第15話
クラスでも目立たぬよう、体育祭も実行委員会で皆を引っ張ったりしないよう、文化祭では粛々と科学部の展示の用意をしている、とりあえずそんな奴いたっけといういうような曖昧な位置を確保して高校生活を生きてきたのだと自負している。
勉強は、進学校なこともあるから学年十位以内に入るよう頑張ってきたつもりだ。
ああ、それなのに。
今日、朝学校に来たら靴箱に白い封筒が入っていた。
嫌な予感がして、急いで男子トイレに駆け込んで中身をそっと確認した。近年あまりお目に掛かれないくどいくらいの丸文字で、話があるから放課後学校近くの【ムーンチャイルド】という喫茶店に来て欲しいという内容だった。
こういう時、相談できる友人らしい友人が俺にはいない。クラスで話す友人はいるが、私的なことをべらべらと話すようなことをしないので少し難しい。
読むか分からないけれど、玲に連絡をしてみようか。
手紙の詳細を簡潔に書いたラインを玲に送る。すぐに既読になった。
〈ついに広見にも春が来たな、頑張れよ!〉
!の後に黄色の拳マーク付きで返事が来た。やっぱり、相談相手を間違えた。
「放課後は、お店があるからすぐに帰りたいんだけどなぁ……」
はあぁと大きくため息をつくと、トイレのドアを開けた。小便器で用を足している同じクラスの末次くんと思い切り目が合った。
「え、ああ、ごめん。俺の声、駄々洩れだったよね?」
「え、まぁ、うん」
急いで手を洗うと、ハンカチで手を拭きながら足早にトイレを出ようとした。
「―――ねぇ、金剛くん!お店って言っていたけど、バイトとか、してるの?」
「……え、いや、バイトじゃなくて、家が自営業だから手伝いしているだけ」
「凄いね、家の手伝いもして頭もよくて、俺はそんなに要領が良くないから頑張っても頑張っても二十番台が精一杯なんだよね。ねぇ、金剛くんはどういう勉強をしているの?効率よく点数を稼ぐ勉強方法とかってあるのかな?もう、今年が勝負所なのにいまいち成績に落とし込めてなくて、塾の掛け持ちもしているのに全然成果が出ないし。ちょっと、焦ってるんだよね」
末次くんは歯をぎりぎりと噛みしめながら前髪をわしゃわしゃと掻きむしった。目にも生気がなく、どんどん気持ち的に追い込まれているという様相だ。
トイレで話す内容でもないと思うが、俺はうーんと脳内で考えを巡らせてみる。
「俺は、基本的に週末とかにその一週間の授業のまとめを別のノートにまとめるって、だけかなぁ。あとは教学社の本を近所のおじさんたちから貰ったりするから解いてみたり……」
「教学社?」
「あ、ああ、赤本とか出しているところ。参考書買うお金もちょっと捻出できないからさ、商店街の人たちが過去に使ってた参考書や赤本を大量に貰ったりしてて」
「……へぇ、過去問を解いてその成績を保ってるんだ。もちろん、塾とかも通っているわけないよね?」
「そうだね。そんな時間ないし」
「俺は勉強にあらゆる時間をつぎ込んでいるのに、君の足元にも及ばないってわけか。羨ましいよ、期待されないって。重圧もないもんね」
末次くんはぎらっと下から見上げるように睨みつけると、そのまま俺の傍を足早に通り抜けていった。
あまり話したことのなかった末次くん。休み時間もずっと机に齧りついて勉強をしている印象があった。彼の横を通りかかったクラスの女子が、「末次、何かブツブツお経みたいに唱えてて怖いんだけどー」と話しているのを思い出した。
人生や時間を掛けるものは、人それぞれ違うと思う。末次くんは勉強であり、親から一心に期待を背負われているのだろう。
俺は、特に親に期待されたことはない。それは多分、良知兄さんも多聞兄さんも同じように頷くだろう。そのことに関して、二人の兄は今もコンプレックスとして残っている節がある。だけど、俺はそうでもない。もやもやとしたものは仏像制作に落とし込んでいたところがあるし、それ以外は両親の特性だからしょうがないかと諦念みたいなものが占めていた。
それに、期待すればするほどに自分が傷つくだけだと、中学時代に気付かされたから。
