#11


 

「祝!朝帰り〜!」

 けたたましい音を立てるクラッカーと共に私たちを迎えてくれたのは、夫人と執事さんとマデリンさんだった。

 屋敷の扉の前で三人揃い踏みである。

 クラッカーの落ちた破片には“祝、朝帰り”と手書きで書かれていた。なんだそれ。

「東の方だとライスとアズキを使ってセキハンを炊いてお祝いするらしいわ!真似て私たちもお祝いのご飯を用意しましょう!」

「言ったろう…確信があるって」

 私の横でそう言った彼は、どこか遠くを見ていた。

 夫人はまだ午前中だと言うのに大層ご機嫌で、それも気になるけどなぜマデリンさんと執事さんまで…なんでこんなところに。

 て言うかこれ誰か見てたりしない?大丈夫?

「アニーは働き者だったから抜けてほしくないんだけどねぇ」

 そう言うマデリンさんの目にはほろりと涙が。しかし何気に初めて褒めてもらった。ありがとうございます。

「おめでとうございます坊っちゃま。今後の予定を相談しましょう」

 執事さんは手袋越しにささやかな拍手を送ってくれている。

(なんだこれ…)

 いやなんだこれ。

 何がどうなったらこんな静かで混沌としたお祝いになるんだ。

 私たちはそのままで唖然とする。しかし疲れた様子で彼が口を開いた。

「…こうなるって思ってたんだ。特に母上は」

「そ、そうなんだ…」

 何故。何故わかったの貴方は。

 私はこんなに頭がおかしくなりそうだって言うのに。

「まぁ、その…とりあえず中に入ろう。説明する」

「…わかった」

 全員で屋敷の中に入る。

 一旦着替えてから再集合しようと言うことで、一度解散になった。

 私も屋根裏部屋に戻って使用人服に着替える。慣れない服装からの安心感がすごい。

 集合場所はフィン様のお部屋だ。

「行くか」

 梯子から屋根裏部屋を出る。

 しかしこう言う時は屋根裏部屋に部屋が用意されて良かったと思う。三階はプライベート重視で人があまり来ないし、この時間に私服で寮に入ったら目立ってしまう。

 廊下を歩いて部屋へ向かう。到着してノックをすると、すぐに入って良いと返事が来た。

「失礼致します」

 中に入ると、私が最後の様だった。フィンもいつも通り仕立てのいい服装に戻っていて、日常に帰ってきた感覚になる。

 私以外の四人は、ソファに腰掛けていた。

 私もその傍に立つ。

「君も座るといい。椅子を持っておいで」

「いえ、私はここで」

 二人きりでもないのにそんなことできるわけない。

「じゃあフィンの膝の上はどう?」

「!?」

 上機嫌に何を言ってるんだろう、この夫人は。

「…」

 フィンも黙りこくっている、これは呆れているんだろう。

 そう考えていると、彼は閉じていた目を見開いた。そこそこ迫力があって驚く。

「僕は構わないよ!さぁ!」

「お立場をお考えくださいませ」

 馬鹿かな?

 いや馬鹿だ、紛う事なく。

 両腕広げて歓迎するんじゃない。

 はっきり断るとなぜか彼は凄まじく落ち込んでいた。なのでもう一回言おう、お立場をお考えくださいませ。

「さて、冗談はさておき話を始めましょうか」

 落ち込むフィンを放置して話が始まる。

 個人的は自業自得だけど、夫人に振り回された哀れさは否めない。

 何はともあれ、私は己の正しい位置を確保できたので良しとしよう。

「…で、どこまで行ったの?」

「!?」

 いやずっこけそうになった。ずっこけなかったのを褒めてほしい。

 この空気で訊くのその質問?

