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「……ティンカーベル・クォーツ、ピンクファイヤー・クォーツ、コベライト・イン・クォーツ」


 石の呼び名を、静かに並び立てる。


「どれもきっと、今までに聞いたことがない名前だと思います」

「そうだな。初めて聞いたよ」

「有名な石ではなく、ジュエリーに使われることもほとんどありません。ですがこの指輪は、一号店……母と父が営む店に、商品として置いてあったんです。今から十五年ほど前のことです。夢のようにきらきらとしたショーウィンドウの中で、この指輪が一際輝いていました。本当に美しかったんです」


 そのことを、運命のようにも、奇跡のようにも思う。

 とにかく私にとって、本当に幸運なことだった。


「見惚れていたら、母――その時点では母ではなかった女性に、声をかけられました。中にいらっしゃい、って。優しく手を引いて、お店の中に入れてくれました。『どの宝石が一番好き?』なんて、すごく難しい質問をされて……ふふ、困ったんですけど、私はこのティンカーベル・クォーツを選びました」


 相槌もなく、静かに……けれど確かに聞いてくださっているとわかるこの空間が、心地いい。


「そうして話しているうちに、私が精霊に愛されていることがわかって、うちの子にならないかって言われて。……私、身寄りがなかったんです。悲しい過去はないので、ただの事実として聞いてくださいね」


 身寄りのない子どもに、悲しい過去がないわけがない。でも私にとって、この世界に悲しい過去なんて一切ないから。これは嘘じゃないのだ。

 フェリシアンさんは訝しむ様子も、同情する様子も見せずに、優しい顔でこくりとうなずいてくれた。


「ありがとうございます。……その後、父にも会いにいきました。このティンカーベル・クォーツの指輪はそのとき、父からもらったものです。もらってすぐに魔力を流して、私の魔力がどれだけ魔宝石を美しくするのか知りました。父は、この力があるから私を養子に迎えたいけど、私を利用する気はないとはっきり言ってくれました。この輝きを見ただけで、もう人生に悔いはないって」


 ありえない仮定だけど、もしも両親がお金のために商売をしているような人だったら、どうなっていただろう。

 絶望的な状況には変わりないから、きっと養子になることを承諾して、そして促されるまま、いろんな魔宝石に魔力をこめたかもしれない。


 そうじゃなくて。

 宝石を純粋に愛している人たちで、本当によかった。


「だから私は、二人の養子になることを決めました。私はどんな石も愛していますし、それぞれの個性を美しく思いますが、このティンカーベル・クォーツ以上に綺麗なものを知りません。大好きな家族との縁を結んでくれたものなので、なおさら美しく感じるんです。誰かに自慢したいな、と思っていたんですが、なかなか見せる機会も話せる機会もなく……ごめんなさい、急にこんな話」


 おそらく、思っていた以上に個人的な話で驚かせてしまっただろう。謝る必要はないと言われると確信していても、つい謝罪が口から飛び出る。


「聞きたいと言ったのは私なんだから、謝らないでくれ。……嬉しいものだな。きみの話を聞けるのは」


 そう言って、フェリシアンさんはふわりと穏やかに笑った。

 きみの話、というのはきっと、仕事も何も関係のない個人的な話、という意味だろう。アナベルのことを話題に出すことはあったけれど、話の流れで出すだけで、積極的に話していたわけでもない。

 フェリシアンさんもやっぱり、こういう個人的な話ができていないことを気にしていたんだろうか。


「話してくれてありがとう。このティンカーベル・クォーツが、ますます美しく見える」

「それは……本当に、嬉しいです。こちらこそ、聞いてくださってありがとうございます。フェリシアンさんにお話しすることができてよかったです」


 そこでようやく緊張が解けて、私は小さく息を吐いた。鼻歌でも歌いたいくらいに軽やかな気持ちだった。

 大切な話を、信頼できる誰かに知ってもらえるのって嬉しい。

 私の周りをふわふわきらきらしている精霊も、どこか嬉しそうに、空中でステップでも踏むような動きをしていた。


「フェリシアンさんと呼ぶのも随分と慣れてくれたな」

「……初めてお会いしてから、もう随分と経ちましたから」


 なんとなく気恥ずかしくて、随分と、とあえて同じ表現を使って返す。

 フェリシアンさんの初来店から、四か月ちょっと。週に一、二度は必ず来てくださるのだから、慣れないわけがない。


「呼び捨てでも構わないが」

「さすがに恐れ多いです」

「フェリスでもいい」

「ふ、ふふ、なぜさらに難易度を上げるんですか?」


 思わず笑ってしまうと、「冗談だ」とフェリシアンさんもくすりと笑った。

 フェリス……いや、さすがに呼べるわけがない。心の中で試してみたが、それだけで落ち着かない気持ちになった。


「だがいつだって、呼びたいと思えば呼んでくれ」

「……フェリシアンさんを愛称で呼ぶ方は、この世に何人いらっしゃるんですか?」

「常に呼ぶのは第二王子と両親で、あとはセリィがたまにフェリスお兄様と呼んでくれるだけだな」

「そ、そんな貴重な権利を私に……」

「それだけ私は、きみのことを尊敬しているんだよ」


 惜しげもなく向けられた言葉がくすぐったい。また笑ってしまいそうになるのを我慢する。

 ……そろそろパパラチアサファイアを、とも思うけど、この流れならあっちのほうがいいかも。


「私も尊敬と信頼をこめて、とあるプレゼントをしたいのですが、受け取っていただけますか?」

「……きみが、私に贈り物を?」


 フェリシアンさんはきょとんと目を瞬いた。

 それにうなずいて、「少し失礼します」と断ってから、もう一つケースを持ってくる。そのケースに収められているのは、私個人が持っていたキャッツアイのルースだ。


「このキャッツアイは私が個人的に所有していたものです。石自体のクオリティはそれほど高くありませんが、私の魔力をこめてあります」


 ふわふわふわ……とこちらにも精霊が集まっている。うんうん、綺麗だよね、このキャッツアイ。

 元から美しかったけど、私の魔力によって、石本来の輝きも石から漏れ出る魔力の輝きも、とても強まっている。通常のキャッツアイの魔力に見られるような気まぐれな動きはなりを潜め、凛としたお行儀のよい猫ちゃんのようだった。


