」

「ふむ…」

「その日は、旦那様がスペンサー公爵をお屋敷にお呼びしていた日でした。私はお嬢様を連れて逃げて、彼女を隠したあと、彼らに助けを求めました。しかし、屋敷に戻ったときにはもう、火の手が…」

 そう言って彼女は泣き崩れた。私は生きていると言えたら、どれだけ良いだろう。

「わかった。辛いことを思い出させたな」

 国王は彼女に下がるように指示を出して、改めて箱を見た。

「しかし、箱が開かぬのではな…」

 国王はそう言って困ったように顎を撫でた。

 私の心臓も、何故か高鳴っている。

「鍵はございます」

 公爵の一言に空気がざわつく。

 鍵?

(…私が持ってる以外に鍵があるっていうの?)

「フィン」

「はい、父上」

 そう言ってフィンは何かを探すように少し歩く、そして私と目があった。

「!」

 私は、久しぶりに目があったことに怯えて目を逸らす。それでも構わず彼は私のところにやってきて、有無を言わさず私の手を引いた。

「わ、ちょ、何…!」

 強引に表舞台に立たされる。たくさんの人の視線が私に集まって怖い。

「陛下、ベイリー家の爵位継承は休止状態だったと思われます」

「うむ、夫妻が行方不明であるためと、その様に報告が来ているな」

「しかして私め、痛恨のミスにより、ベイリー夫妻の死亡届を“出しそびれて”おり、先程正式に提出して参りました」

「…何が言いたい」

 国王は専用の椅子から少し身を乗り出す。

「夫妻は生前、特記事項にて娘の爵位継承を認めております」

 そして私を見る。

 私は嫌な予感がした。

 とんでもなく嫌な予感が。

「彼女こそ、ベイリー家のただ一人の生き残り!よって彼女はこの瞬間より、ベイリー伯爵として爵位を継承したのです!」

「ば、馬鹿な!確かにあの時火を放って死んだと私は…!」

 放心する私、狼狽える王弟。っていうか、自白してるようなものですよそれ。

「大公よ、何か知っておるのか?」

 国王の言葉に、王弟は押し黙る。

(いやいやいやいや)

 待って待って、ついていけない。

 私が伯爵って何?

 驚愕と動揺が止まらない。

「しかし、その証拠はどこにある?そんな事まで証拠もなく言っている訳ではあるまい」

「もちろんでございます。フィン」

「はい」

 そう言ってフィンが私の横に来る。

 あの箱を持って。

「アニー、鍵を出して」

 私の耳元で彼が囁く。久しぶりに聴いた破壊力は凄まじいが、私は落ち着いて胸元から鍵を出した。

 私は箱の鍵穴に、そっと鍵を挿す。

 誰もが、しんと静まっていた。

 鍵穴を回して、カチッと音がした。箱の中身がゆっくりと明かされていく。

 中に入っているのは羊皮紙でできた分厚い本のようなもの、あの帳簿だ。

「王よ、帳簿はこちらでございます」

 フィンが国王に差し出す。彼はそれを、無言で受け取った。

「ば、ばかな!私が渡されたのは偽物だったと言うのか!そもそもその女も仕立てたものではないのか!?」

 身を乗り出そうとする王弟を、騎士達が必死に押さえる。私はその様を、呆然と見ていた。

「こちらの鍵は、彼女が生前の両親から賜ったもの。そうだったな?」

 公爵が私に問う。

「それは、そうです。私と両親を繋ぐ唯一の宝物ですから」

 私は抜いた鍵を握りしめた。

「私はこの鍵を証拠に、彼女をベイリー家の娘であると明言します」

 しかし全く話が見えない。とにかく父様たちの仇が取れたんだろうと言うことと、このために夫人は私をここに引っ張り出したんだろうと言うことしか、私にはわからなかった。

「…良かろう。汝はこれより、ベイリー伯爵であると余が認めよう!」

 なぜかそこで起きる拍手。そんなことより私にちゃんと説明してほしい。

「…この横領が発覚したことにより、私めはフィン様にふさわしくないと判断しました。よって、この縁談の破棄を申し出ます」

 そう言ってアテンツァは頭を下げる。

 国王は彼女を一瞥した。

「了解した。大公とその娘を拘束しろ!城へ連れ出せ!」

「二人を連れ出すんだ!」

 国王の言葉と豪華な鎧の騎士の命がホールに響いて、大公の悲痛な叫びが聞こえる。アテンツァも騎士に拘束されて、二人はこの屋敷から去っていった。

 豪華な鎧の騎士が、フィンと公爵と話をしていた。おそらく後日聴取があるんだろう。それにしては、フィンが激励されるように豪華な鎧の騎士に背中を叩かれてて不思議だったけど。あれが前に話していた“隊長殿”なんだろうか?