「どこまでも何も、僕らは気持ちを通じ合わせてそう経ってません。何もないですよ」

 呆れた様子でフィンは言う。

 私は濃厚な時間に忘れそうになっていたけど、またちゃんとお付き合いして三日であることを思い出した。

(いや三日で朝帰りって十分話急すぎでしょ)

 つい心の中でツッコんでしまう。

「あらそうなの、根性ないわね」

「そう言う問題では…」

 ひたすらに揶揄われるフィンを、のどかにマデリンさんと執事さんが見ている。

 夫人は楽しそうにずっとフィンを揶揄ってるし…こういう家族なんだろう。

 少し、羨ましい。

「…本題に入ります」

 散々揶揄われてフィンは疲れた様子だ。それでも話は進む。

「小島にある別荘に視察に行きたいと考えています。詳しくは言えませんが、あそこが事件に関係があると判明したためです」

 私と話した部分はぼかして話してくれるフィンには感謝しかない。

(約束、守ってくれるんだな)

 私たちの“永遠”のためにと、彼は言った。その言葉を、これからも私は信じたい。

 それにしてもこの場で話をすると言うことは、やはり夫人もこの件に関わっているようだ。

「ただ、片道二日と考えると、最低でも一週間はここを空けなければいけません。そこで父上にも…」

 

「あら、いいんじゃない?お父様には私から言っておくから行ってらっしゃい」

 

「え…」

 フィンはこの答えを想定してなかったのだろうか、露骨に驚いた顔をする。

「それならアニーも行くんでしょう?二人でいく?」

「それはなりません奥様」

 執事さんの言葉に私は頷く。公爵子息が警備もつけずに長旅なんて、それこそ野盗にでも襲われたら一貫のおわりだ。

「私も同意見です。フィン様になにかあられたらと思うと…」

 ここで泣くふり。純情な女だと見せつけておこう。決して恋人をしばくような女ではないと。いや、理由がなければしないんだよ?理由がなければ。

 空気が少し冷える。沈黙の中、最初に口を開いたのはマデリンさんだった。

「今年は何人か卒業して人が少ないですからね。最低限メイド二人とボーイを二人で、護衛は騎士団にお願いするのはどうでしょう、奥様」

「…それが妥当か」

 夫人は心底つまらなそうにそう言った。

「二人旅なら一線越えて帰ってくると思ったんだけど」

「勘弁してください母上…」

 こんなに困り果ててるフィンは初めて見た。しかし人のいじり方が似ているところに、はっきりと血のつながりを感じる。

「まぁいいわ。さっきも言った通りお父様には私から連絡しといてあげる。何かあったら報告するから、それまでは全員いつも通りに」

「畏まりました」

 執事さんが柔らかく言う。

「お任せください!」

 マデリンさんは笑顔で頼れるいつもの感じだ。

「了解しました」

 私も軽く頭を下げる。

 付き合って三日目で二人旅行が決まるなんてムードなさすぎなので助かった気持ちだ。

「はい解散。アニーはこの部屋に残ってね」

「どうしてですか?」

 話が終わったかと思ったら、私だけこの部屋なんて、どう言うことだろう。

 私の言葉を聞いて、夫人はにこりと笑った。

「既成事実を作ってもらおうと思って」

「お戯れを」

 夫人の言葉に私もまた笑顔で返した。冗談きつい。

「貴方たち付き合ってない頃から付き合ってるようなものだし…今更じゃない?」

 今更も何もへったくれもありませんよ。

 笑顔が張り付いて離れなそう。

 マデリンさんと執事さんが“また始まった”と言わんばかりの顔でこちらを見ている。

 そう思うなら止めてください。

「屋敷中で噂になってるわよ〜」

「えっ…」

 やっぱりそうなの?

