第61話 ~林檎……~
「ん……ふぁ~」
翌朝、雪花が目覚め、一つ欠伸をして起き上がる。
カーテンからは朝日が漏れ出して薄暗い部屋を照らす。現在、朝七時。
上下セットのふわふわパジャマ姿の雪花は寝ぼけ眼でベッドを降り、顔を洗おうと寝室の扉を開く。
「よ、雪花。遅かったな」
リビングに続く扉を開くと既に茜の姿があった。
「あんた……何してんの?」
「ストレッチ」
見れば茜はリビングの広さを利用してマットを敷き、朝一のストレッチの最中だった。
脚を大股開きで開き、息を吸って吐きながら体を倒している。胸までマットにつくほど茜の体は柔らかい。
「それは分かるけど……」
「分かるけど?」
マットに顔を埋めていた茜は頭をもたげて雪花を見上げてくる。
そんな茜の姿に雪花は思わず顔を背けてしまう。それは茜が見られない恰好だったからだ。
「何でTシャツとパンツだけでやってるのよ?」
茜は黒いショーツにTシャツ、という動きやすく且つ破廉恥な恰好でストレッチを行っていたのだ。
病院で目覚めた時も、剣の家で朝を迎えた時も、そして今もかなりきわどい恰好をしている。
これは茜が男だった時の恰好をそのまま体現しているのだろう。
茜が男の時は肌着だけで眠っていた。しかし少女の姿になった今、胸が気になるのだろう、Tシャツを着ているあたり茜としては少々の羞恥心があるようだ。
だからといってそんな恰好で歩き回られては雪花としても目のやり場に困ってしまう。
女としてこれはちゃんと教育しなければと、雪花は溜息だ。
「女同士ってそういう事気にすんの?」
「え? そうねえ、気にする人は気にするかな。男同士は気にしないの? 剣とか」
「部屋は別々だしなぁ。大部屋になった時は全裸にならなければどんな恰好しようと別に気にしないかな。てかあいつ筋肉見せつけてくるからムカつくし。ディランと張り合ってたな、確か」
「へ、へぇ……」
雪花はその光景を想像し顔を赤くする。
雪花もまた、男経験は少ない。
「て、ていうかそんな恰好してたら男子に襲われるわよ?」
「じゃあここは女子寮だから心配ないな」
ストレッチが一通り終わったのか、雪花に見せつける為か、茜は前方に回転するとそのまま逆立ちして制止した。
バランスのとり方や身軽さは筋力は必要だが何よりも技術に多く依存している。そこら辺の腕は落ちていないようだ。
「あんたは中身男だけどね」
雪花が言うのと同時、逆立ちをした茜のTシャツがずれ落ちて頭で引っ掛かり、上半身が丸見えになってしまう。
雪花は目を覆って「何してんの」とあきれ顔。
茜はそのままバランスを崩し倒れたのだった。そしてもぞもぞとTシャツから顔を出して口を開く。
「この姿に刺激されて、男の私が出て来てくれたら嬉しいんだけどな」
「出てくるってどうやってよ」
「この美少女の皮を破って、脱皮みたいに」
そう言えば体に寄生した化け物が腹を破って出てくる映画があったなと、雪花は想像して一言。
「きも……」
二人は軽く朝食をとって制服に着替えた。
「どうだよこれ……」
茜は学校の制服を着て腰に手を当て、溜息をつく。制服といっても病院で支給された服装とあまり変わらない。
ワイシャツに赤色のチェック柄のミニスカ。ニーハイソックスもそのまま履いている。
違う所と言えばフリルが無くなって、代わりに赤いリボンが襟元についているくらいだ。
「いいじゃん、似合ってるし。可愛い可愛い」
と、雪花。
やはり美少女である茜は何を着ても様になっている。
「まさか私が女子高生の変装して学校に通うことになるとはな……」
「そこはコスプレって言わないんだ……ポジショントークも甚だしいわね」
茜にとって特定の服装に着替える事はコスプレではなく変装という認識なのだろう。
さながら女装して学校に侵入し内情を探る任務といった具合に。
しかし今は本物の女子高生だ。
「なんか前のスカートからさらに短くなってるな……女子高生は全員痴女なのか?」
「可愛いから良いのよ」
「可愛けりゃいいってもんじゃないだろ……パンツ見られてもいいのか?」
首を傾げてそんな質問を軽く飛ばす茜。
それに雪花は苦々しい表情と冷たい声調で答える。
「嫌に決まってるでしょ、アホなの?」
雪花はプイっと背を向けて勉強道具が入っているであろう鞄を持ってさっさと行ってしまう。
「成程……これがファウンドラ社の技術の結晶、パンツガードの役割……か」
茜と雪花の履いているスカートはファウンドラ社の最高技術が詰め込まれている。防弾、防刃、覗きガードだ。女性の欲望を余すことなく再現した技術なのだ。
「何してんの? 早く行くわよ」
茜もバッグを肩に掛けて脇に挟み、雪花の後を追うのだった。
◇登校途中
学校への道すがら商店街を通っていると突然声を掛けられた。
「雪花ちゃん、久しぶり」
「あ、八百屋のおじさん、お久です」
それは開店準備をしている八百屋の店主だ。黒髪にねじり鉢巻きをしてさもありなんと言った感じの中年の男。
「おや、その子は友達かい?」
