第9話 秘密血社

 赤魔術十字軍がなくなってから、もう十年以上が経った。首謀者は皆処刑され、無期懲役の人も少し恩赦でシャバに出てきていて、懲役刑のうちのそのほとんどもシャバに出てきている状態だった。

 世間は、あの時代とはまったく別世界になっていて、高度成長時代と呼ばれ、世の中には建物やインフラの建設ラッシュ、東京オリンピックや、新幹線開通など、戦争から二十年も経てば、

「これが焦土と化した土地だったのか?」

 と思うほどで、もう復興という言葉で言い表すことなどできないほどだった。

 赤魔術十字軍の犯罪は、

「昭和の凶悪犯罪」

 として、過去の犯罪の一つとして、本には載っているが、実際にそれを語る人も少なくなった。

 それだけ時代の流れは、容赦をしないということだろう。

「いい時代になったものだな」

 と、タバコを吸いながら大学の構内にある建物の屋上で佇んでいるのは、白衣を着た中年男子だった。

 いや、初老と言ってもいいかも知れない。頭の髪の毛はまだフサフサしていたが、ところどころに白髪が混じっていた。年の頃はすでに五十歳を超えているだろう。

 その初老の男性の横に、もう一人同じように白衣を着た男性がやはり束kを燻らせながら、屋上から大学のキャンバスを覗いていた。

 それは、夏も終わりかけの夕方くらいの時間だったが、もう一人の男性もある程度の年齢に達しているように思えた。

 二人は、同じ研究チームの仲間だろうか。教授と言ってもいい二人だった。

「天王寺さん」

 若くて背の高い方の男性が、初老に見える男性に声を掛けた、

――天王寺? よもや博士と言われていた、あの天王寺氏のことであろうか――

「何だい。工藤君。君がここに僕を呼んでどうしようというんだ?」

 もう一人の男は、工藤と呼ばれた。

 では、この男は、老人からいろいろ研究を頼まれていたあの工藤教授なのだろうか?

 とするとここは工藤教授の大学があるキャンパスだということか、それとも?

「天王寺さんは、以前、僕に自分の研究を手伝ってほしいと言ってきましたが、その研究は僕としては成功したつもりでいるんですが、その最終的な目的や、どうして僕を共同研究者に選んだのかということを伺っていませんでした。それはどうなっているんでしょうか?」

 どうやら、天王寺博士が工藤教授に共同研究を依頼したようだ。だが、二人にはそれなりに因縁があったはずだ。老人が盗み出した女性ホルモンの件を、天王寺博士は知らぬものと思うが、そんな天王寺博士の依頼に対して、よく工藤教授が従ったのかが不思議であった。

 あの老人との研究を行うにおいて、ある程度の女性ホルモンに対しての研究結果は出てきたが、老人の望む結果になっていなかった。それは工藤教授にしても同じことで、

「何か一つ、歯車が噛み合わないんだよな」

 と工藤教授がいうと、

「そうなんだ。わしも何か釈然としないものがある」

 と言って、とりあえず工藤教授の中でできるだけ時間を見つけてさらなる研究が続けられたが、結果はあまり変わらなかった。

 やはりm何か決定的に欠けているものがあるのだろう。

 そんな状態が数年続いたが、老人はそれから三年ほどして病気に罹り、この世を去った。一緒に暮らしていた少年、つまり赤魔術十字軍の首領を両親に持つ少年が、天涯孤独になったことで、工藤教授が引き取って育てている。

 工藤教授が父親代わり、奥さんが母親代わりとなっていたが、少年にとって初めて親ができた感覚だった。くすぐったいような気がしていたが、工藤教授も奥さんも優しいので、何不自由なく育っていた。

 彼は、高校すら出ていなかったが、工藤教授の息子として、研究室で助手のようなことをしていた。本人は自分なりに一生懸命に勉強し、助手なら務まるくらいにまで成長していた。

「教授、よかったですね。こんなに大きな息子さんが一緒に研究してくれるなんて羨ましいですよ」

 と他の助手から言われて、

「そうか、やはり嬉しいものだな」

 と、冷静沈着な工藤教授にしては、手放しで喜んでいた。

 工藤教授と奥さんの間には、一人女の子がいて、今は高校三年生になっていた。少年が二十八歳になっていたので、少し年の離れた兄妹ということで、血のつながりがないだけにこの年齢差は新鮮だった。

