第11話 お嫁さん
「あれ、先生。ひとの家の前で何されてるんですか? 昨日診察したことについて何かごようで?」
「えっ、ホソカワさんじゃないですか。いや、診察とかは関係なく……」
昨日、不眠症と不注意で心療内科にきたホソカワさんだ。ひとの家、ということはこの隣人がホソカワさんなのだろうか。
なんという偶然……とは思わなかった。何せここらにはぼくの心療内科しかないし。最寄りのメンタルクリニックを探せば必然的に同じ病院に通うこととなる。
しかもぼくが一人で患者を診察しているので当然だ。小さな村で村医者が一人しかいなければ、村人全員が同じ医者にかかっていても何ら偶然ではないのと同じだ。
「もしかして、患者のプライバシーに踏み込んできてるとか、そんなことはありませんよね?オレの住所は受付の問診票で書きましたけど、さすがに頼んでもいない患者の家に来るとか……」
「そ、そんなことありませんよ! 安心してください、そんな警察沙汰になるようなことはしませんって。ただ、仕事以外の野暮用でこちらに来たというか……」
ちらり、とアオギリさんへと目線を送る。彼女から説明させたほうがよいだろうと思ったのだが、ホソカワさんは、それを見てさらに変な勘違いをしてしまう。
「ちょっと……女子高生に用事って、何が警察沙汰にならないですか? これお互いの同意があっても犯罪ですよ。通報しますよ?」
ポケットから携帯電話をとりだし、通報しようとするホソカワさん。ぼくは大慌てでそれを阻止するために後ろから彼を羽交い絞めにする。
「待ってください! ホント! 本当に違うんですってば……! 話を聞いて!」
「うるさいぞ! 犯罪者! 静かにしろ!」
大人の男が本気を出した一撃がぼくの顔面にめり込む。暴力にまで発展したやりとりに、少し離れて見ていたアオギリさんもさすがに慌てだす。
「ちょっと! おちついて! 先生と私、援助交際でもなければ、付き合ってもいませんから」
「えっ、そ、そうなんですか?」
すみません……早とちりして……そう謝罪する彼を前に、ぼくは鼻から血を流しふらふらと倒れこんだ。
※※※
「いやあ……申し訳ない。まさか執筆活動のための調査やインタビューをされていたとは」
「はは……ぼくも勘違いされかねないと思ってたので大丈夫です」
「しかし、ずいぶんと鼻血が止まら無いようで……嫁に救急箱を持ってこさせます。どうぞ家の中で休んでもらっていいですか?」
ホソカワさんがマンションの扉を開き、中へと案内してくれ……
「うっ……これは……」
玄関を開けたとたんに大量の生ごみが入った袋が転がりおちる。なるほど、このマンション自体が臭かったり、診察に来たときに生臭い匂いがしたのはこれが原因だったのか。
臭いというのは慣れてしまうと、適応され、本人にはわからなくなってしまう。
きっと、同僚たちは指摘をしてあげたのだろうが、本人はかたくなにアドバイスを聞かず、とうとう心療内科まで案内されてしまった、というわけなのだろう。
さっき急に殴られたこともそうだが、どうやらこの男、あまり人の話を聞かないうえに思い込みが激しいようだ。会社でも折り合いがついておらず、いっそ休業でもさせようか……という魂胆であったのかもしれないな。と勝手に会社のことも想像してみたりする。
がさがさとごみの山をかきわけ、中へと入っていく。最初は嫌だったが、これも執筆活動の役に立つ現場なのかもしれないと思うと、急に楽しくなってきてしまった。
当然、女子高生のアオギリさんが入りたがるわけもなく、ぼく一人でずんずんと進んでいく。彼女は入り口からじっと見ているだけだ。もはやどこがキッチンでどこがリビングなのかも不明なほどにものが多いごみ屋敷だったが、それでも進んでいけるのは、アオギリさんの家と左右反転された間取りなのがわかるからだ。
基本的にマンションというのは、水回りの排水管を隣と共有したりするために、
水回りが隣接して作られることが多い。そのため、必然的に二つづつ左右反転の部屋が交互に並ぶ作りになる。
違う場合も当然あるが、その場合は横に一本大きな排水管があり、その上に並んでいるということが大半だ。マンションの入り口すぐにキッチンと横に廊下をはさんで風呂とトイレがあり、廊下といえるほど長くない距離を数歩歩くと、リビングが1つ、寝室、個室が各1つづつ。これも彼女の部屋と同じ間取りだ。
けれども、少し荒れていた程度の彼女の家とは違い、こちらはキッチンはヘドロにまみれ、リビングはテレビの前に、ここで寝ているのか? といった程度の少しのくぼみがあって、それ以外の部屋は段ボールやごみ袋が山となり、入ることすら不可能な有様であった。
とてもではないが、ここに奥さんと二人で生活するスペースがあるとは思えない。それなのに、ホソカワさんは平然としており、汚いカビだらけのコップに水道から水をくみ、いっぱいあおっている有様だ。
「救急箱は机の上にありあすよ。ああ、お客様用のコーヒーはあったかな? ちょっと待ってくださいね」
「いえいえ! けっこうです」
ぼくはリビングのテーブルに案内される。ぎりぎりソファーらしきものが置かれており、なんとかごみをどかして腰掛ける。こんな場所においてある救急箱を使う気などなく、鼻血を手で拭って、部屋を観察する。これもいい経験か、と中に入ってみたものの後悔し始める。さらに、カビの生えた電気ケトルに水を入れているのを見た瞬間、今まで悪臭に我慢が出来ていたのにぞわりとしてしまう。
食べ物、飲み物が不衛生なのはさすがに受け入れがたい。キッチンには大量の食べ物が腐って山積みになっている。そこにホソカワさんが、先ほど買ったであろう手に持っていたスーパーの袋を積み上げる。まだ食べれる野菜や肉が一瞬にして不衛生なごみになる罰当たりな様子に、だんだんと不快感が勝っていく。
やばい、早く帰りたい。セルフネグレクトの妄想癖、虚言癖の男か……思ったより、本のネタにならなさそうだな。なんて、そんな冷静なことを頭の片隅に考えている。
「奥さんの姿なんて見えないじゃないか……なるほど、もてない男が奥さんの幻覚を見ていたってオチか」
なんだ、つまらない。これじゃ本のオチには弱すぎる。せめてこうなった背景でも深堀しなければ読者は喜ばないだろう。
「あの、奥さんってどんな人なんですか?」
ちょっと意地悪な質問をしてみる。男の中の理想の妄想嫁でも挿絵に書いてもらうか。
「嫁ですか? え? 何言ってるんですか、そこの椅子に立っているじゃないですか」
男は、ぼくのソファーの隣のごみの山を指さした。
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