164 未来を掛けて、および彼女の提案 ※リフレイア視点

 ――そう思っていた時期が私にもありました。


 対峙した彼女は、まるで歴戦の戦士のように隙を感じさせなかった。

 1年間この街で活動していたが、私は彼女を知らない。見たことがない娘だ。

 もしかすると、他の迷宮で探索者をしていたのだろうか? いや、それなら青銅級であるはずがないか。


 迷宮以外の土地で強くなることも不可能ではないが、簡単ではない。迷宮以外で魔物が大量に出てくる場所など限られているし、倒したら倒したで死体が残る。

 身体に取り込むことができる精霊力も、迷宮と比べれば少ないという。

 ならば、彼女がそんなに強いわけがないのだ。

 少し強めに盾を弾いてやれば、すぐ音を上げるだろう。


 ――という私の憶測は、最初の数合で脆くも崩れ去った。

 彼女は私の剣をその大きな盾で難なく捌いてみせたのだ。


 最初は怒りがあった。

 あの鎧も盾も、ヒカルが買ってあげたものかもしれない――とか。

 そんな装備はまるごと粉砕してやる――とか。

 完膚なきまでに屈服させてやる――とか。

 要するに……私は侮っていたのだ。


 鉄と鉄が激しく衝突する音が響き渡る。

 私の剣は魔物を倒すために作られた特別製で、未熟な私でも使えるようにと獄炎鋼こそ芯材にしか使われていないものの、巨大さに比例した重さがあり、最大限に加速して繰り出される一撃は、そう簡単に耐えられるような衝撃ではないはずなのだ。

 だが、私の剣が彼女――鎧の女の防御を突破することはなかった。


 彼女は笑みさえ浮かべ、余裕で私の剣を受けている。

 こうなったら、あの盾をかいくぐって一撃を入れるしかない。

 怪我をさせるかもしれないが、これは元々決闘。彼女にもその覚悟はあるはずだ。


 そんな、焦りに似た気持ちが攻撃を雑にさせていたのだろう。

 鎧の女はその隙を見逃さず、私は接近を許してしまった。

 盾で押し込まれそうになるのを、剣の腹で受ける。

 チリチリと鉄と鉄が擦れる中、彼女は私の目を見て薄く笑い、思いも寄らない言葉を口にした。


「あいつは、私と一緒に迷宮の最下層まで攻略する約束をしたぞ」


 一瞬、何を言われたかわからなくて、力が抜けて頭が真っ白になってしまった。

『迷宮を最下層まで攻略する』

 それは、探索者なら誰でも一度は口にする目標だ。

 私だって、この迷宮都市に来たときには、自分がまだ誰も見たことのない階層に足を踏み入れる最初の人間になるのだと、息巻いたものだ。

 でも、あのヒカルが、それを約束したというのはショックだった。

 誰とも組まないと言っていたのに。

 この女が弱みを握っているだけだと思っていたのに。


「パーティーも新しく私と組み直したし、もうこれまでに何度も迷宮に入って、連携の練習なんかもして、攻略の計画を立てている」


 鎧の女はさらに続けた。

 私はこの時点で、怒りからか、それとも――絶望からか、膝が震え戦う力が抜けかかっていた。


 だってそうだろう。

 あのヒカルが。

 私とだって「仕方なく」組んでいるという感じだったヒカルが。

 そんな前向きに迷宮攻略を始めているなんて、想像すらしていなかった。

 私はてっきり、私がいなくなって寂しくて迷宮にも行かずに、宿に引き籠もっていると思っていたのだから。

 私が姿を現したら、涙を流しながら私を抱きしめて、私が結婚しようと言えば、熱いキスで返事をしてくれると信じていたのに――


「そして、私とクロは、すでに一緒に……一つ屋根の下で暮らしている!」

「うそ……」


 そのダメ押しの言葉で、私は膝から崩れ落ちた。

 同棲……同棲しているなんて……。

 なるほど、私が現れても自信満々でいられるはずだ。

 決着は付いていたのだ。最初から。

 やはり実家になんて帰るべきじゃなかったのだ。

 ずっと、ずっと離れずにいなきゃダメだったのだ。


 ――負けた。

 認めざるを得ない。私はあれだけ機会があったのに、ヒカルを完全に落とすことができなかった。迷宮の最下層を目指す約束なんて取り付けられなかったし、まして一つ屋根の下で暮らすなど! 想像すらしていなかった。