 少年の名前は正幸という。老人が死ぬまで、実は工藤教授は少年の名前を知らなかった。老人が名前を呼ばなかったからである。

 いつも、

「おい」

 とか、

「お前」

 とかしか言わないので、教授もそれ以上何も聞かなったのだ。

 工藤教授は老人が死ぬと、正幸を養子にした。奥さんも悪い気はしなかった。息子が欲しかったというのもあったからだ、ちょうどその時正幸は二十五歳だった。

 娘は名前を美幸と言った。美幸がちょうど十五歳、二人の年齢差は十歳だった。年齢差が縮まることはないが、お互いに成長していけば、実際の年齢差は次第に意識することなく、お互いにそれほど歳の差を感じることがなくなっているようだった。

 正直に言えば、正幸にとっては初恋だった。確かに養子縁組はしたが、お互いに血のつながりはないのだから、結婚への障害はないだろう。

 確かに正幸が首領の息子ということは誰にも知られていなかったが、一人の老人に育てられたというだけで、正直なところのハッキリした経歴はまったく分かっていない。教授も奥さんもあまりそんな世間体を気にする方ではなかったことは、正幸にとって幸運だったのかも知れない。

 美幸も正幸を義兄というよりも、

「頼りになる年上の男性」

 として見ていたようで、お似合いと言えばお似合いのカップルであった。

 正幸には夢があった。

「俺、実は両親のこと、何も知らないんだけど、何となく分かる気がするんだ」

 と美幸に呟いたことがあった。

「そう。どんな人だったのかしら?」

 と美幸が聴くと、

「口で表すにはあまりにもの人たちだったんだ。でも、俺にはその血が流れている」

「じゃあ、あなたもその血を受け継ぐというの?」

「そのつもりはないんだけど、俺の身体には、それとは違う意識をもたらす別の血が流れているんだ」

「それはどんな血なの?」

「俺には、カリスマ性があり、ある種の人を引き付ける力があるんだ。それを俺は前一緒に暮らしていたご老体から接種されたんだ」

 どうやら、正幸は老人から例の「女性ホルモン」を摂取されたらしい。

 ということは、工藤教授にその女性ホルモンの正体が分かったということなのだろうか?

 いや、工藤教授はその女性ホルモンの正体は最初から知っていた。この薬は人を殺すこともよみがえらせることもできる、両面での力を持っているからだった。

 そして、赤魔術十字軍が利用していたこの組織において、洗脳するためのマインドコントロールには、アレルギーとしてのアナフィラキシーショックが使われていた。

 普通、アナフィラキシーショックを引き起こすと死に至るほどの恐ろしいものだが、女性ホルモンによるアナフィラキシーショックは、接種しても人を決して殺めることはない。逆に免疫だけが出来上がり、その免疫を共通性のあるものに変えることで、人を一つの方向に制御できるという特性を持っていた。

 だから、人によっては、アナフィラキシーショックで一旦心臓が止まってしまうことで死んでしまったと思う、アナフラキシーショックなので、誰も疑わない。しかし、すぐにその人は蘇生する。そして、教団のための人間として生まれ変わるのだ。時代が時代だったので、死んだと思った人の死体が消えていても、警察沙汰にはなるだろうが、社会問題とまではならなかった。それが教団としては世間の盲点をついたと言えるのではないだろうか。

 そんな薬を老人は自分が死ぬ前に彼に接種した。

 もちろん、工藤教授も立ち合いの元である。彼はその時意識があり、自分なりに抵抗したのだろうが、それもかなうはずもなかった。しかし、この薬は接種してアナフィラキシーショックを起こした時点で、過去の記憶で覚えてはいけないとされる部分は消えてしまうのだ。

 だから、接種を強引に受け、そしてアナフィラキシーショックを受けて、死にそうに思ったことも、すべて記憶から消えていた。ただ、ホルモンの接種を受けたということを、工藤教授から聞いただけだった。これが老人の遺志であり、遺言のようなものだと教授から聞かされた。

 どうやら、その女性ホルモンを使って正幸を新たな秘密結社の首領にしようという何かの力が働いているようだ、それがひょっとすると老人の遺言だったのかも知れないが、正幸は自分たちの親ほど冷徹ではない。何と言っても千五の混乱期とは時代が違うのだ。

 民主主義という世界の中で、ただ一つ言えるのは、民主主義にも限界があるということだ。民主主義の基本は多数決である。自由競争である。そのためにどうしても問題になってくるのは、

