第18話 同僚

 病院で千代を励ました峰は、自衛隊市ヶ谷駐屯地に急いで戻ってきた。残った仕事を片付けようと、自席へ急ぐ途中、

「みねさん」

廊下で後ろから声を掛けられた。振り向くと、この時間ならトレーニングウエア姿を見ることが多いソフィアがまだスーツに身を包み、しなやかな身のこなしで近づいてくる。女性自衛官の中でもかなり長身の部類に入る峰がやや見上げる姿勢となる数少ない同性である。総務課として服部家が日本に移り住む際の手配や世話を担当した峰は、来日後もソフィアから日常生活での相談を受ける関係にあった。

「息子が部活中に一緒に練習していた相手が怪我をしたらしくて、お見舞いにいくことになったの」

 ソフィアにそう言われて、峰はこれまでうっすら意識していた、服部夫妻の息子と千代の練習相手が同一人物であることをはっきりと認識した。一方、ソフィアは峰が息子の通う高校の女子サッカー部顧問を務めていることは知らない。

 相手は女子生徒なので、花を持っていくのがよいかとの質問に、花より食べられるものが喜ばれると、服部家が暮らす官舎の場所を踏まえ、峰自身も時々利用するケーキ屋とオススメのケーキを紹介した。スマホで時間を確認すると、営業時間をわずかに過ぎている。その場で店に電話をかけ、事情を説明し、これから高校生の男の子がお見舞いの品を買いに店に行きたいと相談すると、ケーキ屋の主人は快く対応を引き受けてくれた。

 ソフィアは峰にお辞儀をし、お礼の言葉を口にしてから、スマホでメールかチャットを打ち始めた。恐らく息子さんに連絡しているのであろう。

「それでは、失礼します」

 峰はソフィアと別れると、総務課に戻り、残っている仕事に取り掛かった。


「峰、残業なの?大変ね」

 Tシャツにジーンズのラフな格好で入ってきたのは、半蔵門高校で保健師を務める山崎である。片腕にジャケットを抱え、もう一方の手にはビニール袋を提げている。峰よりいくぶん背が低いが、それでも百六十センチ半ばある山崎のTシャツから突き出す二の腕は競泳と陸上の投擲競技で鍛えられた実戦的な筋肉で覆われている。憧れの美人保健師の白衣の下にこんな筋肉質の腕が隠されていると知れば、半蔵門高校の生徒たちはきっと驚くだろう。

「どうだった、あなたの愛弟子ちゃんは」

 仕事が一区切りした峰は、隣の椅子を山崎に勧めた。

「最後はだいぶ元気になったかな」

「それならよかった」

「でも、怪我のことを甘く捉えていたわ。桜が診てくれて、病院に行くように言ってくれてよかった。ありがとう」

 山崎のことを下の名前で呼ぶ峰が頭を下げた。千代から病院で聞いた、服部家の一人息子が千代の怪我を見抜き、病院行きを主張したことには触れずにおいた。千代を病院に連れて行くよう顧問の三浦を説得したのは山崎で間違いない。

「こう見えて、半蔵門高校の保健師ですから、当たり前のことをしたまでよ」

 親友に畏まったお辞儀をされ、照れくさい山崎が冗談っぽく応じる。厳しい訓練とトレーニングで鍛えられた女性自衛官の中でも屈指の体力と運動能力を誇る山崎は、白衣を着ていなければ、とても高校の保健師には見えない。

 高校卒業で入隊した峰が年次では上だが、大卒で入隊した山崎とは同い年である。駐屯地の違いからそれまでお互いの存在をほとんど知らずにきた二人だが、半蔵門高校と自衛隊の連携プロジェクトにそれぞれが応募してから、その選考過程て定期的に顔を合わすようになった。


 両者の連携プロジェクトに先立って、すでに半蔵門高校の剣道部と柔道部が自衛隊市ヶ谷駐屯地の武道場で練習をさせてもらい、部員たちが自衛隊員から指導を受けていた。その成果もあり、自衛隊と半蔵門高校の連携をさらに強める狙いで、高校の活動に関わりたい希望者が自衛隊内で募られた。百名近い志願者の中から、半蔵門高校校長の最終面接を通過した峰と山崎がプロジェクトの担当者に選ばれた。

