第百六十四話:黄天の夜会・急Ⅰ
「――ふーはっはっはァ!!」
失敗した。
ディアルドの頭にはそれしかなかった。
どう考えても色々な意味で誤解された。
何せ会場に居たの貴族の方々、そしてそれらに近しい上流階級の存在。
彼らは正しく彼の持ち込んだ魔酒の価値を知っていた。
そして、カルロスもまた。
「あー、どうするかなー。なんか酔っぱらいたくなってしまった。……もう飲んでやろうか?」
鬱陶しいからと仮面を外し素顔のまま歩くディアルドは、右手に持っている
これはカルロスにあげたものだった、それがなぜディアルドの手にあるのかと言えば別に受け取りを拒絶されたというわけではなく、彼はにっこりと笑みを浮かべながら――
『受け取ったものをどう使おうかはこちらのだ。というわけでプレゼントだ、エリザベスと共に飲むと言い』
『あ、あはは……』
と、まあこんな感じで返ってきたのだ。
驚きのIターンとでも称するべきだろか。
「ふははははっ!!」
なんかもうディアルドとしては笑うしかなった。
「黄天のオリビア」の中では気をつけて我慢してい分も含めて「ふははっ」を開放しつつ夜道を歩く。
「もう完全に俺様とエリザベスの婚約関係というか恋人関係が、周知の事実みたいになってしまったではないか! しかも、子宝に恵まれるとか子孫繁栄のお酒……とかどうなんだこれ。アウトだよな絶対、なんか完全に期待していた顔されたし……誰がこんなのを作った――まあ、俺様なのだが」
そもそもが嘘っぱちなので期待されても困るのだ。
見てくれは悪くないし、気は合うとは思うが今のところそういった感情をエリザベスに持ったことはない。
まぁ、チャンスがあるならディアルドも男であるが故、一夜ぐらいはいいんじゃないかと思わなくもないが――問題はそこではなく。
「……どうする? これ、絶対あいつの耳に入るのではないか? 俺様がディーであることは知ってるだろうし」
彼が気にしているのは別のことであった。
正直なところ、エリザベスの恋仲云々の噂が広まったところで個人的に思うことはあっても大した問題にはならないのだ。
活動の拠点が王国の外れであるルベリ領なため、王都でどれだけ好き勝手に尾ひれ背びれがついた噂になったとしても影響力はさほど無い。
さらに言えば上流階級の世界において噂というのは燃え広がるのも早いが消えるのも早いというのを彼は良く知っていた、良くも悪くも一つの話題に拘るほど彼らも暇な存在ではない、燃料を投下するように話題を提供し続けなければ次の噂話に埋もれていく……そういう世界なのだ。
「ジークが伝えていない可能性……無いかぁ、無いよなぁ。絶対伝わっているよなぁ……となると今回のことも知られるのは時間の問題か」
だからこそ、ディアルドが頭を悩ませていることは全く別のことであった。
「いや、俺様は悪くないし。むしろ、被害者だ。手も出していないわけだし? ちゃんと話せばわかってくれる……はず。でも、散々放っておいた後だからな、問答無用の説教は避けられない……よし、ほとぼりが冷めるまで時間を置こう。――怖いしな!」
仮にここに親友であるジークフリートが居れば溜息を履いていたであろう、とても情けないセリフを吐きながらディアルドはなんとなく夜空を見上げた。
「そういえばジークのやつはまだ地方を回っているんだったか? ……あの後、一度帰ってきたらしいがその後も似たような任を受けて王都には……もしかしたら会えるかもと思っていたが。だが、あいつは王都にはおらずその最中に今日のような王位継承に向けた地固めのような催しがされているとなると……やはり――ん?」
ディアルドの頬を不意に冷えた風が撫でた。
その瞬間、彼の視界の端に動く影を捉えた気がしたのだった。
◆
「黄天のオリビア」、夜も深まる中でも煌々と輝くその建物の屋上に――一つの人影が降り立った。
普段から多くの貴族の利用がする施設であり、当然のように相応の警備体制が為されている。
その目を掻い潜り屋上まで辿り着いたフードを被った人影はそのまま中へと忍び込もうとし――
「っ!?」
「ちっ、勘がいいな」
何かに気付いたかのようにその場から飛びのくとその場をディアルドの放った拘束用の魔法が空を切った。
「……誰だ」
「ふーはっはっはァ! なに気にするなちょっとばかしフラストレーションが溜まっているところに発散にちょうど良さそうな不審者を見つけたただの通行人Aだ!」
「戯言を……その格好、なるほど参加者か」
「いや、別に嘘は言っていないのだがな。それで、あー……なんだ。何が目的か教えてくれたりはしないか? 場合によっては見逃してやってもいいのだが」
彼の問いかけには答えず、人影は身構えて臨戦態勢のままだ。
その様子を観察しながらディアルドは思案する。
(やれやれ、全く。今日という日はトラブルしか起こらんのか? 会場でのゴタゴタの次はそこに忍び込もうとする不審者とはな……)
それは本当に偶然だった、何の気もなしに空を見上げた瞬間に目の前の存在がディアルドの視界に入ったのだ。
