第百六十三話:黄天の夜会・破Ⅲ




「ば、馬鹿な……こんなことが……っ!」




 結論から言ってしまえばジョナサンの敗因はディアルドに勝負の形式を預けたことだった。


 これがルーレットやスロットなどのような種類のギャンブルならば話は変わっただろう、それならば彼としても真っ当に介入する手段が限られてくるため対応を変えた。

 とはいえ、流石にそれはジョナサンとしてもという意識はあったのだろう、ディアルドがカードを使ったギャンブルを指定した時、特に彼らは問題することは無かった。


 どのみち、フランクリン伯爵家の庭と言ってもいい「黄天のオリビア」内での賭け事で公正ではないことは傍目から明らかだとしても、まだカードを使ったギャンブルの方が多少の言い訳はできるからだ。



 まあ、それが決定的な敗因でジョナサンはこうして負けることになったわけだが。



「それで――これで私の勝ちということでよろしいのかな?」


 ざわめく観衆をよそにディアルドは勝利を宣言した。

 彼の言葉通りに勝負の形式にするために互いに配られたチップの全てはディアルド側へと移動していた。



 完膚なきまでの、一目でわかるほどの明確なジョナサンの敗北だった。



「あ、あり得ない……貴様、何かイカサマを……」


「運が良かったのですよ。ギャンブルですからね、そういう日もある」


「嘘だ、そんなことがあってはならない! お前に勝ち目があるはずが――」


「じょ、ジョナサン様!」


「あ……あ、いや……」


「勝負とは時の運。納得が出来ないのであればそうだな……彼女への愛が勝利を引き寄せた、とでもしておきましょう」


 何かを言い淀んだジョナサン相手にディアルドはそう言い放った。

 、という意味を込めた。


(言い淀むだけの冷静さは持っていたか……)


 彼の動揺ぶりはある意味では当然のことではあった。


 何せジョナサンはイカサマを行ったのだ。

 その上で確実に勝てるはずの勝負で何もできずに敗北した。


 原因はただ一つ、ディアルドの目にあった。

 いや、正確に言えば彼が持っている力――というべきか。


(俺様の「翻訳」の力はイカサマには滅法強くてな、悪く思うなよ)


 ディアルドの「翻訳」の力は単純に文字を解読するだけの力ではない、もっと詳細に説明するなら人為的に刻まれた情報なら何でも読み取ることが可能だ。


 それは例えば全く知らない古代の文字や文であったり、内容を限られた人間だけに伝わるように変換された暗号であったり、あるいは彼には解読が出来る。


 ディアルドが勝てたのはそれを利用したためだった。


 カードを使ったイカサマで最もポピュラーな手段としてカード自体に何らかの目印をつけておく、というものがある。

 それは些細なカードの柄の違いであったり、触った時の指触りであったり、自然に出来たように見せかけた傷や汚れであったり……単純ではあるが何も知らない状態でそれらを見抜くのは難しい。


 今回の勝負でもそんな細工がなされたカードが使われた。

 ジョナサンを勝たせるために。


 そこをディアルドは突いたのだ。

 向こうからすれば一方的にカードの種類がわかる状態での勝負、当然のように勝てるつもりでいたのだろうがあっさりと見抜かれ、慌てたジョナサンは視線でディーラーに助けを求めて向こうもそれに答えたのだが、そのサインのやり取りもディアルドには筒抜けだった。


 それがなんであれ、人為的な意思が含まれているものならば彼は読み取ることが出来る。


(とはいえ、流石に少し疲れたが……)


 ただし、それはディアルドが認識できるものに限る。

 文字やあからさまな暗号など、意味があると認識できるものは簡単に解読できるのだが認識しづらいものは彼とて見落とすことはあり得る、だから集中を維持する必要もあったので多少精神的には疲弊する形となったが――結果はこの通り。


 言ってしまえばディアルドだけ向こう側のやり取りを全て筒抜けの状態でカード勝負をしていたのだ……それは圧倒的に勝てるだろう。



「くっ、こんなのは何かの間違いだ! もう一度、もう一度やれば……っ!」


「よさないか、ジョナサン」



 だが、納得できなかったのだろう声を荒げたジョナサンを止めたのは壮年の男だった。


「これは……」


「いや、息子が失礼したね」


 男の名はアーノルド・フランクリン、フランクリン伯爵家の当主でありジョナサンの父親だ。


「……いえ、私としてもこのような目出度い場でこんなことになってしまい申し訳なく」


「息子の方から仕掛けたことだと聞いている。気にする必要は無い、正当に戦い勝利したのだからね」


「しかし、父上!」


「ジョナサン」


 なおも言い募ろうとしたジョナサンを一言で黙らせ、ディアルドへとアーノルドは向き直った。

 穏やかながこちらを見つめる。


「すまないね、息子の振る舞いを許して欲しい。それほどまでに彼女に心を奪われていためなのだ。だが、こうして決闘に負けた以上は見苦しい振る舞いだった。どうか許して欲しい」


「いえ、そんなことは」


「こちらとしても良縁だと思い打診したつもりだったのだが……いやはや、これほどまでに素晴らしい恋人がいるとは知らず、ワーベライト男爵済まなかった。婚約の話は無かったことにして欲しい」


