第12話
法要が始まり、読経が始まった。
やはり、二日酔いが完全に治ったわけではないので、波のように襲ってくる胸やけや頭痛に耐え続けなければならなかった。
ふと横を見ると、神妙な面持ちで父の遺影を見つめる広見とは対照的に、心底面倒くさそうな多聞があからさまに大きな欠伸をかましている。
咎めるように何度か横目で促してみても、気づく気配は一向にない。
はぁ、と一息つくと前を見据えた。
そして、親族とは異なる唯一の参列者に、駒さんがいることにやはり違和感を感じていた。もちろん、日頃お店を手伝ってくれているし、むしろ大きな戦力に違いないのだが、それだけで法要に参列するものだろうか。駒さんは母と対峙し、深々とお辞儀をすると、父に幼少期に多大な恩義を受けたので参列させてくれませんか?、としか口にしなかった。
ただ、その一言で母はすべてを悟ったのか、「ぜひ駒ちゃんもあの人を送ってあげて」と普段聞いたこともないような優しい声で言った。僕は耳を疑った。僕たち家族は誰一人としてそんな母の人を労わるような台詞を聞いたことがないからだ。
多聞も、目を丸くして、咥えようと取り出した煙草をぽろっと地面に落としてしまったくらいだ。
駒さんは、顔をくしゃくしゃにして「ありがとうございます」と呟いた。
昔、駒さんと父と母の間にどんな関りがあったのか知らない。だけど、母と駒さんの間にはあらためて思い出を言葉にして振り返る必要もないくらいに、深いものがあるのだろう。それを僕を筆頭に教えて欲しいというのも、この法要の場ではなかなか難しい。いずれ、駒さんからぽつぽつと話してくれればいいなぁと思いつつ、僕はその雑念を払おうと軽く首を振ると、父の遺影と向き合った。
読経と焼香が終わり、納骨のためにお墓に移動することになった。
駒さんは「参列させていただいてありがとうございました」と一礼した。
「駒ちゃん、時間があるんだったら納骨を行うからお墓まで一緒に来ない?ここからマイクロバスで移動して40分くらいだけど」
「いえ、金剛家でもない私を参列させていただいて感謝のしようがありません。お焼香までさせていただいたので十分です。ここからは、皆さんで孝文さんのお別れをしてあげてください」
残念そうに眉を下げる母に、多聞は不快そうに眉間に皺を寄せている。
「んで、親父を下の名前で呼ぶ駒さんは、父からどんな恩義をもらったの?」
「―――多聞!」
制止の言葉に、多聞は表情を変えず駒さんを見つめたままだ。僕はそれ以上多聞を止める言葉を口に出来なかった。隣の広見も表情を変えないが、いつも店で一緒に働く時に見せる明るさは伺えない。
「そうですよね、いきなり店の従業員が四十九日の法要に参列させてほしい、なんて礼儀知らずにもほどがあると思います。眞純さんの許可を得たからといって。でも、幼い時に父を亡くし、母は精神を病んでしまい、途方に暮れていた私に、孝文さんは温かくて美味しいお惣菜をたくさん届けてくれました。誰かと温かいご飯をお腹いっぱい食べられることが、どんなに救われたか、分かりません。感謝してもしきれないくらいです。その後、母は知人の勧めで再婚しました。新しい父は優しくしてくれましたが、やはりその後に産まれた実子の方が可愛いのは当たり前だと思います。再婚した後も、孝文さんと眞純さんは元気にしているか気遣ってくれました。でも、バイトでお金を貯めて、奨学金で無事に大学に通えるようになれています。これも皆、金剛さんたちのおかげなんです。ありがとうございました」
駒さんは深々とお辞儀をした。その彼女を母さんは嬉しそうに見つめている。
でも、僕を含めて多聞も広見も多分、どこかしらっとした空気をまとっている。
父は僕たちとは食卓を囲んであまりご飯を食べたことがない。仕方がない、夕食の時間帯は店の営業時間だったし、終わった後もお店の片づけや次の日の仕込みもある。だけど、僕らとは違う、血の繋がりのない少女にはきちんと家族の在り方を見せていたんだ、と。
「……ふーん、駒さんにはちゃんと家族の形を築いていたんだ。俺たちには、ただ忙しく惣菜を作って売っているだけの人でしかなかったけどな」
「―――多聞!」
母が声を荒げた。だけど、多聞は無言でじっと見返している。想定外の対応に、母はそれ以上言葉を口にしなかった。
「多聞兄さん。駒さん、困ってるよ。今日は父さんの法要なんだし、母さんと言い合いしている場合じゃないよ。思うところはあってもさ、今日は我慢しよう」
「……まぁ、そうだな。広見の言うとおりだ。初対面なのに、色々と我が家の粗を提示するようなことをしてしまってすみません。今日は参列していただいてありがとうございました」
