138 長い夢、だけど夢から覚めて ※ナナミ視点


 ずっと……ずっと夢を見ていた。


 何もないオレンジ色の海で、ずっと浮かんでいるだけの夢だ。

 私だけじゃない。何人もの人がプカプカ浮かんでいたけれど、身体を動かしても意味がないってわかっているから、誰も何もしないでただただ海の上を揺蕩うだけの夢。


 ずっと、ただ浮かんでいたけれど。もうずっとただこうしていても仕方が無いって諦めて、ずぶずぶと沈んでしまおうかなんて思ってたところ。


 遠くから声が聞こえた。

 帰って来いと。

 懐かしい声。大好きな人の声。


 その声に導かれるように、私は自分の身体じゃないかのような身体を必死に動かして泳いだ。

 すると、ずっと向こうから、私を迎え入れるように光の柱が迫り、私はそれに触れた。

 ――次の瞬間。


 私は、自分の部屋にいた。


「え……。あれ……?」


 自分の部屋だ。それは間違いない。だが、何かが記憶とは違っていた。

 ホコリっぽいというか、まるでしばらく放置されていたかのような。

 部屋には一人の少女が立っていた。

 私にとっては実の妹のような存在。


「カレンちゃん……?」

「……うん。そうだよ、ナナミン。私がわかる?」

「なにそれ、どういう意味……? 変なの……」

 

 私はそう答えながら、少しずつ記憶が鮮明になっていくのを感じていた。

 なぜ家にいるんだっけ?

 私は異世界転移者として選ばれていたはずだ。

 少なくとも当日までは、転移の準備をしながら過ごしていたはずで――


「あっ……あれ……? 私……なんで家にいるんだっけ……?」


 名前も知らない同級生に殺された……はずだ。

 なんだか記憶が曖昧だが、「ああ、死ぬんだ」と思った記憶はある。

 だが……夢だったかもしれない。現に私は生きているわけだし。

 目の前にはヒーちゃんの双子の妹のカレンちゃんがいて――


「思い出したの?」

「う……うん。ちょっと曖昧だけど――っていうか、あなたセリカちゃんでしょ? なんでカレンちゃんの真似してるの?」


 私がそう言うと、セリカちゃんはフッと微笑んで、下ろした髪をポニーテールにまとめた。


「よかった。姉さん、本物みたいね。復活なんてキリスト以来だから、中身本物かどうか心配だったんだけど」


 冗談めかしてそんなことを言うセリカちゃん。


「復活? それに中身って……?」

「あの神のすることだからね。よく似た別人ってこともあるかもだし……。せっかくだから、いくつかクイズでもしてみる? 昔、姉さんが拾った犬の名前は? とか」

「アイちゃんでしょ? ふざけてるの?」

「正解。それに、キレやすいのも一緒か……」


 ボソッとセリカちゃんが呟く。

 誰だって唐突に過去の傷に触れられればカチンとくるものだろう。


「ごめんね、姉さん。どうしても、いろいろ確認しておかなきゃいけなかったから。私とカレンの見分けが付くし、過去の記憶もある。見た目も問題なさそうだし……」


 なんなのだ、一体。

 確かに、瓜二つな双子であるセリカちゃんとカレンちゃんは、本気で化けられるとどっちがどっちだかわからなくなる。

 私は付き合いが長いから、すぐにわかるけど……。

 それにしても、見た目って――


 私はなんとなしに自分の手を見た。

 いつもどおりの手だ。腕も脚も――


「きゃっ! なんで私裸なの!?」


 ベッドのシーツを引っ張って身体を隠す。

 セリカちゃんが、真顔すぎたから気付かなかった。素っ裸だ。小さい頃は一緒にお風呂にだって入っていたけど……。


「さすがに復活は産まれたままの姿でってことでしょ。服はそこに用意しといたから、着ちゃって」

「……ねえ、セリカちゃん。それより、そちらの方々は? っていうか、ずっと撮ってたの?」

「そりゃ、人類初の復活者だから。二重の意味でお宝映像になったわね」

「……消してくれるよね?」

「まさか! 全人類に公開するに決まってるじゃない。……姉さん。被害者の姉さんにこんなこと言っても仕方ないけど、姉さんが生き返るまでに、けっこういろいろあったからね。これの公開も含めて、姉さんにはこれから働いてもらうつもりだから」

