「犠牲者に愛と花束を」

 続いては「犠牲者に愛と花束を」について。


 ◇ ◇ ◇


 早朝に起きてしまって眠れないから、ぐるぐると考え事をしてて、最初はネタを練っていたんだけど、みるみる脱線していって、なんか哲学みたいになった。

 美術の資料集をネタにしようか、数学や物理の教科書をネタにしようか、色々浮かんではきたんだけど、最終的に何のために学問をするのかっていう考えに至った。数学や物理は高校レベルになると文字ばっかりで、結局何が言いたいのかよく分からない。では国語や英語や倫理や歴史が大事かと考えれば、まさか教師が芥川やプラトンと話したことがあるまいし、フランス革命をその目で見たわけでもあるまい。つまり、教師が言っていることが本当に作者の意図したことかどうかは分からないし、歴史書に書いてあることが間違っていたら、歴史を学んでいるはずなのにありもしないことを学んでいることになる。では、美術や音楽とかが大事かと考えたら、目が見えなかったら美術作品は見れないし、耳が聞こえなかったら音楽は聞けない。さらに、ヘレン・ケラーみたいに目が見えないし耳も聞こえなかったら、学校でやる芸術科目は何もわからないじゃないか。いや、ヘレン・ケラーだって学校で習うみたいな芸術は知っていたかもしれないけど、その目で見てその耳で聞いたわけじゃないだろうし。となると、学校の勉強には何とでもケチを付けれる。では、勉強することに意味はないのか?

 そこで私はよく考えるんだが、学問は人間が幸せになるためにやるんじゃないかと。ヤバい感染症がはやったら、菌やらウイルスやらを死なせるために、その道に長けた人が研究をする。でも、菌やウイルスを死なせて感染症の流行を止めたら、それは人間から見たら素晴らしいけど、菌側からしたらたまったもんじゃない。菌だって、生きるために人間に住み着いてるはずだから。そういうことを言い始めると、蚊やGを殺すことは当然のように行われているけど、蚊やGの側からしたら、何も悪いことしてないのに殺されるわけだから「なんて人間は恐ろしいんだァ!」となる。

 そういえば最近北海道で牛を殺しまくるくまちゃんが駆除されたらしい。牛と人間からしたら有難い話だが、くまちゃんは最期に何を思ったのだろうか。ちなみに、私が1番好きな動物はくまちゃんです、リラックマ超絶かわいい。

 これはただの推測だけど、くまちゃんは殺人、ではなく殺牛病じゃないかと。もしこの推測が当たってたら、人間がするべきことは、くまちゃんを殺すことじゃなくて、くまちゃんを治療することではないだろうか。もしそれができたら、動物園のくまちゃんが殺牛病になった時に役に立つ。くまちゃんは助かる、人間も嬉しい、最高。

 長々と書いているけど、つまり私が言いたいのは、みんなwin-winが1番いいんじゃないかってこと。蚊もGもくまちゃんも、さらに言えば砂漠に生えてるサボテンにだって、それぞれの生き方があるわけさ。例えば、蚊は人間の血が必要なんだもんね。

 なんてことを言っていると動物も植物も殺せないから、何も食べられなくなる。それはそれで困る。ここでアレを思い出してみよう。

「検察側の罪人」という映画に出てくるもの。

「100%の善人も100%の悪人もいない」

 実はこれ、善"人"とか悪"人"ではなんじゃないかって。

 人間の善悪を考えさせる話はよくあるよね。中学校でやった「高瀬舟」はよく覚えてる。

 蚊とGと北海道のくまちゃんを例にしたけど、彼らにだってきっと考えはあり、となると、彼らにだって正義があるということになる。では、以上からさっきのセリフを修正してみると、こんな感じだろうか。

「100%の善も100%の悪もない」

 では、ここで疑問だが、全てがグレーだとしたら、どれくらいの濃さが善と悪の境目なのか。これってそれぞれの感覚でしかない気がする。答えなんてないな、これ。


 ◇ ◇ ◇


 これは確かアイデア段階の頃に書いたものだと思う。我ながら深い話をしている気がする。

 最初は「フランケンシュタイン」のようにバッタバッタ死んでいく話でも書こうかと思い立ち、しかしあまり人が増えすぎると大変なので、登場するのは兄弟2人だけだった。どうせなら2人とも死んで終わらせようと考え、ではついでに「ジキル&ハイド」もくっつけてしまおう、フランケンもジキハイも両方主人公が死ぬし、そういえばどちらもイギリス文学だ。そんな時にNHKスペシャル「ヒューマンエイジ」でチラッと出てきた、南北戦争で使われた銃が日本に輸入されて明治維新の時にも使われたという話を思い出した。これを紐づけてみよう、となったが2人とも死なせてしまうと誰が後世に伝えたのかという問題があることに気付いた。よって1人増やして、メアリーが生まれた。「犠牲者に愛を」のつもりで書き上がった直後、たまたま本棚に置いてある「アルジャーノンに花束を」が見えてしまったので、花束も追加。ざっとこんな感じである。


「犠牲者」と一口に言うと戦死者を思い浮かべるが、争いによって傷つくのは両軍の兵士もその家族も友達も、と広げていくとキリがない。憎むべきは殺し合うようになってしまった嫌な進化であり、みんな犠牲になってるのかも、というちょっと哲学っぽい話が込められております。

 冒頭の修道女は、メアリー・スティーヴンソン本人のつもり。

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