第23話 真相
辺りはすっかり暗くなっていた。見上げると、月が薄雲の向こうに光っていた。
風が少し強い。
不意に、背後に気配を感じて振り返る。
錦だった。
「現一狼さん、本当は何もかも察しているんでしょう?」
その言葉に、現一狼は表情を引き締めて、うなずく。
錦が刀を抜いた。現一狼は目を細める。
「あなたには僕は
錦は無言で刀を持つ手に力を込めた。
風が現一狼の目の前を吹き抜け、月の光が頭上に光った。
刀が振り上げられていた。
振り下ろされる前に、錦の横に回り、腰に残された刀の鞘(さや)を取る。
錦がこちらを向いた。
「やめておいたほうがいい。あなたが
「そんなことわかりませんよ。いつも刀を使っているわけではないあなたと、訓練を受けた僕と、刀で戦い合ったときに何が起こるか」
現一狼は黙って突きをかわす。次の一撃が来る前に、軽く錦の腕を払った。ちょうど傷口を打たれた錦が刀を取り落とした。現一狼は
「あなたが結城先生の頭に傷をつけたのですね」
現一狼は切っ先を錦の眉間に向ける。
錦が顔を上げた。渥そっくりの、真剣な目だ。
「あの夜、あなたは結城に呼び出された」
欲望を達成するために、結城がすべきことは一つ。兄弟を引き離すことだ。
「客室に来たあなたを結城は襲った。あなたは手近にあった時計で結城を殴りつけた。そうでしょう?」
結城が錦の攻撃をよけられなかったのは、錦の体をつかんでいて、そちらに夢中になっていたからだ。
「慎重なあなたが丸腰で結城の部屋に行ったのは、なんらかの交渉のために呼び出されたから。刀なんてぶら下げていったら、相手の態度が硬化するのは当たり前ですからね」
交渉の内容は、檜家にまつわるものだったのか、渥の保護だったのか、わからない。
だが。
「本当の結城の目的に気がついたときには、遅かったのですね。そして、事件が起き、あなたは結城が死んでいるのかどうか確かめられなかった」
「まるで見てきたみたいですね」
錦が
「違いましたか」
「いいえ」
現一狼は、錦が素直に認めたのを見て、刀を下ろす。
錦はちらりと現一狼を見上げ、言葉を継ぐ。
「怪我人は時にすごい力を出します。寝ている家族が危ないと思った。だから結城が出にくいように、万が一のときはわかるようにしたんです」
現一狼は
「これの両面に接着剤をつけて、扉と壁の間に差し込んだわけですね。こんなものが挟まっていたら、扉を開けるのに手間取るし、物音もするでしょうからね。……そのあと一晩中、起きていらっしゃったんですか?」
出会ったときの錦は、現一狼の姿を見て
「はい。朝になって、岩田さんも渥も起きたようだったので、少しだけ、外の空気を吸ってこようと思って門を開けたら、あなたがいたんです」
あのときの錦は、殺人者の匂いをまとっていた。
「朝っぱらから驚かせて申し訳ありませんでした」
「いえ、むしろ、覚悟ができてよかったです。時間が経って、自分の罪の重さを理解できるくらいには、冷静になっていましたから」
「覚悟?」
「現一狼さんなら、真相を見抜くだろうと思ったからです。僕がとっさに考えたのは、檜家で起こった殺人の処理方法に則って事件を終えられるよう、時間を稼ぐ方法でした」
錦の視線は、もう鞘をとらえてはいない。視線を落とし、手の傷口に貼られたガーゼを見つめている。現一狼は鞘を拾い、刀を収めた。
「本当はもう少し時間が欲しかったけれど、どうしようもないですね。僕の腕前もあなたに要求をつきつけるのに、少しは役に立つかと思っていたんですが、無力でした」
「時間……もう、結城の葬式も終わっていますよね」
時間を稼ぐも何も、檜家側では処理が終わった状態だといえる。
錦は顔を上げると何かを言いかけた。しかし、すぐにやめて、唇を結ぶと、無理に笑みを浮かべる。
「家族との時間をなるべく取れたらと思っていました。甘いですね」
言葉は、気持ちがこもっているようにも、上滑っているようにも感じられた。
「現一狼さん。結城先生の百か日法要まで檜家にいて、事件のことは黙っていてくれませんか?」
「百か日、ですか?」
「ええ、その日に納骨を行います。まだ、結城先生の墓の準備ができていないから、時間がかかるんです。……数人、近所の人も法要に出る予定ですし、僕も下手に動けない」
それは、檜家が殺人をしたときの作法なのだろうか、と現一狼は勘ぐる。
「もし、ダメだといったら、どうなります?」
「もう一度、あなたと戦うことになります。僕は何を使ってでもあなたに襲いかかります」
「そんなことをすれば」
「ええ、僕はあなたに勝てない。あなたは自分を攻める相手には、どんな攻撃も可能です」
――僕に殺されよう、というわけか。
「そういう利用のされ方は不本意です」
「失礼を承知で言っています。先ほどの件、聞き入れていただけませんか」
錦はまっすぐに現一狼を向いていた。目もこちらを見ているはずなのに、どれだけ見つめ返しても、視線が合うことはない。