 いやそれはそうか、フィンの部屋に行って夜中まで帰ってこなかったり、今日の朝帰りだったり、それ以前も色々…まぁ、噂にはなるよね…。

「最近他のメイドたちがきゃあきゃあ言ってるんだから〜」

 今の時点でそれはまずいんじゃない?と思ってフィンを見ると、何故か嬉しそうな顔をしていた。

 これはまずい、外堀が確実に埋まってきている。

「だから、ちょちょっと既成事実をね?私も早く孫の顔がみたいし」

「やめてください。せめて結婚するまでは清いお付き合いをですね…」

 私もたじたじにされている。このままでは押し切られかねない。

「母上」

 そう後ろから声がした。

 後ろから抱きつかれてるのだと気付いたのは、その少し後。

「これ以上はお許しください。僕のアニーです」

 彼がどんな顔をしているのかはわからないけど、声は少し怒ってる様に聞こえた。

「あら」

 夫人は嬉しそうに口元に手を添える。

 私が困惑していると、夫人は私たちを見て満足そうに笑った。

「ちょっとした冗談よ。冗談。良いもの見れたからここまでにするわ」

 冗談きついですお義母さま。

「これからのことは、二人で決める部分もあるだろうしと思って。それでアニーに残るよう言ったのよ」

「それならそうと早く言ってください」

 噛み付くような声音が聞こえる。今彼はどんな顔をしてるんだろう。

「まぁ、本当に既成事実作っても私は受け入れるから、がんばってね〜」

 そう言って三人はこの部屋を去った。マデリンさんと執事さんはいつも通りに見えたけど、夫人は浮かれてるようにすら見える。

「ちょ…」

 それは無いです!と言いたかった、言えなかった。言う前に扉が閉まっていたから。

「行っちゃった…」

 嵐の様な人だった…。記憶とはまるで違くて驚きを隠せない。もっとお淑やかな人だったような。

「父上が居ない時の母上はいつもこうなんだ」

 彼が私から離れる。そのままソファに腰掛け直した。

「なんていうか…父上の前だと猫を被るのさ、あの人は」

「そ、そうなんだ…」

 確かに記憶の中の夫人にはいつも旦那様が付いていた気がする。そのせいか。

「正直苦手なんだ…悪気がないところが余計に」

 フィンはどんよりと疲れ切っている。よほど苦手なんだろう。

 私としては“カエルの子はカエル”と言う言葉を彼に贈りたい。

「あれでも君のことは本当に歓迎してるんだ…邪険にしないであげて欲しい」

「それは良いんだけど…」

 ちょっと驚いたけど、あの程度ならまぁ…本当に手を出してくるどっかの誰かよりはマシだ。

「とりあえず紅茶でも持ってこようか?」

 疲れてるなら一休み。

 何事にも休みは大切だ。

「あぁ、頼もうかな」

「じゃあ少し待ってて」

 私は部屋を出て一度給湯室に向かった。

 紅茶を淹れる準備をしていると、誰かが入ってきたので、反射的に入り口に目が行く。

「アニー?」

「アリア」

 入ってきたのはアリア。

 彼女は給湯室の椅子に座って一つため息。

「休憩?」

 火にかけたホーローポットの様子を横目にアリアを見る。

「うん、そうなの。紅茶でも飲もうと思って」

「アリアの分も一緒に淹れようか?」

「いいの?ありがとう」

 余る前提で沸かしておいてよかった。

 私は使用人用の古いポットを取り出す。

「こんな時でもないとなかなか会わないもんね、元気?」

 アリアは言う。確かに私たちは働いてる場所も違うので、なかなか会うことはない。

「まぁまぁかな」

 眠れる夜は良いものだ。やっぱ眠れないよりは疲れてても体が軽い。

「私もそんな感じかなぁ、こき使われて疲れはするけど」

「やっぱそう言うもんだよねぇ」

 違う茶葉の入った二つのポットにお湯を注ぐ。世間話も久しぶりだ。

「そういえばさ」

「なぁに?」

「アニーってフィン様とどこまで行ったの?」

「!?」