「あ、ああ、いえ……そのこちらとしても大変光栄だった話というか」


 息子の態度を叱責しつつ、謝罪を行い、そしてカルロスに対し婚約話の解消を告げるアーノルドを見つめながらディアルドは淡々と思った。


(損切りか、流石に伯爵家当主ともなるとうまいものだな)


 一見すると素性も定かではない彼や身分的にも格下のカルロス相手に丁寧な物腰で謝罪したアーノルドは懐の大きな人格者に見える。

 ただ実際のところは単なるパフォーマンスの一種だ。

 エリザベスをなし崩し的に取り込む策が失敗した以上、それに拘ってジョナサンの悪印象を広めるのはだと考えたのだろう、実際ディアルドが勝ってしまったため戸惑っていた会場の空気も和らいだように感じた。



「それでは……」


「ああ、すまなかったね。……お詫びにキミとは一度、落ち着いて話し合って見たいなディー殿」


「私はそれほど大層な身分ではないですが……機会があれば」



 これは目をつけられたな、と内心で思いつつディアルドは意識して少し早足になってエリザベスたちの下へと向かった。


(至る所から視線を感じる……まあ、仕方ないか俺様はパーティーの主賓相手に女の取り合いをやって勝利をおさめた男だからな。しばらくは良い話のネタとして使われるのだろうな)


 目立つこと自体は好きだし、噂されるのも嫌いというほどではないが……流石にこういった事実無根なことで陰で好き放題に言われることとなると話は別だ、少しだけ億劫な気分になってしまう。


(まあ、それでも奪われた男として噂れるよりはましだと思おう)


 そう思い込むことにして気分を切り替える。



「勝ったぞ」


「やったね、マスター」


「ふっ、当然の勝利だ。それで……そっちは何か言うことは?」


「ふむ……ここは愛しき恋人の勝利に感涙して接吻でもした方がいいのかな?


「いらん、本当に。いいか、今回の件については後でちゃんと元は取るからな? 覚悟しておけよ」


「わかったよ、ディー」


 クスクスと笑ったエリザベスの姿にディアルドは脱力した。

 色々と言いたいことはあったがせっかくここまでやったのだ、周りに人が居るところで言うこともないだろう。



 そう考えた彼は少しだけ迂闊な行動を取ってしまった。



「俺はもうこの場を離れる。後は何とかしろ」


「会場を離れるのかい?」


「本当ならもう見て回るつもりだったんだがな……主賓を負かした俺がこの場に居ては色々とダメだろう」


「まあ、目はつけられているだろうね」


「誰のせいだと――まあ、いい。ともかく、そういうことだ。俺様は先にお暇させて貰う。お前の目的だった俺様を恋人として紹介するというのも果たせたんだ、あとはどうにか自分で説得して許可をもぎ取っておけよ?」


「わかったよ、それについては問題ないと思うからね」


「ファーヴニルゥはエリザベスと一緒に残れ、俺様さえいなければそれほど問題はないはず。こういった場に来る機会はそうは無いからな経験にはなるだろう」


「うん、わかったよ」


 ディアルドはそう指示を出しつつ、さっさと会場を後にしようとしていた。

 取り繕っていたとはいえ、フランクリン伯爵家にとっては苛立たしいことをやった自覚はあるし、その後ろにはギルベルト第二王子も居るとなるとどんな厄介ごとを引き寄せるか分かったものではない。


 面倒なのでさっさと帰ろう、という気になるのも仕方ないともいえる。


(一応、目的であったカルロスとの接触も上手く……上手く? まあ、出来たわけだし)


 まさか恋人にされてしまうとは思っても居なかったが、そこら辺もベルリ領に返ってしまえばなんとかなるだろうと考えつつ、ディアルドは会場を去る前にカルロスへ一言言っておこうと近づいた。


「カルロス様、それでは私はこれで。私がこの場に居るのは色々と気まずいでしょうから一足先に」


「そ、そうか。何というかすまないな。私がもっとしっかりとしていたら」


「いえ、そんなことは……ああ、そうだ。そう言えば先にお渡しするつもりだったのですが」


 彼はふと思い出した――思い出してしまった。


 去り際というタイミングで。

 歓心を得るためにお土産の一つでも持ってきておいた方がいいだろうと手荷物として持ってきていた――ベルリ領の特産品。





「我が領の名産として売り出している叡智の紅雫イゼル・ディアドロップです、どうぞお治めくだ――あっ」





 途中まで言ってディアルドは気づいた。



 これってマズいんじゃないだろうか、と。



 彼の友であるジークフリートはディアルドのことを「面倒になったら途端に雑になってポカをやらかす」と称したことがあるが今の彼は正しくその通りだった。


 別に当初の予定ではよかったのだ。

 曰く付きの効果があるとても貴重な高級酒、それ以上の意味合いを持たない。



 だが、今のディアルドは恋人を持っているとされており、更にその相手の家に叡智の紅雫イゼル・ディアドロップ――を渡すという行為は……。



「?」


「どうしたんだろう?」



 途端に起こったざわめき。


 叡智の紅雫イゼル・ディアドロップについて真の効果を知らず、単なる名産として作った葡萄酒ワインとしてしか知らないエリザベスと知ってはいるが上手く繋がっていないファーヴニルゥはピンとは来ていなかったが、彼には十分に理解が出来てしまっていた。




「おおっ、それほどまでに……。――これは期待してもいいのかな」


(違う、そうじゃない)



 

 ディアルドは逃げ出した。


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