142 渡米の機内、あるいは再臨 ※セリカ視点

 結局、本当にナナミ姉さんをコントラバスケースの中に押し込めることになってしまった。

 姉さんは、かなり困惑していたが、私はこうなる可能性は高いと踏んでいたので準備は万端できている。

 高級ビンテージ楽器の輸送と嘘をついて税関は無理矢理通した。

 見せ楽器として、わざわざヴィンテージコントラバスやらヴィンテージチェロやらを買う必要はなかったかもしれないが、まあ、向こうで売却するか、自分が演奏するでもいい。楽器で遊んでいる時間はないかもしれないけれど。

 

 姉さんは小柄……でもないが、まあ平均的な体格なのでコントラバスケースに収まったが、窮屈な上に真っ暗なケースの中でひたすら揺られ続けるのは怖かっただろう。


「おつかれさま、姉さん。あとは離陸するだけだから」


 機内に入ってからナナミ姉さんを解放する。


「ふぇ~。生きた心地がしなかったよ……。それにしても、すごいね。本当に見つからなかったんだ」

「運が良かったのもあるかもね」


 姉さんは物珍しげに、窓から外を見ている。

 私は、そんな家族に限りなく近い人の背中を見ながら、これからどうするかに思いを馳せた。


『神による復活』という、人類史の中でも特異な存在となってしまった姉は、もう普通に暮らすのは難しいかもしれない。

 変な宗教が姉を手に入れようと襲撃してくるとか、そんな映画みたいなことは起こらないにせよ、何が起こるかは未知数な部分が多い。

 国がどうこうしてきたら抗うのは難しいだろうが、それ以外なら居場所を秘匿していれば、おそらく大丈夫だろう。

 ほとんどの欧米人は日本人の人相の違いなど見分けられないだろうし。少し髪色を変えて、メガネでも掛けさせれば変装としては十分かもしれない。

 なんにせよ、ナナミ姉さんは普通ではいられない。向こうのハイスクールに通うのも難しいだろう。


 私たちにできるのは「姉を殺すと『天罰』が下る」と喧伝することと、本格的に国の庇護下に入ること。とりあえず、それくらいだろうか。私とカレンは、個人としては金持ちな部類だが、結局それだけだ。本質的にはただの小賢しいお子様でしかない。

 国が庇護せず、殺害方向へと舵を切ってきた場合は、どちらにせよお手上げだ。逃げるとしても限界があるだろうし、今、この時点でカレンが人質に取られていたら、もうどうしようもない。


(……悪いほうに考えるようになっちゃったな……。神のせいで)


 私は元々ポジティブなほうだ。

「これまでもどうにかなってきたし、これからもどうにかなる」が信条である。そして、実際これまではどうにかなってきたのだ。

 だが、兄が異世界に送られてから私のやることは、裏目に出ることが多いのもまた事実だった。

 なんというか……タイミングが悪い。そう、すべてにおいてタイミングが悪かった。


 かといって、あの『神』が私や兄を標的にしているとは考えにくい。

 神が介入しているというのなら、そもそも不運が元で死んだ転移者など、それこそ100人を超えるのだ。

 結果論でしかないが兄は生き延びて、強くなり、視聴者たちも多い。本当に標的にされているのなら、とっくに死んでいたはず。

 ……いや、ナナミ姉さんといっしょに殺された時点で、兄の人生は終わっていたはずなのだ。


 私は着座し、タブレットで兄の様子を確認した。

 どうやらジャンヌさんとの同棲が決まり、生活物資を買いに出たところのようだ。

 カレンが実況しながら嫉妬に近い発言をしているが、私は兄に笑顔がこぼれる姿を見て、ホッと息を吐いた。ジャンヌさんが、兄と比較的近い位置に転移してくれていたことは、僥倖以外の何物でもなかった。もし、近くにいるのが別の人だったなら、こんな風にはいかなかっただろう。

 どうやら、ジャンヌさんは兄と相性も悪くないようだ。

 少し胸がチクチクするけれど、私は優先順位を間違えたりはしない。

 どれほど遠く離れていても、私と兄は、絶対に断ち切れることのない絆で繋がっているのだから。


「それにしても、この飛行機ってどうしたの?」


 ナナミ姉さんがキョロキョロと内装を確かめながら言う。


「買ったの?」

「まさか。チャーター機よ」


 私達が乗っているジェット機はプライベート用のチャーター機で、席数は8席だ。

 だが、内装は豪華で、飛行機の中であることを忘れるような造り。

 まあ、無理をすれば買えるだろうが、今のところそのつもりはない。


「大丈夫なの? こんな飛行機チャーターでも高いんじゃ」

「まだちゃんと説明してなかったけど、ナナミ姉さんが死んでる間に、私達もいろいろやっててね。一口でいうとお金持ちになったってこと。そういうわけだから心配しないで。それより、フライト中にお兄ちゃんの編集版動画を見ててちょうだい」