 何も飲んでなくて良かった。吹き出すかと思った。

「めっちゃくちゃ噂になってるよ。二人が密会してるって」

 勘弁してほしい。

 あの公爵御子息サマめ、これだから嫌だったのに。

「う、噂かぁ…」

 私は否定も肯定もしない言葉で誤魔化す。

 アリアと視線は合わせられないけど。

「本人に言うのもなんだけど、やっぱロマンだよねぇ〜。少女小説みたい」

 アリアは目を輝かせているけど、私は無限に冷や汗をかきながら作業している。

 わかっている。こう言うのは結局話してるのが楽しくて、真偽なんて本当はどっちでも良いことなんだって。

 しかし、本当にお付き合いしてます、三日目です〜なんて、誰が言えるものかと言う話で。

 下手に本当なのが困る。私は嘘が得意じゃないのに。

「だからさ、どこまでいったの!?聞かせてよ〜。もうキスはした?」

 アリアの顔が近い。いつの間に耳元まで来たのかわからないけど、とにかく好奇心に輝いた目が近い。

 どこまでって言ったら、あの公爵御子息サマが私のファーストキスを台無しにして、勘違いで二回は襲いかかってきて、勝手に大量の服買って、挙句の果てに勢いで外泊する羽目になったところまでだ。

 これが言えたら、いやここまでの愚痴が言えたらどんなに良いか。

 しかしあくまで噂は噂でも、広まるのはあっという間なわけで。

 屋敷の外まで噂が広がって、彼の恐れてる私の存在がバレることとか、何より彼の評判が落ちるのは絶対に避けたい。

「ど、どこまでって…お付き合いなんてし、してないよ。かっこいい人だとは思うけど」

 淹れ終わった紅茶を渡しながら私は言う。

 アリアはそれを受け取ると私を怪訝な目で見てきた。

 私としては早くお茶持って逃げたい。

「怪しい…ま、私ならフィン様とは付き合いたくないけど」

「そうなの?」

「だってそうでしょ?あの陰気な感じ…いくら公爵家の息子って言ったって、あんな暗い人ならもっと王子様みたいな人がいいもの」

「む…私は、かっこいいと思うけどな」

 アリアの言葉に私はむくれる。

「そうかなぁ?どこが良いと思うのよ」

「えぇ…そうだな、三白眼の瞳とか、細い体とか、長い指とか…」

 金糸の髪とか、目つき悪いところとか、仕事中真面目なところとか…私への感情拗らせてるところとか。良いところなんていっぱいあると思うけどな。

「…それ付き合ってない?」

「え」

 私は固まる。いやそんなまさか、これしか言ってないのに。

「だってさ、やたらよく見てない?それって。ふつうは顔かっこいい〜とか、背高い〜とかそんなんじゃない?」

 …これはやらかした。私はそう思った。何気ない会話からそんなことになるなんて思わないじゃない?

 て言うかそれって私カマかけられたんじゃない?と、考える頃にはもう遅い。

「でもさ、アニーの言い方だとさ、なんて言うかな…すごく細かいんだよね。細かいとこまでよく見てるっていうか…ストーカーでもなければ、付き合ってるとしか思えないって言うかさ」

「…」

 まずいこれはまずい。自ら墓穴を掘っている。いや、いやいやそんなことある?

 私は気まずそうに視線を逸らしてしまった。これは言外に認めているのでは?

「…やっぱ付き合ってるよね?」

「………」

 私の口からは言えない。そんなことは。

 言えないんだ許して。

「付き合ってるのね?」

「……」

 小さく、小さく頷いた。

 紅茶、淹れ直さないとな。なんて関係ないことを考えながら。

「話、聞かせて!」

 爛々とした瞳でアニーは私に詰め寄る。

 こうなるから言いたくなかったのに…まだ何か粘れただろうか。

「やめてよ、そう言うの得意じゃないんだから…」

「良いじゃん良いじゃ〜ん」

「やめてってば…噂は早いんだから」

「けちー」

 できるだけ火は小さいうちに消したい。

 て言うかそもそも噂にしたくなかったのに!