(目の前に立っているのに姿形が判然としない……男か女かもわからんな。警備に気付かれなかったのもそれが理由だな)
街中で姿形の認識を隠蔽する魔法を使い、更には現在貴族たちが集まってパーティーをしている「黄天のオリビア」へと向かっている人影――それだけでやましい事情がある不審者と断じるには十分すぎる理由だ。
まあ、狙いが「黄天のオリビア」内の何かなら別に自身には関係ないのだから放っておいてもいいかとも一瞬思ったが、そういえばエリザベスとファーヴニルゥが残っていたなと思い出し、最初に言った通り溜まったストレスの解消にもなるかと思い至りディアルドはこうして人影の後を追うことにしたのだった。
(万が一、ファーヴニルゥに被害がいってちょっとでも暴れる気になったら洒落にならないからな……。明日になったら区画ごと建物が消えていたとかあり得るし)
ちなみに彼はファーヴニルゥたちのことは心配していない、迂闊に刺激した結果起こる不慮の事故に関しての心配の方をしていたりする。
「ともかく、捕まえさせて貰おう」
ディアルドがそう言って構えた瞬間、相手も弾かれたように動きだした。
「っ、逃すか……! ≪
こちらに攻撃してくるかと思いきや、一目散に逃走を開始したことに僅かに虚をつかれたもののディアルドの魔法を発動する手並みに淀みはない。
夜空の下、彼の手によって生み出された魔法陣が淡く輝きながら展開される。
ディアルドが選んだ魔法は風属性の下級攻撃魔法。
風属性の魔法は威力こそ他の属性の魔法に劣るものの速度と視認性の低さが売りの属性であると彼は思っている。
特に今のような夜間であれば更に有効的で牽制には持って来いと言える。
ディアルドの魔法によって放たれた風の弾丸は問答無用に逃げるフードの人物に襲い掛かり――
「やるな!」
――向こうの魔法陣から現れた木の根によって、ものの見事にその全てを迎撃された。
(魔法の組み立てが早い……かなりの手練れの魔導士だな。まあ、こうして単独で潜り込もうとしていたあたり察してはそれなりにやるだろうと思っていたが……)
彼は内心で相手の評価を上昇させた。
見えづらいという特徴があったとしても所詮は下級攻撃魔法、防御することは難しくはない。
だが、魔法を行使するために足が鈍るだろうと思っての攻撃であったが相手は魔法での防御をしながらも逃走するための足を緩めることはなかったのだ。
(――動きも早い、身体能力の強化魔法もか。事前にかけていた分だろうが……)
建物から建物へと跳び移るようにして彼から逃れようとする相手を冷静に観察しながらディアルドもまた身体能力強化の魔法を自らに施し追いかける。
(実力は最低でも色位以上と見ていい……となると上級攻撃魔法の一つや二つは使えるだろう)
現状、逃げる相手を追うディアルドという形で時折下級魔法を撃ち合っているだけだが――刺客として目立つことは避けたい相手としてもいよいよとなれば切り札を使うだろう。
であるなら、その前に。
(――何時もの手だ)
ディアルドは魔法陣を描いた。
淀みなく、
正確に、
鮮やかに、
空中へと魔法を発現させるための術式を構築する。
その様子に対応するための魔法陣を築こうとした相手の動きが確かに鈍った。
「なっ――!?」
それがただの魔法陣であれば恐らくフードの人物もこうして隙を晒すこともなかっただろう、見たこともない魔法陣であるならば警戒のために意識を研ぎ澄ましたはずだ。
だが、その魔法陣が見覚えがあり過ぎるほど見たことのあるものであったならば――
魔法陣から放たれるのは五本の木の根。
それぞれが勢いよく伸びるという数分前に両者が見た光景と全く同じ再現。
ただし、放っている側と放たれた側が逆なことを除けば――だが。
「決める……≪
この世界の魔法とは法則だ。
正しき式、正しき手順を以て行えば必ず正しき現象を引き起こす。
故にこそ――
「これで……なに?!」
まるで霧散するように相手を捕えていた魔法が崩れたのはディアルドにとっては予想外であった。
「翻訳」の力を使うことによって丸ごと術式を模倣して使ったのだ、であるならば効果時間も同様に同じでなくてはならない。
だというのに、彼の使った魔法は構築が崩壊を始めていた。
その事実に一瞬だけディアルドの気は取られ、飛行魔法で近づき相手を気絶させようとした一撃が空を切った。
拘束が緩んだ隙を見逃さず、フードの人物は身体を捻って回避したからだ。
掠める様にして外した魔法を帯びた一撃。
これで決めるつもりだった彼はそれを外し、慌てて再度攻撃を仕掛けようとするも今度は向こうの方が早かった。
「しまっ――」
魔法陣の中心から波濤のように押し寄せる鋭利な花吹雪の嵐、それにディアルドは呑み込まれ――そして、
「逃げられた……くそっ、今日は散々すぎるぞ全く」
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