 結局、しょせん私は恋愛経験の乏しい少女でしかなかったのだ。

 こういう、可愛い顔をして男を手玉に取る百戦錬磨の女には敵わない。


 私はすっかり観念してしまっていたけれど、鎧の女は追撃をしてこなかった。

 顔を上げると、ただ涼しい顔をしてこちらを見下ろしている。

 そこには勝者の余裕があった。

 あるいは、敗者への哀れみか。


 ――負けたくない

 ――まだ負けてなんかない


 彼女の余裕綽々な姿を見て、私はなけなしの闘志をもう一度燃やす。

 ヒカルを手に入れるためなら、なんだってすると決めたはずじゃないか。

 たとえ、なにがあろうと、ヒカルと添い遂げると決めたはずじゃないか。

 未来を共に歩むのだと決めたはずじゃないか。


 ヒカルだって、彼女のことをただのパーティーメンバーだと言っていた。

 彼女自身だって、そうだ。

 一緒に住んでいるというのも、ヒカルのいつものお人好しが出て、宿代すらない彼女を泊めてあげているだけかもしれない。

 まだ、間に合う。

 ここで私が負けを認めなければ!


 私は立ち上がり、一度彼女と距離をとった。

 まだ私はすべてを出し切ってはいない。


「あなたの言うそれが本当なのだとしたら、なおさら私はあなたを倒さねばなりません! 自分自身の未来のために!」


 叫ぶ。

 それは、半分以上、自分自身に言い聞かせるための言葉だったのだが、意外なことに鎧の女はこの言葉に応えた。


「来い! 未来を切り開いてみせろ!」


 本当にこれが恋敵に掛ける言葉だろうか。

 私だったら、相手を打ちのめして二度と近付かないようにすると思う。

 こんな風に相手を鼓舞するような言葉を掛けたりはしない。できない。


 とにかく私は、まだ全力を出してはいなかった。

 私は相手へと距離を詰めながら、その術の名を叫んだ。


「ライト!」


 光球が彼女の眼前に出現。

 私はこの光の影響を受けない。目をやられている間に一撃を入れれば終わりだ。

 彼女とヒカルの関係は、もしかすると私の早とちりで、変な関係ではなかったのかもしれない。だから、ヒカルも彼女も許そう。

 そんなことを考えながら、剣を振ろうとした――その刹那。

 あろうことか、鎧の女は真っ直ぐ光の中を突き進み、そのまま無防備に攻撃のことだけを考えていた私を押し倒し組み伏せたのだ。


「くっ!?」

「残念だったな。私に精霊術は効かん」

「そんな――」


 なぜ!? 普通ならば、目が眩んで動けなくなるはずなのに。

 疑問で頭がいっぱいになるが、今この状況がすべてだった。


 鎧の女は、私の両の手首を掴み馬乗りになっている。

 なんとか体勢を入れ替えようと頑張ってみたが、この小柄な身体のどこにそんな力があるのかと思うほど彼女は強く、ピクリとも動かすことができない。


 今度こそ――負けた。

 これで、私は彼女の言うことをなんでも聞かなければならない。

 もしヒカルのことを忘れて、クニに帰れと言われたらどうする――?

 ……いや、さっき彼女自身がそう言ってたじゃないか。

 どうにもならない。私は勝負に負けたのだから、地元に戻らなきゃならない。


 ……いやだ。ヒカルと別れて生きなければならないくらいなら、死んだほうがマシだ。


「殺して。ヒカルと別れて暮らすくらいなら、私は死にます」


 だから自然に言葉が出ていた。

 これは正式な決闘で、彼女が勝ったのだから、私を殺したとしてもお咎めはない。


「バカなことを言うな。せっかく私が勝ったのに」

「私をクニに帰らせるんでしょう? いいわよ、どうせもう死ぬから」


 完全に負けて、身体を動かすこともできない体勢で、私は半分自棄になっていた。

 だが、彼女は私の腕を掴んでいた力を緩めた。


「そんな悲しそうな顔をするな。成り行きで戦うことにはなったが、別にお前から何かを取り上げたりするつもりはない。クニへ帰れってのはジョークだよ」

「なら、どうすればいいんですか。私は」

「その前に、一つネタばらしをしてやろう。まず、私は異世界転移者だ。クロ――あいつと同じな。あいつが私に気を許しているのは、同郷の人間だからだよ」


 それは衝撃の告白だった。

 ヒカルは私にすら、なかなかそれを打ち明けてはくれなかった。

 だが、だからこそ同郷の人間ならば、あの笑顔の理由もわかるような気がする。


「だけど、ヒカルはみんなに見られているからなんとかって……。あなたも、そうなの?」

「そうだよ。私もクロと同じように、元の世界の人間たちからこの瞬間も見られ続けている。もっとも、私はあいつみたいに繊細じゃないから、だからなんだといったところだがな」