「ねぇねぇ、どこが好きなの?告白したのはどっちから?」

「恥ずかしいって…」

 顔が熱い。私に抱きつくアリアの熱だと思いたい。

「どこが好きなのよ〜。教えなさいよ〜」

「ひゃっ、ちょ、やめてってば!」

 急に脇腹をくすぐられる。くすぐったくて身を捩る。

「あはは、やめてやめてっ。言う、言うからっ…」

「仕方ないなぁ」

 やっと解放される。軽く息が上がった。

「はぁ…はぁ」

「ほらほら教えてよ」

「あー…んー…そうだなぁ」

 改めて考えてみる。好きなところ、好きなところか…。

「…目つき、とか?」

 垂れ目なのに三白眼という、あの目つきの悪さは好きだ。陰湿だとみんな言うけど、あの目つきの悪さで私を見上げる時が愛おしいと言うか。

「他には?」

「えー…まだ言うの?」

 ちらりとアリアはどこかへ視線を送った、気になってその給湯室入り口を確認したけど、特に誰もいない。

「?」

「さぁさぁほらほら」

「えぇ…後は声とか、好きだよってアピールしてくれるとことか?」

 正直、耳元で囁かないでほしい声してる。耳元で囁かれると心臓が保たない。

 好きって言ってもらえるのはもちろん嬉しい。返せないのが…その…恥ずかしくて、許してほしい。

「なるほどねぇ、お熱いですなぁ」

 アリアはニヤリと笑うけど、私はもうたじたじだ。

「も、もういいでしょ…」

 これ以上は恥ずかしくて無理だ、死んでしまう。どうしたらここから抜け出せるだろう。

「だ、そうですよ?フィン様」

 は?

 私は振り向く。

 するとそこには…給湯室の入り口には、照れたような様子のフィンがそこにいた。

「は…え…な…」

 な、なんでここにいるのか。

 て言うか、どこから聞いてたの!?

 二人は何かの仲間なの!?

 もしかして浮気!?

 文字通りさまざまな考えが私の中で錯綜する。状況が読めないし顔から火を噴きそうだし。もうどうにかなってしまいそう。

 まともに話すこともできない。

「その、遅かったから様子を見に見たんだけど…」

 彼は口元を押さえてその場に佇む、心なしか耳まで赤く見えるのが、私はさらに恥ずかしくなった。

「お熱いですねぇ」

 アリアはしみじみと言うけど、これで確定してしまったじゃないか。噂どころではない。

「ほらほら、行っておいでよ。紅茶は私が持って行ってあげるからさ」

 背中を押されてそのままバランスを崩す。こけそうになったのを彼が受け止めてくれた。

「わ、とと」

 自然と抱きしめてもらった様な体勢になって頭から火が出そう。いや出てる。

「フィン様のお部屋でいいですか?」

「あ、あぁ。頼むよ」

 フィンのたじろぐような声が聞こえる。私の心臓がうるさい。

「ほーら、早く行ってください。友のよしみで今日のことは内緒にしときますから」

 しっしっと手を振られる。

 私は恥ずかしくて押し黙ってしまった。

「その…ありがとう。色々と」

「良いんですよ。アニーを幸せにできなかったら、いくら主人でもぶっ飛ばしますけど」

「勿論、幸せにするとも」

 そう言ってお湯を沸かし始めるアリアを置いて、私たちは給湯室を後にした。

 彼が先を歩いて、私が後ろにつく。誰が見てるかわからないので会話もない。

 彼の部屋に着くと、私が扉を開ける。彼が先に入って、私がそれに続く。

 ドアが閉まると、互いに沈黙が流れる。

「「…」」

 恥ずかしいったらない。

 今すぐ穴があったら入りたい。

「あの」

 彼が私をみる。

「あの…どこから、聞いてた?」

 私はその視線にちらりとしか応えれなくて、言葉が上手く、出ない。

 彼は、静かに私の手をとって。

「…君が、僕の目を…目つきを好きだと言った所から」

 そう言って、手の甲にキスをした。

「…っ」

(そんなの、ほとんど最初からじゃない!)

 恐らく、先ほどアリアが一瞬視線を逸らしたのは、フィンの存在に気づいたからだろう。

 彼にこの話題を聞かせるために、居るのを黙ってたんだ。

(ひどいよアリア、本人に聞かせるなんて)

「僕もアニーの好きなところ、上げてこうか?一つ一つ、ベッドの上で丁寧に…」

 そう言って腰に手が伸びる。私がそれを捕まえると、フィンは明らかに不服そうな顔をした。

「けち」

「当たり前でしょ、お互い本当は仕事中なのよ」

「これからの事を話すんだろう?なら僕らのこれからのために…」

 そう言って取った手を絡めて、顔が近づいてくる。やばいこれはキスだ、私が慌てて彼の口を塞ごうにも、逆にこっちの手が塞がっている。まずいこれはまずい。そう考えていると。

 小さなノックの音がした。

 私たちは慌てて離れて、フィンがノックに応える。その顔には“良いところだったのに”と書いてあるようにしか見えなかった。

「失礼致します」

 中に入ってきたのはアリア。先ほど言ってた紅茶を持ってきてくれたんだろう。しかしアリアは私の顔を見てため息をついた。

「…お邪魔でしたかね?」

「そ、そんな事ないから!」

 お邪魔もなにもない。私としては助かったくらいだ。

 あのままキスされてたところを見られてたかもしれないと思うと、恥ずかしくて死ぬ。

「…もう少し来るのが遅くても良かったよ?」

 にこりと彼は笑った。目元に影を乗せて。

「それは失礼しました。お紅茶をお持ちしたので淹れますね」

 そう言ってアリアはローテーブルでお茶を注ぎ始める。ちゃっかり二つあるのはなんでだろう、私は使用人のはずなのに。

「お邪魔しました〜」

 お茶を用意するとアリアはそそくさと部屋を去った。だから邪魔じゃないから!

「…と、とりあえずお茶飲もうよ」

 私がぎこちない動きでソファに向かうと、フィンがそれを後ろから抱き上げてベッドに私ごと座る。

「な、なにしてるの!?」

 動揺する私にフィンは影を乗せて微笑む。

「さっきは邪魔が入ったからね。続きをしようと思って」

「続き!?」

 続きって何!?

「そう、続き」

 そう言って彼は私のうなじにキスをした。

「ひゃう!」

(変な声出た!変な声出たぁ!)

「可愛い」

 幸せそうなフィンの声が聞こえる。

「可愛いじゃない!お茶どうするんです!?」

 動揺して敬語になった。

 せっかくアリアが淹れてくれたのに、台無しになってしまう。

「君の淹れた紅茶じゃないしどうでもいいよ。それより」

 そう言って、流れるような動きで私を押し倒すフィン。

 私は一体何回押し倒されるんだろう。

「こんな時に他の人間のこと考えるなんて…お仕置きだな」

 そう言って彼は私の手に自分の手を絡ませ。また手の甲にキスをした。

 私の頭がパンクしてしまう。

「はわ…」

 目つきの悪い目元が、瞳ごと私を見る。そのまま顔が近づいてきて、私はキスを覚悟した。それなのに。

「大好きだよ」

「!!!」

 私が動揺していると、フィンは耳元でそう囁いた。だから囁かないでってば!!

 慌てて空いた手で耳を押さえる。死ぬ、死んでしまう。死因は心臓破裂。

「〜〜〜〜〜〜〜っ」

 顔が熱い。顔が熱い。

 今の私はスープに浸された野菜のようだ。長時間煮込まれたらぐずぐずになってしまう。

「ふふ、可愛いなぁ」

 彼は心底嬉しそうに言う。

 私をこんな時に愛でても何も出ない!私は動揺が止まらない!