「猫の目のような光がうねっているのも少し眠たげに見えてとても可愛いですし、インクルージョンやヒビの入り方も個性的で、半透明のくすんだ緑色も相まって、魔女が暮らす森のような、不思議な雰囲気がして好きなんです」


 ジュエリーショップでこんなクオリティのものを扱うことはないだろう。私はすごく好きなんだけど。


「……その好きな宝石を、なぜ私にくれるんだ? 魔力をこめてまで」

「普段からお世話になっているお礼をさせていただきたいんです。フェリシアンさんやセレスティーヌ様のおかげで、貴族の方からのご予約が絶えないので……」

「初めの頃は確かに私たちの力もあったかもしれないが、今はもうこの店の実力だろう」

「だとしても、感謝を形にしたいんです。それにこの頃、キャッツアイが少し気になっているように見えましたから」


 第三王女殿下の注文に影響されてキャッツアイが気になっている可能性を考え、先日いくつかジュエリー(ユリス様に見せたものとはまた別のものを少数)を見せたのだが、いつもより反応がいいように思えた。

 とはいえ、そのときは結局ぴんとくるものがなかったのか、購入はされなかった。同じ種類の石を間を空けず見るのもつまらないかと思って、それからキャッツアイは見せていなかったのだけど……。

 なら私が持っているものを差し上げたいな、と思ったのだ。


「……あ。も、もちろん、このキャッツアイが気に入らない場合には持ち帰ります!」


 慌てて補足する。

 好みも確認せずにプレゼントなんて、あまりにも自己満足すぎる。フェリシアンさんのことだから無理にでも受け取ってくださるだろうけど、もちろん無理はさせたくない。

 お礼を言われたとしても、それが本心かどうかちゃんと判別しないと……!


「――気に入らないわけがない。どうか受け取らせてくれ」


 ……判別のため、気合を入れてじっと見ていたからこそ、眩しさに目が焼かれるかと思った。精霊の眩しさではなく、フェリシアンさんの微笑みの眩しさに。

 人の笑顔が精霊や魔宝石より眩しいことってある!? あるからこんなことになっているのである。

 言葉が詰まってしまって、ケースをすっ……とフェリシアンさん側に押し出すことしかできなかった。


「ありがとう。誰にも見られないほうがいいだろうし、自室に大切にしまっておこう」

「セ、セレスティーヌ様にお見せするのは問題ありません。他の方には確かに見せないほうがいいでしょうが……」

「わかった。ではお言葉に甘えて、セリィには自慢させてもらう」


 ただ見せるのではなく、自慢。この方も自慢とかするんだ……。

 セレスティーヌ様もそれに対して素直に羨ましがったりするんだろうか。微笑ましい光景を想像して、小さく笑う。


「セレスティーヌ様によろしくお伝えください。……では、次はパパラチアサファイアをお見せしますね!」


 なんとなく気恥ずかしくなってしまって、急いで次の話題に移ることにした。


「パパラチアサファイアは、最も美しいサファイアと言われています。希少性も高く、世界三大希少石に数えられるほどです。特徴的なのはこの色味でして……」


 パパラチアサファイアのルースが入ったケースをフェリシアンさんのほうへ向ける。

 私はジュエリーも好きだけど、自分で持つ分にはルースのほうが好きだ。その石の美しさをより楽しめると思うし、他にどんな石を組み合わせ、どんなデザインのジュエリーにするか、想像を膨らませるのも楽しいから。ティンカーベル・クォーツ以外はすべてルースで持っている。


「ピンクとオレンジの中間のような絶妙な色が、パパラチアサファイア最大の魅力です。ピンクかオレンジ、どちらかの色が強ければ、それはもうパパラチアサファイアではなく、ピンクサファイア、オレンジサファイアとして鑑別されます」

「パパラチア、というのも、何か色を表す言葉なのか?」


 フェリシアンさんは興味深そうに石を覗きこむ。


「蓮の花を意味する言葉です。名づけの由来はそのまま、蓮の花の色に似ているため……なんですが、私にとってはもっと身近な色に似ていまして……これもまた個人的な話で申し訳ないのですが……」


 口ごもる私に、フェリシアンさんは「話してくれ」と言ってくれた。なんとなく面白がっているようにも見えるから、私がこんな言い方をする、というところからもう予測がついているのかもしれない。

 こほんと小さく咳ばらいをする。


「……私の妹の瞳の色に似ているんです」 


 フェリシアンさんはくつりと喉の奥で笑って、目線で続きを促してきた。


「もう一目でこれしかないと思うほど似ていました。それなのに、魔力をこめたらさらに妹の瞳に近づいてくれて……! どこか温かみのある可憐な輝きが、本当に妹の瞳そっくりなんです」

「妹君にもいつか会ってみたいものだ」

「ふふ、近々機会もあるかと思います。この店で働いてくれる予定なので」


 それは楽しみだ、とフェリシアンさんは微笑んだ。



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