 ヒカルの荒唐無稽な話。

 元の世界の何億もの人たちが、自分のことを見ているという嘘みたいな話。

 信じていないわけじゃないけれど、こうして話を聞いてもやっぱりよくわからない。


「お前。本当はクロから拒絶されたんだろう。あいつの驚き方は、戻ってくるはずのない女が戻ってきた時の男のソレだったぞ」

「うっ……。それは……」


 そう答えながらも、本当はわかっていた。

 思い返してみるまでもない。ヒカルはもう私とは会わないつもりであるようだったのは明白だ。

 私が「そうは言っても押せばどうにかなる」と思っていたというだけで。

 彼は、彼自身の事情に私を巻き込まないために私と距離を置くことを望んでいたのだから。


「私が説得してやるから、うちに来い」

「――え?」

「あいつは難物だし、度を越した真面目で、少し心も病んでいる。長い目で見てやらなきゃダメだと思う。放っておけばあいつは1人でどこかに行ってしまう……そんな感じがする」

「それは……私もそう思うし、私だって彼の側にいるために戻って来たんですから……。でも、いいの? あなたは」


 彼女の提案はよくわからなかった。

 確かにヒカルは危なっかしくて、側で見守ってあげたくなる人だけれど、私なら他の女を側に置くような提案は絶対にできない。


「いいさ。お前がいいならな。私には、そういう独占欲はない。それより、いっしょに歳を重ねて、関係を育んでいくことのほうが大切だから。……ただし、私があいつを手放すことはないぞ? あいつが私を嫌って離れていくなら別だが」


 彼女はそう言い切った。

 要するに、私を「浮気相手」として置いてやっても良いということだろうか。

 やっぱり、よくわからないが、彼女にはヒカルが自分の下から絶対に離れないという自信があるようだった。その自信の根拠はよくわからないが、やはり弱みを握っているのだろうか。

 だが、こうして話してみて、彼女に邪悪さは感じることはない。

 だから、わからないのだ。


「で、でもどうして……? 私を置いて何のメリットが?」

「強い仲間が必要だからだ。……それに、私はお前のような女は嫌いじゃない」

「私みたいな女って……?」

「向こう見ずで直情的で心だけで生きてるみたいな奴のこと」


 それは褒められているんだろうか? 微妙にバカにされているような気もするが……。

 わからない。ヒカルと同じ別の世界から来た人のことだから。


 それにしても、彼女もヒカルと同じで、すごく冷静で落ち着いているな。

 向こうの世界の人間の特徴なのかもしれない。


「ただ……そうだな。家では恋愛は禁止にしようか。クロもその条件なら折れるだろう。あいつは、お前のしどけない姿を視聴者に見られたくないというのが、一番の理由なんだろうからな」

「禁止なんて……でも私……我慢できないかも…………」

「我慢しろ。あいつのことは、長い目で見た方がいい。なに、どうせ毎日クタクタになるまで、迷宮で戦闘に明け暮れることになるから、そんな気も起こらんさ」


 彼女の出してきた条件は、私には難しそうだ。

 私はむしろ戦闘でクタクタになればなるほど、甘えたくなりそうなのだが、どうなんだろう。多少ならセーフだろうか。セーフだといいな。きっとセーフだろう。よし。


「わかりました。でも……一つだけ教えて。あなたはヒカルのことを、どう思っているの? その……好きとか……恋人にしたいとか……そういうのは、ないの?」

「そうだな。好きだよ。でも、どういう関係を望むかは、人によるものだから。お前にはわからないだろう。あるギフトを得た転移者は『ひとりではさみしすぎる』のさ」


 その時、彼女が少し寂しそうな顔をしたのを、私は不思議に思った。

 ギフトというのがなんなのかはわからない。

 だが、少なくとも彼女は私の敵ではなく味方であるのは確かだと感じた。


 そして、その日から、私と彼女とヒカルとの共同生活が始まることとなったのだった。

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