第14話
翌日、昼休みに結也がいつものように渡り廊下へと向かうと。
「おっすーイズモン!」
聞き覚えのある元気な声に出迎えられた。
声の主はその場で結也に対し半身になると、両手を胸の前に構えスカートの裾が若干きわどくなるくらい足を高く上げ――て、ちょっと待て。
「ピッチャー振りかぶって……投げた!」
「投げるなっ!」
ツッコミを入れながらも、結也は胸元に飛んできた物体を咄嗟にキャッチする。
そこそこの勢いで飛んできたそれを、お手玉することなく一発でとることが出来たのは我ながら奇跡だと思う。
「あっぶないな、おい」
「いやーやるねぇイズモン。ナイスキャッチ、ナイスキャッチ」
「明美ちゃん!」
呑気に拍手をしている明美は、結也からは恨みがましく睨まれ、汐里からは叱責の言葉を飛ばされても全く気にした様子はない。
「それ、今日はわたしの奢りだから」
言われて先程投げつけられた物を見てみれば、それは普段、結也が呑んでいる銘柄の珈琲だった。
「しおりっちに教えて貰ったんだ」
「……だったら普通に渡してくれよ、普通にさ」
不平をいいながら結也はプルタブを開けて珈琲を呷る。
「さてと。では、突然ではありますが、実はわたしから皆さんに発表しなければならないことがぁあります!」
高らかに上げられた声に、結也と汐里の視線が向けられ、それを見計らって明美が宣誓する。
「わたし三和明美は、佐久間君の事を諦めようと思います!」
「えっ、そんなどうして」
突然の宣言を聞いた瞬間抗議の声を挙げたのは汐里だ。
「いやーやっぱりなんか違うかなーって」
「ちがうかなーって、明美ちゃんはいいんですか? それで」
「いいの、いいの、もう未練も何もすっぱり無いから。それにね実のところ、もう他に好きな人がいるんだよねこれが」
どもまでも軽いノリな明美に呆れながらも女子の性として気になる物は気になるのか、その相手が誰なのか尋ねる汐里だったが。
意外にも「ごめん」と明美は答えることを拒否した。
「わたし、今回は本気なんだ。だからしおりっちにも軽い気持ちで教えたくない。上手くいくかは分かんないけど正々堂々、自分の力で頑張りたいから」
その時、明美は意味深な視線を結也に向けるが、結也はそれに気が付きながらも、気が付いていない振りをする。
「……そうですか。そういうことならムリに聞いたりはしません。でも私、応援はさせてもらいます。頑張ってね明美ちゃん」
「うぅ、ありがとーしおりっちー!」
「わ、ちょっと待って、わっぷ」
いつぞやの様に明美が汐里に勢いよく抱きつきもみくちゃにしていたかと思うと、不意にその瞳が結也の事をとらえた。
「よーし、次はイズモンに!」
「は? いや、俺はいい! こっち来んな」
半ば飛びかかってくるような明美に抵抗する暇もなく組み付かれ、首に腕を回されたかと思うとそのまま彼女の顔の位置辺りにまで屈まされる。
「ありがとう、あなたの御陰だよ」
耳元で内緒話でもするような囁きを聴き、首に掛けられた彼女の左手を見る。
前見たときはそこから伸びているのは諦めや後悔、罪悪感で淀んだ糸だった。だが今は淀みのない強い赤色に変わっている。
きっとこれはそのまま、彼女の覚悟と決意の色でもあるのだろう。
「俺はただ言いたいことを言っただけ。決めたのは三和さん自身だろ」
「それでもその切っ掛けをくれたじゃん、だからありがとう。お礼にこのままキスでもして上げよっか?」
「気づいてる? 俺、三和さんのそういうノリ苦手なんだけど」
「あはは、知ってる。だけど今の言い方はちょっと腹が立ったから、少しイジワルな質問をしてやる」
明美の穏やかではないその言葉に結也は何が来るのかと身構える。
「この前イズモン、人との付き合いは面倒だ。みたいなこと言ってたじゃない?」
「ああ言ったけど、それが?」
「じゃあここで質問」
軽い口調の割に、その質問は存外真面目な声で結也の耳に囁かれた。
「しおりっちと一緒にいる事も、君は面倒くさいって思ってる?」
「は?」
思いも寄らなかった質問に、思わず間の抜けた言葉が漏れる。
「だってさ、こうして苦手なノリの私に付き合ってくれたり、この前の事だって結局はしおりっちのためでしょう? でもそれって普通に考えてすごく面倒くさいことだし、別にイズモンがそこまでする必要ないじゃん? それなのにここまでする理由はなに?」
「それは――」
――なぜだろう?
