90a 怪しい男

 熱中症のシャモと怪我の長門ながと天河てんが両名が離脱した『落研ファイブっ』。

「もういい加減大会中止になれっての……。何度以上になったら良いんだっけ」

 冬には便利な分厚い脂肪層があだとなって、十八歳らしからぬ挙動でミスト付きテントに根っこを生やす三元さんげん

 その隣で、松尾の代わりに戦術分析官を務める飛島が、大会要項のリーフレットを開いた。


「『WBGT(暑さ指数)28の時点で厳重警戒アラートが発令。WBGT31の時点で試合中断。30分以上WBGT31を下回らない限り試合は再開されない』だそうです」

 横文字が苦手な三元は、飛島の発言に大あくびで応じる。


「横文字は苦手なんだよ。日本語で言ってくれ」

「暑さ指数の事だそうです」

「まだるっこしい。気温だと何度なんだよ。そも今何度だよ。松田君も多良橋たらはし先生もシャモの所に行ったきり戻って来ねえし、長門ながと君と天河てんが君も離脱だし。もう不戦敗で良いよ。俺ら良く頑張った」


 対戦相手である常緑蹴球朋友会じょうりょくしゅうきゅうほうゆうかいは、高校サッカー史上に燦然と輝く名門中の名門OBから成る。

 彼らが不戦敗を選ぶ以外に勝ち目は見えない。

 誰もが口には出さなかった事を、三元は躊躇なく口にした。


「何をおっしゃいます三元さん。ここからは暑くなる一方。常緑戦が始まる頃には暑くなってすぐ試合中断です」

「だったらその前にさっさと棄権しろっての」

 餌に向かって悪態をつきつつ顔をごしごしと拭く三元。

「試合中断した状態で大会中止になるまで棄権せずに粘ると、何と」

 思わせぶりに人差し指を左右に動かして三元に応じる餌。

 興味を失ったかのように、腹を掻きながらペットボトルの水を飲む三元さんげん

「あっ、松田君、先生。シャモさんは」

 松尾と多良橋の帰還に気が付いた飛島が、二人を出迎えた。


岐部きべ(シャモ)は熱中症で離脱した。軽度だから、しばらく休んでからご両親が連れ帰る」

「だからもう棄権しようってば」

 ブルーシートの上に大の字になった三元。

 だが、誰も三元に賛同する者はいない。


 二重の理由でどうしても棄権するわけには行かない餌。試合に出たい松尾&下野。新入部員勧誘のために実績を残したい服部。

 三者はがっちりと手を結び、ミスト付きテントの外に出てストレッチを始めた。


「松尾。お前は試合に出ない条件でここに残ったんだろ。午後四時までにはコンクール会場に戻るんだろ。何当然のごとくストレッチをやっているんだ。って青柳あおやぎ?! まだいたのかよ」

 ミスト付きテントを後にした仏像を、放送部長の青柳が下から舐め撮りする。


「落語研究会改め草サッカー同好会改めビーチサッカー部の新入部員勧誘用のPVも作っておこうかと」

 相変わらず怪しさ満点の青柳に向かって、服部が無言で親指を立てる。

「俺は行きがかり上大会に出ているだけで、ビーチサッカー部門と落研が分かれる来年は落研に残るぞ。俺を撮っても意味がねえ。撮るなら服部を撮れよ」

「僕じゃ絵的にちょっと……。やっぱり見た目は大事だよ」

 服部はモアイ似の目元を細めて首を小さく横に振った。


※※※


 そしてやってきた第三試合。

 高校サッカー史に燦然と輝く最多優勝校・常緑学園のOBから成る『常緑蹴球朋友会じょうりょくしゅうきゅうほうゆうかい』。昭和のOB達ではないかと言う三元さんげんの淡い期待はむごたらしくも裏切られた。


「キレッキレに仕上がってますね……」

「何だよあの細マッチョ共。どう見ても大学生だよな」

「ですね……。応援席の彼女達も若いし。小さい子供がいないと言う事は、奴ら未婚者の群れですよ。リア充ですよ」

 飛島から戦術分析ノートを返された松尾。

 くっそ、くっそと口汚く常緑蹴球朋友会を罵る三元時次十八歳。そして三元を煽る飛島。

 一度も成功体験のない合コン経験を重ねた挙句、美人局の魔の手に落ちかけた三元。

 落研がサッカー狂の多良橋に乗っ取られてからは合コンすらも開けない三元は、お呪いビームを投げかけている。


「三元さん……。たぶん、いつかきっと。三元さんにも春が来ます。松田君だってそう思うよね」

「三元さん。出会いとは案外身近な所にあるものですよ」

「ねえよ。男子校だし、学校以外は店と慰問で老人ホームや施設を回る位だもんさ。後はにぎわい座。正直どこかにきっかけがある?」

 飛島と松尾の励ましは空回り。

 学校以外での知り合いの平均年齢が六十代を超える三元は、タオルを頭にかぶったままふうとため息をついた。


 第二試合中に午前には珍しいゲリラ豪雨が降ったにも関わらず、すでに地面は乾ききり雨の名残は一つもない。

 早くエアコンがガンガンに効いた自室に戻りたくてたまらない三元は、面倒そうに首を回すと競技関係者席を見た。

「あれ、噂の『しほりちゃん』がいるじゃねえか。もう帰ったんじゃなかったのか」

「あれ、何でだろ。シャモさんを救護室に連れて行った後に帰ったと思ったら」

「ふーん、そう言う事ね。天才ピアニスト松田松尾様には、年上の美人バレリーナもメロメロって訳か」

 しほりの車で会場入りした松尾に向かって小さく舌打ちすると、三元はようやくビーチサッカーピッチに視線を戻した。


 三元の発言をスルーした松尾は、『知力/武力/魅力』と某アーケードゲーム的な採点を戦術分析ノートに書き始めている。

「魅力九十台は何気に初めてだよね。何で」

「全員彼女持ちっぽいし」

 飛島にたずねられた松尾はちらりと競技関係者を見ながら答える。

 そして、ノートに目を落としかけた松尾は、違和感を覚えつつある一点に目を留めた。


 競技関係者席近くの日陰にたたずむ、スナイパーのごとく壁に背中をくっつけたサングラス姿の怪しい小男。

 刑事ドラマごっこが大好きな松尾は、思わず刑事気分で男の素性を思い描いた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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