「ええ、まあ……」
とは茜の事だろう。雪花の後ろからひょっこり顔を出し挨拶する茜。
「どうも、茜です」
その茜の美少女さに目を見開き一瞬固まってしまう店主。
そして雪花はまたかとばかりに顔を背けた。
それもそうだろう、茜の容姿を男が見ればどんな反応をするか、雪花はうんざりするほど多く目にしている。
「おお……これまた……えらいべっぴんさんじゃないか」
「よく言われます」
遠慮もくそもない、自意識過剰とも受け取られかねないそんな言葉。
しかし気取った様子も嫌味もない、そんな表情で茜は凛と言い放つ。
茜も自分が美少女だという事は分かっているし、店主がそういう反応をするだろう事も予想しての事だろう。
「う? っと?」
茜の意外な返しに店主は口ごもってしまう。
本音と建て前、という独特な文化が日和の国にはある。
相手が本音で褒めれば、思っていなくてもそんな事はないと、建前を返す事を美徳としている。
だが今現在、本音を本音で返され、その後に続く筈だった無駄な定型文を茜が消してしまった。その為、店主は何を言えばいいのか分からなくなってしまい、口を開いたものの次の言葉が出せないでいるのだ。
そこへ雪花が済まなそうな表情で助け船を出してやる。
「あ、こういうやつなのであまり気にしないで下さい」
「あ、ああ」
雪花の言葉で呪縛が解けたように、店主の口は動き出す。
「しかし、よく言われるのか」
店主は再度茜の容姿を確認する。
しかし確認すればする程、茜の言葉が説得力を増してくるのが店主は不思議でたまらなかっただろう。
固まってしまい言葉を詰まらせた反動か、店主はあっけにとられた表情に笑みを貼り付ける。そしてついに大口を開けて豪快に笑い始めてしまった。
「あっはっは、そんな容姿してるんだもんなぁ! そりゃあ言われるだろう!」
店主は笑いながら手前に置いてある真っ赤で艶やかな丸々太ったトマトを拾い上げる。
「じゃあべっぴんさんの茜ちゃんには当店自慢のトマトをプレゼントだ!」
店主は茜に向かってトマトを優しく放り投げてやる。
放物線を描くそれを茜は片手で難なくキャッチした。直後、何の躊躇もなくトマトにかぶりついた。
果肉をえぐる音とみずみずしい果汁がはじけて溢れ出す音、そしてそれらが茜に吸われる音。
そんな豪快なかぶりつきだが茜の口自体が小さいのだろう、大した窪みはトマトに出来ていなかった。
だが雪花も店主もそんな茜の行動に驚いて目を見開いている。
「おじさん、このトマトめちゃくちゃうまいな」
ひとかじりしたトマトを咀嚼し飲み込んだ茜の感想がこれだった。
更に二口目を続けて茜は頬張っている。
躊躇せずに豪快にかじりつき、更に美味いと言われれば店主も八百屋冥利に尽きるというものだろう。それが茜のような美少女であれば尚更だ。こんな豪快な美少女は他にはいない。
「そうかいそうかい、そりゃあ良かった! 雪花ちゃんはトマト食べてくれなくてなぁ」
「だって嫌いだし……あのじゅるじゅるが無理」
苦々しい顔の雪花に店主も苦笑いだ。
「そういや、茜ちゃんはあまり見ないなぁ。こんなにべっぴんさんなら覚えてるはずだが」
店主は目を細めて茜をじっと見つめているが思い出せず、首を傾げている。
茜はトマトにかぶりつきながら店主と同じ方向に首を傾げる。
「か、可愛いなぁ……」
店主に合わせて首を傾げる茜がよほど可愛かったのだろう、トマトを頬張る茜に店主はデレデレだ。
なぜ中身が男なのに美少女を更に美少女たらしめる仕草が自然にできるのか、雪花は理解に苦しんでいた。これは茜も意図してやっているわけではないだろう。
「この子は……今日が初登校なので」
「初登校? 登校拒否でもしてたのかい? イジメとか?」
本当にイジメだったらこの朗らかな空気が一転重い空気になっているような質問だろう。この店主はあまりデリカシーが無いようだ。
だが咀嚼し嚥下し終えた茜が明確に否定する。
「私は戦争孤児で行き場がなくなったところを雪花に助けられまして。出身が日和の国だったので一緒に学校に通う事になりました」
設定どおり、茜が説明すると店主はうんうんと頷いて同情の目を剥けてくる。
「そうか、大変だったねぇ……ならこの林檎も持ってきな!」
と、店主が真っ赤な林檎を手に取ると雪花が手の平を向けてそれを止める。
「登校しながら林檎を頬張る人と歩きたくないので」
茜はその林檎をもらおうと手を出そうとしている所だったが、自分本位のそんな理由で雪花に阻止された。
このままでは茜はすれ違う男全員から何か貢がれるかもしれない、と若干の恐怖を感じた雪花は茜の手を引いて学校へ急ぐ。
「行くわよ!」
「林檎……」
茜は口惜しそうに店主の手に握られた真っ赤な林檎を見送っている。
「また寄ってってね! 今度はメロンあげちゃうよ~!」
そんな言葉を茜に投げかけ、店主は大きく手を振って見送るのだった。
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