小説の真理を悟った話

 実は小説の真理を悟ったんだよね。

 こういうことを言い出すと、宗教にハマった人みたいに聞こえるかもしれない。

 でも、最後まで聞いてくれたら嬉しい。


◇◆◇◆◇◆


 小説は地の文と会話文。

 この二つの要素だけで作られている。

 これは誰もが分かる話だと思うんだけど。


 これを突き詰めたらさ——。


 私たち作家という生き物は——。


 「」と「」を繋げるために、地の文を書いているのではないかと思っちゃいました。


 いや、もっと言えば——。


 「」と「」を繋げるために、地の文を埋めているんだと思います。


◇◆◇◆◇◆


 例えば——。


「待ってよ!!」


 鈴子は叫んだ。

 だが、先を歩く美優は足を止めなかった。

 解けた靴紐を結び直し、鈴子は駆け出す。


「置いてかないでよ〜!! 美優っ!!」


◇◆◇◆◇◆


 ねぇ?

 私の言ってることが分かるでしょ??

 以前から同じことを何度も思ってたんだ。

 

 そもそも論。


 小説の地の文というのは——。


 「」と「」を繋げる役割。

 「」では表現できない情報提示。


 この二つの役割を担っているに過ぎない。


 だから——。


 会話文さえ完成すれば小説は8割型終わってる。あとは「」と「」を繋げて、「」では不足している情報を提示するだけではないか。


◇◆◇◆◇◆


 手塚治虫氏が『漫画記号論』を提唱したが、私も『小説記号論』を提唱したい。


 簡単に私の理論を説明すると——。


 地の文は、「」と「」の間にピッタリな表現が選ばれているだけとでもいいのかな?

 「」と「」が繋がっているように見える地の文を挟むことで、それっぽくさせている。


 キャラクターの喜怒哀楽に合わせた語彙や表現を選んでいるだけ。言わば、喜怒哀楽の感情表現はパターン化されていて、その紋切り型な表現を取捨選択しているだけ。


 分かりやすく説明すると——。


『笑う』という表現には——。


 笑う、微笑む、口を緩める、頬を緩める、口の端を上げる、口角を上げる、目元を細くする、笑顔を作る、笑みを浮かべる……。


 みたいな感じで「笑う」には、様々な表現があると思うのである。


 で——。


 この表現を私たちはストックさせて、小説のその場、その場でふさわしい表現を使っているだけなんじゃないかなと。

 もっと言えば、その場、その場にふさわしそうな表現を使って、ただ当てはめてるだけなんじゃないかなと。


 「写真で一言」みたいな感じで、ただただ言葉を当てはめてるだけなんじゃないかなと。ただ、言われてみれば、「そうかもしれない」と納得できるから、そう思うだけで。


◇◆◇◆◇◆


 今回の内容は抽象度が高かったと思う。

 我ながらまだまだ具体的にできてない。

 ただ言いたいことは言えました。


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