「ふむふむ、そうですなぁ、これはらぶれたぁという奴に間違いないのでは?」
「ひゃーやっぱり!ひろぽん、凄いじゃなぁい!あたし、初めて見るぅ!」
「瀬戸、そのひろぽんってのやっぱりやめない?」
俺は万策尽きて、結局科学部の門を叩いた。とはいえ、部活に戻るわけではないので、昼休みに同じ二年生で科学部の岸田〈あだ名:文豪〉、瀬戸〈あだ名:ゆきママ〉に助言を求めにやってきた。
「広見なんだからひろぽんでしょう。もうそれ一択しかないわ!」
「んーまぁ、いいけどさ。でも、二人ともごめん。科学甲子園の準備で忙しい時に。私的な悩みを持ち込んで」
「はっはっは、気にすることないですぞ。それに、我らは嬉しいのですよ。金剛殿はなかなか自分のことを話してはくださらないので、こうして悩みを打ち明けてくれることが」
「そーよ、ひろぽん、水臭いところがあるから。こうしてあたしたちを頼ってくれるのは大歓迎よ!にしても、今時の高校生で手紙ってのも古風だし、典型的な丸字って何か天然記念物級よねー」
「天然記念物級?」
「滅多にお目に掛かれない、ってことよ」
「なーるほど……でも、瀬戸【ムーンチャイルド】ってどこにあるか知ってる?」
瀬戸は純喫茶などを巡るのが好きらしい。将来は喫茶店のマスターになってゆったりと余生を過ごしたいらしい。決してクラブのママを目指しているわけではないそうだ。
「【ムーンチャイルド】……あそこかしら。本当に路地裏みたいなところにひっそりとあるんだけど、不定休だから開いていることが少ないのよね。白髭を蓄えた80代くらいのおじいさんが一人でやっているらしいんだけど、最近体調を崩して、代わりに孫娘が仕事と掛け持ちで切り盛りしているって噂で聞いたけど」
「流石瀬戸だね。ちょっと今日、行ってみるよ」
「金剛殿、一人で大丈夫しょうか?我々もこっそりとついて行っても構わないが……」
「いや、別に果たし状とかそういう訳じゃないだろうし。一人で行ってみるよ」
「―――ちょっと、昼休み部室を使うのは、科学甲子園の準備のためだって峰岸先生に許可を取ったはずでしょう?あんたたちのおしゃべりサロンじゃないの」
強い口調に声の方向を向くと、こちらを冷たい視線で睨みつけている上遠野さんが立っていた。彼女の気迫に岸田も瀬戸も恐れをなし、慌てて弁当箱やお菓子類を片付け始めた。
「それに、部外者は立ち入り禁止よ。金剛くんは、もう科学部を辞めたんだから」
「うん、そうだね。ごめん。ちょっと二人に相談したいことがあったんだ」
俺は弁当を持って急いで部室を出ようとした時、ひらっと白い封筒が落ちて上遠野さんの足元に着地した。
ムンクの叫びとばかりに両頬を押さえた岸田と瀬戸の表情は見事に真っ青だ。
「……何よこれ、金剛広見さま。読みづらい丸文字ね」
「あ、ごめん上遠野さん。それ、俺宛の手紙なんだ」
「そ、そそそそそうなんですよ、上遠野女史。今朝、金剛殿がその手紙を匿名で受け取ったみたいで、その相談を受けていたのです」
「……手紙」
上遠野さんの片眉が吊り上がっている。
「実家のお店の手伝いが忙しくて科学部を辞めたのに、こういう低俗なものには飛びつくのね、金剛くん」
「低俗って……そういう言い方はないだろう。相手の方もどういう意図を持って靴箱に入れたか分からないけど、真意を確かめる前にそういう言い方は良くないと思うよ。でも、本当に忙しい時にごめん。岸田も瀬戸もごめんな」
そう声を掛けると、岸田と瀬戸は大丈夫と言わんばかりに笑顔で親指を立てている。
部室のドアを閉める前に、とても傷ついたようにこちらを見やる上遠野さんの表情が一瞬目に入ってきた。
何で、上遠野さんがそんな顔をするんだろう。
色々言われて傷ついているのは、こちらの方だというのに。
放課後、緑皇高校の反対側にあたる通りを俺はゆっくりと歩いていた。ここもどうやら昔ながらの商店街のようで、玲の家のような青果店もあり、野澤精肉店のような肉屋と惣菜が一体になったお店など様々な店が点在している。高校帰りの生徒たちが美味しそうにコロッケを頬張っているのを見ると、自分のことのようで何だか心がほわっと温かくなった。
