Day27 失望(お題・渡し守)
ジャリ……ジャリ……ジャリ……。
薄暗い石ころだらけの河原を睦己は女性に手を引かれ歩いていた。柔らかなドレープを描く薄布のような服を身にまとった穏やかな優しい顔の女性だ。細い指がしっかりと彼女の手首を掴んでいる。
やがて向こう岸が霞んで見えない大きな川が見えてくる。とうとうと水が流れる面は暗く、岸辺に小さな灯りがぼんやりと灯っていた。
「おや、予定外のお客さんかい?」
灯りは渡し場に立てた竿からぶら下がった提灯だ。小さな小舟が一つ停まり、渡し守らしい老人が声を掛けてくる。
「ええ。川を渡してあげて下さいな」
玉を転がすような声で答え、くいっと女性が睦己の手を引いて、小舟に乗せる。ちゃぷん、船が揺れて小さな水音がなった。
* * * * *
美佳が六号室のドアを開けると、ぶわりと更に濃い瘴気があふれ出す。
「……!!」
発生源を『視る』。玄関のシューズクローク。その棚の上に三十センチほどの高さのレプリカの観音像が乗っていた。穏やかな優しい顔に組まれた細い指。細部まで丁寧に彫られた優美なドレープを描く薄布。しかし……。
「……これが呪物ね……」
それが圧倒的な瘴気を放っていた。
「向井さん!!」
『祓う』力のある父ですら手に負えるか解らないほどの呪物に顔をしかめ、とにかく『餌』になっている睦己を引き離そうと奥に向かう。キッチンを抜け、ベッドルームに入る。
「向井さん!!」
睦己は普段着のまま、膝立ちの状態で上半身をベッドの上に伏せていた。身体に玄関の像から黒い瘴気の触手が伸び、絡みついている。声を掛けるが、以前、幽霊の志穂に気絶したときのように、青い顔でぐったりと眠っている。
「とにかく、三好さんのところに!」
美佳は彼女の脇に手を入れた。身体に触れた瞬間
『……憎い……このマンションの住人が……。どうして眩しい未来がある者が……衰えるだけの私を追い詰める……の……』
頭に彼女の声が響く。どうやらこの『負』の感情をあの像が増幅し、啜っているようだ。
「向井さん! しっかりして!」
両腕を脇に通し、彼女の胸の前で手を組んで、ぐっと引っ張る。そのとき、彼女に絡みついていた瘴気の触手がするりと伸び、美佳の腕に絡みついた。
* * * * *
『祓えないなんて中途半端だね。何の為に『視え』るんだ?』
心の奥で今もうずく小馬鹿にしたような声が脳裏に流れる。あれは美佳が小学校六年生のときだった。
宇宙時代の今も怪談は存在する。美佳の生まれ育ったコロニー、宇宙駅『神田』だと神田駅を訪れる事故宇宙船の搭乗員と乗客の霊の話が有名だ。もう一つ、『神田』に祀られている金比羅宮の敷地内には航海する家族や社員の無事を願って奉納するカエルの置物が並ぶ場所がある。そこににちらほら『帰れなく』なった人の霊が『帰って』きたという噂が立つが、こちらは『本物』で美佳も何度か『視た』ことがあった。
他には、工業コロニーの『神田』は共働きの親が多く、昔ながらの子供を日中預かるタイプの学校があるが、そこに『学校の怪談』が存在する。ほとんどが子供達の間の一種のコミュニケーションツール、学校生活のエンタメだ。が、それにも『本物』があった。
『音楽室の少女の霊』。在学中亡くなった少女が誰もいない音楽室で歌うという話だ。それを面白半分でクラスメイト数名が見にいこうという話になり、『彼女』を知っていた美佳は彼等と『彼女』両方が心配で一緒に行くことにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「歌を全部聞くと三日以内に死ぬって言うから気を付けろよ」
夏休み前の開放感に冒険心を刺激されたのか、クラスでもやんちゃなグループの男の子三人、そして彼等とよく対立している、しっかり者の女の子グループの三人、それに美佳を交えた七人は足音を忍ばせて三階校舎の西の端の音楽室に向かっていた。
「嘘ばっかり。この学校で誰かが幽霊で死んだなんて聞いたことない」
しっかり者女子のリーダーが早速、男子達に言い返す。実際、『彼女』は夕刻、生徒もまばらになった静かな校舎で歌うのが好きなだけで、『死ぬ』というのも誰かがつけた無責任な話の尾鰭だった。
「だから確かめるんだろ。いいか、歌が聞こえたら途中で逃げ出すんだ。それなら大丈夫だ」
男子達がバリカの子供版、児童カードのカメラアプリやレコーダーを立ち上げる。そろり、そろりと七人が音楽室に入る。入り口から教室内を見回し、美佳は心の中でうっと唸った。
これはダメだ。
いつもは音楽室のステージにちょこんと腰掛けて、気が向くと歌い出す『彼女』が今日は先生の机の前に立って、まなじりを上げている。授業で何かあったのだろうか、明らかに機嫌の悪い様子に美佳は慌てた。
「戻ろう、危ないよ」
「大丈夫よ。幽霊なんていないから」
美佳が単に怖がっているだけと思っているのだろう。女子達が教室内をうろつく男子達を鼻で笑う。
「四十四分!」
そのうちの一人が時刻を読み上げる。だが、歌は聞こえてこない。当然といえば当然だが『彼女』は好きなときに歌うだけで『四時四十四分』というのも誰かがつけた話の尾鰭なのだ。
「ね、いないでしょ」
女子達の小馬鹿にした声に「おーい!」男子達がムキになったのか『彼女』を呼び始める。
「いませんかぁ~」
「歌って下さ~い」
その声に更に『彼女』の目がつり上がる。カタカタカタ……。音楽室の棚に置かれた笛や楽器が震え始めた。
怒っちゃった!!
美佳は男子達に向かって叫んだ。
「教室から出よう! 危ないよ!」
皆が美佳をきょとんと見る。
「何いってんの? 瓜生さん」
女子の一人が呆れた声を投げたとき、ガタタ!! 一斉に楽器が教室内に飛び出し、子供達を襲った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
美佳が必死に『彼女』に謝ったのもあって、七人の子供達は軽い打撲程度の怪我ですんだ。そして、学校的には、この件は仲の悪い男子と女子グループがお互いに楽器を投げ合って喧嘩した、ということになり、全員、親が呼ばれ厳重注意を受けた。
その後、美佳は
『瓜生さん、あのとき、なんで楽器が飛ぶ前に危ないことが解ったの?』
一緒にいた男子と女子に問い詰められ、自分が『視え』ることを白状した。そこで言われたのだ。
『祓えないなんて中途半端だね。何の為に『視え』るんだ?』
* * * * *
『可哀想な美佳。『視え』るだけの半端な能力のせいで、いつも辛い目にあって……』
睦己の身体から手を離し、ずるずると床に座り込む美佳の耳にねっとりと甘い声が優しく囁く。瘴気の触手が身体にも絡みついてくる。
『『祓う』ことが出来れば、今頃、自分達も助かったのに……と貴女を送り出した彼女達もきっと思っているわ』
『あの男もそう。嬉しそうに話を聞きながらも『祓う』力を持たない美佳を心の底では馬鹿にしている』
『……中途半端な
* * * * *
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