 当然パーティーはお開き。来賓や楽団もなんだなんだと言いつつ帰っていく。正直食事が勿体無い。

 私はドレスのまま、庭の東家で放心していた。

「はぁ…」

 どっと疲れたため息が出た。何から何までしんどかった。なんなんだ今日。

 大公が捕まって、父様と母様の仇が取れたのはいい。なんならサリーにも顔を見せられたし。

 でも私が爵位ってどう言うこと?

 フィンとアテンツァの関係は結局何だったの?

 私はどうしたらいいの?

 頭の中がまた違った意味でパニックだ。

「やぁ」

 聞き慣れた声が聞こえる。私は咄嗟に右拳をまっすぐ突き出した。

「わぁ!」

 彼はそれを避ける。仕留めきれなかったか。

「…フィン」

 私は彼を睨みつける。

 彼はそれにばつの悪そうな顔をして、私に頭を下げた。

「本当に申し訳なかった。君を騙すような真似をして」

「…」

 黙り込む私に、彼は頭を下げ続ける。私が何か話すまで、ずっとこうしているつもりなんだろう。

「…謝るくらいなら、説明して」

 私がそう話すと、彼は頭を上げて向かいに座った。

「…ありがとう」

「だから説明してってば」

 ありがとうじゃないのよ。本題に入りなさいよ。

「どこから…も何もないか。僕らがあの箱を見つける少し前、僕と父上は大公からある話しをされた。『帳簿のことで嗅ぎ回ってるなら仲間にならないか』と」

 私は黙って話を聞くことにした。

「大公は、どこからか僕らの情報を嗅ぎつけたみたいで…捜索の状況が浮き彫りになりつつあった。それこそアニーの存在も。そこで僕らは、一度大公と手を組むことにしたんだ」

「!」

 勿論騙すためだろう。わかっていてもそんな危険な賭けに出るとは思わなかったので、驚いた。

「そこからは君の生存が明るみに出るのが先か、僕らが偽の帳簿を作るのが先かの競争になった」

「…」

「さらに大公は担保として娘を差し出してきた。しかし彼女は父親を嫌っていて、こちらに協力してくれたんだ」

 その担保があの縁談と…ふーん。

 私が顰めた面で彼を見る。

「それにしては随分仲が良さそうだったじゃない」

「それは流石にフェイクだよ。彼女も恋人がいるし」

「!」

 そうだったのかと、少し安心してしまった自分がいる。なんか悔しい。

「今回の件で、君の爵位継承と事件の真相を明るみに出すことは、最初からセットだった。うまくいって良かったよ」

「それ!私が爵位継承ってどう言うこと!?」

 私が爵位を受けるには条件が違いすぎる。爵位は本来、男性の長子しか継ぐことはできないはずだから。

「特記事項、と言うものがある」

「特記事項…?」

「生前爵位を持っているものが、あらかじめ記入しておく書類で、特別に男性の長子でなくても爵位を継承させるための書類だ」

 つまり、父様はそれに記入してたってこと?私に爵位を継がせるために?

「これが、僕が君の姓を取り戻せると確信した理由。そして君が孤児院に隠された理由の一つでもある」

 爵位を継ぐには、原則成人が望ましいとされる。そこまで存在を隠しながら生きながらえさせるために、スペンサー家は私を孤児院に入れたのか。

「父上はそれを“知ってて”ベイリー夫妻の死亡届を出さなかった。君が生きてる以上それを出してしまうと、その瞬間に君の爵位継承が確定してしまうからね」

 私が爵位を継承すると言うことは、その瞬間に私の生存が知れると言うことでもある。

 どこからどこまでも、私は守られていたことを改めて思い知る。孤児院も、この生活も、全部私のためだったんだと。

「そうなれば、必ず大公は君を消しに行くだろう。それだけは避けたかった」

 恨んだ時も、なかったといえば嘘だ。温室育ちの私には、孤児院と言う環境が理不尽に感じたこともいっぱいあって、どうしてスペンサーの人たちの家じゃないんだろうって、不思議だった日は多い。

「…そう、だったんだ」

「これが今回の真相。君を騙すような事をしたのは事実だし、どんな罰でも受け入れる」

 そう言った彼の表情は、真剣そのものだった。私は何も知らずのうのうと貴方を疑っていたのに。

「…」

 私は押し黙ってしまった。これだけのことをしてもらって、私には何も返すものがないと、どうしても考えてしまう。

「僕のことは、君の好きにしていい。許されないのは、わかっているから」

 そう言って彼は俯いた。

 私はその様を見てイラッとした。

 私も悩んでるのに、そうやって自分の世界に浸らないでほしい。

 私は立ち上がってから彼のネクタイを掴んで、顔を引き寄せる。

「貴方ねぇ、罰もへったくれも無いのよ。貴方たちが私を救ってくれたのに、私には返せるものがないのよ? そっちの方がよっぽど問題よ!」

 彼は驚いた顔で私を見る。

 私はそれでも続けた。

「私は、貴方たちに心から感謝してる!父様と母様の仇を討ってくれたのも、私の姓を取り戻してくれたことも!」

 貴方がそばに居てくれたことも、私を変えてくれたことも。

「だから!まずはこれからのことを考えるの!罰だなんだは後でその時支払ってもらうから!」

 彼を押しやるように解放すると、少しむせていた。引っ張りすぎたかもしれない。

「…君が、そう言うなら」

 彼は困ったように笑う。その時、やっと彼と本当に目があったような気がした。

「…とりあえず、感想、ないの?」

 私は、それが照れ臭くて目を逸らした。すると彼が後ろから抱きついて、耳元で囁く。

「似合ってるよ、綺麗だ」

「…っ」

 何も耳元で囁かなくても良いのに。私は顔が熱くなるのを感じた。

「君を僕のものにしたい。君だけを愛してる」

 何度も何度も、耳元で声がする。でもその声は、切に迫ったような声。

「その為だけに、僕は…」

「知ってる」

 私を抱きしめるその腕に、そっと手を添える。

「貴方の頑張りなら、私が一番知ってる」

 いくら王弟を騙すためとは言え、私以外の人間と縁談なんて相当嫌だったろうに。それを飲み込んでまで私の姓を取り戻そうなんて、無茶なことをする。

「私も、私も貴方を愛してる」

 やっと、素直に言うことができた。

 こんなにも誰かを好きになれるなんて、ここに来た時は思ってないもの。

 貴方が、私を変えたんだ。人を信じれるように。貴方を愛せるように。

 あ、そういえば。と、私は彼から離れる。

「今ってさ、私の方が偉いのよね?」

 この国では、世襲制貴族は親が死なない限り爵位を継げない為に、貴族の子供というものに爵位はない。つまり身分的には平民と変わらないということ。便宜上名乗って良い身分はあるものの、そこに権力は存在しない。つまり、今は正式な爵位を持ってる私方が偉いのだ。

「そうだけど…」

 彼は動揺して言う。私が何をしたいのかわからないと言った風に。

 私は彼に右手の甲を差し出して言った。

 

「私と結婚して。嫌なんて言わせないから」

 

 彼は私の言葉に一瞬驚いた顔をして、すぐに跪く。そして私の手の甲にそっとキスをする。

「私は地獄まで貴女にお供しましょう、ロード・ベイリー」

 そう言って、彼は愛おしそうに笑った。

 私はなんか勝った気持ちになって内心喜んでいると、彼がポケットから何かを取り出した。

「僭越ながら、貴女に贈り物をすることをお許しください」

 彼はそうって、一つの小箱を開ける。

 中には銀細工に淡い緑の宝石が乗った指輪が、入っていて。

「…!」

「僕と貴女の“永遠”に、この贈り物を添えさせて頂けないでしょうか」

 私は少し、ほんの少しだけ、涙が出た。

 感極まって何も言えない代わりに左手を差し出すと、彼は嬉しそうに手袋を外して薬指に嵌めた。しかしその指輪は、ほんの少しだけ大きくて。

「もう、こんなに痩せさせたりしないから」

 彼は私の手を見てそう言った。

「…うん」

 こっちが彼を驚かしたつもりだったのに、私は結局、嬉しくてそれしか言えなかった。

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