136 兄のため、あるいは自分の為 ※セリカ視点

 迷宮都市での兄の生き方は、見ていられないほど痛々しいものだった。

 そのまま迷宮の闇に飲まれ、ふっと消えていなくなってしまうのでは? そう思わせる儚さがあった。

 私は焦燥感に駆られながらも、動画サイトを整備し、兄の動画は特に入念に作り込んだ。そのことで、視聴者たちはリアルタイム放送よりも編集された動画を見るようになり、表面上の視聴者数は減った。

 私は努めて明るく振るまい、少し酷い妹を演じ続けたが、本当は心が張り裂けそうだった。

 兄が死んでしまうかもしれない。

 だが、できることがほとんどない。

 せめてメッセージを開いてくれればバックアップできるのだが、それもできない。


 近くにいる転移者は、アレックスさんと、ジャンヌさんだけ。

 その中でもアレックスさんにはメッセージで何度かお願いをしたが、彼は彼で酷いメッセージが多く届いている転移者だ。兄のことを頼んでも、対応できるだけの余裕はないかもしれない。

 私は時間を見て、アレックスさんの生家を訪れ、彼の家族とも会ったが、正直……あまり良い家庭環境ではなさそうだった。

 この異世界転移は、転移者は当然としてその家族の生活にも変容を強いるものだ。

 単純に、家族を一人失うのだから当然だ。

「遠い異世界でも頑張って」と笑って送り出せる人ばかりではない。


 そんな中で兄はリフレイアさんと出会った。

 彼女にはどれほど感謝してもしたりない。

 あのタイミングで、ちょっと――いや、かなり強引なリフレイアさんと出会っていなかったら、兄はずっと闇に潜み、そしていつかは死んでいただろうから。


 そして、死者蘇生の宝珠。

 私はそのアナウンスを聞いて、心底神を呪った。

 リフレイアさんとの関係を深めることで、兄の心に変化が起これば、少しずつでも良い方に向かっていくだろうと希望が見えた、その矢先のことだったからだ。


 だから、兄が視聴率レースで1位を目指すこと。

 私はこれに協力するかどうか、一瞬だけ迷った。

 だけど、私は兄と共にある。そう決めたはずだったじゃないか。

 辛い選択になろうと、兄を応援するのだ。


 私とカレンは編集版の動画の作成は後回しにし、リアルタイム実況へと視聴者達を誘導した。そのことで、兄の視聴者は爆発的に増えたが、しかし1位への道のりは遠く思われた。


 私は、さらにカードを切った。

 オザワを監禁したままにしたのが役に立った。

 兄が姉さん殺しの犯人であるというキャンペーンを世界規模で蒸し返したのだ。

 実は私やカレンも一枚噛んでいたであるとか、家族ぐるみの犯行であるとか、痴情のもつれであるとか、あることないこと騒ぎ立て、炎上を煽り、兄のチャンネルへの動線とした。


 それでも、実際に瞬間的にでも一位になれたのは、やはり兄の力だ。

 世界一の私のお兄ちゃんだから。

 あんな恐ろしい魔物にも一人で立ち向かえてしまうような人だから。


 でも、少し潔癖すぎたから、リフレイアさんと一悶着あって、それが結果として一位を逃す形となってしまった。

 だが、私には彼女の気持ちがわかる。

 兄は一人で行ってしまう。一緒に死んでくれとは決して言ってくれない。

 それが兄の優しさでもあるし、残酷さでもあるのだけど……。


 とはいえ、なんとか魔王も倒し、兄は生還した。

 私もカレンも、この視聴率レース中は睡眠時間を削りに削っていたから、兄と同じように疲れ果て、久しぶりにゆっくりと眠ることができた。

 まあ、私達が起きても兄はまだ昏睡状態で、心配させられることになったけれど。


 そして、リフレイアさんとの別れ。

 私たちは私たちで、オザワの解放をしたり、ジャンヌさんに死者蘇生の宝珠を譲ってくれるように頼んだりと、やることが尽きることはなかった。


 なんにせよ、少しずつだが良い方向に進んでいる。

 このまま進めば問題がない……そのはずだ。


 ◇◆◆◆◇


 ジャンヌからの『お願い』は想定外のものだった。

 それは『メッセージの量を減らして欲しい』というもの。


 あの子は届いたメッセージを必ず確認するし、そこに書かれた内容に沿った行動をしているように見えた。

 そもそも、彼女が兄のいるメルティアへと向かっているのだって、誰かが彼女に『ヒカルという転移者が、幼馴染みを殺して裁かれることもなく異世界に転移して逃げおおせている。あなたの手で鉄槌を下して欲しい』という、普通なら無視するようなメッセージから来たものだ。


 実際に彼女が、兄を殺しに行くとは私も思ってはいなかったが、いちおう『真実を見定めて』とメッセージを送った。

 どういう動機にせよ、彼女が兄に会うというのなら、助けになるのか……いや、プラスになるのかマイナスになるのか、そこが重要だった。


 すべての転移者は事前にあらゆることが調べ上げられている。

 その中でもジャンヌ・コレットは、そのエキセントリックな言動と美貌から特に高い人気があった。


 北欧の血が入った白磁の肌と、ストロベリーブロンドの髪。

 意思の強そうな大きな碧眼。長い手足。スレンダーな体型。

 なのに趣味はコンピューターゲームで、学校にはろくに行かずにバイトとゲームに明け暮れる不良娘。両耳に盛大に取り付けられたピアスは彼女のトレードマークで、世界中でピアス穴を大量に開けるのがブームになったほどだ。

 スター性という言葉は、彼女のような人の為にあるのだろう。


 そんな彼女が、兄に会う。

 初めは少し心配だったが、彼女の異世界での冒険を見て、心配はすぐに霧散した。

 ジャンヌ・コレットはお人好しのバカだったからだ。

 バカといっても悪い意味ではない。

 損得を考えず、頼み事を断れないその性格は、私が見る限りでもかなり損をしているように見えた。


 古城に巣くった魔物を討伐したとき、彼女は寝床と食料以外にはわずかな金銭すら受け取っていない。

 普通に考えれば、騎士に駆除を頼まなければならないような案件だ。旅の少女一人に行かせること自体に、依頼した村民の腹黒さが見え隠れする。

 しかも、それを完遂した礼が、文字通り頭を下げるだけとは! 本来ならば、暴力を使ってでも必要な分をぶんどるべきだろう。それを彼女はしなかった。バカだ。


 また別の村で、山賊の討伐を頼まれた時もそうだ。

 あの件での彼女の葛藤はどれほどだっただろう。いくら、神からチートを貰い強力な力を持つといっても、人間を殺すことに戸惑いがなかったはずがない。

 山賊のアジトから手に入れた、わずかばかりの金品すら、彼女は村人に進呈し、自分は本当に一宿一飯だけを受け取り村を辞している。バカだ。


 だが、そんな彼女のことを、全世界の人が愛していた。

 なぜかは見ていればわかる。

 私も好きになってしまったぐらいだからだ。


「セリカン~。どうすんの? メッセージ減らすったって、今どんくらい届いてんだっけ?」

「ジャンヌさんは、届いてるのが毎日100件くらいかな。だとすると、メッセージは毎日10万件とか送られてる感じでしょうね。なら、そう難しくないかな」

「前にどっかで、メッセージの大規模調査してたけど、そのデータ使うのん?」

「そうね。あと、少しお金使うよ」

「問題ないニェ~。その為に稼いだカネよ!」


 ジャンヌからの「宿題」を受け取った私は、さっそくキャンペーンを打った。

 はっきり言ってしまえば、ジャンヌの「お願い」は簡単な部類のもので、正直助かった。死者蘇生の宝珠は世界に一つしかないものだ。もっと難しいお願いをされると思っていたのだ。

 やはり……やはり彼女はお人好しだ。


「とにかく、やっていこっか」

「承知の助~」


 メッセージを転移者に届ける為には、二つの要素を乗り越える必要がある。


 ひとつめは「愛情」。

 相手のことをどれだけ思って文章を打ち込んでいるか、どれほど反応を楽しみにしているか、どれほど相手を想っているか。

 そういった数値化しにくい情動……つまり愛が強いほど、メッセージは届きやすくなる。


 もうひとつは「送られてくる数」。

 例えば、同じ程度の気持ちの人間が100通送ったとする。その場合、届くのはだいたい20通程度だ。これは、何度もテストされているから間違いないデータである。

 では、それが1000通になるとどうなるだろうか。普通に考えれば100通届くと考えるところだが、そうはならない。だいたい30通~40通届けば良いところだ。

 さらに増やして10万通になるとどうなるか。

 なんと、届く数はさらに割合を減らして100通弱程度となる。

 そして、そこが頭打ちと思いきや、さらに増やして一日100万通くらいの数になると、届く割合はいきなり減少し、1通か2通にまで減少するのだ。

 そして、その1通や2通は、転移者を心配する家族からのものである場合がほとんど。

 総数が増えるほど強烈な選別が行われるということ。

 意図してその状態を作り出せば、ジャンヌへ届くメッセージは、おそらく毎日2~3通程度にまで落ち込むはずだ。私のメッセージも届かなくなる程度には、採用難度が上がるに違いない。


 具体的には。

 ジャンヌにメッセージを送ろう! 採用されたメッセージの発信者には10万円をプレゼント! というキャンペーンをフランスを中心に打つ。

 メッセージの送り主はどこの国の人間が多いかわからないが、理論上大事なのは総数そのものである。彼女の知名度が高く関心がある土地であれば、キャンペーンを打つ国はどこであってもかまわない。まあ、応募自体はどの国からでもできる仕様だが。


 愛のないメッセージを増やすという部分が大事なので、「カネ」という雑念を混ぜる。

 この雑念が愛を曇らせて、採用率の低いクソリプを大幅に増大させるのだ。しかも、一度カレンが作ったサイトで登録しなければ、メッセージがジャンヌに届いたとしても、カネは受け取れない。

 キャンペーンを打つ広告費は億単位でかかるが、うまくいけば、実際に採用されてカネを受け取れる人は、ほんの一握りとなるだろう。

 いずれにせよ、『死者蘇生の宝珠』のレア度から考えれば、破格の安さだ。


 そして、実際にキャンペーンを打ち、数日で結果は出た。

 さすが世界最高のスターだ。サイトに届く分だけで、メッセージの総数は1000万を超えている。

 総数飽和作戦の効果は絶大で、最初のころに数人にお金を支払っただけで、そこから先は金目当ての人間のメッセージは一切採用されないようになった。

 神がなぜこんな調整を行ったのかはよくわからないが、メッセージ機能はあくまでオマケという意思の表れなのかもしれない。


 ジャンヌが、ほとんど届くことのなくなったメッセージ画面を見て「本当に結果を出すとはな。約束は守ろう。この宝珠は、セリカ、お前の兄に譲る」と言い、私はカレンとハイタッチした。

 兄が視聴率レースの一位を取れなかった件は残念だったが、あれを通して兄が少しだけど前向きになれたのは事実。

 結果的に見れば、悪くないところに着地したと言えるだろう。


「じゃあ、ちょっと出かけてくるわ。カレン、あとは頼んだわよ」

「ナナミン迎えに行くのん?」

「そうよ。ちょっとばかし行政処理があるから、少し早く現地入りしとく必要があるわけ。コンテナに隠してアメリカまで連れてくるんじゃあんまりだし。まあ、こっちのはもうナナミ姉さんの分の永住権も約束してもらってるから、強引に連れて来ちゃってもいいといえばいいんだけど。……どうせプライベートジェットで行くし」

「えー、いいな。プライベートジェット使うなんて」

「遊びじゃないの! それに、たぶん大きくお金が必要になること、もうそうそう起こらないだろうからね」


 小型ジェットのチャーター費は往復で数千万かかるが、動画収入だけで毎月億単位の収益がある今、出し惜しみをする意味はない。

 自分で言うのもなんだが、私もナナミ姉さんも時の人・・・というやつだ。マスコミや野次馬と接触する機会はなるべく減らしたいし、なにより時間が惜しい。


「じゃあ、リンダ。行きましょう」

「イエス、ボス。私と、ジョンが随伴致します」

「頼むわね」


 こっちで雇ったリンダは凄腕のSPで、彼女が集めてきた総勢8名のチームには、24時間体制で身辺の警護をしてもらっている。

 私達は大人じゃないし、それなのにカネを使い切れないほど持っているという、アンバランスな存在なのだ。

 リンダたちSPのチームは、国からの紹介だから、おそらくスパイかなんかだと思うが、別にアメリカの国益を損なうつもりもないし、私達自身に危険思想もない。

 国に護ってもらえるなら、悪くない取引だといえた。

 クリーンで高度な人材を雇うような伝手もなかったしね。


 私はスマホを取り出しライン通話のボタンを押した。


「あっ、もしもしイズナさん? ええ、セリカです。ご無沙汰しております。ええ……そうです、そうです。あの件……ええ、家の解体、進めておいて貰えますか? 先にクロセの家から始めちゃっててください。ソウマの家は事が終わってから潰す感じで……。はい、目処がたったんで。あと明日またお祖父ちゃんのとこに顔出します。ええ、あ、大丈夫ですよ。お祖父ちゃんには私から連絡しておきますから。はい、はい。そうですね~。では~」


