第19話「エレベーターの先には」

チーンと旧式の鐘の音が鳴ると、エレベーターのドアが上からゆっくりと降りてきて彼らを下へと運んでいった。途中でがたんと大きく横に揺れ、進行方向が変わったようだ。このエレベーターは上下だけでなく左右にも動くことができるらしい。ウバイドは自分が今どこを通っているのか分からなくなってしまった。キョンは自分が何処に運ばれているかなどまるで興味がないのか、その場で目を輝かせながら古いエレベーターの薄汚れた壁を見つめていた。


***


再び旧式のベルの音が鳴り響くと、エレベーターのドアはゆっくりと上に去っていく。行き着いたのは薄暗い廊下のようであった。所々に蛍光ピンクの非常ライトが設置されており、うっすらと緑色に色付いた床のタイルや壁を照らしている。何かの薬品で緑色なのか、苔や藻、カビなどが生えて緑色なのか。ただしウバイドの嗅覚は、微量な火薬の臭いとシンナーのようなツンとする臭いを捉えていた。その廊下はエレベーターを出て左右の方向に続いており、左側の廊下の先には、明かりのついた部屋の入り口が見えている。キョンはその明かりを見つけるな否や、明かり目がけて真っ直ぐに走っていく。ウバイドはキョンを静止しようと声を掛けたが、その声は長い廊下の冷えた空気に反響していくだけでキョンの意識には届いていないようだった。靴音だけが頼りの少年の影は、やがてその明かりを遮る形で廊下奥の扉の奥へと消えていった。何の説明も受けていない一人の青年ウバイドは、しばらくその廊下のど真ん中に佇んでいた。エレベーターが再びどこか別の場所へ向かおうと扉を閉じると、彼のケツを叩くようにその場を離れてしまう。エレベーターから漏れ出ていた強い光が消え、暗さに慣れないウバイドの視界は深淵に沈む。心細さに耐えきれず、ウバイドは左の廊下の先の僅かな明かり目掛けて歩き出した。若干輪郭の見えるタイルの網目は、水で湿っているのかウバイドの足を滑らせる。彼は一歩一歩力を込めながら扉へ向かった。扉の目の前に来ると、光はドアの隙間と空気孔から漏れ出ていた。遠くからは白い光に見えていたが、近くから見るとやや桃色がかった光だ。ウバイドは量産型のスチールでできた丸いドアノブをゆっくりと回し、部屋に入った。


***

 

 そこは廊下よりは明るく、しかし廊下を少し膨らませたような空間だった。同じような網目のタイルの床に、緑がかった壁。事務用の長い机や本棚が乱雑に置かれ、誰かが作業していたであろうコンピュータと書類が散乱している。部屋の奥部はバスルームにあるようなモザイク調のカーテンに遮られていた。別の場所に続く扉も部屋の隅に設置されている。キョンはその部屋の中にはいなかった。ウバイドは恐る恐る、モザイク調のカーテンに近づいていく。水垢か埃か、ビニールのような材質のソレは酷く汚れていた。カーテンに遮られている空間は真っ暗だが、奥にネオンの輝きが点や線となって浮かんでいた。形は分からないが、大小様々な物体が整列されて置いてあることは分かった。ウバイドはそのカーテンに恐る恐る近づいて行く。カーテンの奥からも人影が同様に近づいているのに次第に気づいた。ウバイドは立ち止まる。じっとカーテンの隙間を見つめる。緊張感がその場を走っていた。その部屋は酷く冷えていたが、ウバイドの額からは汗が滲んだ。彼の喉仏が大きく上下したその時。カーテンが勢いよく左右に開かれる。カーテンリングが支柱を雑に滑る。人影はウバイドの前に姿を現した。ウバイドはびくと肩を揺らした。足の裏は、緑に汚れたタイルの床にしっかりと密着して離れなかった。ウバイドの全身は依然として硬直状態にあったが、その人影の正体が鮮明になると次第に緊張が解けていく。突然カーテンを開けた者の正体は、先ほどキョンを怒りつけていた女性であった。大ぶりの白衣の袖から出た細い腕はしっかりとカーテンを握り、ウバイドの顔をまじまじと見てにっと笑った。


「どこの誰だか知らないけど、私に何か用があるなら先に一本電話を入れてほしいものだね。」


「…ああ、すみません。」


「君、さっきキョンと一緒にいた人でしょう。キョンってば、ろくに説明もせずに冷蔵庫の方に行ってしまったからあなたのことは何も知らないの。」


 RyuRyu-Cと呼ばれていた女性は穏やかながらも懐疑的な口調で問い詰めた。腕を組み、じりじりとウバイドの方へにじり寄っていく。


「ウバイドと申します。つい最近白砂漠からこの街へ来たばかりで…貴女のこともキョンから少し話を聞いているくらいです」


「成る程、新参者って訳ね。ようこそLosers’ Heavenへ。そしてRyuRyu-CのNeon Labへ。私はこの研究室の主人、RyuRyu-C。読みはりゅりゅしー。よろしくねウバイド」


「はい。よろしくお願いします。」

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