第10話

 どたどたと階段を駆け上がる足音。

 理恵の部屋は崎川恭介の部屋よりも奥にある。そのまま通り過ぎてくれるわけ――ないか。


 案の定、ノックなしで勢いよくドアが開いた。


「お兄ちゃん! ただいまっ! 急いで帰ってき……あ、あれ!?」


 部屋に踏み込んだ理恵の笑顔は、目の前に立つ遠山を見つけた瞬間曇った。

  

「葉月さん? え? なんで? なんでお兄ちゃんの部屋にいるの?」


「……あなたは、生徒会の崎川さん?」


 遠山は目を見開き驚いた様子だった。

 どうやら理恵が崎川恭介の妹であることを知らなかったらしい。


「あなた達……兄妹だったの? 言われてみれば名字が同じだものね。全然気づかなかったわ」


「そ、そうか……知らなかったのか。ははは……」


 カラ笑いする俺とは対照的に理恵の表情はとても険しい。

 この後に起こるであろうことを想像して怖くなった。


 そしてその予想は的中する。


 理恵はじりっと俺ににじり寄って、腰に手を当てる。


「お兄ちゃん? これ、どういうこと?」


「……な、なにが……?」


 一応とぼけてみたが、理恵は上目遣いで睨むようにして俺を見る。

 可愛いだけにむしろ怖い。


「なんで葉月さんがここにいるのかってこと! しかも部屋に二人きり! なにしてたの!?」


「謹慎の件を心配して来てくれたんだよ。手土産も持ってきてくれたぞ。ほら、これ。後で食べよう」


 遠山の手土産を理恵の前に差し出す。

 理恵は俺の手から奪うようにしてもぎ取った。


「ふーん、心配ねぇ……。で、部屋に上げたの? 玄関でもよくない?」


 理恵は手土産をちんまりとつまんで眺めている。


「せっかく来てくれんたんだからそういうわけにもいかないだろ。……あ、でも、そうだ。もう帰るところだぞ?」


 そう言って俺は遠山に視線を投げる。

 理恵から発せられる雰囲気と俺の視線の意味を遠山も察したらしい。


「……そうね。もう帰るところよ。勝手にお邪魔してごめんなさいね」


 しかし理恵は不納得な表情だ。


「……ねぇ。ちょっと聞いて良い? 二人って仲いいの? そんなわけないよね。だってあの『氷姫』葉月さんだよ? 友達なんているわけないじゃん。もしいたとしてもお兄ちゃんなわけない」


「お前、そういう言い方はないだろ。俺はともかく、遠山は友達くらい……なあ?」


 ちらと横目で援護射撃を期待する俺に、


「…………」


 遠山は沈黙で答える。

 いや、そこ黙るなよ!


「お兄ちゃん、謹慎中の意味わかってる? 家にいればいいってことじゃないよ。ちゃんと慎まないと! 特に女性関係は慎んで!」


 おっしゃることはごもっともだけど、謹慎はタバコが原因であって女性関係はまったく無実では?


「あと、はづ……遠山先輩。言っておきたいことがあります」


「なに、かしら?」


「すごく大事なことなので、他の人には言わないで欲しいんですけど」


「ええ。私が聞いても良いのかしら?」


「はい。聞いてほしいので。さっき私達のこと兄妹っていってましたけど――違いますから」


「はい?」


「私達、血が繋がってません。だから私とお兄ちゃんのこと兄妹って思って欲しくないんです!」


「ちょっ! お前っ……!」


「お兄ちゃんは黙ってて!」


 手のひらを突き出し俺の言葉を制す理恵。

 いや、そういうことは他人に言うもんじゃないと思うぞ!


「……そうだったのね。色々あるのね」


「はい。色々あります。これから色々しますし」


「えっ!? 色々ってなに!?」


「だからお兄ちゃんは黙ってて!」


「は、はひっ!」


 こちらを一瞥することなく怒鳴る理恵に俺は黙るしかない。


「そういうわけなので。お帰りください」


「そうね。お邪魔みたいだし、そうするわ。じゃ、崎川くん。また学校で」


 遠山は作ったような笑みを浮かべて俺を見る。


 変な含みを込めた笑みはやめろ。俺はそんなつもりはまったくない!

 しかし理恵は遠山のその笑みを勘違いしたらしい。


「ちょ……っ。遠山先輩が笑った!? しかもお兄ちゃんに?」


「あら、人聞きの悪い。私だって普通に笑うわよ」


 驚く理恵に遠山はイタズラな目を向ける。

 まさかこいつ、この雰囲気を楽しんでるのか?


「でも学校じゃ笑ってるところなんて見たことないって皆も言って……」


「それはあなた達が知らないだけ。……それとも私が笑うのはそんなにおかしいことかしら?」


「そ、それは……」


 遠山の正論に理恵は口ごもる。


 理恵さん。今のはたぶん冷やかしとか皮肉を込めた笑いだから普通の笑顔とは違うと思うぞ。


 しかしこういうやり取りもできるなんて、遠山も意外と茶目っ気のあるヤツらしい。

 だが理恵はしてやられた形になったことで憤慨している。


「と、とにかく帰ってください! お兄ちゃんの謹慎の件、遠山先輩が関係してるんでしょ? 私結構怒ってますから!」


「……それを言われると心苦しいわ。じゃ、本当に帰るわね」


 憤る理恵にさらりと言って、遠山はカバンを持ち直す。

 そして長い髪を気にしながら、俺に会釈するとさっと踵を返した。


 その遠山の背を見て、俺はふと思いついた。

 この部屋から、いや……理恵から逃げ出すタイミングは今しかないのでは。


「遠山! 玄関……いや、外まで見送ろう!」


「お兄ちゃん! 謹慎中でしょ!」


「すぐそこまでだって! こういうのって礼儀として必要だろ!」


 勢いで理恵を説得しようとしたが、


「いいえ、ここで大丈夫よ。見送りはいらないわ――崎川くん」

 

 遠山は冷たい微笑を浮かべて、こてりと顔を傾けた。

 非情にもドアはばたりと閉まり、同時に俺の心も一緒に閉ざされる。


 ――ああ。振り向きたくないなぁ。


 見なくてもわかるもの。

 理恵が凄い剣幕でこっちを睨んでいることくらい。

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