第7話 幻覚と幻想
「ホソカワさんのおっしゃる症状をまとめると、最近、ぼんやりとしてしまう。昼間でも白昼夢を見ているようだ、と。だが時たまかっとしてしまい感情の起伏がコントロールできない……と」
あまりにもぼんやりしていることが増え、オレはとうとう近所にある最寄りのメンタルヘルスに行くことにした。会社で業務に支障が出ていると注意されてしまったのだ。
自分は別に何も問題はないと思っていたのに、ぼんやりしていると言われた。
全く自分では問題ないと思っているだけに、不服であったが、診断書をもっていかなければいけないと言われたのだった。今日は結婚記念日なんだから、早く帰りたいのに。ケーキを買って、晩御飯を作って。やりたいことがあるのに、早く診断書だけもらって帰ろう。
「あの、ぼんやりしているらしいですけど、特に問題ないと思うんですけどねえ」
「ご自分では特に問題は感じていないと……睡眠不足、とかはありませんか?
注意が散漫ならその可能性とかもありそうですが」
「いや、特に。毎日寝てますがね……本当に心当たりないんですよ。それだけに心外です」
全く……と苛立ちを抱えていると、先生はこちらを不思議そうに眺めている。
「こういうのも失礼ですけど……毎日、おふろには入られてます?」
「えっ? な、なんですかあなた」
「いや……なんというか……匂いが……」
ようは臭い、ということだろうか。言葉を濁す先生に私は余計苛立ちを感じる。
けれども激しく口論するというのも大人げない。
「いや。入ってますよ。妻が毎日湯船を張ってくれますし」
そうぶすっとした調子で告げる。あまり顔に出すのも良くないとは思いつつも、やはりどうしても顔に出てしまう。
「そうですか……ではお部屋が……精神的に疲れていると部屋が荒れると言いますしね」
「それこそ失礼ですよ、まだ新婚。引っ越ししたばかりなのに」
「それは申し訳ないです。でもまあ……多少は綺麗にしたほうがいいかもですねえ」
では、薬は仕事がはかどるように、シャッキリできるよう漢方薬を出しておきますよ。と、さっさと適当に薬を渡されたくらいだ。
「それじゃあオレ、帰るんで……」
イライラしながら速足で帰る。一刻もはやく家に帰って妻に癒されたかった。
結婚記念日のための食材を買って、それからケーキも買って……それから……それから……
※※※
ぼくは一度も幽霊というものを見たことがない。とても見たくて見たくて仕方がなく、小学生のころなど霊園に夜行ってみたり、誰もいない小学校を見回りの先生がきて見つかるまで侵入してみたり。臨死体験というものをしてみたくて、ぎりぎりまでプールで顔をつけて保健室に運ばれたりした。けれどもそれでも幽霊を見ることはできなかった。
なぜ見たいか……といえば、至極単純なことで、死んだあとがどうなるのか知りたかった。何もないということがとても怖かった……そうでないと思いたかった。という普遍的な恐怖に知的好奇心が結びついただけかもしれない。
小学校の中学年くらいになると、ようやく時間が不可逆的なもので死んだおばあちゃんは生き返らないし、昔若かったお父さんの写真にお父さんは戻れない、ということがわかってくる。
それはとても怖いことに思えて、何か永続的に残るものがあればいいな、と思ったのだ。死ぬのが怖いのではない、自分の死後に何も残らないことが怖いのだ。幽霊がいれば、あの世があれば……そして証明ができれば……。
ぼくはあまたの人類が抱えてきた死という恐怖と謎を人よりも少し、強く持ったまま大人になってしまった。
そして死や幽霊に対する心の動きというものにも興味を持ち、大学で心理学を学び、メンタルケアにかかわる仕事というものについた。学術として、医学としての死後や霊をとらえたいと夢想するようになっていった。
結局のところ、知的好奇心や研究を恐怖の克服の代償行為にしているのだ。
何せ、死んだら戻れないのだから、確かめようがない。
そういった学問は金にならないので、当然ながら別の仕事につくしかなく。
心療内科に勤務している。そこでたくさんの患者を問診してわかったことは、
わりと霊を見ているという人はいるということだった。
そして、たいていは薬を飲んだりすると幻覚、幻聴が落ち着き見えなくなるということ。はたまた脳に腫瘍が見つかることもある。
病気の時に見える、ただの症状でしかない幽霊は、この世には存在しない無の存在なのだろうか……それともやはりあの世や幽霊は存在するのか分析を行いたい。
いま、ちょうど女子高生の子がぼくの求めているような状況にあるようだった。
「おっと、ちょうどその子からメールがきた」
仕事中にもかかわらず、つい物思いにふけりすぎたようだ。ぼんやりとしている間にパソコンには新着メールがある連絡が入っている。
昨今、未成年との連絡、しかも異性となると周りの目が厳しいため、あくまでも仕事としての連絡としておきたい。と、仕事のメールを教えたのだった。
内容は色気のいの字もないようなものばかりで、主に彼女が幽霊が見えるようになったことや、今まで見てきた幽霊についての詳細なレポートばかりだった。
ぼく自身、今は彼女がいるわけではないが、付き合うなら包容力のある数歳年上の女性と決めている。こっちが世話を焼かねばならぬ子供は正直好みでなさすぎる。
異性ではなく、研究対象として育てているミジンコくらいの気持ちで接していると、
相手の方も安心したのか、いろいろとトラウマじみたことや、かなり踏み込んだことも相談してくれるようになってきた。
かなり鮮明な幻覚、幻聴のようだった。幽霊が本当に見えるのだろうか……
もしそうでなくてもこれを元に本を書こうかと考える。医者にも出版する人は案外多い。しっかり、研究している人もいればトンデモ医療本の出版やらタレント医の雑誌監修なんてものもよくあることで。別にぼくもそういうタレント医になりたいわけではない。ただ、自分の考えを形にしてひとに見てほしかった。というだけだ。
彼女の幻覚のことを知って、自分と同じ症状の人がいることがわかれば、
きっと安心する読者も出てくるはずだ。人間というのはわけがわからない現象が
一番恐ろしい。それに何かしら理由があるとすれば、少しは落ち着くものだろう。
ぼくが死後の無に恐怖するのもけっきょくはわからない恐怖からきているのだ。恐怖を共有しあい、傷をなめあうのは悪くないと思った。もちろん本当に幽霊が見えていて、ぼくも見ることができ、その内容の研究発表ができれば万々歳だ。
そうと決れば、早速彼女に内容を本にしたい旨を連絡する。思い立ったが吉日という。それが霊に関することにも当てはまるのかは怪しかったが。
「お、もう返事が返ってきたぞ」
パソコンの右下にメール着信のポップアップが出た。いまはチャットのように豆に連絡を取り合うのが若年層のネットの会話の主体である。まさにそのテンプレート通りのスピードで彼女から連絡が返ってくる。
『本にするのは構いませんが……私だと特定できるようにせず、ぼかして書いてください。それと……ひとつ、お願いがあるで、都合が合うときにファミレスで相談に乗ってください』
……金銭の要求じゃないだろうな?不信に思いながらも、彼女から許諾を得なければならないこちらとしてはイエスの一言しか返答しようがない。
そして、彼女との待ち合わせの日はあさっての夕方に決まったのだった。
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