 自衛隊側のプロジェクト責任者から二人の選考理由を聞かれた半蔵門高校校長、伊達は、

「二人とも美人ですから」

と答えて、自衛隊幹部を苦笑させた。

「駐屯地での武道の指導であれば、そんなものには拘りませんが、実際に高校に来て指導してもらうならば、生徒の印象をよくするために見た目が一番重要です」

 そう断言する伊達は、峰と山崎をメンバーに選ぶとすぐに、半蔵門高校の保健師に学校以外での役職を与え、校外での活動を増やした。山崎が保健室を預かる日がすぐに増えていった。今年その保健師は規模の大きな他校に異動することになり、山崎が半蔵門高校の常勤の保健師となった。

 一方、峰の方は当初男子サッカー部の顧問にも、という話があったが、他の男子運動部が羨ましがり、男子サッカー部がやっかみを受けかねないという校長の判断で、当面は女子サッカー部の指導に専念することとなった。また、教員免許を持たない峰では授業を受け持つことはできない。今年から常勤となり、自衛隊から半蔵門高校に出向している山崎とは異なり、峰の立場は自衛隊の総務課に席を置いたまま、女子サッカー部の指導を任される外部委託となる。

 教職の資格を持つ自衛隊員が多数、このプロジェクトに応募していたので、峰が選ばれたことに疑問を呈する声もあったが、この連携プロジェクトの発案者かつ責任者となる伊達の最終判断に異論を挟める者は自衛隊側にもいなかった。自衛隊からすれば、将来有望な現役高校生に自衛隊をアピールし、好感度を高める貴重な機会である。難関と思われた教育委員会から本プロジェクトへの支持を勝ち取ることにも成功した伊達の判断を尊重するしかない。

 峰と山崎はプロジェクトの説明会や選考のために市ヶ谷駐屯地へ来るたびに(二人はそれまでは市ヶ谷以外の駐屯地にいた)話をするようになり、プライベートでも会うほど親しくなっていった。互いに見せ合ったプロジェクトへの自己推薦文で、峰は怪我で終わった自分のサッカー人生の経験を活かして高校のサッカー部の指導をしたいという熱い想いを綴っていた。

「その熱意が評価されたのだと思う」

 自衛隊内では有力視されていなかった峰がプロジェクトメンバーに選出された理由を峰はそう分析していた。選ばれた当人たちは伊達の選考理由を知らない。


「あなたの二の舞にならないように、しっかり指導してあげてね」

 そう言って、市ヶ谷駅の近くにある弁当チェーンの袋を峰に渡すと、山崎は席を立った。

「ありがとう」

 女子サッカー部の部員たちにはケガの防止やパフォーマンス向上のために菓子や炭酸飲料を節制するよう指導している手前、自らも仕事中の間食を控えている峰は、差し入れに嬉しそうである。

「唐揚げ弁当よ。残業、早く片付けなさいよ」

 席を立ち、手に持っていたジャケットを肩に掛け、戸口に向かって歩き出した山崎だが、途中で歩みを止め、振り返った。

「そういえば、長谷川さんが病院に行った後なんだけど、男子サッカー部の子が一人、女子サッカー部のマネージャーたちにいじわるされてた」

「それって、もしかして服部君かしら」

「だれ」

「長谷川さんの練習相手をしてくれている男子サッカー部員。両親は今年から私達の同僚よ」

「服部って、あの話題の、元スイスの諜報員とCIAの夫婦のこと?」

「そうよ。そのお二人のお子さんよ」

「マネージャーたちは長谷川さんの怪我の原因が練習相手のせいだと勘違いしたのかな」

 山崎が心配そうな表情を浮かべる。普段、楽天的な山崎だが、イジメにつながりそうなことには敏感だった。

「たぶん、そんなところでしょ。でも、すぐに誤解と気付くと思う。三浦先生も長谷川さんも服部くんのせいだなんて一言も言っていなかった」

 練習で陸のクリーンでスマートな守備を見たことがある峰は肉離れという症状からも今回の怪我は千代の自損事故だと思っている。

「それなら、心配なさそうね」峰の言葉に安堵の表情を浮かべる山崎に、

「ありがとう、教えてくれて。私の方でもちょっと気に掛けておくわ」

 そう言って山崎を見送ると、峰は椅子に座りなおして、今日中に終わらせるべき仕事に取り掛かった。週末に迫った、千代抜きの都大会決勝をどう戦うか早く検討したい。明日の練習前にそれを部員たちに伝え、限られた時間の中でそのための戦術を落とし込まなければならない。千代だけでなく、女子サッカー部の全員が峰にとってかわいい教え子である。彼女らをなんとか、自分もかつて立った全国大会の舞台に連れていってやりたかった。














 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日本サッカー 市川睦 @brody2017

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