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「――ユリス様、先日はありがとうございました。あの猫は第三王女殿下の猫で間違いなく、無事殿下のもとへお届けすることができました」


 この前ゆっくり見れなかったキャッツアイをちゃんと見たい、とのことで、ユリス様が来店された。あのとき用意していたキャッツアイは、あれから他のお客様に見せることもせず、すべてそのまま残してあった。

 ジュエリートレイやボックスに入れたキャッツアイをテーブルに並べ、改めて感謝を伝えて深々と頭を下げると、ユリス様は軽やかに笑った。


「ならよかったよ。アチェールビ伯爵、俺のことなんか言ってた?」

「……申し訳ございません、他のお客様の話はできかねます」


 謝った私の様子を窺って、「その感じなら大丈夫そうかな」とほっとしたようにうなずく。

 ……私、もっとポーカーフェイスを身につけたほうがいい? 申し訳なさ以外表情に出さないようにしたつもりだったんだけどな……。

 ちょっとしたショックを受けているうちに、ユリス様は飄々と続けた。


「別に知られてまずいことがあるわけじゃないんだよ。名乗りそびれたけど、まあ特にここで言う必要ないかなって思っただけで、貴族ってこと隠してるわけでもないし。店長さん……この呼び方、いい加減めんどくさくなってきたな。名前教えてくれる?」

「エマと申します」

「エマさんも、俺が貴族だって気づいてたよね?」

「はい。……差し出がましいようですが、私に敬称はご不要です」

「ちゃんと真っ当に接したい女の子のことは、呼び捨てにしない主義なんだ」


 にっこりと即答される。

 ……真っ当じゃない接し方をする女の子もいるような口ぶりだ。きっと本当にそうなのだろうけど、私やターニャへの態度は誠実だから、あまり考えたくないことだった。


「あと、もうちょっと態度崩していいってば」

「……失礼しました。気をつけます」


 うん、と満足そうにうなずいたユリス様は、「あ」とふと表情を陰らせた。


「知られてまずいことがないっていうの、ちょっと嘘かも。できればターニャさんにはバレたくないことがある。もし今後、君が俺のことを何か聞いたとしても、ターニャさんにはなんにも言わないでほしいな」

「わかりました」


 言われずとも、お客様の情報を勝手に話すようなことはしない。

 真剣にうなずいた私に、けれどユリス様は少々疑わし気だった。


「すごいあっさり了承してくれるんだね……?」

「断る理由がありません。ターニャを騙そうとしているのなら話は別ですが……」

「ないない、それはない」


 割と必死に首を振られたので、ですよね、と軽く相槌を打つ。

 ユリス様のあの奥手な態度が演技、ということはなかなか考えづらい。彼から感じるターニャへの好意は本物……だと……思う、んだけど……。

 婚約までした恋人に浮気されてフラれたことがある私に、そんなことを自信満々に言いきれるわけもないのだった。でも自信はそこそこ、なくもない。


 そんな私の思考を見透かしたように、ユリス様はやけに静かに聞こえる声で言った。


「勘違いしてたら困るから言うんだけど。俺、ターニャさんのこと好きなわけじゃないからね」


 あんなわかりやすい態度をしておいて!?

 という言葉は呑み込んだ。代わりのように、あんなわかりやすい態度をしておいて……? と心の中だけで繰り返す。


「……すみません。勘違いしていました」

「だと思った」


 ユリス様が小さく笑う。自嘲しているようにも聞こえる笑いだった。


「好きじゃないよ、ほんとに。もちろん、人として好ましくは思ってるけどね。ああいうタイプ、今まで周りにいなかったから面白いし。まあ、面白いのはエマさんも一緒なんだけど……」

「面白い、でしょうか……」


 初来店の日にも言われたが、自分ではぴんと来ない。

 仕事一筋で、割と面白味のない人間だと思うんだけど……仕事人って時点で、物珍しくて面白いんだろうか。


「そこら辺の商人と話すとさ、いかに高い物を売りつけようかって考えてるのがばればれなんだよね。いい品を揃えてるって自負はあるんだろうけど、それにしたって、相手に寄り添うってことがほとんどない。でも君は商品一つ一つを愛してるのがわかるし、俺の反応を見て、値段とか関係なしにこっちが求めてそうなやつ出してくれるし」