「ぜっ!? 全人類!? なんでそんなこと――」

「ナナミ姉さんの復活をそれだけの人間が気に掛けてるってこと。姉さんに拒否権はないから」


 凜とした表情を崩さずハッキリと言うセリカちゃん。

 このモードに入った彼女を説得するのは私には無理だ。何を言ったとしても結局は丸め込まれてしまうだろう。

 それにしても、全人類とは……。まだイマイチ頭がハッキリしていないからか、正直、話の規模について行けていない。


「それで、そちらの方は」


 セリカちゃんの後ろに暗い色合いのスーツを着た外国人の女性と男性が1人ずつ、真剣な表情で立っていた。一人はカメラを回している。

 見たことがない人だ。

 セリカちゃんは交友関係が中学生とは思えないほど広いから、大人と知り合いでも驚きはしないが、誰だろう?


「これは私のボディーガードよ。ちょっといろいろあってね」

「う、うん……」


 ボディーガードとは。やはりセリカちゃんは規格外だ。世界中を探してもこんな子はそうはいないだろう。


 とりあえず、急いでいるとかで、先に服を着ることになった。

 セリカちゃんは下着まで用意してくれており、なかなか用意周到だ。

 なぜか高校の制服だが、これも理由があるのだろう。口を挟んでも仕方が無いので、私は大人しく袖を通した。


 私が服を着終わると同時にセリカちゃんは口を開いた。


「いちおう聞いておくけど、転移当日の……そう、死ぬまでのこと思い出せる? 姉さん」

「えっと――」


 あの日。

 朝早くに、よく知らない同級生の男の子が訪ねてきて、私は固まってしまった。

 最後の時間はヒーちゃんと過ごすつもりだったからだ。

 セリカちゃんとカレンちゃんとは、前日に別れを済ませていた。2人はできる限りのバックアップはするから、死なないでと私を激励してくれた。


 彼が訪ねてきたのは、早朝。それこそ日が昇る前みたいな時間だった。転移は9時頃と言われていたから、私は早起きしてあれこれ準備をしていた時だ。

 名前も知らない男の子だったが、顔はなんとなく知っていた。

 隣のクラスの子だったと思う。

 親が応対してくれたが、何か私に話があるのだという。

 私は自室に知らない男の子を入れるのが嫌で、外で話をするから少し待っててと頼み、一度部屋に戻った。

 そもそも、まだ寝間着のままだったからだ。


 着替えて身だしなみを整える間、下から何か物音が聞こえてきたけれど、雨の音に掻き消されて、何の音かはわからなかった。

 私が支度を終えて、部屋から出ようとしたら、なぜか部屋の扉を開けて男の子が入ってきた。そして、血の付いた大きなナイフで私を――


「うっ……」


 思い出して、つい刺された箇所を押さえる。

 そっか。私、殺されたんだ……。

 あれ……? でも、生きているよね?


 今の状況がよくわからない。セリカちゃんは、復活って言っているけど……。


「ナナミ姉さんは死んだけど、お兄ちゃんが生き返らせてくれたのよ」

「ヒーちゃんが……? なんで? ヒーちゃんって神の使いかなんかだったの?」


 正体を隠して地上に降り立った天使とか……。セリカちゃんとカレンちゃんも、かなり人間離れしてるから……ありえる。天使の兄妹……なるほど……。


「なんか納得しちゃってるところ悪いけど、神の使いなわけないでしょ。それも話すと長くなるから、移動しながら話すけど」

「そっか。そうだよねって、あれ? そういえば、ヒーちゃんは?」


 こんな時に、一番に駆け付けてくれるはずの幼馴染みの姿が見えなかった。

 彼が生き返らせてくれたと言ったけど、意味がわからない。


「お兄ちゃんはね、今異世界にいるんだ。ナナミ姉さんの代わりだったのかどうかはわからない。神様が意地悪したのか、それとも助けようとしてくれたのか」

「ヒーちゃんが異世界に……? 私の代わりに……? でも――」

「私だってわからないよ。でも、事実としてそうなんだ。それと……言いにくいんだけど、おじさんとおばさんも、あの時殺されて……。でも、生き返らせることができたのは、姉さんだけで」

「えっ」


 お父さんとお母さんが……死んだ?