汐里と話をするようになって面倒だと思ったことがない訳じゃない。
ただそれでも、彼女との関係を自分から終わらせるという選択肢をこれまで考えてもいなかったことに今になって気がつく。
切っ掛けは罪悪感からだった筈だ、自分の不注意な発言で不安な思いをさせてしまった彼女への贖罪の為。
ただ冷静に考えればその罪はもうすでに十分清算できたのではないのだろうか? 汐里本人も、もうあの時の事は気にしていないと言っていた。
でもだとしたら今、自分はなんでこうして彼女との関係を続けているのだろう?
……分からない。
どれだけ考えても自分が彼女との関係を続けるその理由も必要性も何一つ思いつかない。
「イズモンってホント男の子だよねぇ。それとも気が付いてるけど、気が付かないフリをしてるのかな?」
「どういう意味だよ」
失礼な物言いに不満の声を口にするが。明美はまるで出来の悪い生徒に言い聞かせるような口調で。
「なんでもかんでも理屈や理由を求めようとしてるってこと。でもね、それじゃダメだよ。きっと、イズモンが今考えてる疑問の答えは、理屈や合理性を超えた先にあるものだから」
意味深な口調で意味深な事を言われるが、全く意味が分からない。
「言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうなんだ」
「だーめ、そうやってすぐに答えをだそうとしちゃう所も男の子だよね。いい? こういうのはね、自分で気がつかなくっちゃ意味がないの」
そう言うと明美は絡めていた腕を外して、結也の事を解放する。
「さってと。それじゃあ、わたしはこの辺でお暇させてもらおうかね」
「あれ? どこか行っちゃうんですか」
汐里がそう尋ねると、明美は照れ臭そうに笑って答える。
「うん、久し振りに小学生の頃からの友達と一緒にお昼食べる約束してるの。急いで行かないと時間なくなっちゃうから、ごめんね」
「気にしないでください。そういうことなら早く行って上げないと」
「ありがとうしおりっち……わたし頑張って、手を伸ばしてみることにしたから」
唐突なその言葉の意味を計りかねて汐里が首を捻るが、それを分かっているのかいないのか明美は渡り廊下を後にしていく。
「手を伸ばすって、何のことなんでしょうか?」
汐里が小首を傾げながら結也に尋ねる。
「さぁ三和さんの事だし、特に意味なんてないんじゃないの」
散々人のことを困惑させたお返しに、わざと少し腐して言ってやるが、汐里はイマイチ腑に落ちていないのか首を捻っている。
彼女の考える疑問の答えを結也は知っているが、コレばかりは誰にも教える訳には行かないことだ。
「三和!」
去って行く背中に結也が声を掛ける、さんを付けるのを忘れたが今さら煩わしい様な気がしてそのまま言葉を続ける。
「頑張れよ!」
その時、振り返った明美の表情が一瞬泣きそうな物に見えたのは多分気のせいだ。
明美はいつもの明るい笑顔と共にVサインをして、渡り廊下を後にした。
これから先、彼女がどうしようとしているのかは分からない、それが一体どういう結果になるのかも。
ただ今度は、彼女のことを素直に応援することが出来そうだった。
「随分、仲がよくなったんですね、明美ちゃんと」
不意に汐里が、結也に窺うような声を掛けてきた。
「そうかな? 別にそんなことは無いと思うけど」
「そうですか? さっきも明美ちゃんと二人で何か話をしてたみたいですし、一体何の話だったんですか?」
「ん? あーいやそれは」
その質問に結也の言葉が僅かに詰まる。
別に隠さないといけないような内容ではなかったはずだ……はずなのだが。
なんとなく汐里にだけは絶対話したくないと、なぜだかそう思った。
「……何でも無い」
「何でも無いって。あんなに話し込んでたのに?」
どことなく尋ねる言葉に、トゲがある気がするのは気のせいだろうか?
とにかくこのままでは旗色が悪い。
「えーと、じゃあ俺も今日は用事があるからこの辺で」
「え、ちょっと用事ってなんなんですか? なんとか言って下さいよ、コラ逃げるな!」
三十六計逃げるに如かず。
追いすがる汐里の声をを無視し結也は早足で渡り廊下を後にしていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます