第5話 君に抱くもの
わたしを見つめる、少し釣ったアーモンド形の瞳。
鼻筋の通った顔立ち。
形の良い顎。
白い肌。
オリーブグリーンの瞳は宝石のようにきらきらと輝き、淡い紅色の髪は後ろで編んでいる。
均整の取れた長身を包むのは、ウォームグレーの色味で揃えたジャケットとベスト、スラックス。白いシャツの首元を、紅色のネクタイが飾っていた。
――髪の色も、髪形も、眼の色も違う。
アスマであるわけがないと分かっていても、推しと同じ顔が至近距離にあるというだけで、心臓が痛いほどに高鳴ってくる。
「……嘘、でしょ……。どうして……」
「勉学なんて、君には必要ないんだよ」
顔だけじゃなく、囁きかけてくる声までそっくりだ。
「君は何も考えず、俺の傍にいてくれるだけでいいのだから」
さら、と、彼の指がわたしの髪を掬う。
その途端。
――スン、と一気に気持ちが冷めた。
これ、知ってる。
解釈違いってやつだ。
「あー、はい」
アスマはこんな風に否定したりしないし、何より、リスナーと距離を詰めるアスマなんてわたしの中には存在しない。
「女性の居室に、ノックもなく入ってくるような人の傍になんていたくないですが」
髪を掬う手を振り払い、真顔で応える。わたしの態度が急変したことに、アスマ似の男性は目を丸くした。
「ふはっ」
笑い声がする。他にもいたのか、と視線をやると、今度はこちらが目を丸くした。切れ長の濃く青い瞳に、クールな面持ち。水色の髪を短く刈ってこそいるものの、顔立ちはソアレに瓜二つだった。こちらはクールグレーの色味でジャケットやスラックス、ベストを揃え、紺色のネクタイを締めている。そしてやはり、声も同じだ。
「何がおかしい、セオ」
「いえ、あのユーニスさまが、ユアンさまにこのような態度を取られるとは思っていなかったもので」
ユアン? この人が、わたしの婚約者の?
え、嫌だな。
なにが悲しくて、解釈違いの人物と過ごさなければいけないのか。
アスマ似のユアン。
ソアレ似のセオ。
両者の態度から推測するに、セオはユアンの側近か従者か、といったところだろうか。そんなところだけ解釈通りなのもなんか癪だ。
彼らにとっては、理不尽極まりないのだろうけれど。
「亡くなったと思われていた婚約者が目を覚まされた。その報を受け、様子伺いに訪ねた」
言いながら、ユアンがわたしの本を勝手に閉じる。
「その行為に、何の不満が?」
「別に、頼んでないですし」
「はて、俺の婚約者殿は、もう少し可愛げがあったと思ったが。かつての君は、もう少し嬉しそうにしていた」
「はあ」
すみませんね、「かつての君」じゃなくて。
「一体、何が気に入らないのだ」
段々と、ユアンの苛立ちが募っていくのがわかる。そういうところも含めて、全てが全て解釈違いなところです、と言いかけて思いとどまる。
「……勝手に部屋に入ってきたところと、勝手に読んでいた本を閉じたところじゃないですか?」
「何を言っているのだ? 今更、勉強などして何になる。君は、何も知る必要はない」
そういえば、さっきも同じようなことを言っていたな。
公女という立場。婚約者という存在。……なるほど。わたしをお飾りとして据え、自分がこの地の実質的な領主に収まるつもりか。そのためには、物事を知っていると都合が悪いというわけだ。
しかし、ユアンの思惑がわかったところで、今のわたしに何かできるわけでもない。この国の常識も風習も、何一つ知らないのだから。分からないままおとなしく付き従っていれば、事を荒立てることもなく丸く収まるのだろう。
この元の身体のユーニスも、おそらくそうして生きてきたのだろうし。
――しかし本当に、それで良いのだろうか。
重い沈黙が、部屋を支配する。
「ユアン様。ユーニス様はお疲れのご様子。日を改められては?」
見かねたのか、セオが横から口をはさむ。その言葉に落ち着きを取り戻したのか、深く息をつくユアン。
「……そうだな。目が覚めたばかりで混乱しているのかもしれん。あまりにも人が違いすぎる。まるで別人だ」
本の上から手を離し、ピンク色の髪をかき上げる。その彫刻のようなきれいな横顔は、確かにアスマそっくりだ。……黙ってさえいれば。
(まあ実際に、わたしはユーニスじゃないんだけど)
ユアンがわたしをそう評するのなら、それに乗じよう。少なくともこの世界の常識や自分の立場を理解するまでは、中身が別人だと悟られない方がよさそうだ。
「あなたが、そう思われるのも無理はありません。わたし自身、わたしの事がよくわからなくなってしまって……どうしてあんな所にいたのかもわからなくて」
嘘は言っていない。
「ならば猶のこと、無理を押したりしないことだ。……近いうちに見舞いを寄越そう。帰るぞ、セオ」
「はい、ユアン様。……ユーニス様も、お大事に」
その挨拶の間、一瞬、セオと目が合った。何かを含んだ深い海の色の瞳。見透かすようなその瞳の色に、わたしは一瞬怖気づいた。
「お心遣い、ありがとうございます」
ふたりの紳士を見送り、さて、と息をつく。
いつまでも記憶の混乱で誤魔化し続けるのも難しいだろう。わたしは、「わたし」の事を知り、ユーニスのふりをしなければならない。なにか、ユーニスの人となりを知る手掛かりはないだろうか。
例えば、日記。
例えば、手紙。
本棚には、教本の類と思われるものしかなかった。とすれば、引き出しだろうか……と、取っ手に手をかけるが、鍵がかかっているらしく開かない。鍵の作りとしては簡単なものだろうけれど、解錠するような技術も知識もない。叩いて壊せるようなちゃちな作りにも見えない。
鍵をかけているということは、空っぽということはないだろうし、むしろユーニスが自身について記したものが出てくる可能性が高い。
「さて……」
この部屋が、ユーニスが何らかの事情で死亡したままの状態であると仮定して。引き出しの鍵はどこにあるだろう。わたしなら鍵をどうするだろう。
わたしなら――
持ち歩かず、誰にも預けず、部屋の中に置いておく。そして、開け閉めが面倒ではない、手の届く場所に隠す。
ユーニスが同じ気質だとは限らないけれど、公女という立場ならば無暗に人が立ち入ることもないだろうし、手の届く場所にあってもおかしくない。
机の上は綺麗に整理されている。つけペンやインク瓶もきっちりと揃えられており、わずかな燃えかすの残る香炉やレリーフの施された小物入れ、練り香水のケース、ガラス製のペーパーウェイト、何も活けられていない一輪挿し……。
わたしは、一輪挿しを手に取った。
水が入っていないことを確認して逆さにすると、ころんと、金色の小さな鍵が出てくる。
それを引き出しの鍵穴に差し込んで捻ると、なんの抵抗もなく回った。
「……開いた」
引き出しの中には、一冊のノートが入っていた。おそらく、日記のようなものだろう。他人の秘密を暴くようで気が引けるけれど、今はわたしがユーニスなのだと自分に言い聞かせ、ぱらぱらとめくる。やはり日記のようだが――。
日記は最後まで書かれておらず、ノートの後ろの方は白紙だった。
ページを戻り、最後に書かれた文を見て、わたしは息をのむ。
そこには、やや乱れた文字でこう記されていた。
『このままでは殺されるかもしれない』
と。
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