 死んだって言ったの……?


 そっか……。

 死んだんだ、あの人たち。


 私は立ち上がって、部屋を出た。

 両親の部屋を見てから、下に降りた。

 居間もダイニングキッチンも灯が消えさり、まるで廃墟のような空気が満ちていた。

 まるで、自分の家なのに、自分の家ではないかのようだ。


 父も母もいなかった。

 私が知らない間に、この世界から姿を消してしまった。


「お骨の供養は親戚の方がやってくれたわ。といっても、永代供養に出したみたいだから、また出してお墓を作ったりは少し難しいかもだけど」


 後ろから付いてきたセリカちゃんが言う。

 中学生とは思えないほど、大人びたことを言う子だ。昔からそうだったけれど、いつまでも子どもみたいなカレンちゃんと違って、セリカちゃんは誰よりも早く大人になろうとしている。


「姉さん……泣いてもいいんだよ……?」


 気遣う声音でセリカちゃんが言うが、私は泣けなかった。

 もうずっと、私にとっての家族は、ヒーちゃんとセリカちゃんとカレンちゃんで、父と母とは仮面家族だったから。

 父と母が死んだことは悲しいけれど。

 胸が締め付けられるけれど。

 でも泣けなかった。

 私はどこか、なにかが欠落した人間なのだ。


「ナナミ姉さん。あなたの面倒は私が見るから心配いらないわ。お兄ちゃんが帰ってこれるかはまだわからないけど……人生設計は、まだ白紙にはなってないから」

「人生設計……そうか。そうよね」


 ヒーちゃんには内緒で進めていた、私とセリカちゃんとカレンちゃんの人生設計。

 それは、家族を捨てて自分たちだけの楽園で楽しく暮らすという、バカみたいな計画。

 私の両親が死んでも、ヒーちゃんが異世界にいても尚、それは無くなってはいないらしい。


「それで、これからどうするの?」


 私の手のひらからは、例の印が消えていた。

 死んだことで候補からは外れたらしい。となれば、普通にこの世界で生きていくしかない。

 だが……ヒーちゃんはいないという。

 正直、どう生きるのか、全く想像ができなかった。


「もうここには戻らないから、必要なものがあったらまとめて。アメリカに行きましょう」

「アメリカ!? え? ええええ?」

「本当はちゃんと手続きするつもりだったんだけど、あまりに手続きが煩雑なんで諦めたから。そこのリンダのコントラバスケースに入ってもらって脱出するからね。あ、向こうの永住権はバッチリ確約させてるから大丈夫よ。どうせこっちじゃ死人あつかいで戸籍も抹消されてるし」

「ちょちょちょ、なに言ってるの? コントラバス?」


 なんでもないことのようにとんでもないことを言うセリカちゃん。

 そんなの見つかったら捕まっちゃうんじゃ……。


「プライベートジェットをチャーターしてるし大丈夫。どっかの大物も使った手段だし。それに、検査の甘い共用空港使ってるし大丈夫でしょ」

「ほ、本気……?」

「ダメだったら、最悪強行突破ね。それもダメなら、在日米軍に口きいてもらうという手もあるし。ま、なんとかなるよ」

「なんなの……いつのまにそんなワールドワイドな感じに……」

「お兄ちゃんが、向こうに行っちゃったから。もう兄に護られてる可愛い妹をやるのは終わったの」


 文字通り、私が死んでいる間に、本当にいろいろあったらしかった。

 いずれにせよ、私には選択肢がないし、セリカちゃん達と暮らせるなら問題など一つもありはしない。

 手早く荷物をまとめるが、学校にも行かず、身一つで渡米するのに持っていく必要があるものなどあるだろうか。

 それこそ、アルバムくらいしか――


「あ、あれ? アルバムは? 異世界に持っていこうと思って選別したやつ」

「あ、ああ……あれ。お兄ちゃんが持ってるはず」

「へぇ? なんで?」

「それも話が長くなるから」


 本当に私が死んでる間にいろいろあったらしい。

 なんで、ヒーちゃんが私のアルバムを?