「現一狼さん。納骨が終わったら、僕は家を出ます。部屋の引き出しに、探すのは禁止だと書いた手紙を用意してあります。事件の日に書いたものです。あれを見れば、うちの家族は探せないでしょう」
「何をするつもりですか」
「事件を表に出さないのなら、犯人の処刑は自分でやるしかないでしょう?」
現一狼は苦い気持ちになった。
「生き延びてしまうだけですよ」
「どうでしょう。もしかしたら、現一狼さんは絶望を知らないだけかも」
勢いを失った錦は、薄く笑った。
――流されるな。
現一狼は自分を叱り、脳裏に浮かびそうになる三十人の死体を記憶の奥に押しやる。
「確認はさせてください。僕を招き入れると、あなたは皆の前で扉を破り、一人で部屋に入った」
家人の中で、扉を破ることができるのは錦だけだ。彼の許可なく家を傷つけることはできないだろう。技量からみても、錦が適任だ。
錦だけが、扉を破ることができた。そして。
「錦さんが部屋に入った直後、部屋の中で扉にぶつかる音がしましたよ。ちょうど、内側から鍵をかけたときだったんでしょう?」
あの密室はこれだけでは完成しない。家人の行動を読み切れる錦ならではのトリックだった。
「岩田さんをよく知っていれば、あなたに何かあったとき、彼が扉を思い切り引くのは予想できることです。実際に、扉と壁の接着剤は岩田さんの強力で
現一狼が真相を解明するのを遅らせるために作った、密室だ。
「僕の話が間違っていたら、教えてください」
「いいえ、その通りです」
錦はゆっくり立ち上がり、一礼をした。そのまま背を向け、玄関に向かう。
「待ってください」
現一狼は呼び止め、錦の前に回り込むと、木片を砕いた。
「これで、証拠はありません。よく考えれば、さっきの木片だって状況証拠に過ぎない」
錦が
「だから、僕は別の推理もしたんです。これは自殺だと」
「なんですって?」
錦が目を丸くする。
「呆れないでください。いいですか? あなたは自身を要求されても、きっと断ったでしょうね。結城はそれに腹を立てた。そして、あなたが扉を破ることを予想して、あなたに疑いが掛かるような密室にした」
錦が立ちすくんだ。現一狼は頭を
「それにね、錦さん。あなたの見立ては間違っていませんでしたよ。結城はあのあと、一度息を吹き返しています。あなたが予想したように、危険を感じました」
「……え?」
「そうです。結城を殺したのは僕です。あなたは殺人犯じゃない」
錦が地面にへたり込んだ。
「でも、僕が、いちどは結城先生を殺したのは、間違いないことで」
「結城の身体が頑丈すぎましたね。あれでは死ねなかった。素人が殺せる相手ではありませんよ」
現一狼はしゃがみ込み、刀を差し出す。
「あなたは、それでいいのですか?」
かすれた声で錦が尋ねた。現一狼は視線を合わせず、穏やかな表情の裏に本音を隠した。
「現一狼としての務めですから」
錦が刀を受け取るのを見計らって、顔を近づける。
「教えて欲しいことがあります。この裏の建物は、以前何に使われていたんですか」
小声で尋ねると、錦の肩が震えた。
「……記録を、ご覧になったでしょう」
「そうですね。解釈は一つしかない」
対象者を連れてきて、殺すための場所だ。
「檜家は、それを
「……父からそう聞いています。それをやめるために、父はあそこを閉ざし、苦労もした」
「あなたが惣時郎さんの遺志を受け継いだ。そして、代々、暗殺を請け負った人物は」
錦が現一狼の言葉を遮った。
「僕は、投げ出すところでした。命も、新しい時代の家長としての務めも」
錦は手を伸ばし、現一狼の肩をつかんで引き寄せた。
「守らなきゃならないんです。家を。それ以前に渥を。力を貸してください。僕だけでは、無理だ」
錦が初めて見せた弱音だった。
現一狼は数秒、目をつむる。
夢現流の頭領が関わることは、檜家をさらなる窮地に追い込むのではないか。かといって、今の錦に、家を守り切る力がないのは、確かだ。
「わかりました。守りましょう。あなたと、僕とで、渥さんを。新しい時代のために」
たとえリスクがあろうとも、先代は檜家に関わった。そのために、先代も檜惣時郎も死んだのかもしれない。錦や現一狼も同じ道を
時代の変わり目、混乱の中ならば、過去の闇を完全に消し去ることができるかもしれない。
「申し訳ありません。ありがとう」
錦が頭を垂れた。現一狼は首を振る。
「いいえ。申し訳ないのは、僕のほうです。もともと、あなたの罪を暴きたくて来たわけじゃない。『龍』に関わりのある事件か確認しにきただけなんです」
「なぜ、そんなに『龍』に?」
「僕が絶対に殺さなきゃならない人を探していたんです」
現一狼は立ち上がり、一礼した。
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