多聞にしては珍しく、すらすらと礼儀をもった言葉を述べている。ただ、そこには本音と建前をきちんと分けてはいるが。
「そうそう。駒さんは我が家の貴重な従業員さんなんだ。これからも、お店を手伝ってもらうつもりだから」
僕がそう言うと、多聞は目を丸くした。
「あ、そうなの?あの店で働いてくれている人だったんだ。それはたいっへん失礼致しました!じゃあ、親父に会いたくて、あの店を選んだって感じなの?いやぁそれは申し訳なかったね。親父、死んじゃってたから」
「―――あの!」
駒さんの強い声に、俺たち三人は彼女を見やった。先ほどとは違い、その目には怒りの色を滲ませている。
「さっきから、何なんですか?孝文さんや眞純さんに対して、失礼なことしか言ってないですよね?自分たちの血のつながった両親じゃないですか。必死にお店を運営して、あなたたちを育ててくれたんじゃないんですか?」
「まぁ、傍から見たらそうだよね。誰から見ても、身を粉にして働いて、ご飯もきちんと食べさせてくれて、家族経営の温かい家庭で幸せいっぱいに育てられた三兄弟って認識なんだろうね。駒さんのような、第三者にとっては」
多聞の言葉に、駒さんは片眉をひそませた。
「でもそれは、あなたが外部の人間だからだよ。金剛家の内情なんて、何一つ分かっていない。もちろん、親父や母さんには感謝しているさ。だけど、それは金銭面であって、精神面ではない。んーまぁ、あまりここで俺たちのことをぺらぺらと話してもしょうがないか。どうしても聞きたいんだったら、これからも仲良くお店を継続させていく兄貴と広見に聞いたらいいんじゃない?」
駒さんは何かを言いたそうに口を開いたが、こらえるように噛みしめた。僕と広見はどちらに同調することなく、黙秘を貫いた。
「金剛家の皆さま、バスの用意ができましたー」
セレモニーの担当者からの声が掛かり、俺たちは声の方向を向いた。
「それじゃあ、駒さん。またお店で」
「……はい、よろしくお願いします」
僕が声を掛けると、先ほどとは違い駒さんはか細い声で答えた。
マイクロバスの中はしんと静まり返っており、まるでお通夜のようだった。もうお通夜は疾うに終わっていたけれど。
車内禁煙ということで、出発前に一本吸った多聞は満足していたようだが、20分も過ぎるとニコチン不足なのか眉間に皺が寄るようになってしまった。広見はぼんやりと車窓を眺めている。僕はというと前方に一人座る母の様子が気になっていた。バスに乗り込む時に、母は僕たちに何か言いたそうに後ろを見やったが、そのまま静かに車内へ入っていった。車内には4人しかいないのに、各々離れた場所に座って黙っている。何とも息の詰まる移動時間になった。
まだ、父のよく聞いていたシャンソンのような曲を流してほしいと、セレモニーの担当の人に話せばよかったのかもしれない。
父が納骨されるお墓は、父の両親が眠っているところだ。祖父が亡くなったのは覚えているが、祖母は父が小さい時に亡くなったらしいので、写真でしか見たことがない。祖父はとても厳格な人だった。祖母は穏やかな人柄で、あまり父は怒られたことがないらしい。父の温和な人柄は、祖母譲りなのかもしれない。
小高い丘の上に、広い霊園があった。祖父の納骨の時やお墓参りなども両親が行っていたので、この場所に来るのは多分27歳になって初めてかもしれない。お墓参りくらい、連れて行ってくれればいいのにとも思っていたが、僕ではなく多分多聞あたりが大人しくしないだろうと思われたのか、大抵は安岡さんに見てもらって留守番をしていた。
「ここに来るの、俺は初めてじゃないよ」
「―――え!?」
「実はね、兄さんたちに内緒で父さんと一度来たことがあるんだ」
「……父さんは、広見が一番お気に入りだったもんなぁ」
「そんなんじゃないと思うよ。俺が、一番空気を読みすぎて疲弊していたのに気づいて、父さんが気晴らしのために連れてきてくれたのかも」
「……それは、あるかも」
「でしょう?損な性分だとは思うけど、兄さんたちと父さんと母さんの間を何とか正常に保たせるように頑張るのって、結構しんどいんだよ。良知兄さんは、ずっと自信なさげにびくびくしているし、多聞兄さんは大抵不機嫌そうにイライラして父さんや母さんに突っかかったりしてるし、あげくにさっさと家を出てっちゃうしさ。末っ子ってもっと甘やかされるものじゃないの?とも思っていたけど。でも、俺は甘やかされなくても良かったのかも。甘やかされて、蝶よ花よと育てられて、何もかも知らない間にあの店が、あの店で働く人たちの関係性が、悉く破壊されてからじゃ立ち直ることが出来ないからね」