「ああ……あと――」


 荷物をまとめ、家を出る直前にセリカちゃんが振り返って言った。

 そして、大きなバッグを両手に持ったまま突っ立つ私を抱きしめてきた。


「ちょ、セリカちゃん!?」

「……姉さんが刺されたの、私たちの配慮が足りなくてこんなことになっちゃった部分もあったの。私もカレンも、異世界のことに浮かれて……自分の用事を優先しちゃってた。犯人は無計画なバカだったから、本当は助けられたはずだったんだ。姉さんだけじゃなく、おじさんとおばさんだって」


 私の肩に細いあごを乗せて、吐露するかのように言うセリカちゃん。

 

「そんなの……悪いのは犯人じゃない。あんなの防ぎようがないし……私はこうして生き返らせてもらったんだから」

「でも……謝らせて欲しいの。こんなの気休めにもならないけど」


 彼女は間違いなく頭がいいけど、頭が良すぎるからか、どんなことでも想定して動こうとする。でも、なんでも想定通りになんていかない。いつだって、予想外なことは起こりうる。そんなことに毎回責任を感じる必要なんてないのだ。


「セリカちゃん、それを言ったら私のほうこそ謝らなきゃだよ。そもそも、私が殺されなきゃヒーちゃんだって、異世界になんて行かずに済んだんでしょ?」

「それはまあそうね。せっかく護身用のスタンガンを渡してあったのに」

「そんなのすぐに使えるわけないでしょ!?」

「変なやつが近付いてくるかもって言ってあったでしょ?」


 セリカちゃんは、無理難題をわりと言ってくるタイプだ。

 スタンガンはありがたかったけど、それを人に向けて使えるかどうかは全く別問題というものだろう。

 ……セリカちゃんだってそんなのはわかっているはず。

 だから、これはいつもの戯れなのだ。


「だいたい、私みたいなか弱い子が、あんな武器をすぐに使えると思うのが間違いじゃない? セリカちゃんみたいな豪傑ならともかく」

「だ・れ・が、豪傑ですって~~? ナナミ姉さんみたいにすぐにブチギレる戦闘民族にだけは言われたくないんですけど!?」

「ヒーちゃんの前ではキレてないけど?」

「そこが姉さんの怖いところなんだよなぁ……」


 抱きしめられた格好のまま、バカなことで言い合う私達は、まるで仲の良い本当の姉妹のように見えるかもしれない。

 いや、私にとってはセリカちゃんは妹なのだ。

 血は繋がっていないけれど、ずっといっしょに育ってきたのだから。


「姉さん……。本当に無事に帰ってきてくれてよかった」


 少し強く私の身体を抱きしめて、セリカちゃんが呟いた。


「あの神の言う『復活』だから、ほんとうにこうして五体満足で戻ってきてくれるのか、本当はすごく不安だったんだ。もしかしたらゾンビ状態で戻ってきたりとかするかもって。でも、良かった。……こうして温かい、今まで通りの姉さんだから」

「うん……。私も戻ってこれて良かった。みんな、頑張ってくれたんでしょ? ありがとうね。セリカちゃんも、カレンちゃんも、ヒーちゃんも」


 セリカちゃんの身体が小さく震えている。

 彼女は年齢からは考えられないほど気丈で強い。本物の「豪傑」だ。

 そんな彼女が泣くほど私は心配を掛けてしまった。せめて、これからは心配かけずに暮らしていけるだろうか。


「姉さんが本物かどうか確認したくて、言うの遅くなっちゃったけど……」


 セリカちゃんは身体を離し、そして、ジッと私の目を見て言った。


「おかえり、ナナミ姉さん」


 それは、今まで聞いたどんな「おかえり」より、心のこもったものに聞こえた。


「ただいま。セリカちゃん」


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