第12話 腕のない死体
そこにはコンビニのポリ袋に埋もれた女の姿が……ということもなく、ただ先ごみがあるだけだ。その隣を指さす彼の目はうつろだ。いったいどこを見ているのか。
幽霊が見やすいマンションというものがあれば、ぼくも彼の奥さんを見ることができるかも……なんて思ったのだが、どうにも難しいようだった。さっき幽霊らしきものが見えたのは偶然波長が合っただけだろうか。
「コーヒー淹れようと思ったんですが、豆を切らしてましてね。缶コーヒーでよければ……」
「いやあ……おかまいなく」
断ろうと拒否のしぐさをしようとしたのがまずかった、ホソカワさんの手とぼくの手がぶつかってしまい、コーヒー缶から少しこぼれてしまった。
「ああ……! しまった!」
「これは困った……すみません、シミを洗わせてもらえますかね?」
「え……ええ、手洗い場は玄関側にありますよ……」
指さす先はゴミ山で、言われても判断に困る。大体の間取りを知っているからなんとか理解できるが。手洗い場は風呂場と隣接していた。閉じられた風呂場……半透明の曇り扉からでもわかるたまっているごみ。まあ、さっさとシミを落として話を聞いたらこの家からは出てしまおう。
そう思って手洗い場に目を向ける。鏡は水垢だらけで手洗い場もカビだらけだ。
シャツをこすっているうちに何か違和感のようなものを感じる。
風呂場の曇りガラスから見えるゴミの形がさっきと変わっているような。
崩れでもしたのか、先ほどより異臭がひどくなった気がする。
もう鼻が馬鹿になっているにも関わらず、風呂場からは吐き気を催すほどの異臭がする。
がさ……がさ……とゴミが崩れるような音がした。もしかして、虫がいるのか? それとも……ぼくは怖いもの見たさもあり、一歩近づいてしまう。
バン! とはっきりと手形が。これはやはりまた幽霊……!
おそろしい、と思いながらも好奇心が勝り、ゆっくりと扉に手をかけてしまう……
「あ……わ……」
幽霊……ではなかった。扉を開けると倒れてきたのは明らかにこの世に存在する【物体】だった。腐った死体。
実際、人間は腐った死体を見た時、そんなに大きな声で叫んだりはできないようだ。その死体は腕がもげていた。腕が根っこから腐れ落ちている。
「先生? 遅いですけど、どうしたんですかー? もう私、いったん家に帰ってもいいですか?」
アオギリさんが玄関から声をかけてくる。その声を聴いたからなのか、死体がまるで蛇のようにゆっくりとうねり、彼女のほうへと進んでいく。
「オァァァ……!!」
「ひ……ひい!」
ぼくの隣をぬるぬると動く腐乱死体。
「先生……?」
返事がないぼくを心配してか、彼女が家の中に入ってくる。
とてつもない異臭に手で顔を覆った彼女はゴミ山に隠れている死体に気づかない。
「アおおオオオ……!!」
死体の口からおぞましい叫び声がゴミ屋敷に響き渡る。
「待てッ……!」
彼女に危害を加えようというのか?焦りながらぼくは手を伸ばし、死体を捕まえようとするが、体が硬直して動かない。
「逃げろっ……!」
ゴミの山をかき分け、明らかに意志を持って彼女に近づく腕のない死体。それを見てアオギリさんは驚いた表情をしたものの、真摯な表情へと変わる。
「ああ……あなた……そっか……つらかったよね。怖がってごめんなさい」
彼女にはぼくと違ったものが見えているのだろうか、その顔は慈愛にも満ちているように思えた。
「ずっと、ここから出たかったんだね……見つけてほしかったんだ……」
人とは異なる能力を持つ、彼女の決意……。アオギリさんが死体に向かって手を伸ばす。
「ごめんなさい……すぐ近くにいたのに気づかなくて……」
彼女は汚れることも気にせず死体を抱きしめ、玄関の外へと運ぶ。
スッと場が軽くなり、ぼくの体が動けるようになった。
その時、相変わらずぼんやりした様子のホソカワさんが玄関へとやってきた。
両手にはコーヒーカップをもっているのが場違いすぎる。
「いったいこれはどういうことですか!? し、死体が……!」
「死体? 何を言っているんですか? それはただの粗大ごみじゃないですか」
腐乱死体を見てもゴミと言い張る彼は張り付いた笑顔を浮かべている。
この惨劇を前にしても、ただニコニコとしていた。
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