 椅子に備え付けられたボタンを押すと、目の前に大きなモニターがスライドして出てくる。

 兄は、ナナミ姉さんの代わり(厳密には姉さんの代わりだったのかどうかは、わからないが)に異世界に行くことになり、かなり危険な状態が長く続いた。今はようやく危ない状態を脱して、安定してきたところだが、姉さんにとっては辛い場面も多いだろう。

 だが、観て貰わなければならない。というか、どうせ観ることになるのだから、早いに越したことはないだろう。姉さんが死んでいる間に何があったのか知るには、これが一番手っ取り早いのだ。


 管制から離陸許可が出て、私達は地上を離れた。

 地球の裏側まで、半日のフライトだ。


 ◇◆◆◆◇


 フライトの最中、私は自分の仕事をしながら、ときおり姉さんから飛んでくる質問に答えたりして、時間を過ごしていた。

 フライトそのものは順調。

 問題はなにもなかった。


 姉さんの精神状態以外は。


「なによ、この女は!」  

「ねっ、姉さん落ち着いて……。ほら、お兄ちゃんかなり危ない状態だったから、リフレイアさんのおかげで持ち直した部分もあるし……」

「だとしても気に入らないわね。ヒーちゃんだって、迷惑してるじゃん。なのに付きまとうわ、しまいにゃ暴走して勝手に死にそうになるわ、とんでもない地雷女じゃない」

「確かにそんな部分もあるけど、彼女は彼女でいいところもあって」

「は? 向こうの肩持つの?」

「そ、そういうわけでは……」


 怖い。

 ナナミ姉さんは二重人格……というわけではないだろうが、兄のことになるといきなりキレる時があるのだ。

 兄にバレンタインチョコを渡したことで姉さんに呼び出されてヤキを入れられた女子の話は、地元では語り草だ。

 さらに、姉さんは蛇の如く執念深いのだ。

 実の両親をいつまでも許さなかった程度には。

 誰が見ても、普通の一般家庭の女の子のはずなのに、どうしてこういう性格が醸成されたのか、理解に苦しむ。

 普段は、ポワポワした地味系女子に擬態してるのに……。


 ナナミ姉さんは、最初は涙すら浮かべながら兄の冒険を見守っていたが、リフレイアさんが登場したあたりから徐々に顔色が変化していった。

 最終的に、月下のキスシーンで堪忍袋の緒が切れたらしい。

 ……まあ、彼女からすれば兄は文字通り『私達のもの』だったのだから、憤慨したくなる気持ちもわかる。

 私もただ映像だけを見ていたのなら、姉さんと同じようにキレていたかもしれない。


 だが、これは兄が必死に生き抜いた記録であり、リフレイアさんの存在もまた、兄が生き抜く為には欠かせないピースだったと、私には理解できるのだ。

 それに……私は同じ人を好きになった人を悪く思うことができない。こんなのは、血の繋がった妹であるが故の余裕であるのかもしれないが。


 未だにムキムキしている姉さんを尻目に、私は兄のリアルタイム動画のほうを観ていた。

 実況には参加していないが、ジャンヌさんは意外な伏兵で、兄を丸め込み素早く懐柔し同棲の状況を完成させているように見えた。

 さすが最強の女。ボーッとしているように見せ掛けて強かだ。

 一見、効率を重視しているようにも取れなくもないのが上手い。……いや、本当に効率を重視しているだけかもしれないが……。いや、これは女の直感だが、ジャンヌさんは確実に兄を『攻略』しようとしている。


 ナナミ姉さんにとっては、フワッと「自分のもの」だと思っていた人が、手の届かないところで、他の女に取られる様を見せられているように感じるだろう。まさに真綿で首を絞められるような感覚でいるのかもしれない。