 流されるかと思った私の疑問に、ユリス様は丁寧に答えてくれた。


「面白いよ、君は。そうじゃなかったらこんなに何回も来てない」

「……あ、ありがとうございます」


 そこまでこの店を気に入ってくれているとは思っていなかったので、つい動揺してしまった。気に入ってくれているとしても、ユリス様がこんなに言葉を尽くして褒めてくれるとは思わなかった、というか……。

 私の反応に、ユリス様はちょっとおかしそうに笑った。


「ターニャさんも、まったく裏がなくってさぁ……なさすぎてほんとに面白い。あんまり喋らないけど、表情はものすっごくわかりやすいし。絶対俺のこと、なんだこいつ……としか思ってないよ、あれ」

「……」

「そうだと思います、とか同意しちゃっていいよ。そのくらいで怒ったりしないし」

「……では、確実にそうだと思います」

「ふ、あはっ、確実に。だよね。もっと仲良くなりたいなぁ」


 そうつぶやいたユリス様の声には、なんとなくほのかな熱がこもっているような気がした。自身でもそれに気づいたのか、はっとした顔で、「好きなわけじゃないからね」と念押ししてくる。


「どうせ俺、もう婚約してるから。恋愛結婚なんて夢のまた夢なのに、誰かに恋とか不毛なことしないよ」


 それはまるで、そうでなければターニャに恋をしたかった、と言っているようだった。


「でもレディー・サニエ……ああ、まだ婚約の段階だから、レディー・ベルナデットって呼んだほうがいっか。彼女みたいなめちゃくちゃな恋愛結婚にも憧れはするよね。いくら最近は恋愛結婚も増えてきたって言ってもさー、あんなの、そう簡単にできないよ」


 貴族の間で恋愛結婚が増えてきている……それは知らない情報だった。

 ベルナデット様は随分前からご両親に恋愛結婚を勧められていたが、「いっそ他の家みたいに、勝手に婚約を決めてくれれば楽なのに」とぼやいていたことがある。その話を聞いた時点ではおそらく、恋愛結婚は珍しいことだったはずだ。

 ……いや、でも、ベルナデット様も世情に通じた方ではないからな……。


「恋愛結婚も増えてきているんですね……。ほとんどが政略結婚かと思っていました」

「もちろんまだまだ、政略結婚が主流だけどね。でもレディー・ベルナデットの影響で、これからますます増えていくかも。彼女、変わってるけど……変わってるから、って言うべきかな。あの美しさが理由であることも間違いないけど、性別問わずの人気者だから、彼女のやることなすこと、憧れちゃう奴も多いんだよね」


 きっと私も、貴族として生まれていたらベルナデット様に憧れただろう。それだけ強い魅力を持った方だ。

 実際は店員とお客様として出会ったから、宝石好きの同志として仲間意識を覚えてしまっているわけだけれど。


「でもうちの両親、頭固いからなぁ。流行りに流されたりはしないだろうね。今の婚約者殿から婚約破棄でもされない限り、来年には結婚ってところ」


 にぱっと笑って、ユリス様はキャッツアイへ視線を落とした。


「そろそろ宝石の話聞かせてよ。あと、もしかしてこれってわざわざターニャさんの宝石の色と揃えてくれた? 別の色も見たいな」

「かしこまりました」


 先日見せたときには、別の色も見たい、とは言わなかった。むしろ、黄緑色ばかりのキャッツアイを見て、嬉しそうに目を細めていたのに。

 ……したくない話を、させてしまったかも。

 ご要望どおり、別の色のキャッツアイもいくつか持ってくる。ユリス様はそれらをじいっと見つめながら私の話を聞き、黄色のキャッツアイのリングを購入された。




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