「お仕置きは終わってないよ?」

 そう言って彼はまたエプロンの紐を解き始めた。

「ちょ、ちょっと何してるの!?」

「なにって…脱がせてるけど」

「そんなのわかる!」

 そう言うことを言ってるんじゃなくて、それはなんでやってるのかって訊いてるの!

 そうやって慌てている隙にもどんどん服が脱がれていく。

「やーめ!やめなさいって!まだ昼だから!」

 腕に力を入れてどかそうとしてもびくともしない。頭突きでも当てないとダメか?

「うるさい口は、塞いでしまおうか」

 彼はそういうと、半ば無理やり私と唇を重ねた。そのまま舌が入ってきて、口内を舌で蹂躙される。

「んっ…んぅ…んんん」

 彼の舌が私の舌を絡め取って、離してくれない。呼吸ができなくて苦しくて、彼の腕に助けを求めて掴む。

「んふ…んぁ…はぁっ」

 わずかな隙間で息をする。でもその呼吸は浅くて、全然酸素が足りない。

 そっと離れた唇に、私は肩で息をする。

「あは、大人しくなったね」

 彼は嬉しそうに笑う。

 体に力が入らない。断らなきゃいけないのに、大事な話できてないのに、これは困った。

 外された背中のホックから、上半身のドレスが脱がされる。少しずつブラウスのボタンが外されて、胸元が顕になる。

「綺麗だよ、アニー…」

 手が、彼の手が私の胸に近づいている。

 考えろ、考えろ。この状況はまずいぞ。

(考えろ…!)

 一か八か、これしかない。

 私は、持てる力を振り絞って手を上げた。

 彼の湿布を貼られたままの頬に触れて、眉間に皺を寄せながらにこりと笑う。

 

「もう一発食らいたい?」

 

 彼の動きが急に止まる。嫌いになると言った時よりは効果が出てるみたいだ。

「大事な話、まだしてないよね?お義母さまの冗談に大義名分を見出さないでくれる?」

「…………はい」

 そう言って私からそっと離れた彼は、頬を押さえてる辺り私からの一発に怯えてるように見えた。

 いくら既成事実がどうのと言ったって、まだ何も解決していない。他に現を抜かしてる訳にはいかないのだから。

 私は急いで着ている服を整える。

 全く油断も隙もあったものではない。

 私は悲しみを背負ったような彼を置いて、とっととソファに移動した。

 顔の熱を冷ますように、すっかり冷めた紅茶を一口。冷めてしまって苦味が強くなってるのが、今はありがたい。

「ふぅ…」

 一息つくと、遅れてきたフィンが向かいのソファに座った。未だしょげてるのは無視しよう。

「で、私はどうして残ったわけ?」

 大事な話と言っても、種類がある。

 本当にこれからの事かもしれないし、旅行についてかもしれない。

「…多分旅行に連れて行く使用人を決めろって事だと思う。母上も考えてると思うから、僕らを試してるんだ」

 なるほど、今から信用する使用人を選んでおけって事なのかな?

「母上は多分、君が嫁いだ時にその世話役を一人ここにいる使用人から選ぶつもりだ。そしてそれは君が信用できる者がいいと考えてる」

 確かに私の予想は大方合っているようだ。

「旅行に関してもそう。僕が信用するボーイと、君と君が信用できるメイドで構成しようとしてる」

「ふむ…」

 信用できる人か。

 確かに今まで人間関係をチラチラみてきて、噂好きな人や明るい人、静かな人など色々見てきた。

「何も今すぐにって話じゃないと思う。父上からの返事だってすぐ来る訳じゃないだろうから」

「でも早いほうがいいよね?」

「いや、決まったら教えてくれればいい」

「わかった、話はそれだけ?」

「今のところは。また何かあったら呼ぶよ」

 私はそれに頷いて、改めて解散になったので部屋を出た。

 その後、マデリンさんに仕事を貰いに行ったら「早かったね」って言われた。いや早いも何も無いんですよ。

 

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