「格差社会」

 という問題であった。

 自由であるがゆえに、格差社会という問題は見逃されがちになる。

「自分さえよければそれでいい」

 そんな社会になってしまうのだ。

 本当にそれでいいのだろうか。正幸はいつもそれを考えていた。その発想は老人が言っていたことで、その意見には工藤教授も同じであった。

 この気持ちを工藤教授が持った時、以前まで天王寺博士と一つの歯車が狂っていたと感じたことを思い出した。天王寺博士は、そんな工藤教授を受け入れてくれ、彼が今まで考えていたことを話した。

「私は、今までにいろいろな学術的な研究を行い、その後政界に進出した。政界では以前の軍国主義というか、帝国主義とは打って変わって、占領軍による民主主義というものが入ってきた。それは利権を貪る一部官僚や政治家のための体制であり、国民のほとんどは欺かれているのではないかと思ったのだ。戦争が終わって、復興に向かっている時代なので、そのことに国民はなかなか気づかない。政治中よりもマシだという考えがどうしてもある。それは占領軍によって、洗脳されたものなのだろう。要するに国民全部がアメリカという秘密ではないが秘密結社のような大木か勢力にマインドコントロールされているんだ。赤魔術十字軍は確かに血も涙もないような軍団だったのかも知れないが、彼らの目的はそんなアメリカによる民主主義という悪しき体制の打破だった。彼らは失敗したが、その遺産として例の女性ホルモンを生み出した。私はそれを盗みだして、本当はこんなことはしたくなかったが、世間を欺くために赤魔術十字軍をこの世から抹殺した。そして、時代が流れていくのを待ったのだ。やっと、その時代が到来しようとしている。それが、正幸君の台頭なんだよ。正幸君は赤魔術十字軍の首領を両親に持っているんだ。総統と呼ばれる父親に教祖と呼ばれた母親。この二人の中に隠れていた正義の血を、正幸君は受け継いでいる。今こそ彼は立ち上がるべきだ。そのために私は政治の世界に入り、敢えて軍資金を集めてきた。その金もかなり溜まっているし、君は知らないかも知れないが、例の老人もかなりの資産を持っていた。赤魔術十字軍の遺産と言ってもいいだろう。金銭的には国家に対してクーデターを起こしてもいいくらいのものはあると思っているが、土台作りがこれからになる。だから、わしは敢えてこの秘密を君に正直に話し、これを機会に民主主義という悪しき体制を崩そうではないか」

 と、天王寺博士は、工藤教授に話した。

 工藤教授も心の中では、この民主主義という世の中を憂いていた。ただ、民主主義のおかげで世の中の復興が進んでいるのも事実である。それをいきなり今ぶっ潰してしまうのが得策なのかどうか、考えねばなるまい。

「もう少し考えさせてください」

 とさすがに冷静沈着な教授のようだ。

「ああ、ゆっくり考えればいい。しかし、私は君の協力がなければ、この考えを達成することはできないと思っている。ひいては日本国民のためだ」

 と、天王寺博士は言った。

 天王寺博士に対して、今まで何度その人の印書が変わっただろう。まるでカメレオンのような人ではないか。

 最初は赤魔術十字軍を壊滅に追い込み、社会問題を解決した学術的天才だった人が政界に躍り出るという、ちょっと何を考えているか分からない人だった。だが、そのうち老人の考えから、天王寺博士は悪人だという意識が芽生えてくる。しかし、老人が死んでしまうと、今度はその老人の今際の際の話によって、実は天王寺博士も同胞であることを知る。しかも、あれだけ世間を騒がせた赤魔術十字軍という秘密結社も今から思えば、

「必要悪」

 だったなどと言われてしまうと、頭が混乱してくるのも無理もないことだった。

 だが、工藤教授がその老人の話を完全に鵜呑みにしたわけではないが、すべてが明らかになったように頭の中がつながったことで、天王寺博士の言っていることが、白日に晒されることを感じた。

「これが俺に託された天命なのだろうか?」

 と工藤教授は考えていた。

 だが、この思いは工藤教授を通じて、正幸にも受け継がれた。女性ホルモンのアナフィラキシーショックは、回復してからその人に大きな力を及ぼす。赤魔術十字軍がその道のプロ集団だったというのも、その効果からだろう。

 正幸は現在、工藤教授の助手を続けながら、その才能がどんどん開花していく。学校を出ている出ていないは関係ない。ホルモンの効果ですでに、助教授くらいまでの力は兼ね備えている。