「―――広見」
「おーい、何一人で正義ぶっちゃってんの」
声の方向を見ると、多聞は満足そうに一服していた。
「俺を家の中をめちゃくちゃにした悪者扱いしないでくれる?俺がめちゃくちゃにしたんじゃなくて、ずっと前からすでにめちゃくちゃだったんだよ。一人一人が違う方向向いていてさ。俺は、それを何とかしたかっただけ」
「うん、そうだね。多聞は、いや広見だって、皆頑張ってくれてた。僕も、早く父さんみたいに一人前にならなきゃって毎日毎日焦ってた。焦りすぎて、不安になって、違う仕事を探そうかと思ったこともあったけど。今は広見も手伝ってくれているし、毎日課題は残るけど、今は毎日がとても充実していると思うよ」
「あんたたち、始まるわよ」
離れたところから母の声がした。
納骨を終え、花を添え、線香に火を灯すとゆらりと細く煙がたなびいた。父は、無事にあの世に行けたのだろうか。あの世は、こちらの世界の文献なんかをたくさん読める図書館みたいなものはあるんだろうか。幼少時から、文学少年だったという父は、祖父の店を継ぐことになり、なかなか好きな本を読めなかっただろう。自分たちを育て上げなければならなかったのだから。
(何か、今日は不義理なことをいっぱい思ってごめん)
あの世では好きなことをたくさんできていればと思う。
マイクロバスでセレモニーホールに戻り、会食が行われた。だが、生前の父の思い出を語るわけでもなく、ただただ僕たちは粛々と出された御膳を口に運んだ。
「……私はね、あんたたちにちゃんと母としての役割を果たし切れていないなぁと思っていたの。今回だって、自分勝手に卒母して家を出ていっちゃったわけだから。でも、あんたたちが小さい頃は父さんとお店を守ることに必死で、学校で何を勉強していたのか、誰と友達なのか、何に悩んでいるのか、そういったことに逐一意識が回ってこなかった。店が赤字になれば店が潰れるかもしれない。あんたたちを路頭に迷わせてしまうかもしれない。毎日不安だった。父さんは生き残るために必死に新メニューを開発し続けた。それは、古参のお客を飽きさせないためだし、新規のお客を取り込むためのものだって、分かっていた。だけど、新メニューを作れば作るほど色々なコストが掛かってくる。考えなしに色々作るなって、イライラしてた。あんたたちにもあたってた。私と目が合うだけで、良知なんか怯えた顔をしてた。母親失格だって、思ってた」
母がぽつりぽつりと心の内を語りだした。
「多聞も、私のイライラが移っちゃったのか、ずっと目を吊り上げて抵抗していたわね。広見は、小さい頃から空気を読んでいたのか大人しくて育てやすいと思っていたけど、本当はその場の空気を読みすぎて無感情になっちゃったのかもしれないわね。あんたたたちには、本当に、申し訳ないことをしたと思っている。ごめんなさい。謝っても謝り切れない」
母は深々と頭を下げた。
「……何だ、ちゃんと分かっていたんだ。そのことに俺は驚いてるよ。なぁ?」
「うん、そうだね。母さん、昔からなりふり構わずだし自分勝手だから、心の機微には気づかない人だと思っていたよ」
広見は笑顔でそんな辛辣なことを口にするので、母は謝りながらも目を丸くしていた。
「でもね、母さん、もう俺たちだけで大丈夫だから。俺、今は学校とお店の両立が結構楽しいんだよね。兄さんと、駒さんと三人でお店を切り盛りしていくことがさ。だから、母さんは早苗さんっていう人と自分の人生を歩んでくれていいんだよ。後ろ髪引かれる、なんて思わなくていいから」
「そうそう、広見の言うとおりだよ。広見、凄いんだよ。金剛力士像、だよね?あの仏像をつかって販促物作ったりして、クリエイティブなんだから。父さんが死んで、母さんが出ていかなかったら、僕は家族や兄弟のありがたさを感じることが出来なかったのかもしれない」
僕や広見の言葉に、母はうっすらと口元に笑みを浮かべた。
「そう、母さんの思い過ごしだったのね。良かった。私は、あんたたちが幸せでいてくれることが、何よりの幸せだから」
隣の多聞は何も言わなかったが、唇を尖らせている。彼が嬉しい時にやる癖だ。
僕は飾られている父の遺影を見やった。
(父さん、皆で話し合える機会を作ってくれてありがとう)
遺影の父は相変わらず穏やかな笑みを浮かべて、僕たち家族を見守ってくれていた。
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