 しかし、どれほどヤキモキしたところで、今のところ私達にはどうすることもできない。


 ◇◆◆◆◇


 ジェットは調子良く飛び続け、アラスカを越え、東海岸の空港まであと4時間程度。

 ナナミ姉さんは目を爛々と輝かせて、兄に「死者蘇生の宝珠」を渡したジャンヌさんの編集動画に見入っている。


 強行軍で少し寝不足だった私は、軽く仮眠を取ろうとシートを倒し、ウトウトし始めたところで、ピリリリリと着信音が鳴った。

 カレンからだ。


「ハロー。どうしたの?」

「セリカン。掲示板見て」

「ん? 掲示板? さっきチラッと見たけど、また炎上してたね。お兄ちゃんとジャンヌさんの組み合わせだから、ある意味当然――」

「いいから、早く!」


 カレンにしては珍しい剣幕に、私はタブレットを開いた。

 そして、すぐに電話の意図を察した。


「神……」

「お兄ィのとこだけじゃなくて、全部の掲示板に書き込まれてるから、本物のはず。っていうか、このサイトは私でもまだハックできてないし」

「1時間後ね……。なにが飛び出すのやら……」


 神の意図は不明だが、そこまで悪い知らせではないはず。

 この神は、基本的には「人類を楽しませよう」としているのは確かで、エンターテイメントとして面白いことを重視しているようだからだ。

 その結果、人が死ぬことも、それほど気にしてはいないようなのが、やはり人外の存在である証拠なのかもしれないが……もし、その力を手に入れたのが人間だったとしても、もっとエグいことをするかもしれず、一概には言えないだろう。

 いずれにせよ、1時間後にはわかる。

 私は、タイマーをセットし寝直すことにした。


 1時間後。

 神は半年以上前のあの日と同じように、テレビ画面に出現した。

 神の出現する「ディスプレイ」は、使っていない画面のみだ。使用している画面にいきなり現れることはない。事故防止の為であろうが、意外と細かい配慮をする神である。


『私は神だ。愛しき我が子たち。元気にしていたかな?』


 眩い光のシルエットは、そう告げた。

 愛しき我が子とは、前回もそう告げていたがどういう意味だろう。この神からすると、あまり深い意味はないのかもしれない。


『さて、さっそくだが本題に入ろうか。まず、1000人の異世界転移者だが、私が想像していたよりも、君たちにとって過酷な世界だったようで、たった1ヶ月程度で3割以上が脱落してしまったことは、私の想定範囲外のことだったのだよ』


 背中がザワザワする。

 私は直感的に神が次に言うセリフがわかってしまった。


『だから、第二弾転移を行うことにした。第一回目の転移者はランダムに決めたが、次は「より異世界に行きたい気持ちが強い者」としようか。そのつもりがないのに別の世界に送られても不幸が多いようだからね』


 やはりか。

 同時に私は、嫌な予感がして叫んでいた。


「姉さん! 手のひら!」

「えっ? え?」


 強引に手首を掴み確認する。

 そして――


『ああ、そうそう。元々権利を持っていたのに死んでしまった子は、蘇ることで権利が戻るからね。特例枠というやつだよ。存分に楽しんでくれたまえ』


 ナナミ姉さんの手のひらで蠢く、幾何学模様。


「神ィ……! なにが特例枠よ……! 楽しんでいるだけなんじゃないの!?」


 私はテレビ画面を殴りつけそうになったが、すんでの所で耐えた。

 神はもちろんそんな私の姿など見てはいない。マイペースに話を続けている。


『転移までの準備期間は、前回より短めにした。20日後の0時。転移前のギフトに関しても、いくつか変更があるから、チェックしておいてくれたまえ』


「20日!? たったそれだけ!?」


 初回時は、半年もの猶予があった。

 短縮するにしても、程度というものがあるだろう。


『あと、メッセージ機能だが、これは私の想定していた使い方から、大きく外れた――そうだな、一口で言うなら「悪用」する人間が多く、私は心を痛めている。今のままでは、第二陣転移者達にとって不利な情報を流される可能性も考慮し、彼らの転移後1ヶ月まで……つまり今から50日ほど、メッセージ機能は一時凍結とする。その間に機能の再調整を行うつもりだ。君たちは、彼らの冒険を余計な口出しはせず、ただ見守っていればいい』


「メッセージを凍結……?」


 その決定は少なからず私にはショックだった。

 兄のほうは、現時点でだいぶ精神的には安定しているように見える。メッセージ凍結はあるいは良い方向へ向く可能性すらあった。

 だが、ナナミ姉さんのほうは別だ。

 私とカレンで、最大限にメッセージによるサポートを行い、良い方向へと誘導するつもりでいたのだ。


『それでは、選ばれた幸運な諸君。充実した異世界ライフを』


 神は最後にそれだけを言い残し、消えた。

 もちろん、ナナミ姉さんの手のひらから、『異世界転移予定者の証』が消えることはない。

 

 とにかく、ナナミ姉さんは、またしても異世界転移予定者にさせられてしまった。

 そして、少なくとも転移後一ヶ月はメッセージによるサポートをすることができないことが確定してしまったのだった。


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