 だからと言って、助教授になる気はなかった。

「どうせなるなら、秘密結社の首領なんだろうな」

 と思っているからだ。

 今の正幸はそこまで考えられるほどになっていた。

 正幸は、この女性ホルモンのさらなる発展を研究材料にしていた。助手という立場ではあったが、助手としての仕事よりも、こちらが主であった。

 この薬を開発したのは、元々は老人であった。老人は赤魔術十字軍の中で、首領格ではないのに、唯一洗脳されなかった人間だった。洗脳する必要がなく、洗脳される人が目指すべき性格と考え方だった。

 天王寺博士はそれを知っていて、なぜ相談せずに盗み出すことにしたのか、それはきっといずれ潰さなければならなくなる赤魔術十字軍を憂いてのことだったのだろう。それに正直に話しても、あの軍団が信じてくれないだろうという意識があったからだ。

 世間体としては、あの軍団を潰すしかなかったのは、天王寺博士としては苦渋の選択だったに違いない。

 自分の意志を誰にも言わず、悟られないようにしようと思ったのは、潰してしまわないといけない軍団に対しての贖罪のようなものだろうか。

 だから、工藤教授にも、老人にも何も言わなかった。天王寺博士は敢えて、火葬的になったのだ。

 いずれ老人が女性ホルモンを盗みにくることも、そしてそれを工藤教授に見せて、解析を依頼することも分かっていた。分かっていて敢えてやらせたのだ。

 どこかの段階で工藤教授には正直に話し、協力を依頼するつもりであった。その時期が今やってきて、有働教授も戸惑いながら協力してくれている。今の段階としては、まだ始まったばかりということもあって、正幸による秘密結社の結成であろう。

 正幸は両親の遺志を継ぎ、老人の遺志を継ぎ、そして天王寺博士と工藤教授のバックアップという最強の力を得て、秘密結社の創設に邁進している。軍資金の憂いは何もない。自分たちの時代が夜明けを迎えようとしているのだ。

「こんな今の俺を、あの世の両親や老人はどう思ってくれているんだろうな」

 と正幸は考えた。

 敢えて「あの世」という言葉を使ったが、天国ではないと思ったからなのだが、天国と地獄という概念は、まずこの世にあるということぉ自覚しているからだろう。

「今の世の中だからこそ、天国も地獄も両方見ることができるんだ」

 と思い、正幸は自分がそのどちらも見たような気がしていた。

 ただ、地獄だと思うそんな時代も自分のまわりには老人がいて、工藤教授がいてくれた。幸運だったと言えばそれまでなのだが、人というのは、考え方によっていくらでも発想を変えることができるというものだ。

 民主主語を自由だと言っているが、本当の自由は、個人個人の頭の中にあるものなのではないか。そう思ってくると民主主義の限界をどこかで示して、ぶっ潰す必要がある。ただ潰すだけだと先がないので、先の時代に通じるものを模索する必要があるのだ。それが一番難しい。ぶっ潰すことはさほど簡単ではないが、問題はその後になるのだ。

 そのことを天王寺博士も工藤教授も、死んでいった老人も分かっていた。そして今新たな体制の目となっている正幸も感じているところである。

 正幸は老人が自分に残してくれたこの女性ホルモンを、いかに利用すればいいかを考えている。そこにすべてのヒントがあると思っているからだ。

 正幸はあくまでも一人の人間である。限界もあれば感情もある。すべてを一つの遺志の元に完結されることができるかというと難しいかも知れない。それは自分の人生を犠牲にするということを意味しているからだ。

――それを両親や老人が望んでいるだろうか?

 そう思うと正幸は息苦しき感じてきた。

「お前はそこまでしなくてもいいんだ。そのための女性ホルモンなんだ」

 と、老人が語り掛けてくれているような気がする。

 正幸はその言葉にハッとして、研究にさらに没頭した。何か目からウロコが落ちたような感覚だ。

 そういえば、老人が生前、聞かせてくれた話があったのを正幸は思い出していた。

「昔、ギリシャ神話というのがあってな。そこにメドゥーサという頭がヘビになった女性がいて、見る者を石に変えるという妖術を使うんじゃ。その力は死んでからも有効じゃったと言われているが、その身体から流れる血には、人を殺す力と、人をよみがえらせるという二つの力があったのじゃ。お前はそんなメドゥーサの血を受け継いでいる。よみがえらせる血を持っているんか」

 この言葉が正幸の頭の中で去来し、ずっと消えることはなかった……。


                  (  完  )

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メデゥーサの血 森本 晃次 @kakku

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