#14

 

 

 ********

 

 

 正直に言おう。

 私は何も聞いていない。

 婚約がどうとか。

 多分、多分きっとおそらく、彼の事だから何か考えての行動だと思う。

 それでも、それでも。

 許せないことって、ある。

 婚約の知らせが屋敷に届いてから三日後、ある女性がやってきた。それも複数人の侍女を連れて。

 女性の名前はアテンツァ・レンネット。由緒正しく王弟様の一人娘だ。

 あてがわれた部屋は勿論フィンの隣、お淑やかで綺麗で静かで、まさに“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”と言う東洋の言葉を具現化したような人。

 何をしてても花のように美しく、清らかでお淑やかで、私とはかけ離れた女性ひと

 すべすべの手、吹き出物を知らない肌、整えられて美しい髪、細いのに柔らかで女性らしい体型、どれをとっても私とは程遠い。

 …フィンも、ああ言う人が良いんだろうか。

 やっぱり抱きしめた時に骨が目立つ体じゃダメだろうか。

 ガサガサの手じゃいけないのだろうか。

 クマの目立つ顔は嫌だっただろうか。

 好きだと素直に言えない私に疲れてしまったんだろうか。

 考えても仕方のない事を、ぐるぐると考えてしまう。彼と目が合わせられないし、仕事も小さなミスをしやすい。マデリンさんやアリアが不安そうな顔で私を見てくる。それがまた辛かった。

 フィンとはここ暫く会ってもいない。元々向こうから何かアクションがなければ、私たちが会うことなんて廊下をすれ違うくらい。

 最初の挨拶だって、顔を覚えてもらって不審者でないですよ、とアピールするためにあるようなものなんだから、当たり前だ。

 執事さんや、家政婦長のマデリンさんはともかく、一介のメイドが主人と関わり合う事など無いに等しい。

 最近一言も声を聴いた記憶がない。あの声で私の名前を呼ぶのが、如何に愛おしかったかがよくわかる。

 でもこれで良かったとも思う。私の姓はともかくとして、彼がふさわしい階級の美しい人と結婚するなら、まだ応援できる。陰気とか言われてても、私にとっては眩しい人だったから。

 今日の仕事は窓掃除だ。昨日雨が降ったので今日はその曇り取り。せかせかと窓を拭いていると、庭に二人がいるのが見える。仲良さげに話してる二人は、笑い合っていた。

「…」

 羨ましいな、と素直に思った。

 私の立場じゃ、あんなことはできなかった。二人で庭になんて、行った事あったろうか。

 やっぱり、怯えながら生きていくより、そんな関係を続けていくより、こっちの方が健全だ。二人が正しいんだ。

 わかってるけど、涙が出そうになる。

 父様、今ならベッドで泣いて良いかな。

 母様、冷たくても良いから彼の声が聞きたいよ。

(…私は、なんて彼に相応しくなかったんだろう)

 あぁもう思考がぐちゃぐちゃになる。優先順位がわからなくて、感情と理性が入り混じっている。

 こんなんじゃ仕事も出来ないのに。

「すみません、体調が悪いので早退させてください」

 数枚窓を拭き終わって、早退を願い出た。いつも重たい体を引きずって仕事してたのに、こんなの初めてだ。

 マデリンさんは、何も言わず了承してくれた。そのまま屋根裏部屋に戻る。

 色めきたっていた他のメイドたちが、心配そうに私を見てくるのが伝わって、体が重くなっていく。

 着替えもできないままベッドに突っ伏して、涙が、溢れた。

「っう、ううう…うう〜っ…」

 頭じゃどんな事もわかってる。

 彼と過ごした時間が嘘じゃ無いことも。

 彼との約束が確かにあったことも。

 彼には彼女が相応しい婚約者ってことも。

 彼がやっと正しい道に行けたことも。

 わかってる、わかってるのに。

 どうして私は諦められないの?

 こんなに聞き分けの悪い子になってしまったのは、貴方のせいなのに。

 がたん、と音がして、入口の方に振り向く。

 するとそこには、アリアの姿があった。

「ありあ…?」

 私はそう言って鼻を啜る。

 涙が止まらない私を、彼女はそっと抱き締めてくれた。

「早退したって聞いたから…側には、居れるからさ」

「う、うぅ…」

 彼女の優しさに、また涙がたくさん溢れた。

「泣いていいよ、アニーは泣いていい」

 そう言って肩を撫でる彼女の手が、暖かくて。

「う、うぁ…うわああああああああっ…」

 フィン、フィン、どうして遠くへいっちゃったの?私じゃダメなの?どうしてだめなの?教えてよフィン。

 いつもみたいに名前を呼んで。

 いつもみたいに私を見て。

 いつもみたいに可愛いって言って。

 いつもみたいに好きって言ってよ。

 私をこれ以上一人にしないで。置いていかないでよ。私も連れて行って。

 感情が、心が、全部が、貴方を求めて哭いている。

 神様、どうかお願いだから、フィンを私に返して。

 今なら何度でも言うわ。愛してる、愛してる。貴方だけを、愛してるの。

 私は、どのくらい泣いていたかもわからない。堪え性のない自分に呆れつつも、これが変化なのかもしれないと、確かに感じた。

 変化を促した貴方は、もう側にいないのに。

 

 

 この間はそのまま寝てしまって、夜は何があったか覚えていない。アリアが言うには泥のように眠っていたらしい。心的にあまり思い出したくない。

 しかしどれだけ泣いても朝は来るもので。

 その分仕事もやってくる。

 今日はカーペットの埃履き。

 ここ最近はまた眠りが浅い。だるい体を引きずって仕事をすると言うのは、楽を知る前より後の方が辛いんだと学んだ。

 数日は仕事がまともにできていて安心している。フィンを見るとまだ辛いし目も合わせられないけど、すれ違うくらいなら慣れてきた。

 勿論その横に、婚約者の姿があっても。

(なんとかは、なってる)

 顔に出さないのは、一貫してできてるはずだ。余計な心配も…もしされていたらかけたくない。

 近々婚約発表のパーティーがあるらしい。どんな理由でも顔を出したくない。それが例え給仕であっても。

 マデリンさんに言えば、配置に気を遣ってもらえるだろうか。

 パーティーの日はてんてこ舞いだ。大規模なお茶会なんかもそうだけど、いつもと違うメニューに飲み物の準備、使う場所の徹底的な清掃、要望があれば飾り付け、テーブルだけでなく椅子が必要だったらそれも配置しないとけないし、来賓の管理だって必要だ。夫人が定期的に規模を問わないお茶会を開くので、その準備はもはや通例と化している。

 なので、とにかく顔を出したくない。どちらの家でパーティーが行われようと、どちらの家の使用人も人手不足で呼ばれるんだから。

 後でマデリンさんに相談しよう。

 そんな事を考えながらカーペットを履いていると肩が誰かにぶつかった。

「あ、ごめんなさ…申し訳ございません!」

 顔を見て思わず私の方が真っ青になる。

 そこにはフィンの婚約者のアテンツァが居た。

 私は必死に頭を下げる。やはり考え事なんてしながら仕事をするもんじゃない。改めてそう思った。

「も、申し訳ございません!お召し物に汚れはなかったでしょうか?」

「大丈夫よ、ご苦労様」

 そう言う彼女は小さく笑った。

 にしても、彼女ほどの人が侍女もつけずにその辺を歩いているなんて、どうしたんだろう。不思議で仕方ない。

「今日は、貴女に会いに来たの」

「…ど、どう言うことでしょうか?」

 私はその言葉に動揺する。私なんぞに会いにきたって一体どう言うこと?フィンとの関係を知って嫌味でも言いにきたのか?

「うふふ、顔を見てみたかったの。フィン様の言う通り、可愛らしい方ね」

「はぁ…」

 この人も私に可愛いとか言うのか…というか自分の婚約者になんの話してるんだろう、あの阿呆は。

(私は愛玩動物じゃないんだぞ)

 そもそも嫌味かもしれないけど。

「用事はそれだけよ。貴女が心配するようなことはないから、安心してね」

 彼女はそう言って優雅に歩き去っていった。まさに一筋の風のように。

 しかし一体なんだったんだろう。

 私の心配することってなんだろう。晩御飯のおかずにキノコが入ってるとかだろうか。いや流石に違うか。

(うーん…)

 一層謎が深まったまま、私は掃き掃除を続けた。

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