 ナナミ姉さんが生き返る場所は、あの家の姉さんの部屋だ。

 あの死者蘇生の宝珠の説明にも『亡くなった場所で復活する』とあったから間違いない。神はそういうルールだけは絶対に違えることがない。

 問題は「本当に生き返ったソレがナナミ姉さん本人なのか」ということだが、こればかりは私が確認するしかない。

 ……もし、それがナナミ姉さんによく似た別のナニカだった場合だが……そのときは状況次第で対応していくしかない。懐柔か破壊か。あの神のやることだ。なにがあってもおかしくはない。

 少なくともナナミ姉さんの遺体は荼毘に付し、お骨だって四十九日を待たず納骨済みだ。

 だから「元の肉体」とは別の存在であることは確定的。それがどういう意味なのか、私は深く考えないようにしていた。どうせ、なるようにしかならないから。

 究極的に、全くのコピー、全く同一の人間であったとしても、それが本当に「相馬七美」本人なのか? そんなことを考えても無駄なのだから。


「じゃ、行ってくるね」

「はいほーい。気をつけてニェ~。ナナミン狂信者に刺されないよーに」

「そのあたりも一応仕込み済みだから、大丈夫よ」


 玄関から外に出ると、眩しい日差しで私は目を細めた。

 世界は異世界の騒動なんかとは全くの無関係であるかのように、何も変わらない。

 本当に、異世界は異世界で。私達の世界とは無関係なことなのだ。

 私も家族が転移させられていなかったのなら、一歩引いた立場でしか見ていなかっただろう。私にとっては兄と妹、そしてナナミ姉さんだけが大切で。他の人にはあまり関心がなかったから。


(狂信者か……。ホントにそんなのいるのかしら)


 狂信者というか、「復活」に反応した宗教関係者がナナミ姉さんを奪取しようと動く可能性は織り込み済みだ。今のところ、あの家の周辺に動きはない。大きい宗教団体は、生き返るのを見てから、やっと重い腰を上げる。おそらくそんなところだろう。

 そして、そのころにはもうとっくに私達は日本を脱出している。

 

 だから、さしあたりの問題は野次馬のほうだ。カレンの言うナナミン狂信者も、これに含まれている。

 姉さんが、どのタイミングで生き返るにせよ、兄が宝珠を使うタイミングはすべて配信されている以上、野次馬対策は絶対に必要だ。

 とりあえず、地元の解体業者にクロセの家と、姉さんの家、両方解体を頼むという旨で、道路使用許可証を発行させ、当日、野次馬が入って来れないように通行止めにする。

 最初は、祖父に頼んで数十台の黒塗りの高級車で道路を塞ぐという手も考えたが、いくらなんでも悪目立ちしすぎる。

 解体のほうはイズナさんに頼んであるから、問題ない。

 さらに、別の野次馬対策も万端整えてある。例によってだいぶカネをばらまく結果になるが、カネで解決できることなら楽でいい。

 あとは、兄とジャンヌさんとの間で、アイテムの受け渡しがスムーズにいけば……というところだが……こればかりは祈るしかない。ジャンヌさんは、口下手なほうだし、兄は転移者には警戒心を持っているだろうから。


 ジョンが荷物をトランクに積み込み、私は車の後部座席に乗り込んだ。


 ベントレーで空港まで向かう。

 うちにある車はすべて父親のものだ。まさかアメリカに来てすぐ二台も買うことになるとは思わず辟易したが、それでも頑丈そうな車を選んでくれたのは、私達のことを少しは慮ってくれたのかもしれない。

 その父も母といっしょに今は旅の空だ。

 世界一周クルーズで帰ってくるのは半年後。私とカレンは初めての自由を謳歌……とは行かなかったが、この忙しい時期に両親に邪魔されないというのは、かけがえのないものだ。


 オザワは逮捕され、兄の潔白が証明された。

 あとは、死者蘇生の宝珠でナナミ姉さんが生き返ることができれば。

 私とカレンは、失ったものの2割くらいは取り戻したことになるだろうか。


 悪くないペースだ。残りの8割も必ず取り返す。

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