自分の靴箱に手紙が入れられていたということは、緑皇高校の生徒であることは間違いないと思う。そして、あまり緑皇高校の生徒が立ち寄らない通りの店を指示したというのも、何だか頷ける。まわりに知られたくないことなのだろう。
でも、今日は駒さんが遅番だと聞いているので早めに家に帰って良知兄さんの手伝いに入りたい。良知兄さんには少しいつもより遅れるとLINEしたが、兄さんは大体ブタのキャラクターの〈了解〉というスタンプしか返してくれない。どんなに店が混んできて戦々恐々としていても、そのスタンプ一つで安心させようとするだろう。
商店街を抜けて、裏路地に入ると一本の狭い道が目に入ってきた。この先通り抜けできませんという標識があったので、袋小路になっているらしい。
少しずつ先を進んでいくと、赤い窓枠に赤いドアの小さな建物が見えてきた。ドアのところに木枠の小さな看板が張り付けられており、【ムーンチャイルド】と書いてある。
こんな分かりづらい店の様相で、よく瀬戸はたどり着けていたな、と思う。凄まじい執念とリサーチ力だ。
ドアにはクローズともオープンとも札が掛かっていなかったので、とりあえずドアノブを掴み、ゆっくりと引いた。
ぎい、と軋む音を立ててドアが開いた。ドアの隙間からゆっくりとカウンターの方を見やると、そこには茶色のベリーショートの人物が立っていた。マスターの孫娘がやっていると瀬戸が話していたのが本当だとすれば、あの人物がそうなのかもしれない。
その人物は俯きながら何かをしているようだったが、俺に気付くと顔を上げてにっこりと笑みを浮かべて「いらっしゃいませ」と口にした。
「あの、すみません、ここで人と待ち合わせをしていて……」
「お連れ様は、もう奥でお待ちですよ」
彼女が手で促した先には、黒髪の男性らしき後姿が見える。肩幅もあり、自分と同じブレザーのため、明らかに女性ではなかった。手紙の主は来られなくなったのだろうか。
高まっていた気分がふっと落ち着くのを感じ、俺はそのままその人物の元へと向かった。
「すみません、お待たせをして―――」
その男性はとても美味しそうにコーヒーを飲んでいた。
「いいえ、さっき来たばかりなんで大丈夫ですよ」
俺は、その人物の顔に覚えがあった。忘れたくても忘れられない。でも、最後の彼の表情はもっと体全体に憎しみを纏わせるよう黒々とした光を放っていた。
「……楢崎、くん」
「ああ、良かった。覚えていてくれたんですね。一年以上も経ってしまったから、自分の犯した罪の念もすっかり忘れて、緑皇高校でスクールライフを謳歌しているのだと心配していましたよ。金剛先輩の科学部も入ろうかと思っていたのに、峰岸先生から最近辞めたって聞いたので、残念に思っていたんです」
「緑皇高校に、入ったんだね」
「ええ、すっごい勉強、頑張りましたよ。でも、金剛先輩と同じ高校に行きたかったので」
カツン、楢崎くんはソーサーにカップを置いてにっこりと笑った。
「僕の名前で手紙を出しても、金剛先輩は多分来てくれないと思ったので。匿名女子のフリをして手紙出してみたんですけど、ごめんなさい、もしかしてラブレターだと思っちゃいました?そうだとしたら、ごめんなさい浮足立たせちゃいましたかね?」
「……大丈夫だよ、そんなこと一切ないから」
「そうですよね?金剛先輩に限って、そんな低俗なことでいちいち反応しないですよね」
楢崎くんはふふっと笑みを漏らした。
「良かったら、座ってくださいよ。ここのコーヒー、とても美味しいんですよ。いづみさんが淹れてくださるコーヒーは絶品なんです。時間、ありますよね?」
有無を言わさぬ口調に、俺は自然と生唾を飲み込んだ。
「―――うん、大丈夫」
そして俺は、針のむしろたる赤色のソファーに座り、楢崎くんと対峙した。
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