内藤愛美 前編
繁華街を一人で歩いていた内藤愛美は男に声をかけられた。
「美人のお姉さん。お一人ですか?時間ありません?俺とお話しませんか。」
その男は身なりをキレイに整え、自身がイケメンである事を主張しているかのようだ。間違いない、ナンパだ。愛美は男に目を向ける事も、言葉を返す事もなく歩を進めた。
「ちょっと、無視するの酷くないですか。」
それでもナンパ男は食い下り、誰が聞きたいのか分からない男の自慢話を謳いだした。当然、愛美はそんな話は興味ない。平静を装って歩調を速めた。
愛美は内心溜め息をついた。そして、思う。
しつこいな、もう。この男は私の何が良くて声をかけてきたのよ。言ってる内容も自分の事ばっかりじゃない。私の事を思うならば、無駄な言葉を垂れ流しているその口を閉じてくれないかしら。今の私は凄くイライラしているのよ。さらにイライラする出来事なんていらないわよ。
ナンパ男は数十メートル進んでも食い下がって来た。愛美はナンパ男を睨みつけた。
この男を黙らせるために、ビンタの一つでも御見舞してあげようかと考えた矢先、睨まれたナンパ男は怖気づいたらしく、次のターゲットを求めて愛美から離れていった。諦めたらしい。
なんなのよ、まったく。愛美は心の中で再び溜め息をついた。
愛美は現在同棲中の恋人、中川助久と喧嘩して家を飛び出して来た。今は宛もなく街中を歩いている。自分から家を飛び出したので今日は帰りづらい。漫喫の個室で一夜を過ごそうと思ってここまで来たのだが、数店ある漫喫はどこへ行っても満室だった。
運がない、愛美はそう思った。
まだ早い時間だ。仕事終わりのサラリーマンやOL、遊び疲れて一休みしている人もいるのだろう。
再び声をかけられて無視するのも億劫だ、そう思った愛美は街中を離れる事にした。そして、向かった先は近くの公園。人も居なくて街の喧騒も届かない。とても静がな場所だ。ポツポツと灯る街灯が申し訳程度に園内を照らしている。街中を見た後だからだろう、まるでこの公園だけ別の世界のように感じられた。
愛美は入口近くのベンチを選んで座った。
溜め息と共に憂鬱を吐き出す。歩いている間もずっと考えていた。一時間程前に助久とした口論の事を。
「仕方ない・・・・か、私にだって分かってるわよ、そんな事。」
愛美はポツリと呟いた。
愛美が助久と同棲を始めて二年になる。愛美が事務として働き、助久は不動産関係の仕事をしている。助久は努力家だ。よく参考書を開いて勉強している。そして、何に使うのか分からない名前の資格を取得していた。この数年で何個も。だけど、資格を取り、助久の仕事が忙しくなるにつれ、二人の休みの日を合わせるのが難しくなった。確かに、助久の頑張りと共に彼の収入は多くなったようだ。だけど、何ヶ月も二人の休みが重なってない。今週末の土曜日、久しぶりに二人共休みの日ができた。二人で出かける事になった。久しぶりの助久とのデート。愛美は素直に嬉しかった。先週からワクワクして、当日着る服を夜な夜な考えたりしていた。
だけど今日、愛美が仕事から帰宅すると、先に帰宅していた助久が頭を下げて言った。
「愛美、ごめん。今度の土曜にどうしても外せない仕事が入っちゃって・・・。」
愛美は助久の言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要した。
「えっ、その日って久しぶりに・・・なんで。」
「先方がこの日じゃないと時間取れないって言い出しちゃって。仕方ないなって。だから、ごめん。」
助久にそう言われた事は覚えている。その後、愛美が感情的に助久を罵った事も、そこから口論に発展した事も。その時に愛美がどんな事を言って、どんな言葉を使ったのかはよく覚えていない。助久に何を言われたのかも。溢れ出す感情が口から出たのだ。怒りなのか、悲しさなのか、あるいは両方だったのか。最終的に愛美は家を飛び出してしまったのだ。
助久が頑張っているのは愛美のためでもある。それは頭では理解している。でも、分かっていても納得できない事もある。それも分かってほしい。
「・・・凄く楽しみにしてたんだから。」
弱々しい声で言った愛美は俯いて目を閉じた。
時間と共に熱くなった気持ちが冷めてくる。一人になった事で冷静さを取り戻してくる。今度は抱えている嫌な感情の行き場がない。助久がいればぶつける事だってできたのに。今は体中をグルグルと巡っている。苦しくて泣きそうだ。
愛美は溜め息をつくと、顔を上げて街灯を見た。少し目が潤んでいるのが自分でも分かる。
助久から愛情を感じ、彼と一緒にいるのが心地良い。それが支えで仕事を頑張ってこれた。短い時間でも彼と共に居られるのならと、デートだって我慢できた。本当は二人の時間がもっとほしい。助久はどう思っているのだろう。
今日のように彼を困らせるのは本意ではない。
「私の我儘・・・なのよね。」
自分に言い聞かせるように言葉にした。それでも気持ちを納得させるには時間がかかる事は分かっている。
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